2013年6月30日日曜日

日本語を作った万葉集

このブログを書き始めたときにいつかは触れなければいけないテーマとして万葉集がありました。

しかし、万葉集については過去において各方面の権威ある方たちが様々な評価をしてきており、私見とはいえ迂闊なことは言えないという思いがあります。

それでも「やまとことば」を語るには、その原点ともいえる万葉集を避けて通ることはできないと感じ、今回できる範囲で触れてみることにしました。



万葉集は現存する最古の和歌集であり、文字としては漢語を用いながら音としてはそれ以前から使用されていた話し言葉である原日本語を表現したいわゆる万葉仮名を特徴としています。

ひらがなの原点ですね。

およそ550年ころに日本に伝わった仏教経典が漢語の原点と思われますが、720年には正史としての日本書紀が完成されています。

それ以前に古事記があると思われますが、古事記においてはあまりにも不確かなことが多く、年代も存在も推定の域を出ません。

そして750年以降くらいに万葉集が成立していると考えられています。


日本書紀はほぼ正規の漢文で書かれており(後半部はかなり日本語よりの漢文のため編者が異なったといわれています。)、正史の記録として漢語が使用されたことを表しています。

万葉集は7世紀後半から8世紀半ばくらいまでの、天皇・貴族から下級官人・防人までの和歌を4500首以上集めたものです。

文字のない中で歌い継がれてきた和歌を、万葉仮名を編み出しながら記録する作業は膨大な時間を必要としたことでしょう。

そしてこのことはそれまでの話し言葉である原日本語に対して、漢字の使い勝手を開発する壮大な試みだったのです。

話し言葉として音だけであった原日本語に、その音を表す書き言葉としてのひらがなができたのです。

言語としての日本語の成り立ちは、記録として現存するものとしては万葉集を持って起源とすることになると思われます。


ところがひらがな文字は漢語に対してより程度の低いものとして扱われることになります。

政府の公式記録や文書はもとより、男は漢語が使えないと恥ずかしいことになります。

出世にも影響したことでしょう。

一方、漢語の一部分を用いて作り出されたカタカナは漢語を読むための補助語として使用され、漢語と同様に男性にしか使われていなかったものと思われます。

935年に紀貫之が女性の筆者の振りをして「土佐日記」をひらがなで書きあげるまでは、勅撰の和歌集「古今集」にくらいしか男性によるかな文字の記録は見ることができません。

しかし、宮廷であっても女官はひらがなを使いました。

女性や子供の使う言葉としてひらがなが発展し継承されていきます。


どんな階級までひらがなを使っていたのかは定かではありませんが、歌を詠むことのできる階級には漢語よりもはるかに使いやすいこともあり、かなり広がっていったと思われます。

平安時代はいわゆる古今調(「たおやめぶり」といわれる)の歌が主流となって、多くの女流歌人が活躍をしました。

文化としての和歌がある限り男性でも万葉仮名・ひらがなは必要であり、すべてが漢語のみではなかったと思われます。

むしろ、記録のための公式文字が漢語であっただけで、普段の生活の言葉は今までの話し言葉である原日本語(この段階ではある程度は漢語の影響を受けて変化してきていると思われます。)に変わりはなかったと思われます。

つまりは、このころより母語は今とほとんど変わりのない形で形成されていったのではないでしょうか。

それ以降は上流階級の子弟の教育のために競って文学的素養のある女官が登用され、日記や物語が数多く作られるようになります。

かな文字物語の最初の作品として有名な「竹取物語」は、作者不詳となっていますが紀貫之の作ではないかと言う説もあります。

そうだとしたら、紀貫之は「古今集」の編者でもあり「土佐日記」も含めて、かな文学の普及に多大な影響を与えた人物と言うことができるでしょう。


この後は、競うように文学的な素養のある女官が上流貴族に採用され「蜻蛉日記」「枕草子」「源氏物語」と繋がっていくことはご存じのとおりです。


万葉集と言う名にもどのような意味があるのか諸説あります。

「よろずの言の葉(ことば)」を集めたものだとするものや、「よろずのよ(世)に伝うべく」集めたものだとするものなどがあります。

その役割をみれば言葉と結びつけたくなる気持ちはよくわかります。

これも定説はありませんので楽しみたいところですね。

苦労して作った言葉を、女性が継承しつづけて今に伝わっているのがひらがなです。

日本語の歴史は母性の中にタイムカプセルのように継承されてきているのでしょう。

政治的に位の高い男がわざと難しい言葉や新しい言葉を使いたがるのは、歴史上果てしなく継承されてきているようですね。

日本語の持つ感性は女性から学ぶほうが正しい方法なのかもしれませんね。




2013年6月29日土曜日

日本語の危機(明治維新)

日本語の継承・存続において一番の危機は漢語が導入された飛鳥、奈良時代であったことは今まで何度か触れてきました。

このときの奇跡的な対応がその後の日本語の存続に大きな影響を与えました。


そして次の大きな危機は明治維新でした。

政治、文化、軍事あらゆることで徹底した欧化政策を、しかも急いで成し遂げないと列強の支配下に入らざるを得ない状況でした。

夏目漱石をして「こんな安普請で国を作り上げて、この国は本当に大丈夫なのか。」とも言わしめたような急ぎようでした。


あわててやったことの影響は100年以上たった現代に微妙なズレが大きくなっているものも多くありますが、原日本語を守りながら嵐のようにやってくる外国語に対応したパワーは知れば知るほど頭が下がる思いです。
(参照:100年たって微妙なズレが

開国以来、列強の帝国主義的植民地政策に対抗すべく、早くに西洋の技術を受容し、産業化を進め、国力を充実する必要がありました。

明治維新によって、近代化、西洋化を進めようとした日本にとって、西洋の思想、政治、経済用語はどうしても必要な物でした。


次の様な言葉が次々に作られまたは流用されていきました。

社会・存在・自然・権利・自由・憲法・個人・近代・美・恋愛・彼/彼女・芸術・・・・

面白いのは「憲法」と言う言葉です。

この時に作られた漢字の組み合わせですが、これが中国に渡ってそのまま中国語として「憲法」として使われていきます。

現代中国の言葉で日本から逆輸入された言葉を探すと意外とあるようですね。


具体的な物があれば言葉をあてることは比較的簡単にできます。

あてる言葉がなければ外国語のままの音でカタカナでもいいわけです。

ところが哲学や文学の芸術の領域になると抽象的な概念を言葉にしなければなりません。

たとえば「愛」という言葉です。

もともと日本語に仏教用語として「愛」という言葉はありました。

しかし、それはいわゆる西洋で言う「love」とは異なっており、翻訳するのに苦心した跡がうかがえます。

「恋愛」という言葉はこの時に生まれています。


二葉亭四迷は「浮雲」の中で「ラヴ」と表記しました。

その後「愛」と書くようになりました。

彼は翻訳の中で出会った一行に四苦八苦します。

「I love you.」の一行です。

前後の脈略もあります。

二葉亭四迷はこれを「死んでもいい。」と訳したそうです。


同じものを夏目漱石が訳したものがあります。

漱石はこれを「月がきれいですね。」と訳したといわれています。

「君を愛している。」という言葉は今でも私たち日本人の感性にはなじまないものだと思います。

頑張ったところで「君が好きだ。」程度ではないでしょうか。

政治、芸術、軍事あらゆるところでこのような翻訳が行われたのです。


この時にフルに対応したのが漢字です。

その造語力は世界の言語学者が認めるところです。

この漢字の造語力とカタカナによる直接的な語彙の取得によって、原日本語は守られたのです。

その守りは直接的な外国語との接触によって、さらに強固なものになったのではないかと思っています。


歴史的にはこの時にヨーロッパ言語に征服されてもおかしくなかったはずです。

この時の経験が次に迎える太平洋戦争後のアメリカ英語への対応において大きな力となっていることは言うまでもありません。

日本人独特の発想や思考は一人ひとりの母語である日本語によってなされています。

2000年以降のノーベル賞における自然科学分野(物理学、化学、生理学・医学の3分野)の日本人の受賞者は13人となっています。

この数はアメリカに次いでいるとともに全ヨーロッパの合計よりも多いのです。

もっと日本語に自信を持ってもいいようですね。


2013年6月28日金曜日

日本語は「タイムカプセル」

日本語の起源においては諸説あって、定説となっているものはありません。

それでもどうやら縄文語にその起源がありそうだということは、数多くの説で共通しているようです。

その縄文語が一体どのようなものであったのか、またその後の言葉がどこからきてどのように広がっていったのかについてはいろいろな考え方があるようです。

ですから私が勝手な推論を申し上げても、間違っているとする根拠もなければ絶対正しいとする根拠もないわけです。

とても楽しいことです。

でも、何となく自信はあるんですけどね。

縄文語は話し言葉であり、文字はほとんどなかったと考えられています。

そこに当時の最文明国である中国から漢語を持ってきました。

公式文書などは漢語で記録されましたが、話し言葉は漢語によって侵略されることがありませんでした。

ここがタイムカプセルの最初のキーポイントです。

文字は漢語の便利さによって侵略されたのに、何故話し言葉は残ったのでしょうか?

しかも、驚くことにその漢語から今まで持っていた話し言葉のための表音文字であるカタカナとひらがなを作り出してしまうのです。

言語学上の奇跡とも言われています。


言語は文明そのものです。

人は言葉を持った時に初めて思考することができ、伝え確認することができ、協力することができるようになります。

大きな便利な文明がやってくると、そこには言葉がついてきます。

その言葉でなければ説明できないことがたくさん出てきます。

文明の広がりと同時に言葉が今までの言葉にとって代わっていきます。

今までの言葉はどんどん辺境へ追いやられ、やがて消えていきます。


漢語が導入されたときに、律令も仏教もすべて漢語で書き物で入ってきました。

今までの自分たちの文化よりもはるかに進んだ大きな文化です。

本来の流れであれば、ここで原始の日本語である縄文語が漢語にとってかわられ、消えていかなければならないのです。

漢語は公式文書や高官の間を一気に広がります。

いわゆるインテリは漢語を学ばなければ最先端の知識に触れることができないわけですから、その立場を守るためにも必死に漢語を学んだことでしょう。


私はこう考えています。

地理的条件があります。

地続きではなく日本海と言う天然のバリアが存在します。

中国の文化はほとんどすべてが書物でやってきました。

日本からは遣唐使、遣隋使を派遣しましたが、中国から人が渡ってくることはほとんどありませんでした。

日本から行った人は苦労して中国で会話をしたと思われますが、日本においては漢語での会話は必要なかったわけです。

書いてあることを理解することに全力が注がれました。

それでも原始日本語と漢語の話し言葉が近い関係にあれば、派遣された人たちが書き物と一緒に発音も持ち帰ってきたはずだと思います。

それができなかったということは、原始日本語と漢語の話し言葉はあまりにもかけ離れていたのではないでしょうか。

そしてスーパーインテリたちが漢語を読むために、漢語の簡単な音を利用して形を簡単にしてカタカナを発明します。

大発明です。

漢語読むための表音補助文字としてカタカナは当時の日本語の音を表していると思われます。

それが変化し、省略されながら現代の50音に引き継がれています。

カタカナは漢語の音を利用するために元となる漢語の一部を記号的に用いて作られたと思われます。


一方ひらがなは原始日本語の音に当たる漢語を簡略化してできたものと思われます。

カタカナは漢語読むための補助文字として読む文字として作られ、ひらがなは原始日本語を書く書き文字として作られたと言えると思います。

書き文字はインテリ層においては漢語を使ったと思われます。

だんだん略されて簡素化されていくにつれてひらがなって広がっていったと思われます。


本来ならば漢語にすべて置き換えられるべき状況から、古来の言語(=文化)を守る独自の言葉を生み出してしまいました。

そしてこの言葉はその後の巨大文明の導入においても、漢字による造語とカタカナによる対応で外来語に対応するという離れ業を披露するのです。

明治維新のヨーロッパ文明の導入の時は、夏目漱石をしてこんなに急いでなんでも導入したら日本文化はどうなるのかと心配させたりもしました。

太平洋戦争後のアメリカ文化の導入もアルファベットも使用しながら、漢字とカタカナで対応しました。

古来の文化をひらがなを中心とした言葉に伝承してきたのです。

1000年以上前の文化を受け継いだ言葉が世界にどれだけあるでしょうか?

