2015年12月7日月曜日

助数詞という言語文化

皆さんは箪笥の数え方を知っているだろうか?

また、蝶々の数え方を知っているだろうか?

箪笥は一棹(ひとさお)二棹(ふたさおで)あり、蝶々は一頭(いっとう)二頭(にとう)と数えるものとなっています。

この「棹(さお)」や「頭(とう)」が助数詞と呼ばれるものです。


「一、二、三・・・」は品詞としては数詞と言うことになりますが、日本語においては何かを数える時に数字だけではなくその名詞に独特の数えるための単位としての助数詞が必要になっています。

助数詞は数詞の接尾辞として数詞の一部としての役割をしています。

それぞれの名詞がその名詞とセットになった助数詞を持っているために、名詞を類別する役割も果たしており類別詞の一つとして使用されることもあります。


助数詞を持つ言語としては日本語、中国語、韓国語、タイ語などのアジア諸言語の他、アフリカのバンツー語、メキシコのユカテック語など世界の多くの言語が確認されています。

助数詞を持っているかどうかということは、その言語の特徴としての言語感覚を比較するときの視点の一つとなります。

それは、その言語が持っている名詞を分類するときの基本的な感覚に通じるものがあるからです。

その言語が助数詞を持っているかどうかは言語の成り立ちの祖語の共通性にかかわらず、名詞に対する感覚として近いものがあると言えると思われます。


しかし、助数詞を持っている言語同士であっても実際の助数詞の使い方においては共通性もあれば異なる区分も多くあります。

同じ助数詞を持つ名詞を分類することによって、その言語が持つ名詞に対する感覚を見ることができます。

同じ名詞に対して異なる助数詞を使用している言語同士では、助数詞を持たない言語よりも大きな感覚的な開きがうかがえることもあります。

助数詞はそれぞれの言語において名詞を分類する視点とはなりますが、助数詞を持つ言語同士が名詞に対しての分類感覚において共通性が多いものとは決して言えるものではないと思われます。


むしろ、助数詞を持つ言語同士の間で同じ名詞に対して異なる助数詞がつけられている場合にはその名詞に対する感覚として大きな違いを発見することができると思われます。

それぞれの言語においてその名詞を使う場合の感覚としてとても役に立つ視点になると思われます。


わたしたちが触れる可能性が高い言語は先進国において使用されている言語ではないでしょうか。

その筆頭は世界の共通語としての立場を確固たるものとしている英語だと思われます。

世界の言語の感覚を知る手がかりの一つとして名詞を分類している方法を切り口にすることがあります。


文法的な面が多いのですが、それぞれの語の使い方は文法的に規定されたものと言うよりも一般的な使い方を文法としてまとめ上げたと言った方が良いものとなっています。

そのために、名詞の区分にはその言語が持っている精神文化的な環境が反映されたものとなっていることが多くなっています。


名詞の分類としては、英語を中心とした加算・不可算名詞によって分類する方法、フランス語・ドイツ語などを中心とした性(文法性)にって分類する方法が特徴的なものとなります。

それに助数詞を持つ言語による分類方法を加えて、この三種類が典型的なものとされています。

英語ももともとは性による分類を持っていたと言われますが、実用上では加算・不可算という極めて英語の感覚らしい現実的な名詞分類になっていることが特徴的ではないでしょうか。


不可算名詞における数え方には助数詞に通じるものもあります。

a cup of coffee, a glass of waterなどは「一杯の」という助数詞の利用感覚に近いものとなっているのではないでしょうか。


日本語では助数詞に使用されている文字をきちんと見ていくとかえってわかりにくくなることがあります。

「一冊の本」「一本の鉛筆」などでは「本」と言う文字が同じ読み方で名詞としても助数詞としても使用されています。

「一本」という呼び方があるのに同じ文字の同じ読み方の名詞としての「本(ほん)」に対しては「冊」という助数詞を使用することは、他の言語話者から見たら理屈抜きに覚えなければならない法則のようなものではないでしょうか。

よく見てみるとほとんどの助数詞がこのような二面性を持ったものとなっています。


日本語における助数詞の数は500くらいはあると言われています。

しかし、助数詞を正確に使うことができる人はほとんどいないのではないでしょうか。

釣りが趣味の人でもなければ魚を「一尾(いちび)、二尾(にび)」と数えることはないと思われるます。

また、「一匹、二匹」と数えられても何の抵抗もないのではないでしょうか。


中には、なるほどと思われる美しい助数詞もあります。

果物を数えるのに「一果、二果」(か)や琴の数え方の「一面、二面」、提灯の「一張、二張」(はり)、花の「一輪、二輪」などはピタッとはまった時にはこれしかないと思えるものではないでしょうか。

珍しい助数詞の使い方などは昔からクイズとしても使われていましたね。

海苔や紙に使われる帖(じょう)という助数詞も、後ろに来る名詞によってその数としての捉え方が変わってくるものとなっているようです。

海苔の一帖は10枚のことですし、半紙の一帖は20枚、美濃紙の一帖は48枚となっているようです。


ここで使ったように、今では万能的な使い方ができる「枚」「個」「つ」「本」「匹」に集約されていってしまうのではないでしょうか。

この助数詞の使い方は昔の国語のテストにもあったと思いますが、よく分からなかった記憶があります。

それは、対象となる名詞がなぜこの助数詞を使うのかということをきちんと説明されなかったからだと思います。


同じ助数詞を持つ名詞を集めればそこには必ず共通性があります。

もともとその助数詞を当てはめるための似たような特徴があったはずなのです。

今ではその特徴が見えなくなっているから助数詞と結びつかなくなっているのではないでしょうか。


英語に触れる機会が増えてきている現在では、「セット」「ペア」「パック」「ブロック」などの英語による助数詞も当たり前に使われるようになってきています。

共通語としての英語に触れる機会が多くなるほど、日本語の持っている独特の感覚が特殊なものと言う扱いをされていきます。

安易な迎合を目的とするのであれば英語の感覚にならうことの方が実効性があると思われます。

そのことを通じてますます日本語の感覚として独特なものが減っていくのではないでしょうか。

日本語を母語として持っている感覚には、世界共通語との対比においてはデメリットの方が多く見えてきます。

しかし、そのことこそが独特な感覚として意識しておくべきことではないでしょうか。

大切にしていきたいですね。