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2014年4月28日月曜日

母語習得のための環境つくり

先回は、言語習得における母語の大切さについて触れてきました。

それでは母語としての日本語をきちんと身につけさせるには、どのような環境を整えてあげればいいのでしょうか。


子どもは生まれた時から本能的に、母親を識別することはできるようになっています。

母親の心穏やかな時の、鼓動や言葉や感触に触れているときが一番安心できる状態であることを感じ取っています。

自分では言葉を発することができない頃からも、母親の言葉は聞き分けることができるようになっているようです。


2歳前後に「言葉の噴火」「言葉の爆発」と呼ばれる、一気にたくさんの(20~30語程度)言葉を発するようになります。

それ以前にでも、発することはできなくとも理解している言葉はあることがわかっています。

一人で歩けるようになってしばらくたったころですね。


ここから数多くの言葉を習得しながら、脳を代表とする知的活動のための機能を作っていくことになります。

この活動が4歳~5歳頃までかかって、5歳頃には基本的な知的活動のための機能がほぼ定まっているようです。

この時に習得していく言語が母語になります。

そのほとんどは母親から伝承される言葉になります。

生まれてから母語の習得期間においては、母親が子供に語りかけることが何よりも重要になります。


子どもの言葉に合わせて会話をしようとすることよりも、母親の言葉でたくさんのことを語りかけることがいいと言われています。

赤ちゃん言葉で語るよりも、母親が持っている普段の言葉で語りかけた方がいいようです。



3歳頃になると持っている言葉を使って会話ができるようになります。

ここまで来ると使える言葉が一気に多くなり、2語、3語の言葉も使えるようになります。

やがて、慣れないながらも助詞の「が」や「は」を使えるようになり、一緒であること表す助詞の「と」や方角を表す「へ」なども使いだします。


歩き方もしっかりしてきますので、活動範囲が広がってきます。

一緒に住んでいる人や、身近にいる人とも会話をするようになり、母親以外からの言葉の習得も増えてきます。


この段階では、なるべく多くの環境でなるべく多くの人たちと会話をすることが母語の習得に役立ちます。

母語を習得しながら、その母語を使いこなすための最適な機能に、脳を代表とすると各器官が発達をしていきます。

母語としての日本語を使うための最適な機能としては、母音の発生がしやすいように声帯が発達していきます。

母音が聞き取りやすいように聴覚が発達していきます。

この段階での母語は、日本語と言っても母親から伝承された言葉が中心ですので、きわめて個人的な言語となっています。


広い意味では日本語を使うための機能が整っていくのですが、それは極めて個人的な言語としての母語によるものとなっています。

もともと子どもはこのようにして母語を取得し、その母語によって知的活動のための機能を発達させていくように本能的に活動をしています。


幼児期の環境で大切なのは、この本来持っている本能的な活動を妨げるようなことをしないことです。

幼児期は母語の習得とそれによる知的活動のための機能の発達が最大の活動です。

それ以外の教え込みをすることは、本来のこの活動を妨げることにほかなりません。


母親が持っている言語を、この段階で変えることはできません。

しかし、母親が意識することによって伝える言葉を選ぶことはできます。

隠そうとしても無理なことが多いですね、普段の耳にする会話も子どもにとっては習得の対象となっているからです。


3歳以降である程度の会話ができるようになってきたら、異年齢者との会話の場面が大切になってきます。

おじいさんおばあさんとの会話や兄弟・親戚との会話などあらゆる場面での会話が、母語の習得と言語感覚の習得に役立っていきます。



この段階ではどんな教え込みをしても意味がありません。

記憶していないだけではなく、本来の母語習得から知的機能の開発の妨げとなるからです。


4歳の半ば過ぎくらいにほぼ母語の習得が完了し、基本的な知的機能が決まってくると、誰にでも訪れる現象があります。

「幼児期健忘」と言われている現象です。

それ以前の記憶のほとんどがリセットされるのです。