日本語はまさしく言葉の「タイムカプセル」なのです。


古今集に収められている私の好きな藤原敏行の歌をご紹介します。

「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」

およそ1200年前の歌です。

音はほとんど作られた当時と変わらないと思われます。

細かなことは分からなくとも音を聞いただけで、声に出して読んだだけで感じるものがありませんか。

風の音に秋の気配が感じられるという感性は日本人独特のものでしょう。

その表現としての「~ぞ ~ぬる」の感覚は他の言語には翻訳のしようがありません。


外国人には風の音は雑音以外の何物でもないのです。

彼らは音楽を聴くときに静かなホールで、物音を立てずに楽器の音だけを聞きます。

外の音を遮断するのです。

楽器以外の音は雑音なのです。

日本人は解放された屋敷で、風の音や虫の声と一緒に雅楽を楽しむのです。

何と自然と一体化した感性なのでしょう。


日本は自然の厳しい国です。

安定した気候はありません。

梅雨もあれば台風もあります。

雪もあれば炎天もあります。

自然の変化に応じて生活や着るものも変化させなければいけません。

しかし、これを四季として愛でるのです、楽しむのです。

この歌にはそんな思いがすべて感じられる気がします。

縄文の原始からのその文化が日本語の中に「タイムカプセル」として受け継がれているのです。

なんと素晴らしいことでしょう。

たまには「タイムカプセル」を開けてみませんか。


2013年6月27日木曜日

昨日、出会った「やまとことば」

今回はひさしぶりに「やまとことば」にもどって書いてみたいと思います。

実は、そう思わせてくれる出来事がありました。

昨日、友達のサトカズのセミナーに参加して第22代UWF世界ライトヘビー級チャンピオンだった田久保剛さんのお話を聞いてきました。

25年間、自分探しをしてこられて現在はメンタル系のコンサルタントして活動をされているその話は、ご自身の経験から辿りついた「いのちの使い方」でした。(内容はこちらを参照してください。)

極めて納得し共感できる中身でしたので、懇親会が終了して帰りの電車の中でもメモと写真を見直していました。

話を聞いているときもそうでしたが、話が先に進んでいくほどすっと腹に落ちてきて分り易くなってきます。

1時間弱という時間でしたが内容がきちんと整理されており、伝えたいポイントがきわめて明確でした。

話し方も見せる内容もこなれている感じで安心感があり、ご自身の経験を中心にした内容は心地よい共感と納得感に浸ることができました。

どこかにそれだけでは言い切れないある種の興奮感を持ちながら、写真に撮った資料を見直していた時です。

「あっ!」思わず電車の中で声を上げてしましました。

何となくこうではないかなと思いつつも絶対間違いないという感覚を持った、例のひらめきが訪れました。

過去の経験の話や、テーマの導入部よりも田久保氏の言いたいポイントは「やまとことば」の嵐なのです。

漢語やカタカナで始められた導入部が一番言いたいポイントになるとどんどん「やまとことば」に置き換えられていくのです。

過去の経験や現在の事象で良しとしない内容には漢語がバンバン使われています。

言いたいことになってくるとどんどん「やまとことば」が増えてくるのです。

「自分」は「己(おのれ)」に換わってきます、「使命」は「命の使い方」に換わってきます。

「本物の自分」は「すでにある自分」に、「素直」が「今に在る生き方」に換わっていきます。受け入れやすさの理由がここにもあると確信しました。

ご本人が意識してやっておられるかどうかはわかりませんが、数多くやられているうちに聞き手の反応を感じながらこのようになってきたのではないかと思います。

とくに精神的なことや自然との融合についてのことは「やまとことば」(ひらがな表現と言ってもいいかもしれません)は極めてふさわしい表現方法なんだろうと思います。


ご自身も使うのに抵抗があるように見受けられた言葉がいくつかありました。

マーケティング、エネルギー、神・・・

この言葉を使ったほうが伝わりやすいかなと考えられた跡がうかがわれましたが、使っていて納得されていない様子も漂っていました。

カタカナはエネルギーの使い方(「本音エネルギーの出し方」)を除いてはほとんどがネガティブな表現の場合に使用されていました。

「神」は人前で使うのにはとても難しい言葉です。

聞き手の「神」に対しての感覚を確認できるまでは使わないほうがいい言葉ですね。

田久保氏はこの言葉で自然との融合、人の判断や感性を越えたあるがままの世界を表現しようとしたのだと思います。

目に見えるところには「神」を書いていませんが、口にしたときにされたフォローはその難しさをよく御存知なことがうかがえました。


「やまとことば」は決して昔の言葉だけではありません。

現在の私たちが使っている言葉にも「やまとことば」と言えるものはたくさんあります。

私たち日本人の心には理屈抜きに響く言葉です。

「やまとことば」の解釈として難しいことを言う人はいっぱいいますが、私は「ひらがな言葉」でいいのではないかと思っています。

もちろん、厳密に言えば違うのですが決まりはないのです。

本当に言いたいこと伝えたいことはひらがな言葉で表現してみると思った以上に効果があると思いますよ。

漢字は訓読みにしてしまえば「やまとことば」になることがほとんどです。

ひらがなとの組み合わせで気楽に使ってみましょう。



あらためて「やまとことば」の魅力に気づかせてくれた田久保剛氏と、この機会を作ってくれたサトカズ氏に感謝です。

2013年6月26日水曜日

言葉の噴火の前に

子供は2歳前後になる急にたくさんの言葉を発し始めます。

このことを言葉の噴火と言ったりします。

まだ文にはなりません。

身近なものの名詞ばかりです。いわゆる赤ちゃん言葉ですね。


言葉を発するまでは、初めのうちは意味もなく手に触れるものをつかみます。

やがて体の発達とともに玩具やタオルや髪の毛など周りにあるものを、自分の意志で握るようになります。

この時はまだ遊び方もわからず一人で触ったりなめたりしている自分と物との関係となっています。

この時に周りの者が、一緒に玩具をいじったり音を出したり言葉をかけたりすることによって、もの以外の人が加わります。


言葉を発する前の幼児はこの「自分と物と人」との関係の中において言語能力を培っていきます。

通常であれば一番たくさんの言葉をかけてくれるのは母親であり、次が周りにいる肉親です。

子供自身はまだ言葉を発することはできませんが、この時期にしっかり話しかけて言葉の吸収を助けてあげることが必要です。


そして2歳前後に言葉の噴火が起こります。

個人差がありますので半年くらいのずれはあるようですね。

周りの子供に比べて言葉の発達が遅いと心配になるものですが、ここでの差はその後の言語の発達においては関係ないと言われています。


では、この時にどのような言葉で話しかけてあげたらよいのでしょうか。

普通はいわゆる赤ちゃん言葉ですね。

「わんわん」「まんま」「ぶーぶー」みたいな。

これって本当にいいことなんでしょうか?

赤ちゃん言葉が広く使われていることは知られていますが、その効果や研究はあまりされていないようです。

ただし同じ音韻を繰り返している短い言葉は、とてもリズムが良く覚えやすい言葉です。

赤ちゃん言葉は幼児期のみのことばであり、すぐに使われなくなります。

それならば最初からきちんとした言葉で話したほうがいいのではないかという意見もあります。

繰り返し、擬音、擬態の表現のことをオノマトペと言うそうですが、日本語にはもともとオノマトぺがたくさんあります。

赤ちゃん言葉もたくさんのオノマトペでできています。

せっかくこの時期だけに使われる特別な言葉ですから意味がないとは思えませんが、その効果については今後の研究を待ちたいと思います。

根拠はないのですが、私は何となく母語の原点に赤ちゃん言葉がかかわっているのではないかと思っています。


自分に子供ができたときには習わなくとも赤ちゃん言葉が出てきます。

記憶のどこかに母親や周りの人にかけてもらった言葉が残っているのでしょうね。

ちなみに英語でも赤ちゃん言葉があって「good night」は「night-night」(ナイ、ナイと言うのでしょうが日本語みたいですね)と言ったりするそうです。

「はいはい」「くっく」「ないない」「ねんね」「ぽんぽん」「あんよ」「たっち」「ぶーぶ」などの赤ちゃん言葉と、オノマトペの「きらきら」「ひらひら」「ふらふら」などの言葉はかなり近い関係だと思います。

「母語のもとは赤ちゃん言葉です。」こんなことが発見されたらとても楽しいですね。

少し探ってみようかな?



2013年6月25日火曜日

母語のいる場所

「母語」を何かうまくイメージできないかなとずっと考えていました。

いま、私が一番いいかなと思っているイメージがデコレーションケーキです。

いつかはもっとわかりやすいイメージがお伝えできるかもしれませんが、今回はデコレーションケーキで説明させていただきます。


イメージとしては真ん中のスポンジ部分が、子供の脳です。

デコレーションケーキはスポンジの生地の上にまんべんなくクリームの下地を塗りますよね。

そしてその上にいろいろなデコレーションを施していきます。

脳の周りに最初に塗られた薄いクリームが「母語」というイメージです。

そして、この母語の上に第一言語の日本語がかなりの部分で母語と同化しながらデコレートされていきます。

第一言語には母語に同化していく部分と、第二言語と同じように伝達のための道具として母語の上に飾られる部分があります。

同じように薄いクリームの下地の上に第二言語がデコレートされてい行きます。

第二言語は第一言語の上にデコレートされることが多いと思います。

こちらの場合は同化できる部分は少ないですから、クリームの上に飾られた果物のようなものでしょうか。


幼児の脳は生まれたときはスポンジ生地のままです。

人によっては少しクリーム下地が塗られているとする考え方もあるようですが、ここではどちらでもいいでしょう。

おぎゃあと生まれたときから主に母親の言葉を聞きながら、周りの音を聞きながら耳から入ってくる音を中心に少しずつクリーム下地が塗られていきます。

このころはまだ思考することはできません。

脳は生きるための基本的な反応をするだけです。

やがて2歳くらいになってくると、使える言葉が増えてきて会話をすることができるようになります。

初めのころは名詞の短い言葉だけだったのが、コミュニケーションができるようになると一気に言葉の爆発が起きます。

そして、2歳から5歳頃にかけてクリームの下地を塗り広げていきます。

5歳頃までにほぼまんべんなくクリームの下地が塗られることになります。

母語の基礎は5歳頃までに完成してしまうと言われています。

そのあとはここで塗られたクリーム下地の上に塗り重ねたり、果物を盛ったり飾りを付けたりしてデコレーションをしていくことになります。

脳は思考するときには一番近くを覆っているクリームの下地を使っておこないます。

外からのどんな刺激も脳に達するときには必ず「母語」というクリームの下地を通過します。

脳からの発信も必ず「母語」というクリームの下地を通過することになります。

小学校になると薄く塗られた「母語」の基礎の生地の上に、一部は「母語」のクリームの重ね塗りが行われたり、違った飾り付けがされたりしていきます。

ほとんどの飾りつけは言語によってなされますから、小学校の低学年のうちは国語がとても大切になってきます。

第一言語ですね。


小学校のころは国語の成績がいい子供は、他の学科の成績もいいものです。

他の学科もすべて言葉を媒体にして学びますから当然のことなのです。

教科書はすべて国語の学習に合わせた言葉で書かれています。

国語の学習が遅れてしまうとすべての教科の学習に影響するのです。

低学年を担当される先生方はこのことをよく知っておられます。

低学年を担当される先生はベテランが多くないですか?


低学年は吸収することが中心であり、まだ思考することには慣れていません。

ここで学校生活以外にもどれだけたくさんのことを経験できたかが、将来を大きく左右することになります。

経験したことの中からしか嗜好が決まらないからです。

幼児のころから出始めた好き嫌いがある程度固定されてくるのがこのころからです。

嫌な思いや痛いことを経験したことの多かったものが嫌いになり、楽しい思い気持ちのいい思いを経験したことの多かったものが好きになっていくのです。

経験したことのないものは、実際の経験をした段階で判断をしていきますが、大きくなってから初めて経験したことはそれほどはっきりとした好き嫌いの対象にはならないようですね。


