2015年4月8日水曜日

接続詞はむずかしい

日本語を使っているときに、便利でありながらもなかなか厄介な存在に接続詞があります。

母語として日本語を持っている人にとっても、難しいものとなっているのではないでしょうか。

恐らくは、幼児期の母語習得時においても一番最後に習得される品詞の一つであろうと思われます。

小学生の作文においても、限られた接続詞しか使用されてないために、単調で読みにくくなっている文章となっているものが多くあります。

また、少し接続詞が使えるようになると間違えた使い方が目立つのも特徴ではないでしょうか。


接続詞は、上手に使用できれば論理の流れが事前に把握できるものとなり、とても便利であるとともに聞き手や読み手の理解を大いに助けるものとなります。

ところが、調和の取れない接続詞が使用されてしまうと、その違和感が残ってしまい、かえって理解を妨げることとなってしまいます。

一橋大学留学生センターの石黒先生が、接続詞についての調査をしたものがあります。

接続詞の出現頻度がどのくらいあるかというものです。

実際に文章において使われている接続詞の割合は、全体の1~3割程度となっているようですが、文章の性質によってかなり開きがあるようです。

そこで使用される接続詞の種類も、ある種の傾向がみられるようになっているようです。


上記の分類のなかで、講義は話し言葉になりますので他の文章に比べるとその特徴がよく現れているのではないでしょうか。

講義以外の文章では、すべて逆接の接続詞が最頻出となっています。

話し言葉としての講義では、逆接の接続詞は頻出10個のうち、「でも」「ところが」の2個しか見当たりません。

文章における接続詞においては、逆接の接続詞の方が多く見受けられます。


話し言葉においては、話を順番に積み重ねていく方が理解がされやすいようですし、話す方も話しながらさらに広げていくことで理解を深めてもらうことができるようです。

また、しっかりとした下書きや原稿などの論理のしっかりしたものがある場合には、逆接の接続詞によって論を展開することが可能になりますが、その場で考えながら話をしているような場合は、否定することを前提で話すことはなかなか難しいこととなっています。

話す場合には、どうしても接続詞としては順接のものが多くなってしまうのではないでしょうか。


文章としては、書きなおすことが可能であり論理の構成も手直しをすることが可能となっています。

そのために、しっかりとした論理を組み立てることが可能となっているために、強調したい場合や反論の対象とするものを適切に配置することができます。

更に、適度に配置された逆接の接続詞による論理の展開は、強弱や比較の対象が明確となり理解しやすいものとなります。

逆接の接続詞は、しっかりとした論理の構成ができていないと、使いこなすことが難しいようです。


話し言葉としての逆接の接続詞は、その前まで語ってきたことを否定することになります。

言いたいことを口にしてしまうのが話し言葉ですので、言いたいことを強調するためにその否定の対象とすることを事前に伝えて自ら否定していくことは、話す技術としてはかなりの熟練度を必要とします。

考えながら話している場合には、なかなか難しい技術となってしまいます。


日本語学校においても、接続詞を多く使えるようになるのは上級や超上級になってからのようです。

違和感のある接続詞は、文章そのものの理解を阻害する要因の一つとなってしまいますし、ネイティブにとってはとても気になる使い方として気になってしまうものです。

ところが、ネイティブが使っているような接続詞に添削した場合に、その理由を聞かれても明確に答えられないことがしばしばあるそうです。


また、なぜこっちではいけないのかと言われたときにも、意味としては問題ないがその接続詞を選択する理由がきちんと説明できないことがあるようです。

先出の小学生の作文と同じように、初級者や中級者では接続詞そのものの使い方の理解や使える接続詞が少ないために、使う機会が少なくなっていることもあるのだと思われます。

上手に接続詞が使えることが、日本語上級者へのひとつの関門と言えるかもしれませんね。