幼児期以前の記憶がないのはこのためです。


どんなことを教え込んで記憶させようとしても無駄なのです。

このような現象は生きている間では、病的な痴呆以外はありません。

発生するメカニズムについても解明されてはいませんが、万人に起きる現象であることは確認されていることです。

当然、記憶していた母語としての言葉もほとんどを失いますが、毎日使っているような言葉はそのまま新たな記憶として保持されていくことになります。

だだし、この時期の記憶の保持期間は肉体的な刺激を伴う強烈な記憶でない限りは1週間は保持されていないことがわかっています。

言葉のように毎日使うことによって日々書き換えられているような記憶でない限りは、1週間もすればほとんど覚えていないようです。


7,8歳頃の記憶の保持期間が約2週間程度であるという研究があります。

幼児期の週に一回程度の習い事は、幼児期健忘を待つまでもなくほとんど記憶されていないということになりますね。

母語としての言葉の記憶は幼児期健忘によってリセットされてしまいますが、母語によって開発された機能や言語感覚は記憶ではありませんので失うことはありません。

人としての活動の基本がここに出来上がっていくことになります。


幼児期健忘を経過しても日々使っている言葉は、新たに書き換えられながら記憶されていきます。

幼児期健忘前に使って記憶してた言葉で、使わなくなっていったものが記憶から消えていくことになります。

教え込みによる英才教育がほとんど役に立たないのは、この幼児時期健忘の現象によるものであるとする説もあるようです。


教え込みは結果として子どもにストレスを与えて、本来の習得と発達を阻害することになります。

幼児期は余分な教え込みをせずに、本来持っている活動をしやすい環境を整えてあげることが一番大切になります。

環境を整えながら、子どもが習得していくのを待つという姿勢が大切になります。


幼児期の教育の失敗は、そのほとんどが何かを教え込もうとしたことよって起きているものです。

しかも、親はそれを良かれと思ってやっていますので、子どものためになっていないことをわかっていません。

子どものことよりも親の自己満足のためにやられている幼児教育がほとんどです。


教育者がよく言う、「5歳までの環境が大切」ということを、5歳までに何かを教え込まなければいけないと思い込んでいる親が多いことに驚かされます。

よけいな教え込みをしなければ、子どもの可能性はもっともっと広がっていたのではないでしょうか。

社会で生き抜いていくために必要な基本的な能力は「コミュニケーション力」です。

つまりは言語力です。

人の知的活動はすべて言語よってなされています。

もっともっと言語に対して目が向けられてもいいのではないでしょうか。



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2014年4月18日金曜日

母語が決まる4歳までが勝負!

あらゆる分野の指導者が指摘することがあります。

頭のいい子を育てるならば5歳までの育て方が大切であると言います。


そのことを受けて、5歳までに何かを教え込もうとする間違った幼児教育が行われている現実があります。

勘違いもいいところです。

幼児期の英才教育が役に立たないだけでなく、健全な知的活動の発育に障害となっていることは明らかになっています。

その上で、子どもたちに起きている現象から判断すると、基本的な知的活動のための能力が5歳までに形成されているとしか考えられないことがあるからなのです。


幼児期に何かを教え込んでも、単にそのことを覚えているだけで知的活動が活発化されているわけではありません。

何かを教え込むよりも、祖父母や地域のなかでのコミュニケーションが沢山あった子どもの方が、自分で考えて実行するという知的活動に対しての能力が高いことがわかっています。

現象としては統計などから広く知られていることなのですが、そのメカニズムについてはほとんどわかっていないことも現実です。


教育に携わる人たちは、経験的にそのことがわかっていますので5歳までの環境が大事であると言いますが、どうしてそうなっているかがよくわかっていないのです。

祖父母との同居や地域での触れ合いの多い子どもたちが、小学生以降になった時に学習内容の習得度合いが高く、結果として成績が上位になっていることから導き出した経験則でしかないのです。

