このブログでも「いろは歌」については何度か取り上げてきました。
現存する一番古い「いろは歌」は金光明最勝王経音義という経典の解説書として書かれた1079年の文献になります。
ここで使われている「いろは」は、解説書として使われている言葉の音訓読みの一覧として掲載されているものです。
いわゆる、音を解説するための借字として使われているものになります。
各音の下の小さな文字は、同音の借字を表しているものとされています。
この「いろは」をわかり易くしているものが「いろは歌」になります。
「いろは」は現代の五十音表と言ったらわかり易いかもしれません。
掛け算の九九と同じように、一つひとつを丁寧に読んでいっても簡単に覚えられるものではありませんが、言葉としての意味を持ったリズムを与えることによってより覚えやすいものとなります。
和歌から継承されている日本語の音の美しさである、七音五音によって見事な四行詩に造りこまれています。
仏教に造詣の深い人が作ったのであろうことは、今の私たちが見てもわかるのではないでしょうか。
一覧表としての「いろは」があって、そのあとに「いろは歌」が出来たとはどうしても考えにくいので、仮名を一つずつ使った歌を作ることによっていろはが定着していったと思われます。
四十七音を重複なしの一つずつ使うことで、その音を表記するだけで仮名一覧表になるように作られたいろは歌は、いろいろな意味で日本語の原点と言えるものではないでしょうか。
作者は不詳となっていますが、「いろは歌」の折句に見る「咎なくて死す」やそこから連想された、浄瑠璃・歌舞伎における仮名手本忠臣蔵・菅原伝授手習鑑などにまで及ぶと、さまざまな推測がなされることになります。
(参照:「いろは」に隠された怨念 など)
さらに深読みをしていくと、旧約聖書やユダヤとの関係にまで及ぶことになります。
(参照:「いろは歌」に隠されたユダヤ など)
そこまでのことまで考えると、この歌自体を作ることが可能だった人物がかなり限定されてくることになります。
弘法大師空海を「いろは歌」の作者とする説が出てくるのは無理のないことだと思われます。
明治後期(明治36年)に仮名の「ん」が当たり前になったころに、万潮報という新聞が「ん」を含んだ四十八文字による新しい「いろは歌」を募集しました。
どれだけの応募があったのはよく分かりませんが、一等には埼玉県の算数の教諭であった坂本百次郎の作った「とりなく歌」が選ばれました。
戦前までは「いろは順」とともに「とりな順」としてさまざまことに利用されたそうです。
そういえば、わたしが子どものころの銭湯の下駄箱は「いろは順」だったことを思い出します。
明治33年には五十音表が一音一字に定められて、複数あった表記の方法(変体かな)が廃止されました。
現行の五十音表の完成の時です。
この時にはや行は「やいゆえよ」、わ行は「わゐうゑを」とされていました。
それ以前にも江戸時代には何種かの五十音表が確認されていますので、五十音表と「いろは」「とりなく歌」が混在している期間がかなりあったと言えそうです。
文字の習得のことを手習(てならい)と言いますが、どうしても「手習=いろは」とつながってしまうのは古い感覚なのでしょうか。
現代ひらがなには、とりなく歌の「ゐ」と「ゑ」がありません。
「ん」を含めての四十六音となっています。
ここは是非とも「いろは歌」「とりなく歌」につづく現代のいろは歌が欲しいところではないでしょうか。
実現の可能性はかなり高いと思われます。
ヒントの一つは、七音五音のリズムだと思います。
「とりなく歌」は見事に、完璧な七音五音による四行詩となっています。
「いろは歌」も、歌としてはこの構成を備えています。
日本語の音はすべてひらがなで表現ができます。
頭の体操にもいいかもしれませんね。
少し考えたみたことがあります。
七音五音に加えて四行詩ですので、四つの要素を重複しない仮名で何か置けないかと考えました。
すごくいいものが見つかりました、春夏秋冬です。
「はる」「なつ」「あき」「ふゆ」ですので、仮名で書いも重複文字が一切ありません。
これは行けるぞ、と思ったのでしたがそのあとが続きませんでした。
どこか温泉にでもこもってやってみたいですね。
現代いろは歌、みなさんも挑戦してみませんか。