同じ文章を横書きで表現た場合と縦書きで表現した場合では、受け取る感覚が異なるようです。
ひらがな遊びでやってみたことでよく分かったことがあります。
(参照:縦書きにしてみる)
ひらがなは縦書きの方が読みやすいのです。
少し考えてみれば当たり前のことですが、もともと日本語には横書きがありませんでしたので、文字のつながりが縦書きで書くために都合のいいようにできています。
句読点すらありませんでしたので、文節的な切れ目についてはひらがなの続き文字を切って区別することで表現していたと思われます。
文字を続いて書くことは、書きやすさよりも文節や意味の切れ目を表していたものではないかと思われます。
漢字を書く場合には一文字ずつに意味がありますので見た目ですぐにわかりますが、ひらがなは一文字ずつ読んでも意味が分かりにくい表音文字となっています。
そのひらがなに意味を持たせるためにも、一つの言葉であることを表すためにも続き文字が大きな役割を持っていたのではないでしょうか。
店の屋号に書かれているような右から左へ読む横書きも、一行一文字の縦書き表記であることが分かってからは、一段とその思いを強くしています。
(参照:蕎麦屋の暖簾)
欧米型言語の特徴である、正確さや論理性を意識して表現したい場合には横書きの方が向いています。
数字や日付、様々な単位なども外来語が多いこともあり横書きの方が読みやすいものとなっています。
もともと横書きという表現方法を持たなかった日本語が、欧米の言語との融合から明治期以降に生まれた表記方法と言ってもいいのではないでしょうか。
日本語がもともと持っている特徴である、感覚に任せて言葉を繋いでいくような表現においては縦書きの方が合っていると思われます。
言葉としての表現技術を意識することよりも、論理の展開や人を説得するための文章などは横書きが向いていることになりますし、文章表現そのものを意識して言葉を楽しむような内容については縦書きの表記が向いていることになりそうです。
正確性や論理性を重視する場合には、必然的に音読み漢字の登場が多くなることになります。
そこに使われるひらがなの表現も、揺れる心情を表すようなどちらとも取れないものよりも、断定表現や言い切る形が多くなってきます。
さらに、内容によっては正確性や論理性を明確にするために、記号やイメージを用いることも多くなりますが、これらのものとの相性がいいのも横書きになります。
では、言語取得のどの段階で正確性や論理性が求められるようになるのでしょうか。
正確性や論理性を理解するのも、日本語で理解していく以上は、まずは日本語の感覚をしっかりと身につけておく必要があると思われます。
日本語の感覚そのものは縦書きの方が、より鮮明に感じ取ることができるものとなっています。
しかも、日本語の感覚のほとんどはひらがなによって作られています。
日本語の表現の豊かさは、語彙の豊富さによるところもありますが、それ以上にひらがなの使いかたによることの方が大きなものとなっています。
子どもに最初に伝える母語として日本語を選択する場合には、伝承する立場にある母親の言語がとても重要なものとなります。
さらに、難しい言葉を伝えることよりも日本語の持っている本来的な感覚を伝えることの方がはるかに大切になります。
この母語を基本にして子どもたちは国語を身につけていくことになりますので、日本語としての基本的な感覚を伝えておくことが大切になります。
そのために一番いい方法は、メモでも日記でも構いませんが縦書きでひらがなを多く使った文章を書くことが最適になります。
難しい感覚や理屈は分からなくとも、日本語の感覚が自然に現れる表記方法だからです。
縦書きにして不自然に思える文章だとすれば、言い換えてみることによってより自然な文章とすることができるはずです。
日本語の感覚を理論や理屈で理解することはとても大変なことです。
私たちは母語としての日本語を持っていますので、一人ひとり微妙に異なったとしても日本語の感覚を持っています。
「なんか変だな」「気持ち悪いな」でいいのです。
「このほうがいいな」でいいのです。
自分の感覚でいいのです。
人の感覚で見てもらっても、身についてしまっている感覚が今更変わるわけがないのです。
日本語が一番日本語らしい感覚で現れているのが、ひらがなをたくさん使った縦書きの表現なのです。
上手な文章である必要はありません。
もともと文法や構文に馴染まないのが日本語ですので、ひらがな言葉の遊びで、即興的な言葉が並んでいていいのです。
(参照:文法に囚われない言語)
論理性を求めなくていいのです。
人に見せるためのものではないので、自分で納得すればいいのです。
このようなメモや日記をしばらくやってみるだけで、もともと持っている日本語の感覚がより鮮明になってくるのです。
音読みの漢字の熟語を使うとどうしても、論理的なことに気が行ってしまいます。
できるだけ、訓読みの漢字とひらがなで表現をしてみることです。
書くことが思い浮かばないときは、目にした漢字の熟語や聞いた言葉を、訓読みとひらがなで自分で置き換えて表現してみることがとても役に立ちます。
これが上手く表現できないときは、その言葉についてきちんと理解できていないことが確認できますので自分の言葉の確認のためにもとても有効な方法です。
この訓読み漢字とひらがなで表現されたものを「現代やまとことば」と呼んでいます。
縦書きで「現代やまとことば」を表現してみることこそ、日本語の感覚を磨くことになると思われます。
わたしは、専門用語や業界用語を使ってしまう時にやってみているのですが、「現代やまとことば」で置き換えができないときは、その言葉についてきちんと理解できていないことが確認できてとても役に立っています。
人に説明するときも難しい言葉や分かりにくい言葉を使ってしまった時には、「現代やまとことば」で置き換えて説明することで理解を助けることができます。
縦書き「現代やまとことば」、かなり役に立ちますよ、ぜひやってみてください。