2013年6月5日水曜日

「ありがとう」と「すみません」


柳田国男氏はかつてこう予言しました。


「ありがとう」をさらに強調するときに「どうもありがとう」と言います。

上方ではおなじようにありがとうを強調するときに「おおきにありがとう」と言いますが、これが省略されて「おおきに」になりました。

いまに東京でも「どうも」だけで片付けるようになるのではないでしょうか。


それ以降まだ50年は経過していないと思いますが、柳田国男の言った通りになってきました。

「どうも、どうも」は挨拶としても使われていますね。


もう一つ感謝を伝える言葉で「すみません」があります。

英語圏の人が日本語を学ぶときに「すみません」を「I'm sorry.」と習うそうです。

感謝を示しているのに何で謝るのか不思議に感じるそうです。

本来ならば「ありがとう」のところを「すみません」と言ってしまう場面は結構ありますね。

「財布を落としましたよ。」 「どうもすもません。」と言う具合に。


どうやら私たちの感覚には「ありがとう」を使うことにたいして、気楽には使えないという重しがあるようです。

セールストークで「ありがとう」を安売りされると、普段以上に腹が立ちます。

ちょっとしたことで「ありがとう」を使うと「そんな大げさな・・・」的な反応があったりします。

これってなんなんだろうと思いました。

いくつかのアンケート結果によれば一番美しいと思う日本語、言われてうれしい日本語の一位はともに「ありがとう」です。


ありがとうをたどってみると「有り難し」としているものが多いです。

「あることがむずかしいこ」とつまり、そう簡単には起こりえないこととなります。

また「ありがとう」は単に他人に感謝するときだけではなく使いますね。

ご来光を拝んだ時も「ありがたや」「ありがとうございます」と言って手を合わせたりします。

どうも「ありがとう」は感謝の念を伝える機能を果たしているだけではなさそうです。


調べてみるといくつかそれを指摘するものに出会いました。

国語学者の新村出氏によれば「それは神や仏など、人間を越えたものに巡り合えたときのその喜びであろう。」

前出の柳田国男氏によれば、「有り難し」をもっと突き詰めて、本来は神をたたえる言葉ではなかったかと述べています。


「ありがとう」を口にするとき、私たちの感覚の中に残っている人知を超えたところにある、普段は気にもしていない神仏・大自然とのかかわりを感じるのではないでしょうか。

そのためにちょっとしたことで人にお礼を伝えようとすると、「ありがとう」だと何となく大げさで重すぎる気がしてしまって「どうも」「すみません」になっていると思われます。


いずれにしても「ありがとう」と言うときは神仏や大自然、太陽などに対する畏れと喜びというものが基本にあったのではないかと思われます。

生真面目に「ありがとう」「ありがとうございます」を使うことはどことなく照れくさく、またそう簡単に使う言葉ではないという感覚がどこかにありそうです。

子供にしても親にありがとうはと言われると、お母さんの後ろに半分隠れながら照れくさそうに「ありがとう」と言ったりしていませんんか。


むかしから「ありがとう」を洒落っぽくしてより使いやすくしたものが存在します。

「ありがた山」などと意味のない「山」を付けてみたり、さらには「ありがた山の鳶烏(とびからす)」のように関係のない言葉によってリズムを着けたりしています。

「ありがたいかひらめ(鯛かヒラメ)」などと言うのもあります。

最近では「ありが十匹」で「ありがとう(十)」なんて言うのもありました。

人によっては「Thank you」のほうが軽くて使い易いと感じている人もいます。


私たちは何となくでも「ありがとう」のありがたみや畏れ多さを感じ取っているのですね。

少し照れながら言われた「ありがとう」のありがたみは何物にも代えがたいものですね。

安売りしない「ありがとう」にありがとうです。









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