2013年11月12日火曜日

ひらがなのマジック

前に書いたことがありますが、ひらがなのマジックがありました。
今回も説明する前に、まずは以下のひらがなだけで書かれた文章を読んでみてください。
先入観抜きで、できれば声に出して読んでみてください

 

多少「?」とする箇所はありますが、まずはすっと読めてしまうのではないでしょうか。
 まともな言葉になっているところは以下の赤字のところだけです。
あとはすべて文字が入れ替わったものになっています。


ほとんど読めてしまったのではないでしょうか。
実は、これが読めてしまうことの理由がよくわかっていないのです。

得意の勝手な想像を交えて考えてみたいと思います。


書かれた文字を声に出して読む行為そのものは、以下の行為を連続して行っているものと思われます。
文字を見てそれがなんという文字であるかを認識します。
これが連続した文字である場合は、連続した文字を意味のある言葉であるとして認識するようです。
そして認識した文字なり言葉を声として発することになります。

語彙のストックができてくると、書かれているものをすべて正確に認識しなくとも、部分的な認識だけでも、既に持っている言葉に結びつけることが起こります。
見慣れた言葉や、よく使っている言葉は、見える部分が少なくても(認識できる部分が少なくても)結びつけることができるようになってしまいます。

文字を習いたてで、ことばを(語彙)をそれほど持っていない子供の場合は、意味の分からない文字列がたくさんあります。
その場合は文字の連続を単なる文字の連続として、一文字ずつ認識してから声に出して読むことになりますので、書かれた通りの読みが多くなります。

 

大人がやる場合には「ひらがな」が不思議な効果を発揮します。
たとえば「こんちには」を見てみましょう。

これを「こんにちは」と認識した場合は上記のようなことが起こって、声に出されるときも「こんにちは」となります。
ところがこれだけたくさんの言葉をすべて既存の言葉として認識してしまうことがあるでしょうか。
多少は「?」となるところがあったはずです。

にもかかわらず、声に出した時は既存の知っている言葉に置き換えてしまっています。
ここに「ひらがな」の位置づけがあります。

私たちの中では、日本語として使っている文字の中で、アルファベット、漢字、カタカナ、ひらがなの順でランクができているようです。
ひらがなが最下位にランクしており、大人になってひらがなが読めないことはとても恥ずかしいことという感覚があります。

そのために、ひらがなが並んでいる文字列は必ず意味のある言葉であるはずだと思い込みます。
このことが少ない認知情報から、既知の言葉に結び付けてしまう活動をさらに後押しすることになります。

また、多少違っていたとしても、書かれた言葉(きちんと書かれていればいるほど)でひらがなを間違えるわけがないという勝手な推測が働くこともあります。

そうなると、自分が認識したのが間違えであって、既知の言葉が書かれていたと判断してしまいます。
ほんの一部が違っている場合には、その判断が後押しされることになります。

ましてや、ことばとして発するときにひらがなを読み違えすることは絶対にしたくないという意識が働きますので、なおさら拍車をかけることになります。


この実験は、きちんと書かれた文字(ワープロ打ちなど)を大人がやる場合は、ほとんどの言葉をすらすらと読んでしまうことが起こります。

子供にやってもらうと、一文字ずつをきちんと読みますので「めくちちゃゃでも」のような読めないところではほとんど止まってしまいます。

ものごとを認識するときには、意外と既知の知識が邪魔になることがあります。
いわゆる先入観に通じることになると思います。
特に、未知のものに出会うと人は、どうしても既知のものに結び付けようとする活動が起こります。
結果として、理解できない部分を切り捨ててしまうことが起こります。

人によって既知の範囲が異なりますので、切り捨てる部分も異なります。
見方によって認識する内容も異なりますので、同じモノを見ても人によって認識している内容はかなり異なるとなることになります。
更に頭で理解している内容になると、ギャップが大きくなると思われます。

子供の目でものを見る、いつまでたっても失ってはいけないですね。



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