2013年11月13日水曜日

「ヤバイ」がやばい

昨日のニュースに元首相の小泉純一郎が出ていました。
原発ゼロを訴えて注目を浴びていますね。
彼は言いたいことを分り易くして、政治家独特の言葉を避けることがとても上手ですね。


彼の論点はきわめてわかりやすいです。
原発の一番怖いのは、高濃度放射性物質である廃棄物です。
これの処理方法も決まっていないし、今の技術ではどこかに隔離保管するしかないからです。
原発が稼働する限り廃棄物を出し続けますから、原発をゼロにしようということです。
 

自民党も考えていることは一緒ですが、原発ゼロを言うわけにいかないのは、それよる経済的影響がどこまで及ぶのかわからないからです。
更には、党の支持がどこまで落ちるかわからないからです。
自分たちの地位がどこまで維持できるかわからないからです。

守るべき地位がなくなった市井の元首相とは違うわけですね。

小泉氏は政界引退後は、報道への登場を控えてきました。
原発ゼロについての話しから再び登場し始めました。
その立場は、一般の市民立場に近いところからの意見ですので、世論の賛同は受けやすくなります。

その中でこんなことを言っていました。

フランスが作っている各廃物の最終保管所のことです。
10万年保管を予定しているところです。
日本では、最終処理場と言って、いかにも害のないものに処分するイメージを植え付けていますが、実際には保管するだけです。

10万年後に伝える言葉について、述べていました。
言葉はどんどん変わっていくのに、今のことばで書いて10万年後に分かるのかと言っています。
自分でも400年前の日本語は読めないと言っています。


ことばの変化の例として「やばい」という言葉を使っていました。
若い人たちと食事に行ったときに「ヤバイよ」というものだから、何か危ないものでもあるのかと思ったら、美味しいという意味で「ヤバイ」を使っていることが分かったそうです。

話しの落ちとして、10万年後のことを考えたらそれこそ「ヤバイ」と結んでいました。

言葉は突然変わるものではありません。
突然変わるときは、他の言語に征服されたときか、天災等によって一気に滅亡するときくらいです。
ましてや日本は、かつての文化の導入や、敗戦の時でも独自の言語を守りながら新しい言語を日本語として取り込むことを成し遂げた国です。

今の言葉が突然10万年後に現れるわけではありません。
日々の変化の積み重ねの上に10万年後があるわけですから、10万年後の言葉が今の言葉と全く違っていても何も問題ないのです。
日々の変化の延長としての10万年後ですので、必要なタイミングで必要な言葉は自然と置き換えられていきます。

ましてや、現時点で保管庫のプレートに「高濃度核廃棄物。今から10万年後まで開けるべからず。2013年11月13日」と書いたものが、10万年後まで残ると考えるほうが不自然です。


突然10万年前の遺跡が出てくるわけではないのです。
これだけの人類に影響する重要危険物であれば、常に厳重監視下に置かれることになります。
言葉が変われば常に置き換えられていくことになるでしょう。
情報そのものの扱いも変わっていくでしょう。

これを、国民に知らせずに国家機密として実施することはもはや不可能です。
情報ではではなく、現実的な保管施設の設置という問題がついて回るからです。
再処理施設、最終処理場という日本語独特のごまかし言葉にも騙されないようにしなければいけません。


もっと怖い「ヤバイ」法律が国会で検討されています。
国家機密に関する法律ですね。
こんなことを法制化して罰則を設けたところで何の効果もないことは、歴史が物語っています。
どんな民主国家であっても公開しない機密情報は存在するのです。

国として公開する基準を持っていることの方がよほど健全です。
国として公開する情報の価値を高めることが、個人が漏らす情報を価値のないものにする最良の方法です。

国家の機密情報とは一つの情報ではありません。
いくつかの情報の組み合わせによって、国の行動として実施されるものです。
いくつかの情報を集めて、判断する頭が必要です。
この頭は少ない方がいいわけです。
 

大概の情報の漏れは、情報を収集している機関で起こります。
その情報だけでは価値のないものにしていまえばいいのです。

その情報だけでどんなに一般社会で分析して騒がれたところで、国としての行動に影響があるわけではありません。
様々な情報に基づいて判断された結果が、国としての行動になるわけですから、機密とすべきは一つずつの情報ではありません。
判断材料となったすべての情報と導き出された結果こそが機密であり、一つずつの情報は機密には値しません。

様々な機関やメディアから集められた情報を総合的に判断するのが頭の役割です。
一つ一つの情報はそこら中にあふれているものから、国家間の機密情報まであるでしょう。
一つ一つの情報は流れ出るものと考えるべきです。
流れ出た一つの情報だけでは価値がないものです。


国として公開するための期間の設定は必要でしょう。
これによって判断をした頭の人を守ることにもなるからです。
公開されるのは判断のもとになった情報です。
判断そのものは公開されることはありません。
結果としての行動がわかっているからです。

「やばい」から国家機密にまで触れてしまいましたが、このことについては様々な意見があると思います。
一人ひとりの考え方もかなり違ってくるのではないでしょうか。
アウトプットのためのお題としては意外と面白いのではないかと思います。
たまには、こんなことを話し合ってみるのもいいのではないでしょうか。