「母語」のクリーム下地の上に様々なものが飾り付けられていきます。

すべてのベースは「母語」です。

母国語としての国語である日本語のベースにあるのも「母語」なんですね。

今回はデコレーションケーキをイメージして「母語」を語ってみました。

もっとわかりやすいイメージができたらまたご案内しますね。



2013年6月24日月曜日

読み聞かせの効果

子供が母語を形成していく過程において幼児期(2歳から5歳)がとても大切だということは先回述べました。

では、その時に母親は何をしたらいいのでしょうか。


これはいいことですから続けてくださいと言っても、いいことだけをずっと続けることなんかは誰もできません。

教え方の上手な人は絶対にやってはいけないことだけ教えます。

それは失敗の経験に基づいている確かなことです。

教え方の下手な人は理想形を教えてその通りになるように練習しろと言います。

人間は同じことをやり続けることがとても苦手です。

どんなにいいことであっても、いいことだけやり続けることはできません。

本当に上手に教える人はやってはいけないこと、それも絶対にやってはいけないこだけを危険を避けながら一緒に体験させます。

そして失敗体験を共有することをやります。

理想形はあるかもしれませんが、これだけが絶対に正しいやり方というものは存在しません。


目標に向かっていくには様々な行き方があります。

教えてる人が同じ目標にたどり着いたことがあるとしたら、それも一つのやり方です。

しかし、そのやり方でなければたどり着かないわけではありませんし、教えられる人が同じやり方でたどり着ける保証は何もありません。


「名選手は(必ずしも)名監督ならず。」

一般に少ない失敗経験で短時間で成し遂げた人は他の人に教えることが下手です。

自分がこうやったから成功したというやり方をやらせようとします。

それは、たまたまその人とその時の環境が会いまって出た結果にすぎません。

再現性は極めて低いのです。

短時間であっても多くの失敗経験をして達成する人もいます。

成し遂げることはなくとも失敗経験の多い人もいます。

失敗経験の多い人は、どうしたら成し遂げられないかを経験としてたくさん持っています。

こういう人はやり方を固定しません。

絶対的にダメな方法以外は、実際にやる人に合わせていろいろなやり方を経験させます。


幼児期における母語教育も全く一緒です。

幼児期における母親による読み聞かせは幼児の脳の発達に対してよい効果があることは科学的にも認められています。

しかし、どのような読み聞かせをするのがいいのかは様々な意見があり、先ほどと同じように絶対はありません。

すべての子供に通じるやり方があったとしたらノーベル賞ものでしょう。


先ほどの理屈からいえば、それでもやってはいけないことはありそうです。

子供の脳の発達や成長過程のフォローなどから、やらないほうがいい方法が見つかっています。

そのいくつかを紹介します。


1.読み聞かせる本は親が選ばない。子供に選ばせる。

2.何度も同じ本を持ってきても拒まない。喜んで読み聞かせる。

3.面倒がって早口にならない。子供はお母さんの呼吸がわかっています。

4.遠くから読み聞かせない。なるべく体をふれながら一緒に絵を見るようにする。

5.途中で子供が飽きてきたら無理に続けない。無理に続けると読書が嫌いになります。

以上のことをすると子供の脳に対して読み聞かせをしないよりも悪影響があることがあるといわれています。

子供の成長に合わせて新しい本を読ませたいときは、子供の手の届くところに置いておいて自分で興味を示し選ぶまで待つことが必要です。

特に2番と5番はついやってしまいがちですが、子供の興味が集中と拡散を始めた喜ぶべき兆候と言われています。

夢中でやっていることを途中で妨げることや興味がいろいろなものに向かっていくことを妨げることは、できる限り避けたほうがよいようです。

お母さんだけでは大変ですよね。

家族みんなでの読み聞かせは子供を読書好きにする、とても良い方法だそうです。



「やまとことば」や「母語」について考えていると幼児教育にまで行ってしまいます。

専門的な知識はほとんどない分野ですが、まともな考え方に出会うと思わず納得させられてしまいます。

少しでも多くにお母さんに知ってほしいですね。





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2013年6月23日日曜日

幼児教育と母語の継承

今回は母語の継承において一番大切な時期と言われる幼児期(2歳から5歳)の教育について述

べてみたいと思います。

この時期は脳の大きさが一気に大きくなる時期です。

つまり脳細胞の分裂(発達)が一番活発な時ということになります。

外から見える大きさの変化よりも、頭の中ではずっと大きな変化が起きています。

もともと頭蓋骨に対してかなりの隙間を持っていた脳が、一気にその隙間を埋めながら頭蓋骨自

体も大きくなっていくのです。

一説によれば2歳から5歳の間で脳の容積は約4倍になっているそうです。

この時期の教育(育て方)の大事さはあらゆる方面で認識されており、かつてはこの時期に習いご

とを始める英才教育がもてはやされたこともあります。

ある特定分野の能力を高めるためにはこの時期に習得することを開始すれば図抜けたレベルまで

行くことがわかっています。

ただし、その結果としていわゆる生活していく上での一般的な能力が犠牲になっていくことも分かっ

ています。

後天的な能力のすべては母語を介して行われます。

母語の基本は幼児期に身につけることがわかっています。

その後は母語を磨きながら、母語によってさまざまなことを学習していきます。

一般的な母語の習得は10歳程度までかかるといわれています。

母語の習得は一番身近で、一番愛情を持って接してくれる者(基本的には母親)から自然に行わ

れます。

そして様々な失敗を繰り返しながら形成されていきます。

正しい母語というのはありません。

母親が持っている言語が愛情とともに注がれることによって、その母語を継承していくのです。

言語学的には母語のことを継承語ということもあります。

家族とともに過ごしながら、時には幼稚園のような集団で数々の経験を通じてその子の独自の母

がが発達していきます。

厳密に言えば母親の言葉が一人ひとり微妙に違うように、継承される母語も一人ひとり異なりま

す。

もちろん、すべて日本語というくくりの中での差異ではありますが。


無理に教え込もうとしても無理です。

経験の伴わないものは身につきません。

成功体験は習得の助けとなりません。

数々の失敗の経験から五感において何かが違うと感じたものを排除していくだけです。

正しいといわれることをいくら教えようとしても身につかないのです。

それを反復によって無理に身につけさせようとすると、どこかで拒否反応が出ます。

あらゆるものに対して興味を持ち、五感で確かめようとするのです。

子供に正しいことを身につけさせようとするには、そのことができたときに心の底から喜んで態度で

示してあげることです。

触れてあげることです。

叱ったり恐怖による抑制は、すべてのことに対して開かれている興味の触角を委縮させることにな

ります。

なるべく避けていきたいことです。



この段階での外国語教育たとえば英語の教育は注意を要します。

あくまでも母語の中の言葉として英語での言い方に自然に触れるようにしなければなりません。

つまり英語を学ばせるのではなく母語としての日本語の一部としての英語的な言い方に触れるよう

にすることです。

言語としての大きさは日本語のほうが英語よりもずっと大きいものです。

母語としての日本語が身についてからのほうが英語の習得は簡単なはずです。

英語を母語とした場合には、母語レベルでの日本語の習得は不可能と言えるでしょう。

思考は母語でしかできません。

自分を中心におかない、周囲との関係において自分を位置づける日本語の思考はこれからますま

す重要なものになってくると思われます。

通達手段としての言語の壁は近いうちに瞬間翻訳技術によって取り払われることになるでしょう。

その時に一番大切なのは思考です。

日本語できちんと思考でき、それを表現できることが最も大切になるはずです。

誤った翻訳をされないためにも、きちんとした表現を身につけなければいけませんね。




2013年6月22日土曜日

世界で一番大きな言語「日本語」

第二言語を身につけようとしたときに、もともと持っている母語よりも大きな言語は身につけること

ができないことはすでにご案内した通りです。

仮にできた人がいたとしたら、その努力は並大抵のものではないと想像できます。

それでは、世界の主要言語のうちで一番大きな言語はなんでしょうか?


まだ、検証はできていませんが私は日本語が一番大きな言語ではないかと思っています。

少なくとも中国語(漢語)と英語に対しては間違いなく日本語のほうが大きいと言えると思います。

細かな理由を述べなくとも歴史が物語ってくれると思います。

もともとの日本には少ない音で構成された話し言葉しかなかったと推察されます。

漢語の導入によって文字としての言語ができました。

すべてが漢語にならなかったことが今の日本語の礎を作ってくれました。

当時の世界の最先端の文明である中国の文化を取り入れるために、その媒体としての漢語がどう

しても必要でした。

本来ならば大きくて便利な文化が導入さると、必然的にそこで使用される言語に今までの言語が

取って代わられることになります。

これは世界のどの歴史を見ても明らかです。

もちろん、公式文書や高官の言語がかなりの割合で漢語に置き換わっていたことは、資料的にも

明らかです。


むしろ、話し言葉しかなかった時代において資料として残せる言語は導入された漢語しかなかった

といえるでしょう。

それにもかかわらず、当時の日本人は話し言葉を重視し、漢語を読むための補助語としてのカタ

カナと話し言葉を表すためのひらがなを作り出しました。

一つの奇跡です。

これによって漢語は日本語に取り込まれ、それまでの日本語はひらがなとして完全に保存され

ることになりました。

すなわち日本語の一部として導入された漢語が存在することになります。

明らかに、漢語よりも日本語のほうが大きな言語ということができます。


それでは英語に対してはどうでしょうか。

明治維新の時に一斉に西洋文化の導入が行われました。

当時の世界の最先端文化はヨーロッパにありました。

法律から議会政治の在り方まで丸ごとヨーロッパの文化を一気に導入しました。

当然、それまで日本に存在しなかった言葉や物が押し寄せてきました。

当時の高官や文化人はこれらの言葉に対して、見事に漢字での造語とカナカナでも対応で乗り切

りました。

本来の概念とは微妙なずれを持ちながらも、漢字(漢語)とカタカナで新しい言葉に対応し、それま

での日本の言葉をひらがなで守ってきました。

そして太平洋戦争後はアメリカ英語の怒涛の侵略です。

もちろん、明治以前からも有りましたが、漢字とカタカナに加えてさらにはアルファベットで新しい言

葉に対応して、日本古来の言葉をひらがなで守り続けました。


すべてとは言いませんが、中国語(漢語)や英語についてはかなりの部分をすでに日本語として取

り込んでしまっています。

さらに古来の日本語を加えると、どう考えても日本語のほうが中国語(漢語)や英語よりも大きな言

語であると言わざるを得ないと思います。


通常会話の90%を理解しようとすると、英語では3000語を理解してなければできないといわれて

います。

フランス語では2000語です。

これが日本語になると、なんと10000語が理解できないと通常会話の90%を理解することができ

ないそうです。


母語として日本語を持つことの強みはこんなところにもあらわれているのかもしれないですね。

英語を使いこなしたければ、まずしっかり日本語を使いこなすことが一番の早道になるんでしょう

ね。

そもそも、思考は母語でしかできないのですから、母語として大きな日本語を持つ我々はいつでも

英語を使える様になると言えるのではないでしょうか。

母語としての日本語をより磨くことが、これからますます大切になってくると思われます。

2013年6月21日金曜日

あらためて母語について考える

最近、少しこのブログを読んでいただいている人が増えたのか、「母語」ってなんですかと言われる

ことがあります。

このブログの生命線ですので、時々触れてみることにしました。

その時によって少しずつニュアンスが変わると面白いかなと思っています。


さて、問題の「母語」ですがそんなに古い言葉ではありません。

「母語」が語られるようになったのは2000年以降のことだと思います。

決まった概念にはなっていないようなのですが、第一言語を身につける前に生まれたときから愛情

を持って触れ続ける言葉ということができると思います。

2011年に公益財団法人の海外子女教育振興財団が海外で子供(特に幼児)を育てる場合の母語

教育の大切さをパンフレットにして配布しています。


そして、海外での通信教育として幼児用の図書を販売し、母親による音読を推奨しています。

幼児期に中途半端に外国語に触れたり教えたりした結果、母語としての日本語をきちんと身につ

けることができなくなり、帰国後学校の授業が分からず苦労している例が積み重なっているようで

す。

かなりの危機感を抱いていると思われ中には「日本語を失う」という表現まであります。



母語と母国語の違いはあまり明確に説明されていません。

簡単に言えば以下のようになると思います。

 母語=母(生まれた時から一番身近で愛を注いでくれた人)より受け継いだ言葉。

 母国語=国籍のある国の公用語

ちなみに、英語では母語も母国語も「mother tongue」となり(概念の)区別はないようです。

また、言語学的には母語に近い概念として継承語という表現もあります。


日本語だけではなく、日本に来ている外国人も同じ環境にあるということで、愛知県では2013年よ

り対象となる言語を定めて外国人のための子供の母語教育のサポートを始めます。


さて、海外ではかなり危機感を持たれていますが、日本の中でも状況はあまり変わらないんじゃな

いでしょうか?

私は、幼児期の英語教育に非常な危機感を持っています。

小学校は5年生から英語が必修になっています。

母語の習得において一番大切な時期は2歳から5歳頃と言われています。

いわゆる幼児期です。

母語にかかわらず人間が人間として形成される一番吸収力のある時期がこの時であることは、い

ろいろな方面の研究によっても間違いないと言えるようです。

英才教育としてこの時期に何かを集中して教え込めば間違いなく効果は出ます。

しかし、この時期は広くあらゆるものを吸収するべきで特殊な方向付けをしないことが大切だとい

われています。

この時期に主には母親から言語を受け継ぎます。

この母語によってその後の必要なことを学んでいくのです。

母語は情報伝達のための道具ではありません。

思考そのものになる言語です。

道具としての言語は第二言語としていつでも身につけることができますが、思考そのものである母

語をに身つけられるときはこの時しかありません。

そしてその後の初等教育を通して母語を使いこなせるように磨いていきます。

海外で日本語に触れる機会が少ない幼児は比較的早い段階で、親が母語を選択しなくてはいけ

ません。

現地の言葉を選択するのか、日本語を選択するのか。

その子の生涯を決定する大変な選択です。

一人の人間の中に二つの母語は存在しません。

バイリンガルは母語プラス第二言語です。

第二言語では思考ができません。

母語でなされた思考を第二言語に通訳するのです。

バイリンガルはその通訳の効率がよいということです。

海外で周りにあまり日本語の環境のないところで、母語として日本語を選択した場合の親御さんは

ものすごい苦労をして母語教育をすることになります。


幾多の消滅危機を乗り越えて、世界でも数少ない独自の言語としてを継承されきた日本語はとて

も大きな言語です。

第二言語を学ぶときにも、母語よりも大きな言語は身につかないといわれています。

日本人で英語を使いこなせる人は数えきれないほどいますが、アメリカ人で日本語を使いこなせる

人ははるかに少ないです。

母語が日本語の人はいつからでも英語を身につけることができます。

きちんと母語を身につけることがすべてに優先することのようです。


母語についてはこれからもいろいろな面から振れていきますのでお楽しみにしてください。



2013年6月20日木曜日

日本語のリズム

日本語には同じように文字で書かれてあっても、目で読むための文と口に出して発するための文があります。

読むための文がいわゆる散文であり、口にするための文が韻文ということになります。

韻文には押韻として音(特に母音)で合わせるもの(韻を踏むといいます)と、音数律として発音する字数で一定の数に合わせるものがあります。

押韻には頭韻と脚韻があり、始まりの音で韻を踏む場合と終わりの音で韻を踏む場合があります。

脚韻の例

このだだっ広い世界にただ独
   狭い心を閉
   己の力ばかりを強く誇

この3行は最後の音が「り」「じ」「じ」となっていてすべて母音の「い」で終わっており、韻を踏んでいます。

文字の長さに基準はありませんので、ただ韻を踏んでいるだけでは文にリズムが生じるわけではありません。


これに対して音数律のほうは読んで字のごとく、音の数を定められた数にあわせるために文にリズムが生じます。

音数律の典型が歌であり音の数として5音と7音の組み合わせでできています。

俳句・川柳(五・七・五)、短歌(五・七・五・七・七)、旋頭歌(五・七・七・五・七・七)、ほかには仏足石歌(五・七・五・七・七・七)、長歌(五・七・五・七・・・・五・七・七)、蓮歌(五・七・五と七・七を繰り返す)などがあります。


