講演やセミナーで人の話を聞くときに、スッと共有できる内容と受け入れにくくなる内容があります。
少し表現が間違っているかもしれませんね。
同じ内容であっても、スッと共有共感できる話し方と思わず引いてしまう話し方があると言った方がいいのかもしれません。
これを意図的に使えるとしたら、一番伝えたいことを狙った通りに理解してもらうことができそうです。
大勢の人の前で話しをする場合には、話していることに対しての一人ひとりの反応を確認することが難しくなります。
どうしてもアクションの大きな人や真剣に聞いていると思われる態度の見える人に目がいってしまいます。
また、話している方からすると、聞いている方が思っているよりもずっとその反応はよく見えるものとなっています。
話すことに慣れてくると、聞いている人のいろんな反応が見えるようになってきますので、話に対しての食いつき具合が分かるようになってきます。
聞いている人の反応によって内容や表現を、その場で調整できるようになりますので、ますます聞きやすい話になってくるのです。
特に、話し手自身が分かりにくい内容だと思っていることは、聞いている方では話し手が思っている以上にわかりにくいものとして受け取ることになります。
分かりにくい内容であったとしても、話し手としては自分ではこのように理解しているということを持っていないと、聞いている人たちを惑わすことになってしまいます。
聞き手の側にすると、聞きたい話と聞きたくない話の典型があります。
聞きたい話、聞いていて面白い話の典型は、人の失敗話です。
それも、誰でもが知っているような有名人の失敗話は、ほとんどの人が面白く聞くことができます。
有名人というのは、ある種のことで人より優れた力を発揮したことによってその立場にいますので、成功者という見方がされることになると思います。
一般的な感覚からすると自分よりも力を持っている人ということになります。
自分より力を持っていると思われる人が、自分と同じようなあるいは自分でもしないようなバカな失敗をした話は、面白い話として聞くことができるのです。
これは、日本語の持っている感覚として面白い話として聞くことができることになります。
他の言語の感覚においては評価を下げたり不利な条件を与えたりすることとして、決して面白い話として聞くことができるとは限りませんので注意が必要です。
日本語の感覚における共有共感は、環境条件や体験を共有しているのかどうかが大きな焦点になります。
有名人の育った環境や体験が、自分の環境や体験とかぶることが多いほど共感を持てるようになるのです。
更には、自分の環境や体験よりも劣ったと思える部分が多いほど共感が持てるようになるのです。
自分の環境や体験とかけ離れた条件で成功し有名人になっている者に対しては、憧れや尊敬はあったとしても決して共感が持てることにはならないのです。
有名人がポロッともらした体験が、自分の体験ときわめて近いことであったりすると、一気に共感を持ってしまうことになるのです。
その典型が失敗話になります。
人の失敗話は、聞く人の共感を得やすい内容となります。
有名人のネタが使えないときは、話しの内容として自身のネタを使うことになります。
話し手のネタも、聞く人にとったら他人の失敗話になるから面白いのです。
日本語の持っている感覚からすると、人に話したくないことの典型が自分の失敗話であり、人に話したいことの典型が自分の手柄話(自慢話)になります。
しかし、聞く方からすると、一番聞きたくないのが他人の手柄話(自慢話)であり、一番面白く聞くことができるのが他人の失敗話となるのです。
さらに、欧米型言語と異なり日本語の感覚では理論理屈よりも感情的な話の方が共感できます。
そこで、単なる失敗話として終わらせるのではなく、その失敗話によってどんな気持ちになったかということを加えておくことが大切になります。
自分の失敗話であれば、「本当に辛かったです。」「もう投げ出そうと決めていました。」などとその失敗によって受けた感情を加えることでさらに共感を高めることになります。
講演やセミナーにはテーマがあります。
伝えたい核心があります。
その部分に通じる内容として、自分自身のあるいは有名人の失敗話を持ってくることができると、大きな効果を上げることができます。
大勢を相手に話した後に懇親会が行われることがあります。
そこで、自分の伝えたかった核心と違ったことにみんなの関心が行っていたことが分かることがよくあります。
たとえ話で取り上げた失敗話や脱線した話しの方が面白くて印象に残ってしまったようなことがよくあります。
自分が意図したことを伝えることは本当に難しいことです。
それは、聞いた人にしかわからないことです。
聞いてくれた人に確認することは、とても大切な活動になります。
同じ資料を使って同じ内容を話しても、聞いている人の印象に残っている内容がかなり異なるときがあります。
雰囲気や聞いてる人の反応などから、知らないうちに共感できる部分が変わってしまっていたのではないでしょうか。
話しの流れや論理の構成を考えた時の話は、ほとんど印象に残っていないことが分かりました。
理屈はそれなりに理解してもらえたとしても、印象の薄いものとなっていますので、記憶に残ることが少なくなります。
何かが共感されて印象に残ってもらえれば、そこから記憶をたどることも可能になります。
失敗話をうまく使えることが、共感を得て印象に残る話し方のようです。
難しいのは、作られた失敗話はことごとく失敗することです。
あとで、作り話であることが分かった時のしっぺ返しはとても大きなものとなってしまいます。
多少の誇張は構いませんが、作り話はしない方がいいですね。
どうしても手柄話(自慢話)をしなければならないときがあります。
受賞記念スピーチの様な時ですね。
この時こそ共感を大切しなければいけません。
あまりにへりくだり過ぎるとかえって嫌味になります。
素直な気持ちで「〇〇仲間を代表して、今回はわたしがこのような名誉をいただきました。今度はこれを皆さんにチカラとしてお返していきたいと思っています。」程度で締められるといいですね。
共感と感情の部分は、言語の持っている感覚で大きく異なっている部分です。
日本語の持っている感覚は、欧米型言語の感覚とはかなり異なったものとなっています。
彼らを相手にするときには、彼らの言語の持っている感覚を知っておくことが大切になります。
できれば、彼らの使っている言語で表現する方がいいことになります。
彼らの言語で表現することで、自然と彼らの言語の感覚に近ずくことになるからです。
意識することなく自分の失敗話を感情を伴って話ができる人は、それだけで素敵な人ではないでしょうか。