ですから、5歳までの環境が大切であると言っている人たちも具体的にどのようなことが影響して学習習得能力の高い子供ができているかは説明がつかないのです。


このことについて少しずつではありますが、解明されてきていることがあります。

そのキーワードが「母語(ぼご)」「幼児期健忘(ようじきけんぼう)」です。

ともに現象としては、ほぼすべての子どもに現れてくることなのですが、そのメカニズムについてはわかっていないことの方が多くなっているものです。

人間の進化発達については目に見える現象や物理的な器官についてはかなり解明されてきていますが、そのメカニズムについてはわかっていないことの方が多い分野となっています。

その中でも「母語」と「幼児期健忘」については呼び方こそ統一されてはいないものの、その存在と現象についてはほぼ解明されているものと言うことができると思われます。


したがって、この二つのことを知っているのと知らないのでは、子どもの知的活動のための発育に大きな影響が出るものであるということができると思われます。

「母語」とは幼児期に主に母親から伝承される言語「ことば」のことです。

小学校に入って学ぶ国語の前に、最初に使えるようになる言語のことです。

ほとんどが母親からの伝承された「ことば」でできていますので、ひとりずつ異なった個性豊かな言葉となっています。


この「母語」が重要な点は、この「母語」を使っていくことによって脳を代表とする知的活動のために必要な器官が、「母語」を使うための最適な機能に発達していくことにあります。