今でも、標語には5音と7音の組み合わせがとても多くて、一息で言えて耳にやさしく覚えやすいものとなっています。

この5音・7音の組み合わせが文にリズムを与えており、歌となっているのです。


さて、この5音と7音の組み合わせはどこから来たのでしょうか。

いろいろな方がいろいろな観点から説を述べらていますが、これといった決定的な定説はいまだにありません。

また、得意な私見を述べたいと思います。

二つの見方をしたいと思います。


一つ目です。

いくつかの過去の実験結果によれば、日本語を普通の速さで一息で発せられる音数は12音前後までとなるようです。

もちろん、個人差や呼吸を鍛えた人など特異性のあるものを除いた結果だそうです。

一息で12音を普通の速さで言い続けますとすぐに息が続かなくなります。

そこで12音の途中で息を継ぐことになります。

もちろん、半分の6音ということは誰しも思いつくでしょう。

もしかすると、初めは6音だったかもしれませんし、4音・8音だったかもしれません。

そのうち5音・7音を使うことも出てきます。

そこにはまった言葉とリズムは他の息継ぎ音数よりも、とても心地よく響いたことと想像できます。


短歌というのは日本独自の文化であり、日本の中で出来上がった文化です。

あの五・七・五・七・七の形が文学形式として出来上がるまでには、相当長い間5音・7音が使われていたと考えることができます。

5音・7音は文や言葉にリズムを与える魔法の音数律なのです。


さて、もう一つの5音・7音のリズムについての見解は、音楽からです。

私自身が曲を作りますので、作詞もすれば作曲もします。

そこから導き出したものです。

音楽の標準拍子は4分の4拍子です。

5音・7音を音符で表すと ♩♩♩♩ǀ♩,,,  ♩♩♩♩ǀ♩♩♩, とすることができます。

仮に歌の文句でも「あなただけ、あいしています。」としてみましょうか。

リズムとしては「あなただ・けーーー、あいして・いますー。」となりますかね。

前半部の「けーーー」が間の抜けた感じになりますね。

ためしに倒置法で「あいしています、あなただけ。」としてみます。

♩♩♩♩ǀ♩♩♩, ♩♩♩♩ǀ♩,,,  7音・5音の並びですね。

リズムを入れれば「あいして・いますー、あなただ・けーーー。」

おっと、名曲の1フレーズができてしまいました。

「-」の長さまでもがぴったりはまっています。

仮に前半部を「あいして・いますよ」と8音にして「-」を取ってしいますと、後半の「あなただけ」につづく余韻がなくなってせわしなくなってしまします。

最後の「あなただ・けーーー」の「-」三連もエンディングらしい素晴らしい余韻を持った終わり方になっています。

4分の4拍子は1小節4拍が4小節で1セットです。

現代の曲でも5音・7音は作詞の基本です。

そしてサビの部分(クライマックス)や途中の展開のところで7音・7音を持ってきたりします。

4分の4拍子は日本人の基本リズムです。

はるか昔からあったとしても何ら不思議ではありません。

そこから自然と生まれた5音・7音の組み合わせではないでしょうか。


最近、曲を作っていると詞を書くときもメロディを作るときも、どことなく古代・やまとことばの影響を感じる時があります。

作詞や作曲について何の理論も学んだこともない私が、お世辞でも人様にいい曲だと言っていただけるものができるのは、母語が持つ日本語の感性なのかもしれないと感じています。

自分の能力以外の何かが表現することを手伝ってくれているのでしょうか。


2013年6月19日水曜日

行事食とやまとことば

日々の生活の中で何かのタイミングで「やまとことば」を意識することはできないかなとずっと考えていました。

無理やり使うこともかえって拒否されやすいですし、かといって今のままだとどんどん忘れ去れていってしまうし・・・

そこで思いついたのが行事食とのコラボレーションでした。

行事食ってわかります?

日本に古くからある行事に特別の献立で祝う食事のことですね。

現在では表にある24の行事がそれにあたるようです。















その中には5節句はすべて含まれていますし、24節気のうちの4つも含まれています。

同じ献立もありますのですべてが旬のメニューというわけでもなさそうです。

この中で特に手の込んだ献立はないと思います。

あえて言えば近頃のおせち料理くらいでしょうか。

本来のおせちは暮れから正月の休みのためのささやかな保存食でしたが、今ではかなり贅沢なものもありますね。

その中で新年を迎えるにあたっての祝いとして語呂合わせでメニューを作っていったのですね。

おせち以外は極めて質素な献立ばかりです。

普段料理をしない男性がレシピを片手に見よう見まねでも作れるものです。

まあ、それでも面倒ならば買ってきてもいいと思います。


そしてこの献立は先ほどのおせちを含めてすべてにその行事と関連した理由があります。

それぞれの行事の時に行事自体は行わなくとも食事の時にこの献立が加えられて、その料理の作られたわけを語り合うというのはどうでしょうか。

その料理のいわれについては今やちょっとネットで検索すれば見つかると思います。

そこには必ずやまとことばが含まれているはずです。



おじさんたちが飲み屋で突き出しにタンポポのお浸しでも出てきたら、春の話でひとしきり盛り上がるのと一緒だと思います。

何のきっかっけもないのに「やまとことばを使いましょう」と言っても難しいと思います。

せっかく行事食という文化を持っているのですから、月にいく度かはそんな機会があってもいいのではないでしょうか。

無理にやまとことばを探さなくても必ず自然とやまとことばに触れられると思います。

もともと生活の中に根付いていた言葉ですから、意識しなくても普段の生活の中でも使ってはいるんですね。

それに目で見る料理としての視覚と味わうことの味覚が加われば、言葉としての聴覚も加わって五感のうちの三つまでもが刺激をうけますので、かなり記憶に残るものとなると思われます。

ぜひともお試しいただきたいと思います。







2013年6月18日火曜日

主語がない日本語って、どうなの?

日本語は英語等に比べると文における主語・目的語に対する重要度が低いと思われます。

つまり「誰が」と「誰に」をはっきりしようとする姿勢に欠けると言うことができると思います。

では、「誰が」と「誰に」を軽視しているのかというと、尊敬語・謙譲語・丁寧語に代表される敬語の多さや人称代名詞の多さを見れば決してそうも言いきれないところでしょう。

このことは個の存在に焦点を置き主体(主語)の存在を明確にしようとする英語等の文化と、自分(主体)の周りとのかかわりに表現のこだわりを見せる、いわば相手志向といえるの日本語の文化の特徴を表していると思われます。


川端康成の名著「雪国」は各国の言葉に翻訳されています。

代表的な翻訳のうち英語と中国語で記されたものの中で、主語がどのくらい付けられているのか

見てみたいと思います。


冒頭の40文前後を調べた結果が残っています。

日本語の原作においては主語が表示されているものが約55%あるそうです。

それに対して英語訳では98%の文に主語が付けられています。

中国語では約90%の文に主語が付けられて翻訳されているとのことです。


もちろん、日本語にも言葉としても文法上も主語は存在します。

それどころか、どの言語よりも豊富な人称代名詞を持っています。

それにもかかわらず何故主語が省略されることが多いのでしょうか。

主語があったほうが簡単に表現できるのに、わざと省略しているとしか思えません。

主語がなくても意味が通るためには、主語以外の言葉を使いながら主語が容易に想像できる文を作らなければなりません。

ものすごい技です。

そのためにものの表現や敬語が発達したのではないでしょうか。


私たちは母語としての日本語を持っていますので、主語を付けるか付けないかなどと意識することはありません。

自然と主語なし文を使い、理解しているのです。

主語なし文の作り方、使い方を習ったことはありますか?

ないですよね。

それでも身についているんですね。


主語なし文の継承には母語としての日本語が持つ奥ゆかしさの文化が流れているのではないでしょうか。

主語を使ったほうがいいのであれば数多くの人称代名詞を持つ日本語はいつでも使うことができたはずです。

それにもかかわらず「わたし」を表に出さず、もののあわれを読みつつ心情を表現したり、花にたとえたりしてきました。

何という素晴らしい技巧でしょうか。

主語なしの文は使うほうだけが技巧にこだわっても決して成立しないと思います。

受け取る方、読み手のほうが相手の言わんとするところを推し量る心があって、初めて成立することだと思います。

なんと素晴らしい文化でしょう。


「私は」「私が」、「君は」「君が」がたくさんある文は生理的に受付けないようになっているんでしょうね。

自己主張が大切なテクニックとなってきている時代においては、本来の日本語は向かないのかもしれません。

それでもそこを乗り越えて、日本語の本来の姿でもきちんとアピールできる表現方法を身につけていきたいですね。

日本語は幾多の危機を乗り越えて、昔ながらの姿を伝えてくれる世界でも数少ない言語です。

また上手に乗り越えることができるといいなと思っています。


2013年6月17日月曜日

文化(言葉)による侵略

大航海時代以降始まった植民地の開拓はヨーロッパ列強の独壇場でした。

第2次大戦以降のアメリカ主導の世界に至るまでは、植民地の奪い合いと開拓が続けられていました。

力で行われた開拓は、先住民族の文化を凌駕した新しいヨーロッパ文明の拡散であり文化的な侵略でもありました。

その結果、数多くの言葉が消えていきました。

この時の征服・被征服の関係が言葉の中に感覚として残っており、その後にどんなに文化的な発展をしようとも、本国から見た被征服先は見下した感覚があるようです。



たとえば、ヨーロッパは本質的にはをアメリカをバカにしています。(表現は的確でないかもしれませんが・・・)
特にイギリスはアメリカの文化の底の浅さを軽蔑しています。

物欲、生産、資産に対しての感覚を嫌っています。

英国人と仲良くなってアメリカの悪口を言い合えるようになると、ものすごく広範にわたって出てきますので驚きます。

1500年ころよりヨーロッパの植民地として開拓されたアメリカは、現代文化においては本当に歴史の浅い国です。

先住民の文化は完全に新しいヨーロッパ文化に侵略されて、ネイティブ・アメリカン(インディアン)の言葉は次々と消えていきました。

その国が世界で一番の経済大国であることはヨーロッパにとっては面白くないことなんですね。


また、オーストラリアは1850年代に金鉱が発見されたために、ヨーロッパ各国からの移民や侵略によって開拓されてきました。

オーストラリア人は自分たちの英語の発音にかなりの劣等感を持っています。

もともとのアボリジニの言葉が文化侵略によって、今はほとんど残っていません。


井上ひさし先生の実話にこんなのがあります。

オーストラリアの大学に招かれて滞在することになった時、英語が上手ではないということを伝えようとして「My English is poor.」と言ったそうです。

これが日本語訛りでへたくそな英語でぼつぼつとしゃべったために「My English is pure.」と聞こえたらしく、英語に対して劣等感の強い彼らにはお前はなんて冗談のわかるやつだと大変喜ばれたそうです。


さて、身近な中国を見てみましょう。

侵略をしたわけではないのですが、自分たちの進んでいた文化を取り込んで発展していった気に食わない国が近くあります。

図に乗って戦争まで仕掛けてきて、叩き潰したくせに経済的にうまく時流に乗ってアメリカの傘に隠れて発展した国。

そうです、彼らは本質的に日本が大嫌いなのです。
同じテーブルに着くこと自体が屈辱なのです。


特に、言葉の面でみるとアメリカやオーストラリアと異なり、侵略しきったわけではありません。

自分たちの文化を持って行って、それを使って独自の文化を発展させていったのです。
余計に気に食わないのです。

今まではアメリカの出先機関としての日本と中国の間では経済力においてかなりに開きがありましたが、それが逆転した現在では様々な場面で本性が見えてきてます。

それは言葉の中に感覚として存在し続けているのです。

そのための教育も徹底されて刷り込まれていますから、簡単には修正されることはありません。

こちらが対等に同じレベルで振る舞えば振る舞うほど、彼らにとってはなめられていると映るのです。


世界が日本に期待していることがあります。

強力な文化の侵略にも独自の文化を見失うことなく、現在の経済的価値にもすべての基準を置くことなく、時々人間の本質に対しての対応をする日本に漠然とした期待を抱いています。

日本は何かが違うと感覚で思っているのですが、表現ができないのです。
たぶん私たち自身もわかっていないことだと思います。

具体的なことではないのです。

それがなんなのか、どうしたらわかってくるのか?

