寒かった名前ばかりの春も、いよいよ暖かい日が続くようになってきました。
そうはいっても、暦の上では春の最後の節気(穀雨)になっており、ゴールデンウィーク明けには二十四節気では立夏として夏が始まることになります。
立夏から始まり立秋の前までが季節としての夏と言うことになります。
二十四節気は中国で使われていたものをそのまま利用していますので、日本における独自性は見ることができません。
大きな季節の区切りとしては、その時期のズレが許容できる範囲であったのかもしれませんね。
しかし、二十四節気をさらに5日ずつにあたる三つの候(初候、次候、末候)に分けた七十二候にまで細かくなると、元となった中国の七十二候に対して日本流の調整の跡がいくつか見られます。
全部で十八ある夏の候のなかで、中国のものがそのまま使われているのは七つとなっており、日本の季節感に合う内容に変えられてきました。
もともと表現されているものが季節を表す草花や小動物が多いので、中国のと暦とは合わないものが多かったと思われます。
ここでは五月を中心とした初夏を表わす言葉を取り上げてみたいと思います。
八十八夜(はちじゅうはちや)
立春から数えて八十八日目のことです。今年は5月2日になります。
単に八十八日目であるならば、毎日のように何夜という言葉があってもいいはずですが、八十八日目が強調される理由があります。
農作業にとってはとても意味のある日となっているからです。
霜の心配がなくなって種をまくころになったということが大きいようですが、新茶の一番茶を摘む時期とも重なっています。
小学校唱歌「夏も近づく八十八夜・・・」のタイトルは「茶摘み」ですね。
お茶が採れる地域は限られていますので、季節にずれがある地域であっても茶摘みと言えばほとんど同じ時期を想像することができたのではないでしょうか。
台風の季節としてしての二百十日と同じような使われ方ですね。
端午の節句(たんごのせっく)
子どもの日と言った方が親近感がありますが、中国の故事にならって男子の気概を養う日として平安時代より宮廷で行われたいたものです。
五月の端(はじめ)の午(うま)の日に行われていたので、端午の節句と呼ばれていたそうです。
鯉のぼりを掲げて祝ったりしますが、鯉のぼりは日本だけの風習です。
江戸時代に武士の間で、家を継ぐ男の子の健やかな成長を祝うことから始まったとされています。
大切に残したい風習ですね。
風薫る
季節のあいさつなどにもよく使われますね。
風薫るとくれば自然と五月と続いて出てきますよね。
薫風の候、などとした手紙の書き出しもすぐに頭に浮かぶのではないでしょうか。
同じような意味で風の香とも使いますね。
四月の風のことを、風光ると言いますがどちらも美しい表現ですよね。
青嵐(あおあらし)
初夏の色濃くなり始めた青葉を揺らしながら吹く、強い南風のことを言います。
風青しなどとも使います。
春の優しい色から、しっかりとした青が目につくのが五月と言うことなのでしょう。
青葉雨(あおばあめ)
青い葉や若い葉を濡らして、葉についたほこりなどを取り払って美しく光らせる雨のこと。
雨の後に更に香り立つ新緑の爽やかさが浮かぶ表現です。
薄暑(はくしょ)
初夏は、やがて来る梅雨までの穏やかな時期のことになりますが、この時期に少し暑さをおぼえる程度の陽気を薄暑と言います。
熱中症になるような暑さではないのですが、うっすらと汗をかくような暑さのことです。
暑さを表現するのに「薄い」とは、独特の表現ですが、本格的な夏の暑さに比べるとその感覚も分かるのではないでしょうか。
走り梅雨(つゆ)
梅雨入りする前の5月の末に現れる梅雨に似た雨のことで、そのまま梅雨入りしてしまうこともあります。
ちょっと梅雨には早いかなと思われるときの、梅雨と似たような雨の降り方のことになります。
「走り」は魚など食べ物などに用いられるように、初物、はしりものを表す言葉の意味としていろいろなものに使われますね。
最近では「旬」という言葉を「走り」と同じように使うことも増えてきました。
「旬」は、本来は食物に対してもっとも味の良い一番よく採れる時期のことを言いますが、出始めのことに対して使う方が多くなっているのではないでしょうか。
「走り」「旬」「名残り」はセットで使うと一段と感覚が磨かれますね。