日本人の母親から伝承される言語は日本語ですが、その日本語は一人ひとり個性を持った「ことば」からできています。

方言や地域によるアクセントの違いもありますし、正確には一人ずつ全く異なったものになっているわけです。


幼児期の子どもに親も使わないような標準語を教え込む必要は全くありません。

幼児期は母親からの情報がほとんどすべてになりますので、母親独自の「ことば」による情報の方が個性的な「母語」を身につけることができます。

個性的とはいっても日本語に変わりはありませんので、基本的な言語感覚は日本語として共通のものとなっています。


この「母語」を習得しながら、知的活動のための器官の機能が定まってくのが4歳頃までだと言われています。

機能形成のための言語で、脳の基本機能を作っていくことが中心となりますので、思考することはまだほとんどできない状態です。

4歳頃までが母語習得の期間であると言われています。


4歳から5歳にかけて、もう一つの「幼児期健忘」という現象が起きます。

幼児期であっても一週間に満たない程度の記憶保持期間があることが確認されています。

しかし、6歳以降の記憶保持期間が急激に伸びてくるころに比べるとまだまだ短い期間です。

つまりは記憶をするという機能も「母語」によって作られてきていることがわかると思います。


「幼児期健忘」は幼児期の記憶がそのほとんどを失う(リセットされる)ことを示した現象のことです。

4歳以前の記憶がある人はいません。

もし、記憶していると思っているのならば、それはもの心がついてから親に教えられたり写真を見せられたりしてできた記憶です。

日本人の場合は、個人差もありますが4歳の半ばから5歳頃にかけて現れていることが多いようです。


これは、「母語」として持っている言語の大きさや難しさに影響を受けていると考えられています。

単純言語である原住民の言語を「母語」としている場合には3歳頃に現れるようですし、ヨーロッパ言語においては4歳前後で現れているようです。

言語として複雑で難しい部類である中国語や日本語を「母語」とする場合には、4歳の後半から5歳頃にかけてのことが多いと言われています。



この「幼児期健忘」によって「母語」として身につけた「ことば」もリセットされることになります。

しかし、「母語」によって身につけた言語感覚と知的活動のための機能は、一番基本の能力として生涯の基盤となることになります。


小学校に入ると、日本語の共通言語としての「国語」を学びます。

この「国語」によってこれから先の様々な知識を習得していくことになります。

この「国語」のことを学習言語と呼んだりするのはそのためです。


この「国語」を身につけるための基本言語が「母語」なのです。

「母語」によって開発された知的活動の機能が最初に試されるのが「国語」の習得なのです。

ここで「国語」の習得に遅れが出たりすると、あらゆる知識の習得に影響が出てきます。

「国語」によってすべての知識の習得をしていかなければいけないので、そのもとになる言語の理解に遅れが出たら致命的です。


小学校の算数が苦手な子供に算数を教えても一向に改善しません。

算数は分野としての独特な表現や表記がたくさん出てきます。

算数が理解できないのではなくて、算数の教科書に書いてある国語や先生の言葉が理解できない場合がほとんどなのです。

国語をきちんとやり直すとあっという間に改善してくるのは当然のことなのです。



「母語」の基本的な習得が完了するのが4歳頃と言われています。

「幼児期健忘」を経過しながらも「母語」によってコミュニケーションができるのは小学校入学までのわずかな間しかありません。

この間に、祖父母をはじめ地域での数多くの経験をすることが、さらなる知的活動のための機能開発に役立っていると言われています。

もちろん、記憶にはほとんど残りません。


「母語」によって作られた機能を最大限生かすためには、「母語」によって刺激を与えることです。

人の思考は言語でなされていることがわかっています。

人は「母語」で思考しているときが一番思考活動が活発化していることがわかっています。


人の知的活動のための基本機能は5歳までに作られていることがわかってきました。

しかし、そのメカニズムについては不明のことだらけです。

かつては、幼児期英才教育がもてはやされました。

その結果は人としての一般的な生活を送る能力に対しての欠落という結果を導いてしまいました。


いま、また幼児期英語教育が浸透しています。

幼児期に言語の区別はつきません。

無理に英語を教え込めば、母親の母語としての日本語と混ざり合った、世の中にない言語を「母語」として持ってしまうことになります。

その「母語」は日本語でも英語でもありません。

どちらの言語感覚とも違う言語となってしまうのです。


日本語を母語とする者はいつからでも英語は使えるようになります。

少なくとも「国語」の基本が習得される小学校5年生以降でないと、母語や学習言語に影響が出ると思われます。

海外で幼児を育てる時の「母語」についての注意を喚起している組織があります。

海外子女教育振興財団といいます。

ここが「母語の大切さをご存知ですか?」というパンフレットを発行しています。

内容は海外生活者向けになっていますが、環境は国内であっても変わらないものがあると思います。

是非とも、読んでおいてほしいと思います。
(参照:母語の大切さをご存知ですか?







2013年12月30日月曜日

2013年に思う(5)・・・幼児期健忘

「母語」、「言語教育」に触れてきたときに、幼児期の言語習得がいかに大切かに気付かされました。

幼児期は言語習得というよりも「母語」を通じての言語感覚の習得になっているんですね。
脳が一番発達する時期が2歳~4歳ですが、この時期に何をしたらいいのかが、とても大切であることがわかってきました。

この時期に身に付けた感覚が、その後の人生の基本になることがわかってきました。

ところがこの時期に記憶したことのほとんどは、物心つくころにはすべて消えてリセットされてしまいます。
幼児期の記憶はほとんど残りません。
このことを幼児期健忘と言います。



幼児期の記憶が残っていないことは、かなり昔からわかっていました。
そのメカニズムが少しずつ明らかになってきていますが、いまだにわからないことがたくさんあります。

幼児期健忘という現象があることを前提に幼児期に何を身につけることが一番いのかを考えなければいけないと思います。

ほとんどの幼児期英才教育は、この幼児期健忘のおかげで、ほとんど意味のないものとなります。

幼児期にどんなことを覚えこませて記憶させても、ほとんど残りません。

それでも、幼児期に身につけた感覚はその後の基礎になっていることは間違いないようです。
小学校以降の全国的に統一された国語教育の中でも、幼児期に身に付けた言語感覚が個性として残っていくからです。