何となく言葉をたどっていくと見えるような気がしているのですが・・・。


2013年6月16日日曜日

暗算に強い日本語

今日は「やまとことば」を少し離れて、日本語の数字についてみてみようと思います。

日本語の数字の特徴、素晴らしさは1から10までの数字の発音を覚えると、そこで使われてる音で99まで発音できてしまうことにあります。

11から19は「10(じゅう)」に1から9をそのまま付けたものですね。

21から29は「2(に)+10(じゅう)」に1から9を付けたもの、31から39は・・・という具合ですね。

わずかに10個の音で99個の数字を表しきっているのです。

こんなことができるのはたぶん日本語だけではないでしょうか。



たとえばフランス語を見てみると、1はアン、10はディスですが、11は個別にオーンズという発音があります。

ドイツ語でも11はエルフと別の呼び方です。

英語も11はイレブンとなって1(ワン)と10(テン)を使って表すことはできません。


100の位も発音としては「ひゃく」と言う音が増えるだけですので、1から999までの数字の発音をわずか11個の音で賄ってしまいます。

日本語の数字の発音はきわめて規則正しいものがありますので、言葉で聞いてもすぐにその数字bを思い浮かべることができます。

頭の中で変に考える必要がなく、出てくる音を順番に聞き取ればその通りの数字を認識できます。

桁もそうですね。

「一」「十」「百」「千」「万」とここまでは一桁ずつ名称があります。

他の言語では日本語で言うと20百(2000)であったり、35千(35000)と言ったすることがあったりします。

また、言語によっては発音する数字のけたが逆転するもの、13を3と10というように発音するドイツ語のようなものもあります。


数字の読み方が複雑な言語を使う民族のほうが、数学の能力が高いといわれます。

そういう意味では日本民族は他の民族に比べて数学の感性は低いのかもしれません。

その分、単純な数字のおかげでとんでもない能力を身につけています。

算盤のおかげもあったのだと思いますが、3ケタの数字の読み上げ暗算ができるのは私の知る限り日本人だけだと思います。

特に算盤をやってきた人でなくても、1万円札で買い物をしてお釣りをもらう計算はすぐにできています。

分り易い数字の発音の規則性も少なからず影響しているのではないでしょうか?


2013年6月15日土曜日

数とやまとことば

厳密に日本古来の「やまとことば」というと、漢語の導入以前にあった言葉とすることもあります。

また人によっては万葉集、古今集、新古今集の時代の言葉とする人もいます。

あるいは明治維新で大量に言葉が作られたり入ってきたりしたとき以前の、漢語でない言葉とする人もいます。

どこの時代を起点として見ても、それ以前にあった日本独特の言葉ということでいいのではないかと思います。

今となってしまっては、漢語の導入前の言葉か、漢語の導入後にできた言葉かなんてほとんど調べようもないですからどっちでもいいのではないでしょうか。

何となく懐かしい響きを持ったひらがな言葉、そんな意味合いでもいいのではないかと思っています。


さて、今回は数についてみてみます。

やまとことばで一から十まで言えますか?

「ひい・ふう・みい・よう・いつ・むう・なな・やあ・ここ・とお」ですね。

数え方としては「ひとつ・ふたつ・みっつ・よっつ・・・・・とお」もありですね。

これ時々一部が普通の生活の中に顔を出すんですね。

1から10までを普通に「イチ、ニ、サン、・・・」と言ってください。

次に反対に10から1に降りてきてください「ジュウ、キュウ、ハチ、・・・」ですね。


さて、上がるときと下がるときで言い方の違うものがありませんでしたか?

そう、普通に数えたら2つあったと思います。「4」と「7」です。

上りが「イチ、ニイ、サン、シイ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、キュウ、ジュウ」。

下りが「ジュウ、キュウ、ハチ、なな、ロク、ゴ、よん、サン、ニイ、イチ」。

この「よん」と「なな」が「やまとことば」なんですね。

「よん」は「よう」から転じたものですね。

上がっていく使いたかがほとんどですので、そのときはきちんと漢語の音で規則正しくいきます。

しかし、あまり使わない下がってくるときにちらっと本性が出るのですね。


さて、では「十一」のことを「やまとことば」では何というでしょうか?

また「二十」のことは何というでしょうか?

これも定説がないんですね。

勝手に考えていいんですね。

楽しくなってきませんか?


紀貫之が女の振りをして書いたとされる「土佐日記」にヒントがありました。

「二十一日(ニジュウイチニチ)」を「二十日(はつか)あまり一日(ひとひ)の日」などと表現しているところがあります。

これから類推するに「十一」は「十(とお)あまり一(ひと)」となりそうですね。

「とおあまりひと」って聞いたことあります?

ということは「十二」から先は「とおあまり・ふたつ、とおあまり・みっつ、とおあまり・よっつ、・・・とおあまり・ここのつ」となるわけですね。

聞き覚えがありませんね。


また「二十」は他の文献でも「はた」というのは結構出てきます。

これは今でも「二十歳(はたち)」「二十日(はつか)」としてお目にかかるところですね。

「三十」も「三十路(みそじ)」「三十日(みそか)」として使われています。

「青い山脈」や「王将」を作った、西條八十(・・やそ)とういう素晴らしい作詞家もいましたね。


「二十」「三十」「四十」から先については「はた、みそ、よそ、いそ、むそ、・・・・ここのそ」となるようですね。


これ以上に大きな数字ですと「百、千、万」を「もも、ち、よろず」と言ったものがあります。

でも、100より大きい数字を具体的に数として読んだものは見たことがないですね。

大きな数という意味で「百、千、万」が使用されていて、現代のような正確な数字の位としてあったわけではないようです。


このようにして見てくると、勝手に推測しますと(また専門家に怒られますかね・・・)、昔は「十」より大きな数字を具体的に使うことはなかったのではないかと思います。

いつごろまでと言われても困りますが、漢語が導入されるまではせいぜい「十」までの数字で実生活は足りていたのではないでしょうか。

それ以上はせいぜい「二十、三十、四十」といったくくりで充分だったと思われます。

十までならば指を使えばかなり正確に数えられたはずですし・・・(私もやりました・・・)

指の数を越えたところから「とおあまり・・・」とどう考えても数字の読み方ではないですよね。

あとはべらぼうに大きな量を表すのに「百、千、万」が出てきたと思われますが、これはしばらく後のことだと思われますね。


どこかで、私よりもまともなご意見を見かけたらまたご案内させていただくことにして、数と「やまとことば」で遊んでみました。

また一緒に遊んでください。よろしくお願いします。




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2013年6月14日金曜日

「正しい日本語」はない?

こんなブログを書いているものですから、最近こんなことを聞かれます。

「正しい日本語はどう使えばいいのでしょう。」

私にもさっぱりわかりません。(ガリレオの福山風に!)

正しい日本語とはどういう日本語なのでしょうか?

そもそも正しい日本語と言うものが存在するのでしょうか?


日本語という表現は標準語から方言まで外来語を含めた総称であって、これが日本語ですと言ったものはありません。

「正しい日本語」という言い方をすると、ほとんどの人はまずは標準語を思い浮かべるのではないでしょうか。

標準語のなりたちは、日本が戦争に向かっていったときに各地方から集まった兵隊さんが、方言ばかりで言葉が通じないと命令が徹底しないので標準の言葉を持ちましょうとしてできたものです。

この標準語を全国に広めるために日本放送協会(NHK)がラジオ放送等を通じて大きな役割を果たしたことはご存じのとおりです。


では、標準語が正しい日本語であってそれ以外は正しい日本語ではないのでしょうか?

勿論そんなことはありません。

方言であっても正しくない日本語とは言えません。

正しい日本とはどんなものなのでしょうか?

たぶん存在しないのではないかと思います。


あえて言えばこんなことは言えるかもしれません。

使ったらおかしい使い方の言葉があるので、それを外せばすべての言葉が正しい日本語です。

言葉は生き物ですから常に変化しています。

昔はダメだった、間違っているとされた使い方が、今では当たり前になっているものもあります。

たとえば、昔は「絶対に」という言葉は下に「~ない」という否定語が来なければ使えない言葉でした。

「絶対に買ってはいけない。」のような使い方ですね。

最近では「これ、絶対に買いです。」という使い方もありますよね。

同様に、「とても」という言葉も「とても我慢できません。」のように否定の言葉とともに使われていました。

「とても少ない」とは言いましたが「とても多い」とは言わなかったのですね。

でも今ではこの「とても」という言葉はとても便利なので、わたしもとてもたくさん使っています。


このように言葉の使い方は変化していきます。

今はこの「絶対に」や「とても」の使い方を間違っているとは言えないと思います。

特に若い人たちがわざと今までと違った使い方をして言葉を遊ぶことはよくあることです。

これだけ情報があっという間に拡散する社会となって、若い人たちの言葉がいつの間にか定着していくことは十分あることです。

元の使い方をわかっているから、わざと違う使い方をした時の面白さがわかるのだと思います。

言葉の使い方は世代によっても変わっているところがあると思われます。


以上のことから、「正しい日本語」は存在しないと言ってもいいのではないでしょうか。

方言や業界用語を含めて一人ひとりの母語という感性に照らし合わせて、気持ち悪いかそうでないかで判断していいのではないでしょうか。

一人ひとりの母語は育った環境が異なる以上、少しずつ微妙に違っているはずです。

その総体が日本語であって、そこには正しいとか正しくないとかはないのではないかと思います。




2013年6月13日木曜日

日本人に文法は必要か

言語を検討・比較するときに最低でも2つのカテゴリに分けて考えます。
つまり言語を語彙と文法に分けて比較検討するということをやるわけですね。

ところが私の目的は言語の研究でも比較でもないので、この辺は参考にしながらもほとんど無視しています。

私の目的は外国語(特に英語)を学んで使えるようにならなければいけないという間違えた方向性に注意を喚起することにあります。
母語という思考をつかさどる一番大切な言語に目を向けていただくことにあります。
わたしも初めて母語という言葉に出会ったときは、なんだこれは、母国語とどこが違うのかと思いました。

いまは、一応理解しているつもりです。

でも、母語についてのはっきりした定義なんてないんですよ。
何となく主に母親から伝えられて感覚として身についた言語、程度でいいと思いますよ。


さて、皆さんは小学校の時に習った国語の文法って覚えていますか?

私が覚えているのは品詞の名称と動詞の変化くらいですかね。
未然、連用、終止、連体、仮定、命令、意思、音便・・・語呂がいいので何となく覚えていますが内容は覚えていません(中学生だったかも)。

私は曲を作りますので歌詞を書くときにあえて体言止めにすることがありますので、連体形くらいは何となく分かるところでしょうか。


言語を分析したり比較したりするときは文法はとても大切な要素になりますが、母語として使っている人たちはどの言語であっても文法を意識することはないと思われます。

特に日本語は主語が省略されることが大変多いですし、語順が入れ替わることもしばしばです。
主語+動詞+(修飾語+)目的語の順で出来上がっているものを探すほうが難しいくらいですね。
ことに、
はなし言葉においてはなおさらだと思います。


外国人が日本語(はなし言葉)を習うときに一番難しいのが助詞だといわれています。
一応わかっている範囲で助詞の種類を挙げてみますと、格助詞、並立助詞、終助詞、間投助詞、
副助詞、係助詞、接続助詞、準体助詞くらいはありそうです。
 
ガリレオの福山雅治ではありませんが、さっぱりわかりません。
こんなものを意識して使ったことはあるでしょうか?
学校の試験に出てこなければ覚えることもないでしょう。
 
 
私が思うに、日本人が日本語を使っている限り文法はあえて必要ないと思います。
母語の持っている感覚で何となくおかしいなと感じたときは、文法が間違っているか言葉が間違っ
ているかです。
文法を意識しなくても私たちは母語を使いこなせるのです。
 
 
ところが小学生の時に習った文法が役に立つときがあります。
それは日本語以外の言語を学ぶときです。
他の言語のほうが語順を含めて文法に厳格に従っていることが多いため、言葉として覚えるよりも
文字の並びとして覚えたほうが正確だからです。
 
他の言語の文法を学ぶときの用語が日本語の文法を学んだ時の用語と同じなのです。
そしてその用語の意味するところも同じなのです。
 
他の言語は日本語ほど主語が省略されませんし、語順も日本語ほど入れ替わりません。
つまり日本語の文法を学んでおけば他の言語の文法はもっと単純なのです。
 
 
言語を学ぶときは持っている母語より大きな言語は身につきません。
日本語は語彙も文法もとても大きなものです。
他の言語を母語とする人たちが日本語を身につけることは、我々が他の言語を身につけるよりも
はるかに難しいのです。
 
 
文法に関してのわたしの結論はこうです。
他の言語を学ぶ必要がある場合には、日本語の文法を学ぶことは大いに役に立ちます。
そうでない場合は母語としての感覚の中にある感性だけで十分ではないでしょうか。
 
ただし、英語という学ばなければいけない試験に出る必修科目がある限り、日本語の文法を身に
つけておいたほうがいいということになりそうです。
 
しっかりとした日本語が身についている人ほど英語の上達も速いことは現実のようですね。
コミュニケーションの道具としての英語を学ぶ必要のない時代がそこまで来ています。
 
瞬間自動翻訳ソフトはほぼ出来上がっています。
言語学として英語を学ぶことを別にすれば、英語を学ぶ必要はなくなるわけです。
 
ますます日本語が大切になってきますね。
 
 
 
 



2013年6月12日水曜日

変わる外国語の学び方

通常の教育課程を経てくれば、私たちは大学を出るまでに中学3年、高校3年、大学2年(教養課程)の合計8年間も外国語(英語)を学びます。

最近では小学校の5年生から英語の授業が採り入れられ、大学を出るまでは連続して10年間というとんでもない期間を費やします。

全くのド素人が10年という年月を費やせば、大概のことはその道のプロフェッショナル、スペシャリストとなることができます。


それにもかかわらず、大学を卒業しても英語でコミュニケーションができない人が多いのはどういうわけでしょうか?

