2016年3月16日水曜日

読書感想文は大嫌い

小学校や中学校ではよく読書感想文を書かされました。

課題図書によるコンクールもありましたし夏休みの宿題にも必ず含まれていたと思います。

本を読むこと自体は決して嫌いではありませんでしたが、感想文を書くための義務感で読んだ本が面白かった経験はありません。


本を最後まで読みきってしまうことがほとんどなかったと思います。

自分でもこれではいけないと思い、最後まで読まないと結末がわからない推理物をたくさん読んだ気がします。

推理小説に出会ってから自分の意思で読む本を選ぶようになったのだと思います。


それでも読書感想文の題材として推理小説が許されることはなかったので、感想文を書くための義務として読まなければならない本は苦痛だったと思います。

時には最後まで読みきらずに途中でやめてしまい感想文を書いて提出こともあったと記憶しています。


そもそも定型化して押し付けられた感想文という形態が嫌いでした。

気になった部分の要約をしながら、その場面でどんな感想を持ったかを書き連ねていくことが嫌でした。

また、最後に何がしかの教訓めいたことを加えておくことも面倒だったことを覚えています。


どう感じたかなどという個人的な感想をなぜ人に知らしめなければならないのか。

さらに、なんでそんなことを文章にして提出しなければならないのかがよくわかりませんでした。

面と向かって先生に反論はできませんでしたが、逃げるわけにもいかずとにかく格好だけ終わらせることしか考えていなかったと思います。

「課題図書」の画像検索結果

読書感想文という課題があったおかげでその対象となるような本に対しては自分で読むときの選択肢には入らなくなりました。

かなり偏った読書分野ではなかったかと思います。


今でも、読書感想について人に知らせることは好きではありません。

気の合った仲間とどのように読み解いて理解したのかを語り合うことは嫌いではありませんが、読んだ本に対しての感想を他者に対して表明する事には今でも抵抗感があります。

そもそも読後の感想はその瞬間の自分の感想であり次の瞬間には変わっていることが多いことでもあると思っています。

同じ本を読み返してみても全く同じ感想にはならないことがほとんどだからです。


それ以上に同じ本であっても手にとって読んだ時の自分の環境や考え方によって気になる部分や捉え方が違ってくることが分かっているからではないかと思います。

ノウハウものやハウツウものの本であったとしても著者としてはメインの意図があります。

その意図は必ずしも読んで伝わってくることとはなっていないことも多くあります。


読書はあくまでも個人の活動でありその中で何に焦点を置きどんな感想を持ったのかは極めて個人的なものではないでしょうか。

一人ひとりが全く違ったものであって当たり前のことだと思います。

そんなことに対して評価したり順位を付けたりすることが相応しいのでしょうか。


誰かが勝手に表現した書評に対して個人的に対象とすることはまったく問題ないと思っているのですが、どのようにとっても構わないことに対して明確にもなっていない基準を勝手に設定して評価している行為については腹立たしくも思っています。

読書感想は個人としての楽しみでもありどのような感想を持つのかという自分を見ることができる機会でもあります。

決して本を読むことを否定しているわけではありません。

個人的な知的活動に対して枠を設けてしまいその中での目に見えない優劣を評価するような活動に対して疑問を感じているだけのことです。


読書感想文コンクールで入賞したり表彰を受けていたりしたらこんな考えにはなっていなかったのかもしれませんね。

そもそも読書感想文こそいったい誰に対して書いているものなのかがよく分からないものではないでしょうか。


書いている内容は極めて個人的な感想であり、批評や評価の対象とはならないものです。

あえて表現するとしたら「ひとり言」という、伝えるべき対象者のいない行為と言った方がいいのではないでしょうか。

読む人を想定していない日記のようなものだと思います。


読む人を想定してしまうとどうしてもその人に受け入れやすいように手を加えることが起こります。

書くことを商売にしており自分独自の世界を築き上げて評価を得ている人でない限りは、読み手を想定して意識して書くことは当たり前の行為になります。

むしろ書くことを商売にしている人はこのことが得意なのかもしれません。


何かを表現するときにはその表現によって訴えたいものがあるのが一般的です。

そのために誰に対して訴えるのかをしっかりと確認することが大切になります。

それによっては具体的な表現の仕方も変えていく必要があるからです。


読書感想はもっとももこれらと反対にあるものではないでしょうか。

ある意味では、変化していく可能性のある読後の感想について自分自身のメモや記憶として書き記しておくようなものではないでしょうか。

読んでもらう対象が明確にならないものではないでしょうか。


中には課題図書に対する感想文として初めから一定の基準を持った評価の対象として書くものもあります。

その時には評価者を意識せざるを得ないのではないでしょうか。

そのままの素直な自分自身の感想として書き記すことが可能でしょうか。


周りの影響をあまり考えないで済む小学校の低学年ころに多く行われる理由もその辺にあるのでしょうか。

個人的な活動を公に誰の目にも触れることができるようにすることはその時点で枠をはめる必要が出てきます。

また、その必要がないのであれば公にするには向かないこととなります。


SNSの発展によって個人としても発信することが簡単にできるようになってきました。

このあたりのことがマナーとして求められているのかもしれないですね。




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