「きそば」と読まれることが多い以下の暖簾にある文字ですね。
使われている文字は「生」「楚」「者」が崩されたものとなっています。
新しい蕎麦屋などでは、左から右へという一般的な横書きで書かれていることが多いのではないでしょうか。
しかし、昔からの蕎麦屋などでは以下のような右から左への横書きの暖簾が意外と多くあります。
横書きの基本的なスタイルは、左から右に流れていくものです。
これはアルファベット言語においても同様で、文字そのものが左から右に流れていかないと書けないようになっているものです。
英語の筆記体を考えてみれば分かるのではないでしょうか。
左利きの友人が、英語の筆記体を書いていたのを見た時に何と書きにくそうにしているのかと思いましたし、そこで書かれている文字を不思議な思いで見ていたことを思い出しました。
日本語においても横書きと言えば、左から右に流れていくのが標準のスタイルとなっています。
ところが、蕎麦屋の暖簾だけではなく以下のように新聞においても右から左へ読ませる横書きがときどき見受けられます。
右から左へ読ませる横書きはどこから出てきたのでしょうか。
昔の日本語は、右から左へ読ませていたと聞いたことがありました。
古いお札や書物も右から左へ読ませる横書きがあった記憶がありますし、実際に見たこともあります。
しかし、同時に左から右へ読ませる横書きも存在していることも分かりました。
そうしてみていると、左から右へ読ませる横書きは、長い文章の場合に使用されており折り返して何行も書かれていることに気がつきました。
よく見てみると、右から左へ読ませる横書きは一行完結型であり、折り返して複数行にわたって書かれているものがないのです。
複数行にわたっていると思ったものも、一行ずつで内容は完結しており、例えば一行目が本のタイトルであり二行目が著者名であるような場合です。
右から左へ読ませる横書きと同居している長い文章は、縦書きのものとなっています。
縦書きの文章は、一行では上から下へと読みますが、行はどんどん右から左へと読んでいくことになります。
下の新聞のタイトルと記事のようなものです。
基本的な目の動きが右から左へとなりますので、横書きも右から読ませた方が読みやすいと思われます。
ところが、この右から左への横書きは、実は横書きではないことが分かりました。
言っていることがむちゃくちゃかもしれませんが、これは横書きではないのです。
一行一文字の縦書きと理解するのだそうです。
これは新しい発見でした。
一部の人たちにとっては当たり前のことらしいのですが、私にとってはまさしく目からポロッとうろこが落ちた瞬間でした。
一行一文字の縦書きは、見た目は間違いなく横書きに見えます。
横書きの文化が日本に入ってきたのは幕末頃だと言われています。
江戸時代にはオランダからの情報を幕府が一人占めしていたこともあり、ほんの一握りの者だけが横書きの情報に触れることができました。
一般的には明治維新以降の外国文化の導入によって横書きに触れるようになったと思われます。
それ以前にも、縦書き文化のなかで一行一文字で屋号を表記したものが、右から左へ読む横書きとして見えていたということなのだとわかりました。
横書きであることを意識していなかったのではないでしょうか。
これは日本語に限らず、様々な言語のなかで暗号や言葉遊びとして使われてきた折句(おりく)という技術に通じるものとなっています。
伊勢物語の和歌に「かきつばた」が隠されているような例は、たくさん見ることができます。
「いろは歌」の「咎なくて死す」はあまりに有名なものですね。
(参照:「いろは歌」に隠されたユダヤ など)
自分の持っている知識に縛られた固定概念では見つけることができなかったものです。
今の自分を作ってきたものが固定概念ですので、固定概念は決して否定すべきものではありません。
しかし、それに囚われると見えるものが見えなくなることがあるということになります。
知っているものに出会った時ほど、違った見方ができるようにしたいものですね。