いまやTOEICスコアは新卒採用の大きな要素になっていますが、850点以上のスコアなのに英語でのコミュニケーション(特に会話)ができない人がたくさんいます。

TOEICのスコアを上げるためだけのテクニックは、いまやいくらでもあります。

反対に実際にTOEICのスコアは550点に満たなくとも、英語でのコミュニケーションに不自由しないどころか、英語で契約書を作ることができる人もたくさんいます。

TOEICのスコアはその人がどれだけ英語に慣れ親しんでいるかの判断基準にはなると思いますが、それを持ってその人の英語力と判断するのは大変危険なことだと思っています。


母語がしっかり身についていないと外国語を学ぶ能力が著しく落ちることはいろいろな方面で語られるようになってきました。

これは海外子女教育振興財団という公益財団法人が、海外で生活する家族に対して母語としての日本語の大切さを訴えているパンフレットです。



この中でも母語としての日本語が身につかないと第2言語としての外国語は使いきれないと述べられています。

今までおつたえしてきたことと同じことがここにも書かれていました。

つい最近、この2011年に発行されたパンフレットを手にしたわけですが、あまりの合致に驚いているところです。

ここでも母語を身につける時期として、基本を身につけるのが4~5歳頃であり母語を使って学習ができる力を養うのが9~10歳くらいまでとされています。

この間に余分な言語を学ばせると「日本語をうしなう」とまで述べられています。


母語は思考そのものです。

人は母語以外での思考はできません。

母語が違えば思考が異なるのです。

それが多様性となるのです。

日本語を母語とする者には日本語独特の思考があることは世界中から認められており、ノーベル賞の受賞者を対象とした研究においても認められています。

第2言語はコミュニケーションのための道具です。

思考する道具にはなりません。

母語でしっかりとなされた思考を第2言語に通訳することができるだけです。


10年近く英語を学んできた学生が、英語での論文も満足にかけない原因は英語学習にあるのでしょうか?

表現力としての英語力に目を向けるまえに、思考力としての日本語力に目を向けてみたほうがいいのではないのでしょうか。

30年以上前に学生が英語論文をかけないことを嘆いた木下是雄先生が書かれた本に「理科系の作文技術」があります。

この本を書いたきっかけを木下先生は「最初はなんでこんな程度の英語が書けないのかと思っていたんですが、ふと気が着きました。彼らは英語ができないいじゃないんだ。日本語ができないんだと分かったんです。」と言っています。


ほんとに近いうちに瞬間言語翻訳ソフトは現実のものとなるでしょう。

その能力は加速度的に上がって、専門用語や言い回しを含めてあっという間に精度も上がっていくことでしょう。

さあ、外国語を学ぶことはどうなっていくのでしょうか?

2013年6月11日火曜日

同音異義語のちから

日本語は話すことだけをとらえたら覚えやすい言語に入ります。

基本は50音で成り立っていますから、ひらがなだけを用いて音を覚えていけば他の言語を覚えるよりも簡単にできます。

濁音、半濁音(ぱ、ぴ、ぷ)、拗音(きゃ、きゅ、ひょ)、撥音(ん)、促音(きって、とっての小さい「っ」)を加えても80音にもなりません。

ところが実際の生活になるとひらがなだけでは困ります。

音が少ない分、同音異義語がたくさんあります。

特に漢字を音読みしている熟語においては、その言葉だけ単語で言っても意味が分からないことが多くあります。

たとえば「かんき」と言われれば、前後の脈絡がわからないとものすごい数の意味が存在します。

換気、喚起、歓喜、乾季、寒気、勘気、官紀、刊記、管機・・・何十とあります。

これを表意文字である漢字が補っているわけです。


言葉は初めは音から身につけます。

母親や周りの人たちがしゃべっている音を真似ることから始まります。

そしてその音が何を指しているかを学びます。

小さな子供たちは身近にある具体的な物や、目に見える具体的な物の名前を何度も聞きながらその物と言葉を一致させていきます。

抽象的な概念の言葉は、ある程度言葉が使えるようになって、言葉によってその概念が理解ができるようになってからでないと身につきません。

したがって言葉を覚える順番は、まずは身近にあるよく目にする物の名前である名詞から始まります。


言葉よりも先に音から入る場合もあります。

「ゴーゴー」「ブーブー」「ワンワン」「ポッポ」などですね。

これは言葉というよりも擬音ですので、聞いた音を真似ていると考えていいと思います。

言葉も聞いた音を真似ますので、その音とそれと対応する物を指さして「じーじ」や「ばーば」と言います。

おじいさんを指さして「じーじ」と言うと周りが喜んで褒めてくれたするので、子供も気持ちよくなってどんどん使うようになります。

こうして言葉が身についていきます。


やがて動作についての言葉を身につけはじめます。

「かく」「なげる」「さわる」「はしる」などですね。

何かを書く・描くことを「かく」として身につけます。

ここでは「書く」「描く」「掻く」などの区別はありません。

「かく」で十分なのです。


言葉の習熟とともに漢字を習い始めます。

そうすると漢字の習熟に合わせて概念をどんどん高度化・複雑化させていきます。

本を読み始めるようになると書かれた文字から意味を読み取るようになります。

そして、漢字の習熟度が上がってくると同音異義語の区別ができるようになっていきます。

同じ音のこものが出てくると、以前に身につけた同音語が頭に浮かびます。

それと区別することによって、漢字の意味を覚えていくのです。


やがて漢字の成り立ちを学ぶようになると、音としては読めなくとも文字を見れはその意味が類推できるようになります。

複雑な文字ほど、持っている部首や含まれている漢字によって何に関連する文字か想像ができるようになってきます。


日本語は他の言語に比べて語彙数が多いと言われています。

一般的な会話の90%を理解しようとするときに必要な語彙数は、フランス語は2,000語、英語は3,000語、日本語は10,000語だといわれています。

これだけ少ない音で、これだけたくさんの言葉を表現するわけですから同音異義語はたくさんあるわけです。

母語を身につけていく間で、同音異義語を自然と身につけていくんですね。

すごいぞ、日本人・日本語!

2013年6月10日月曜日

母語は精神そのもの

母語と母国語は異なります。

ほとんどの場合、母国語とは国籍を持つ国の公用語のことを言います。

日本人であれば日本語が母国語というわけですね。

母語は読んで字のごとく母親から肌を通して伝えられる言葉です。

言葉の並びや文法的なことは伝えられなくても、母語の持つ規則性や使い方は母親との接触によ

って自然と身に着けていきます。

赤ちゃんが自分で言葉をしゃべりだすまでは、母語の中に浸っているわけですね。

言葉が少しずつ発せられると、意味は分からなくても周りの人たちが自分の言葉で反応することが

面白くなります。

そしてさらに言葉が増えていきます。

一番大切な時期は2歳から5歳だと言われています。

何でも一緒ですね。

2歳から5歳の間に脳が一番発達します。

つまり、脳の容積が一番増える時期がこの時期です。

脳科学者や教育学者がこの時期の教育や家庭環境ですべてが決まってしまうといっているのは、

母語としての基本的なインプットがほとんどこの時期でできてしまうからです。

そしてこの母語を使いながらそこにに流れる文化や精神的なよりどころを感じ取っていきます。

直接言葉で伝わらなくても母語の持つニュアンスで、また母親や母語で自分を愛してくれる人たち

の態度で感じ取れるのですね。


伝達のために使用する言葉としての習熟はそのあとから始まります。

2歳から5歳の間に何かを徹底的に教え込めば、意識せずに吸収していきますので天才が出来上

がります。

しかし、思考の柔軟性、多様性や社会性を同時に身に着けていかないと普通の社会生活ができな

い人間になってしまいます。

人が人として生きていくために必要な最低限のものは言葉と思考です。

思考は言葉でなされます。

母語でしか思考はできないのです。

物心ついてから学んだ第2言語は伝達のための道具ではありますが、その言語によって思考でき

るわけではありません。

思考は母語でしかできないのです。

第2言語は母語でなされた思考を伝える必要があるときに翻訳されて使用されます。

したがって母語は精神を形作ります。

精神そのものです。

母語の根底にある精神世界や文化は、それから先に母語を使って思考し生きていくことによってど

んどん掘り起こされていくのです。

言語は12歳を越えたら身に着けることができないといわれています。

小さな時にジャングルの奥地に迷い込み10数年たってから見つかった少年がいましたが、残念な

がら生涯言葉を身に着けることができなかった記録があります。


海外に暮らす日本人に対しての母語教育に関する啓蒙資料は見つけることができましたが、国内

の国語教育における母語に関する資料は見つけられませんでした。

帰国子女が日本の授業にうまくついていけないことに配慮されてのことだと思いますが、国内でも

もっと啓蒙されてもいいのではないかと思っています。

母語の習得はすべての学習の基本中の基本に当たります。

しかも学校ではこの習得のためのカリキュラムはありません。

国語の授業はほとんどが漢字の読み書きが中心です。


母語の習得が中途半端ですと何が起こるでしょうか?

学校教育のすべての内容が母語でなされるのです。

算数の問題が日本語としてしっかり理解できないと、算数の知識どころの問題ではなくなってしまし

ます。

問題が理解できなければ解決も何もありません。

理科や社会科が疎まれるのは主要科目でないからだけではありません。

教科書の文章がわかりにくいところにも理由があると思われます。


母親の愛情いっぱいに自然と伝えられた母語は、6歳を過ぎたくらいから自分の意思を表現するた

めに使われだします。

自己主張を始めたところで社会性を学び、いわゆる一般常識を身に着けていきます。

自分の意思を外部に対して表現した時の周りの反響によって、初めてルールがあることを感覚とし

て持つのです。

母語を教えるための能力は母親となった時に潜在的に持っているものが発揮されるものだと思い

ます。

男にはない能力です。

生存のための能力を与えてくれるのは母親のようですね。

精神そのものなのでしょう。

父親はしたたかに生きるためのテクニックを教えてくれるのでしょうかね?

2013年6月8日土曜日

日本語の語順について

「会社でだまされた人を救う」

マルチ商法が流行っていたころある会社で、マルチ商法にだまされた人たちのための法律相談をすることになりました。

その時に会社で配られたチラシに上のような文言がありました。

相談に来た人の何人かは思い切り会社の不満を述べに来たそうです。


あなたはどっちに読み取りますか?

「会社で」だまされた人を救う、つまり会社が(マルチ商法で)だまされた人を救うと言いたいのですが、「会社でだまされた人」を救うとも読みとることができます。

むかしから例に出されるものは「美しき水車小屋の娘」というのがあります。

美しいのは水車小屋なのか、娘なのかわかりません。

いくら前後の文脈から類推するといっても、もう少しはっきりとした言い方はできます。

しかし、決して日本語の使い方が間違っているわけではありません。


日本語は主語がなくても意味が分かることが多く、特に一人称(わたし、僕など)は省略されることが多くあります。

日本人の感覚のなかに「わたし」を頻繁に使うことに対して抵抗があるのかもしれません。

もしかするとそこに奥ゆかしさにつながる何かがあるのかも知れませんが、外国の人にとっては主語は絶対ですのでとてもあやふやに聞こえるようです。

特に物事や風景を描写するときには主語が省略されがちです。

「山は(が)きれいです。」といえば主語は山ですがあまり使わない表現ですね。

山が自分の力で自分をきれいにしているようなニュアンスが残ります。

「きれいな山です。」普通はこのように使いますね。

この場合は主語はどうなりますか?

「あれは」とか「それは」とかの主語が省略されている形です。

日本語の曖昧さの一つの原因です。


「むずかしい日本語の学び方」

さて、むずかしいのは「日本語」なのでしょうか「日本語の学び方」なのでしょうか?

少し考えてだけでもいっぱい出てきませんか?