「母語」として身につけた幼児期専用の言語は、言語として記憶したものについては小学校に入って使わなくなると消えていきます。

しかし、
「母語」を通して身につけた母親から伝えられた日本語としての言語感覚は、脳の発達と共に感覚として身に付いていくものだと思われます。

言葉としては残りませんので、つい気にしなくなってしまいますが、人として生きて生きた目の一番基本的なものかもしれませんね。


幼児期健忘については、脳科学の面からも、また言語学的な面からもいろいろなアプローチがなされていますが、解明されるまでは遠い道のりですね。

私たちに必要なのは、現象として幼児期健忘があることであって、そのメカニズムについてはあまりわからなくともいいと思います。
もちろん、メカニズムがわかればそれに基づいた対応も可能でしょうが、分からなければどうにもならないと言うでものではありません。

皆が自分の経験でわかっていることですので、少し振り返ってみれば誰でもわかることです。

特に幼児期に子供に必要なことは、特に手を掛けなくとも生まれたときから自然と身に付くようにできているようです。

そんな時期に、無理に何かを教え込もうとすると、本来の身につける活動を妨げることにつながる可能性があります。

子供が自然に身につけやすい環境を整えてあげることが一番になりますね。
教え込んでも全然記憶に残らないどころか、持って生まれた習得能力を邪魔することになるのです。

どうやら、幼児期は「母語」の習得を通して、これから生きていくための基礎的な機能を育てている時期と言えるようです。

幼児期健忘を見ていきながら「母語」の大切さを改めて確認することになりました。




2013年12月23日月曜日

幼児期健忘について

このブログでも何度か触れ来たことに幼児期健忘というものがあります。
幼児期の記憶がなくなるというものです。

幼児期の一番の目的の一つが、幼児期専用言語(母語)による脳の基本機能の開発と言語感覚の習得にあることは間違いないところだと思われます。

そのために、促進する要因と阻害する要因を確認しておくことは決して無駄にはならないと思います。

もともと幼児自身が持っている自然な機能として、幼児期専用言語の習得による脳機能の開発と言語感覚の習得があります。
どんな環境においても自力で身につけていくようにできています。


幼児期の言語習得が重要な理由を挙げてみましょう。
  • 日本語は世界でも類を見ない習得の難しい言語です。基本的な取得でも10歳ころまでを必要とします。そのために幼児期は基本的な言語感覚を身につける重要な時期となります。
  • 幼児期専用の言語(母語)があります。これによって脳の機能が決まってきます。この言語を日本語で習得することによって大きなメリットが生まれます。
  • 幼児期健忘によって幼児期に習得した言語は、ほとんどが記憶に残りませんが、脳の発育とともに言語感覚として身についていると考えられています。
幼児期健忘については、ほとんど全ての記憶が幼児期(3歳から5歳ころ)に数週間程度の間で急速に失われるという現象です。
このような現象は幼児期以降では認知症にならない限り起こりません。

起こる時期は個人差もあるようですが、より明確な差としては民族(もしかすると言語かもしれません)差によるものが観察データとしてあります。

それによれば平均でマオリ族で2歳9ヶ月、ヨーロッパ族で3歳7ヶ月、アジア族で4歳10ヶ月で幼児期健忘が発現するとされています。



いづれにしろ人の成長において必要な現象だと思われますが、その現象の理由については研究途上です。

なぜ、幼児期の記憶がいったんリセットされてしまうのかとても不思議なことと言えます。


幼児期の英才教育がほとんど役に立たないことがこれでよくわかるのではないでしょうか。

ところが幼児期の記憶でもその後まで残るものもあります。
その典型が、幼児虐待に代表される継続的な身体苦痛を伴う経験だと言われています。
その後の人生における影響はよく知られているところですね。

過度の英才教育はこれと同じ効果を生んでしまうことにつながります。
注意したいですね。

 