日本語の曖昧さの原因がここにもあります。

掛かり言葉(形容する言葉)がたくさん並ぶとどこに掛かっているのかわかりにくくなってしまします。



そしてもう一つの曖昧さの原因は、強調法のひとつ方法としてある倒置法です。

「私は今日かえります。」を「今日私はかえります。」「私はかえります今日」としても意味は変わらず使用できることです。

強調をはっきりさせるためには読点を用いて「私は、今日かえります。」「今日、私はかえります。」「私はかえります、今日。」とすることもあります。

これらの原因が複合的に絡み合うと日本人でもわからないものが出来上がってしまします。


このように曖昧なのですが、私たちは言葉を並べる順番を無意識のうちに習得していますからそう困ることはありません。

どう並べれば正確に表現できるのか、母語を身に着けていくうちに法則をいつの間にか身に着けているのです。

ただ、このことを誰にもわかるようにまとめようとすると分からなくなってしまうのです。


これを日本語の欠陥・短所として取り除こうとすると、日本語の良さまでがなくなってしまいます。

完璧な言語は存在しません。

ましてや日本語ほどの多様性・対応性を持った言語はありません。

そのすべてを含めて特徴なのです。


いい日本語使いになりたいですね。


それでは井上ひさし先生から問題です。

次の文から何通りの意味があるか考えてください。

「黒い目のきれいな女の子」

6通り以上ありますよ。




2013年6月7日金曜日

残れるか濁点ルール

日本語の特徴の一つに濁点があります。

もともと持っている基本の音が48音しかないわけですから、どうしても同音語が出てきてしまします。

言葉として発せられれば全く同じ音ですから、前後のつながりから類推するしかありません。

書かれた文字である漢字は、初めてみても意味が想像できるくらいの表現力を持ちますので、話し言葉と書き言葉はお互いを補完し合っていることになると思われます。

濁点が付けられものは「か」行、「さ」行、「た」行、「は」行の20音に限られています。



濁点のルールをいくつか考えてみましょう。


一つ目は連濁です。

二つの言葉が繋がった時に前の言葉に影響されて後ろの言葉が濁るのが連濁です。

同じ言葉が続いた場合でその音が濁音を持つものであれば、繰り返しの2回目が濁ることが典型です。

言葉で書いてもわかりにくいので具体例でいきますと、「ひとびと」「しなじな」「さめざめ」「しみじみ」的なものです。

井上ひさし先生によると連濁の問題は面白いこともたくさんあって、これだけで本が書けるようですが、ここではあっさりと触れておきます。

いずれにしても、非常に日本的な音で私の好きな音の一つです。

この濁点の使い方は今後も残るのではないでしょうか。


次は、建物の「三階」です。

一階「いっかい」、二階「にかい」。さあ三階。

これは「さんがい」ですね。最近はよく「さんかい」と聞くことがあります。

PCの日本語変換でも「さんかい」でも「三階」と変換されます。

これはもう崩れているといっていいですね。

一階から十階まででの中で唯一濁るのが「三階」だけですので、そのうち「がい」はなくなると思いますね。


今度は「田畑」と「茶畑」です。

音は「たはた」と「ちゃばたけ」です。

なんで茶畑は濁るのでしょうか?

細かいルールはあるようですが、二つの言葉「田」と「畑」、「茶」と「畑」の関係によって濁ることになっているようです。

二つのものが主従の関係にあるか、並列に関係にあるかで変わるようです。

「田畑」=「田」と「畑」=並列=濁らない

「茶畑」=「茶」の「畑」=主従関係(茶は形容で畑は主)=濁る

これは感覚として身についていると思いますね。

「ちゃはたけ」は音でいうと「は」にものすごく無理がかかるので、「ちゃばたけ」と言ったほうが音も自然ですので残っていくのではないでしょうか。


次は、ちょっとわかりにくいですがこれも連濁です。

「弾きがたり」と「弾きかたる」です。

「がたり」は「かたる」の名詞として使用されています。

「弾き」+「語る」で用言(動詞)がつくと濁りませんが、「弾き」+「かたり」と体言(名詞)がくると体言のほうに連濁が起こります。

これも「弾きかたり」と言うほうが「弾きがたり」よりも音が言いにくいので残るでしょう。


いろいろなルールはありますがほとんど習ったことはありません。

私たちは感覚として自然にこなしているのです。

その時の音に含まれている微妙なニュアンスを母語として何か感じているとしか思えません。


太鼓の音で小さな太鼓はトントン、大きな太鼓はドンドン。

汗がタラタラ、ダラダラ。ポタポタ、ボタボタ。

濁音になると力ができきますね、強くなってきます。

澄んだ音は、優しい、弱い、低い、細いものを模写していることがわかります。

母語というもののありがたさでしょう、いろいろな法則や使い分けを自然の間にいつの間にかこなすことができるようになっています。

母語は言葉だけではないんですね、文化であり歴史であり、思考であり感性であり・・・

何とか大切に伝え続けていきたいですね。




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2013年6月6日木曜日

やまとことばになかった音

今回は「やまとことば」になかったと思われる音を探してみました。

見つけるタイミングは2つかなと思います。

1つめは明治新ですね。

ここで新しい言葉がどっと入ってきています。

2つめは太平洋戦争後の英語の侵略ですね。


近いほうから見てみた方がわかりやすいと思います。

外来語をそのまま音だけ取り込んでしまった場合にできてしまった音がありますね。

「テレヴィ」「レディ」「ジュース」の小さい字ですね。拗音(ようおん)といいます。

ちょっと待て、九州とかの「きゅう」はやまとことばではないのかと言われそうですね。

もう一度「やまとことば」を見てみましょう。

一番わかりやすいのはひらがなでしか書き表せないものですね。

次は漢字を用いた場合には訓読みで使われるものです。

そうすると九州の「きゅう」は音読みですね。

もともとの「やまとことば」ではないことがわかります。

「九」のやまとことばは「ここ(のつ)」になります。

拗音はたぶんすべてがやまとことばにはならないと思います、私が見てきた範囲では例外は見つ

けられていません。


次は擬態・擬音の類があると思います。

「ギュッ」「ウッ」「ドッ」「ダッダッ」というものですね。

ここに出てくる小さな「ツ」ですね。促音といいます。

これもやまとことばには見当たらないと思います。

仮にやまとことばで表すとしたら「グッ」ではなくて「ぐい」となるのではないでしょうか。


よく見るともう一つ「ん」の音もないようです。

撥音と言われますが、今まで見てきたやまとことばの中に見つけることができませんでした。

拗音、促音、撥音というように特別に呼び方がついている音が違うのかなと思いましたが、普通の

言葉である「あ、い、う」の音のことも直音という呼び方がついているんですね。


なんだちゃんと区別されてるのかな思って少し調べてみたら、あとは濁音、半濁音がありました。

ひょっとして濁音、半濁音もないのかなと思ってみてみましたが、半濁音(ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、ぽ)はあ

りませんでいたが濁音はありますね。

「いくばくか」「語らばや」「あけぼの」というようなものですね。


実はなぜこんなことを調べたかと言いますと、「やまとことば」を定義するのがとても難しかったから

なのです。

「やまとことば」を使いましょうといっても「やまとことば」かどうかの判断は言葉によってはかなり難

しいです。

ならばです、「やまとことば」になかった音を使わなければ「やまとこば」ぽく聞こえるのではないか

と思ったわけです。

音としては「やまとことば」と同じような響きになるのではないかと思ったからです。

使ってみると結構いける気がしています。


拗音、促音、撥音、半濁音はカタカナに任せてもいいのではないかとすら思っています。

特に動作を表す音はカタカナ濁音のほうが「グッ」と来ると思いますが・・・

2013年6月5日水曜日

「ありがとう」と「すみません」


柳田国男氏はかつてこう予言しました。


「ありがとう」をさらに強調するときに「どうもありがとう」と言います。

上方ではおなじようにありがとうを強調するときに「おおきにありがとう」と言いますが、これが省略されて「おおきに」になりました。

いまに東京でも「どうも」だけで片付けるようになるのではないでしょうか。


それ以降まだ50年は経過していないと思いますが、柳田国男の言った通りになってきました。

「どうも、どうも」は挨拶としても使われていますね。


もう一つ感謝を伝える言葉で「すみません」があります。

英語圏の人が日本語を学ぶときに「すみません」を「I'm sorry.」と習うそうです。

感謝を示しているのに何で謝るのか不思議に感じるそうです。

本来ならば「ありがとう」のところを「すみません」と言ってしまう場面は結構ありますね。

「財布を落としましたよ。」 「どうもすもません。」と言う具合に。


どうやら私たちの感覚には「ありがとう」を使うことにたいして、気楽には使えないという重しがあるようです。

セールストークで「ありがとう」を安売りされると、普段以上に腹が立ちます。

ちょっとしたことで「ありがとう」を使うと「そんな大げさな・・・」的な反応があったりします。

これってなんなんだろうと思いました。

いくつかのアンケート結果によれば一番美しいと思う日本語、言われてうれしい日本語の一位はともに「ありがとう」です。


ありがとうをたどってみると「有り難し」としているものが多いです。

「あることがむずかしいこ」とつまり、そう簡単には起こりえないこととなります。

また「ありがとう」は単に他人に感謝するときだけではなく使いますね。

ご来光を拝んだ時も「ありがたや」「ありがとうございます」と言って手を合わせたりします。

どうも「ありがとう」は感謝の念を伝える機能を果たしているだけではなさそうです。


調べてみるといくつかそれを指摘するものに出会いました。

国語学者の新村出氏によれば「それは神や仏など、人間を越えたものに巡り合えたときのその喜びであろう。」

前出の柳田国男氏によれば、「有り難し」をもっと突き詰めて、本来は神をたたえる言葉ではなかったかと述べています。


「ありがとう」を口にするとき、私たちの感覚の中に残っている人知を超えたところにある、普段は気にもしていない神仏・大自然とのかかわりを感じるのではないでしょうか。

そのためにちょっとしたことで人にお礼を伝えようとすると、「ありがとう」だと何となく大げさで重すぎる気がしてしまって「どうも」「すみません」になっていると思われます。


いずれにしても「ありがとう」と言うときは神仏や大自然、太陽などに対する畏れと喜びというものが基本にあったのではないかと思われます。

生真面目に「ありがとう」「ありがとうございます」を使うことはどことなく照れくさく、またそう簡単に使う言葉ではないという感覚がどこかにありそうです。

子供にしても親にありがとうはと言われると、お母さんの後ろに半分隠れながら照れくさそうに「ありがとう」と言ったりしていませんんか。


むかしから「ありがとう」を洒落っぽくしてより使いやすくしたものが存在します。

「ありがた山」などと意味のない「山」を付けてみたり、さらには「ありがた山の鳶烏(とびからす)」のように関係のない言葉によってリズムを着けたりしています。

「ありがたいかひらめ(鯛かヒラメ)」などと言うのもあります。

最近では「ありが十匹」で「ありがとう(十)」なんて言うのもありました。

人によっては「Thank you」のほうが軽くて使い易いと感じている人もいます。


私たちは何となくでも「ありがとう」のありがたみや畏れ多さを感じ取っているのですね。

少し照れながら言われた「ありがとう」のありがたみは何物にも代えがたいものですね。

安売りしない「ありがとう」にありがとうです。









2013年6月4日火曜日

「型破り」と「形無し」

「型破りとは型のある人がやるから型破り。
型のない人がやったら、それは形無し。」

これは、勘三郎が昔まだ勘九郎を名乗っていた19歳頃のこと。唐十郎の歌舞伎を見て感動し「俺もあのような歌舞伎がしたい」と、先代の勘三郎(父親)に言ったところ「百年早い。そんなことを考えてる間に百回稽古しろ」と言われたことがあったのだが、それは「古典をしっかり学んで自分の型をつくれ。未熟な者が土台も無いのに新しいことをやるな」という意味が込められていました。

パソコンの日本語ソフトで変換してみても、「かたやぶり」の「かた」は「型」しかありません。

また「かたなし」の「かた」は「形」しかありません。

型と形の違いが日本語の特徴の一つを表しているのではないかと思っています。

口に出した音としてはまったく同じ「かた」です。
いわゆる日本語の特徴であるたくさんある同音異義語の一つです。

しかも持っている意味が近いので書き文字としても、間違いやすい例によく出てきます。


まずは一般的な定義をそれぞれ見てみますと、

型=きまったやり方。伝統的なしきたり。ある物のかたちを作り出すためのもの。

形=物の姿や格好。形状。かたち。
ですね。

感覚的には 型>形 となると思います。

形は現実的なものです、実態があり目に見えるものです。
ですから、あるとかないとか言うわけですね。

型は精神的なもの、言い換えればそれぞれの道における定石とも言えると思います。
目に見えませんからあるとかないとかは言えません。


型は先達たちが果てしない試行錯誤の繰り返しの末にたどり着いた定石であり、私たちの目には形としてしか映りません。

型を学ぶということはその定石に至った過程を追体験することであって、今そこにある形を真似ることではありません。

したがって、型を破るということはその型に至った数々の失敗を追体験したうえで、その先にあるかわからないものに向かって更なる試行錯誤を繰り返すことではないでしょうか。