幼児期の機能がだんだんわかってきました。

幼児期専用の言語の習得を通じて、脳の機能開発を行っていることがわかってきました。
学者によっては、幼児期はこのためだけにあると言い切ることもあるようです。

いくら言語を覚えても、幼児期健忘によってほとんど記憶には残りません。
しかし、脳の機能開発が進むと同時に、幼児期専用言語の言語感覚が蓄積されると思われています。

言語としての記憶は亡くなっても、その言語(日本語)としての言語に対する感覚は残るということですね。

この幼児期専用言語は基本的には母親からしか伝承されません。
母親以外との会話がある程度できるようになっても、必ず母親との確認行為があります。
幼児期の専用言語は母親を介してしか習得できないようになっているようです。

母親以外の者が話しかけても会話はできますし、反応はあります。
しかし、幼児が自分の言葉として習得するのは、必ず母親との確認行為が行われた言葉だけのようです。

しかも、その言葉は言葉として習得するのではなく、五感のすべてで母親から感じた言語感覚として習得すると思われます。



幼児期の保育におけるスタンスは、絶対に教育をしないということだと思います。
教育とは教え込むことになります。
教え込まれる方は、必ず何らかのストレスを伴って受けます。

これが継続されるとトラウマにつながります。

幼児期に大切なことは保育です。
保育は環境を整えることです。
その上で自らが必要なことを習得してくることを待つことです。

幼児は必要なことを自ら身につけるようにできています。

それをよく分かったうえで、そのために有効な環境を整えてあげることが一番大切なことです。


肉体的な成長でも同じことのようですね。

転んだ時に、手で体を守れないために顔面をけがする子どもが多いそうです。
幼児期のハイハイの経験が少ないために、体を支える腕力がない子がとても多いそうです。

ハイハイができる空間が少ないことと、親が一日も早く歩くことを教え込んでしまうことが原因だと言われています。


子供の存在は一家族の域を越えて、今や社会の宝物と言えるでしょう。
子育て母さんのサポートはどんなところでもできると思います。

幼児期の子供の面倒を見るのはお母さんにしかできませんが、家事や周りのサポートはほかの人でもできます。

少しでも助けになるような情報発信と行動をしていきたいですね。







2013年12月4日水曜日

母語と幼児期健忘

タイトルには固い言葉が二つ並んでしまいました。
今までも母語については何回か触れていますので、たぶんお馴染だと思いますが、幼児期健忘については言葉としては初めてかもしれません。

実は、何回か触れているのですが幼児期健忘という言葉を使っていなかっただけの事なんです。

母語と幼児期健忘は一緒に扱う必要があると思いましたので、今回は二つ並べてみました。

幼児期健忘とは幼児期の記憶が消えている(学者によっては思い出せないだけとする説もあります)ことです。

特に3歳以前の記憶は全くと言っていいくらいありませんし、それ以降の記憶も一般的には5歳前後まではかすかにある程度です。



自分の体験で見てみますと、幼稚園の時は土曜日の退園後に幼稚園の教室で行われたオルガン教室に参加していたそうです。(親から聞いた話で、本人に記憶はありません。)
たぶん、そうなんだろうなと感じるのは、物心ついてからそのころの写真を見せてもらったからだと思います。

小学校に行っても3年生くらいまでは、ピアノの先生のところに通っていたそうです。
何となく通っていた記憶は残っていますし、場所もぼんやりと覚えている気がします。

ところがオルガンやピアノで学んだりできたりしていたことが、全く記憶されていません。

小学校3年生ですから8歳から9歳ですね。

親の話によると、譜面を覚えるのが早かったので、止めるときは先生が残念がっていたとのことですが、今では全く譜面が読めません。

それどころか小学校の5年生の時に、なぜか鼓笛隊の小太鼓で卒業式の音楽を担当していたのですが、その時点ですでにメロディ譜面さえ読めなかった記憶があります。

自分の感覚では、それなりに記憶があるのは小学校の高学年以降についてのことのようです。
そのころのことですと、うろ覚えながら「いつ、どこで、だれと」が何となく掴めている気がします。