冒頭の勘三郎の言葉はそのことを言っているものと思います。

失敗体験の積み重ねによって導かれた型を、今見える形だけ真似ても見る人が見たらすぐわかるのでしょうね。

そういえば、そこに至った苦労をすることなしに、結果だけを真似て人前でしゃべっている人たちが薄っぺらく見えるのはそんなところに原因があるのかもしれないですね。


般若心経における「色」と通じるところがありますね。

色即是空 空即是色


この「型」と「形」の関係と似たような関係にあるものは、探すと結構あるのではないかと思います。

たとえば「河」と「川」、「樹」と「木」といったところでしょうか。


形も川も木も具体的なものを表す字・言葉ですね。

たぶん現実なものから作られた象形文字だと思います。

この辺の漢字のことは大変な先生方がたくさんいらっしゃいますし、定説もありますのであまり触れないようにします。

現実的なものを文字にしたことのほうが精神的なものを文字にするより早かったと思われますので、型、河、樹よりも形、川、木のほうが先にあったと思われます。

漢字の部首の少ないシンプルな文字ほど現実的なものを表していることが多いように感じます。

また、いろんな部首を持つ字は、そこに元の意味がある抽象的なものを表していることが多いように思います。


まずはしっかりと現実の形を見極めて、そこに至った試行錯誤を想像してその先の創造へ向かっていきたいですね。




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2013年6月3日月曜日

いつから「私」と言いだした

日本語における人称代名詞を見ていくと、他の言語との違いが何か見えてきそうな気がしました。

きっかけは歌謡(曲)でした。

気になったのは特に一人称(「私」「僕」など)です。

歌詞の中に出てくる人称代名詞、特に一人称の現れ方に何か特徴がありそうだなと感じました。

と言うよりはなんか変だなと感じたのです。


歌謡曲をさかのぼっていくと一番古くても明治の初めと思われます。

「宮さん宮さん お馬の前の ひらひらするもの・・・」がスタートだと思われます。

そこから見ていくと私とか僕とかの一人称の代名詞が全く見当たらないのです。

それらしいものが初めて見えるのが明治19年の「抜刀隊の唄」ですが、これとても歌いだしは「われは官軍 わが敵は・・・」となっており個人のことを歌っているわけではないようです。

ただし曲の冒頭に「われ」という語が使われた最初の歌ではないかと思っています。


そのあとは国中が富国強兵で一つの目的に向かって走っていきますので、個人のこと「私」や「僕」のことなんか構ってられない時代になります。

歌謡曲についてもおはやしみたいなものや人生の応援歌みたいのものがほとんどになります。

それでも明らかに第一人称のことを歌っているなというものもありますが、言葉としての「わたし」は登場しません。


次に一人称の代名詞が現れるのは大正12年の「船頭小唄」まで待たなければならないと思います。

あの「おれは川原の枯れすすき・・・」です。

その前の大正3年に「ゴンドラの唄」というのがあって一人称の感情をたっぷり歌っているのですが、言葉としては登場してきません。

ご存知の「いのちみじかし 恋せよ乙女・・・」です。

枯れすすきは野口雨情の作詞ですが、このころより「わたしは」「おれは」が散見されるようになります。

一つのヒット作が世の中に与える影響はかなりのものです。


明治時代は一気に近代文明が取り込まれ、民主主義のもと選挙が行われ個人に目が向けら始めた時です。

にもかかわらず歌の中に「わたし」が見当たらないのです。

歌は世につれ世は歌につれ、ですので歌は世相を反映しています。

明治のころはまだ個の感覚に戸惑っていたのではないでしょうか。


明治以前に使われていた一人称の代名詞は、麿(まろ)、其(それがし)、余、朕、拙者、拙僧などが挙げられます。

どれも一般的ではなく限られた世界の中だけの限られた者しか対象にならない言葉です。

一人称代名詞というよりは身分を表す言葉と言ったほうがいいかもしれないくらいです。


昭和の前半は西條八十さんを中心にさかんに一人称代名詞で歌を作り、それが戦前までは世の

中のはやりとなりました。


戦後は民主主義で一人一人が大事だとなりました。

すぐに歌にも人称代名詞が復活したかと言うと、たぶん昭和25年の「僕は特急の機関士で」まで待たなければならないと思います。

歌としては一人称のことを歌ったものはたくさんあるのですが「わたし」(僕)という一人称の代名詞が出てくるものはなかったようです。

終戦後の復興の中、いかに民主主義とはいえ個人のことに触れるのは抵抗があったのかもしれません。


講和条約のあたりから西條八十の越後獅子の唄で「わたしゃみなし子 街道暮らし・・・」と美空ひばりが歌ったのをはじめとした人称代名詞が使われ始めました。

それでもまだ全体から見れば控えめなものの様でした。


そして昭和45年阿久悠によって出されたのが、「あなたに抱かれて わたしは蝶になる あなたの胸 あやしい蜘蛛の糸・・・」(白い蝶のサンバ)です。

歌いだしはいきなり人称代名詞だらけです。

どうやらこのころから本格的に個人として主張することが受け入れられ始めたのではないでしょうか。


日本人はもともと個人としての主張が苦手です。

主語がなくても伝わる場面はたくさんあります。

自己主張することに自然と抵抗があるのです。

どうしても主張しなければならない場面では、できるだけ柔らかく主張したいのです。

日本語を母語として持つ以上、当然の特徴なのです。

決して短所ではありません。

それをわかったうえで主張する技術を身につければいいのです。


アメリカナイズされたネゴシエーションや説得術は、日本人同士の間では煙たがられるのは当たり前のことなのです。

どんなにいいことを言っていても自己主張の強い人に対して、抵抗感を感じるのは自然の反応なのです。

私たちは「わたし」を使うのが苦手なのです。








2013年6月2日日曜日

日本語の曖昧さ

日本語と英語と同じテーマで議論をするとどの様な結果になるのだろうか。

厳密に言ったら日本人が日本語で議論している場合と、アメリカ人が英語で議論をしている場合の脳の働きを調べたいところです。

海外に出た日本人の頭脳はこの問題にぶつかるそうです。

通常会話においては英語の使用に全く問題はありませんが、理論の組み立てとアイデアの吹き出しについて何かが違うという感覚を持つようです。


ずいぶん前になりますが、MIT(マサチューセッツ工科大学)の主任研究員7名の日本人が取り組んだそうです。

英語を使うことについては全く不自由のない人たちです。

同じテーマについて日本語と英語で議論し結論を出しました。

どのようなことになったでしょうか。

結論を出すまでの時間が、日本語での議論のほうが英語でやった場合の2倍以上かかったそうです。

また、導き出された結論も同じにはならなかったそうです。


この実験に参加していた一人が木村順三郎Von Braum氏です。

たまたま、直接その時の話を聞く機会を得ました。

その当時、木村先生はアメリカ空軍の准将のポジションにあり、NASAのスペースシャトル計画の危機管理に加わっていました。

先生は盛んに日本語の曖昧さについて述べられていました。


その時のことを思い出しながら、英語と比較した時の日本語の曖昧さの原因についてまとめてみました。

〇主語が省かれることが多く、誰かの意見なのか自分の意見なのかの判別がつきにくい。
また、それを確認することがはばかられる雰囲気がある。

〇言葉の並び上、述語(結論が)一番最後に出てくる。
       肯定なのか否定なのか、意見なのか事実なのか、賛成なのか反対なのか、
        現在なのか過去なのかがわかるまで時間がかかる。

〇同音異義語が多い。
       言葉で議論していると共通理解のためには内容を確認する必要がたびたびある。

〇起きている現象・事実を系統だって説明するときに文章が長くなる。
      「何がどうした」がわかりにくくなる。

あくまでも、英語との比較において日本人の目から見た指摘であり、これを持って言語としての日本語の特徴と言い切ることはできないでしょう。

しかし、ここから読み取れることは日本語の曖昧さではないだろうか?

この曖昧さはどこから来るのでしょうか、少し考えてみました。


物事をはっきり述べること、特に自分の意思をはっきり述べることを良しとしない感性が日本人にはあります。

古い文献に触れれば触れるほどその傾向は強くなります。

そこはかとない雰囲気の中で相手の意向をおもんばかり、それを直接確認することを無粋とする感性は「以心伝心」「一を聞いて十を知る」などの言葉にもつながっています。

奥ゆかしさを他の面から見ると曖昧さと映るのでしょう。

明治以前にはほとんど「私」という主語を使わなかった日本では、自分のことについて言うこと表現することが苦手です。

自己主張することはよくないことだという感覚があります。

グループの中にあって構成員としてそのグループのために尽くし、目立つことをしない。

日本人が根底に持っている感覚・美学が、「私」を前面に出さないと生きていけない世界の人たちから見ると曖昧さと映るのではないでしょうか。


国際的なビジネスの場面においては、しっかり自己主張をできるようにしなければならないこともあると思います。

しかし、母語を日本語とする私たちにとって「自己主張はよくないこと」という感覚が染み込まれています。

しっかり主張できないことを悩むのではなく、主張すべき場面で主張する技を身につければよいのです。


自己主張している自分、ネゴシエーションでのやりとりで嫌悪感を持つことがあります。

素直な感性なのです。

自分を嫌にならないでください。

私たちはそういうことが嫌いなんです。

その場をうまくしのいで、もっと心地よい世界で生きていいと思います。

特徴さえつかんでおけば、対応する技を磨くことはいくらでもできますから。




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2013年6月1日土曜日

やまとことばを守りきった漢字とカタカナ

日本語には厄介なことに表記文字が4種類もあります。

漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット。

基本的な音は50音で母音が5つしかないので、話すだけなら学ぶのに優しい言語です。

ところが読むこと書くことになった途端に、世界でも最も難しい言語の仲間に入ってしまいます。

でも、このことによってむかしからの伝統の言葉「やまとことば」(和語)を守り伝えてくることができたのです。


強力な文明や軍事力と一緒にやってくる外来語に対して漢字とカタカナで対応してきたのです。

そして、ひらがなで日本独自の大切な「やまとことば」を守ってきたのです。

漢字とカタカナで対応できない外来語に対しては、彼らの言語そのままのアルファベットでも対応するという離れ業まで披露するのです。

しかも、アルファベットについては日本語に置き換えるため変換機能としてのローマ字を小学校4年生であっという間に身に着けてしまいます。


私は初めのうちは日本語を身に着けるべき大切な時になんでローマ字を教える必要があるのかと思っていました。

中学になって英語を習い始めるとローマ字を身に着けたことがかえって邪魔になったことを覚えています。

ところが今は、ローマ字をこの時期に習うことに賛成しています。

ここでローマ字を習うことによって、本来の伝統的なやまとことばが外来語に侵略されることを防御してくれているのです。

ローマ字は表記こそアルファベットですが、日本語なんです。

子供たちは新しいことをすぐ自分の中に取り込んでしまいます。

英語を習い始めたころの新しい音との出会いや、日本語に近い言い回しなどは言葉遊びとして洒落としてすぐに取り込んでしまうのです。

その言葉が直接すぐにひらがなに置き換えられることが起こっていたら、「やまとことば」はこれほど昔の姿を保っていなかったでしょう。


日本の古来よりの言葉が消えていく危機は、歴史上3回あったと言えます。

1回目が中国の漢語と仏教文化を取り込んだ時。

2回目が明治維新でヨーロッパの文化と言葉を取り込んだ時。

3回目が太平洋戦争後のアメリカ世界戦略の先鋒として英語を取り込んだ時。

3回目の危機は今現在も続いています。

この中で一番大きな危機は1回目だったのはないでしょうか。

この危機を乗り切った内容は先々回のブログ(漢語導入に見る日本語の奇跡)で確認していただきたいと思います。

カタカナの本来の目的は漢語で書かれたものを理解するための補助的な言語でした。

それを外来語を導入するための第一の道具として用いた対応力はすごいことだと思います。


明治維新の時はカタカナと同時に、漢字の造語力が大活躍をしました。

福沢諭吉をはじめとした知識人たちが、ヨーロッパの文化や民主主義の概念に関する言葉を次々と漢字で表現し、新しい言葉を作っていきました。

あまりに急ぎすぎて微妙にニュアンスの異なる漢字を当ててしまったために、100年を経過してズレが表面化してきた言葉もありますが・・・。(参考:100年たって微妙なずれが現実に・・・


そして、今なお続いている英語による第3の危機。

やまとことばを守るバリヤーはしっかり機能していますが、心配している兆候がいくつかあります。

小学校5年生から英語を学ぶことが必修となっています。

最高学府の授業は日本語ですが、論文は英語でないと世界に通用しません。

技術的に瞬間翻訳が可能な状況が来ています。

せっかく守られきた「やまとことば」を使う場面が激減しています。

「やまとことば」に触れる機会が激減しています。

言葉としてのありがたさ高尚さは私たちの感覚においてどうもこのようになっているようです。


アルファベット>カタカナ>漢字>ひらがな


先人たちが1000年以上の間守り育ててきた「やまとことば」とその独自の文化は、確実に普段の生活の中にそして私たちの思考に息づいています。

当たり前すぎてあらためて見ることをしていないだけだと思います。

時々、見直してあげる必要があるのではないでしょうか?  ひらがなで。


漢語の母国である中国は、略字がどんどん広がっています。

元来あった難しい漢語がどんどん消滅して、文化の伝承に危機を抱いています。

韓国においては長い間の漢字の使用禁止によってハングル語のみによる教育の結果、長かった漢字使用時代の文化が理解できないことが起きています。

歴代20人の首相経験者による漢字復活の建議書が出されたりしており、国語が揺らいでいます。

両国とも外来語ではなく自国内の状況で国語が揺らいでいるのです。

そこに英語という世界戦略語が押し寄せてきています。

中国も韓国も最高学府の授業はかなりの分野を英語が占めています。


私たちはなんと恵まれた環境にあるのでしょう。

日本においては言葉の乱れが問題になることはあっても、国語そのものが侵されることはありません。

どんな外来語の襲撃にあっても、カタカナと漢字とアルファベットが二重三重に守ってくれます。

もっと自信を持ってひらがなを使いませんか?

世代間のギャップもひらがなに戻れば理解できるのではないでしょうか。

孫との会話はひらがなではないですか?

やまとことばというと特別の言葉のように聞こえますが、ひらがな言葉といえばもっと気楽に付き合えないでしょうか。






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