それ以前のことは、なんとなく覚えていることもありますが「いつ、どこで、だれと」がほとんど分かりません。


実はこの幼児期健忘が、幼児期の英才教育を無力化しているのです。
何を教えても、覚えさせてもほとんど記憶に残らないのです。

個人差もありますし五感の発達の差もありますので、一概には言えませんが、5歳までの幼児英才教育はほとんど無為意味だと言っていいと思います。

実験や観察によれば、5歳以降で記憶に残っているものは、五感のいくつかが同時に刺激されたきわめてネガティブな恐ろしい経験と一体になっているものがあるそうです。
幼児虐待や直接自分は受けなくても家庭内暴力は、記憶に留まっていることが多いようです。



では、母語も記憶としては消えてしまうのでしょうか。
言語としての母語は、小学校以降に習得していく学習言語に置き換わっていきます。

言語はほぼ毎日繰り返し同じ言葉を使っていますので、記憶が消える前にさらに上書きがなされていると考えられています。

それでも、しばらく使わなくなった言葉は次から次へと消えて行っていると言われています。

学習言語を習得するのであれば、母語の習得は必要ないのではとする意見があります。

母語は、言語だけ成り立っているものではありません。
言語に伴った感覚とともにあるものと考えられています。

また、母語の習得とその使用によって、基本的な脳の機能が形つくられていっていることがほぼ判明しています。
母語として身につけた言語が異なると、脳の基本機能に違いが出てくることがわかっています。



以上のことから、母語は言語として母親を中心に伝承されながら、その言葉の持つ感性や感覚をも伝えられていることになります。
母親がどのような感覚をもってその言葉を使っているのか、また言葉そのものに固定的な感覚が含まれているものもあるでしょう。

目に見えてるもの、聞こえるものとしては言葉になりますが、その言葉が持つ感覚は脳の基本機能を決めながら、保持されていくものと思われます。


幼児期健忘のことも視野に入れると、幼児期に必要なことはしっかりを母語を身につけることのみになりそうですね。
あとは、健全なる体の発育ですね。

幼児期の英才教育で無駄に子供の機能を使ってしまうと、肝心の母語の習得に弊害があるりそうですね。
この辺もこころに留めておきたいことですね。








2013年11月27日水曜日

幼児英才教育が無駄なわけ

幼児期の記憶がほとんどの残らないわけが少しずつ分かってきました。
むかしから幼児期の記憶が残らないことは知れ渡っていたようで、物心がつくころなどという表現もありますね。

少し前までは、記憶するための言葉を持っていないために記憶として残らないと言われていました。
これはでは使える言葉がだんだん増えてきている5歳以降の記憶までがほとんどないことへの説明がつきませんでした。

言語がないと記憶できないどころか、認識すらできないことは分かってきています。
思考そのものが言語によってなされていることもわかってきています。
その言語がなければ記憶がないし、仮にあったとしても表現するための言語もないので、記憶がないのと同じことになります。


しかし、幼児であっても4歳頃になればかなりの数の言葉を持っていますし、意志の疎通もできるようになっています。
言語だけの問題であるならば、断片的であってもこの頃の記憶はあってもいいはずです。


私は、幼稚園から9歳頃までオルガン・ピアノを習っていたそうです。
先生の所へ通ったことはうっすらと覚えています。
バイエルンンも何冊かやって、楽譜を見ただけでピアノが弾けたそうです。

残念ながら習ったということ自体はうっすらと記憶にありますが、今では楽譜は全く読めませんしピアノも全く弾くことができません。
音楽についての知識や経験で記憶に残っているものは、小学校の高学年以降に学校で習ったことの一部です。

なぜか、小学校の5年生の時に、6年生の卒業式のために鼓笛隊で小太鼓を叩いています。
この時も譜面が全く読めなかったことを記憶しています。



自分に置き換えてみても10歳以下の記憶はほとんどありません。
断片的に残っているものは、それこそ物心ついてから写真などで確認したことによって残った記憶ではないかと思います。

小学校2年の通信簿では、授業中のおしゃべりが多く落ち着きがないと書かれていますので、言葉はそれなりに持っていたと思われます。
それでも、小学校2年生の時の記憶はほとんどありません。

どうやら言語の習得からだけでは幼児期の記憶がないことの説明は難しいようです。


調べてみると2つの説があるようです。
簡単に言ってしまうと、1つは幼児期は脳の発達段階で記憶するという機能がまだ出来上がっていないとするものです。
もう一つはそれに加えて幼児期は急速な脳の発達段階で、激しい細胞の新陳代謝によってどんどん新しい細胞に置き換えられていくために、記憶されたものでも次々と新しいものに変わってしまって消えていっているということです。

音に対する反応で記憶の保持期間を調べた結果があります。
3歳で約1週間、6歳で2週間を少し切る程度の最長保持期間の結果があるようです。
これも不快な音についての実験ですので、言語についてのことが同様かどうかは分かりません。



嫌な音として体に染み込んだ音に対しての記憶残存が上記の期間とすれば、他に何の刺激もなく流れていくことの記憶の保持はほとんどないと言っていいのでしょうね。
大きくなってからでも、自分で覚えようとして取り組んだことでなければ、その場で消えていきますものね。

さらに、自分自身の記憶(エピソード記憶というそうです)としての発達はさらに遅くて、4歳くらいから機能すると言われています。
ほとんどの記憶は自己の体験と結びついていますので、幼児期の記憶がないのは当然ですね。


幼児期の英才教育はほとんど記憶に残らないのですね。
ましてや、言語が不十分ですので、思考することはほとんどできません。
そのままを記憶したところで、思考の役には立たないわけですね。

ましてや、自分で覚えようとする意志はありませんので、まず記憶に残ることはありません。

幼児の感覚は五感の中で聴覚が一番先に発達するようです。
次が触覚、いわゆる肌感覚ですね。

言葉としての理解はできなくとも、その音を聞いたときの感覚が気持ちいいかどうかはかなり早い段階から感じているようです。

母親の子守唄を聞きながら安心して寝ていくのは、子守唄と触れている母親の安心感が結びついているもののようです。

表現は悪いかもしれませんが、パブロフのイヌ状態ですね。
常に母親の安定した振動を感じられる子守唄を聞かされていれば、そのうち子守唄だけで安心して寝てしまうようになりますね。

幼児期の英才教育は耳から入れるものがほとんどです。
同じことを、前の記憶が残っているうちに何度でも繰り返すわけですね。
そのこと自体は残っていくかもしれませんが、どこかで1週間も止めてしまえばすべて消えてしまうわけです。

普段の生活で毎日行うことでないと、身につかないということですね。



言葉が増えていく過程は、脳の発達とリンクしています。
いったん言葉を発し始めると、その記憶が消えないうちにどんどん使うようになります。
使っている言葉を含めて新しい言葉がどんどん上書きされていきます。

そして、その言葉と結びついた感覚が一緒に記憶されていくのですね。
その感覚は母親の感覚そのものです。
母親がそれまでの人生で培ってきた言葉がその言葉を使う感覚とともに伝承されていくのですね。

幼児期にどんな教育をしても、どんな躾けをしても毎日同じように繰り返すことは不可能ですね。
しかも、本人は記憶する意志などありませんから、よほど心地よいことと一緒にやらないと記憶に残りません。
そんなことが毎日できるわけもありません。

かつては、この心地よい環境を人工的に作って英才教育がなされたことがありました。
10歳を過ぎたころに1か月もそのことを意識的に遠ざけたら、きれいに忘れてしまったようです。
何かをやった、やらされたことだけは覚えていたようです。


自分でしっかりした思考ができるように、毎日使う言葉を楽しみながら一緒に増やしていけたらいいですね。