(参照:ここにも見える日本語の特徴)
周波数だけで言語を見ることは、ある種の偏った見方となりますが、一つの科学的なアプローチでもあると思われます。
口頭言語は確かに聴覚が頼りであり、数ある音の中から言語として捉えるべき音を聞き分けていることは間違えのないことだと思われます。
今回は、あらためて言語による主な使用周波数帯の違いを見てみるとともに、日本語の特徴の一つである自然界の音をことばとして聞く力を周波数からも見てみたいと思います。
下記の表は、何回か使用してきたのものです。
主な言語において使用されている周波数帯を表したものです。
今回は、これに少し条件を加えてみました。
特に、英語と日本語との違いを明確にしたかったので、日本語と米語、英語の三種類については、使用している周波数帯の中でも音が集中している範囲を絞ってみました。
下記のグラフの赤くなっているところが、音が集中している範囲です。
これで見てみると、先回も見てきたとおりのイギリス英語だけなく、アメリカ英語でも日本語の使用している周波数帯とは、ほとんど重なるところがないことがわかります。
ロシア人は他の言語習得においては天才的だと言われている理由も、このグラフだけからであれば十分に説明可能です。
幼児期に母語として身につけた言語によって、その人の言語が決まります。
そして、幼児期はその言語を最適に使うために、脳を中心にした各器官がその機能を発達させていく時期となります。
(参照:母語が決まる4歳までが勝負!)
生まれたての乳児については、親の国籍や環境に関係なくほとんど同じ機能を持っていることが報告されています。
母語を習得することにつれて、その母語を最適に使いこなせる機能になるために、脳を初めとする各器官が発達していくと言われています。
聴覚についても同様なことが言われています。
第一期の発達期間が四歳くらいまでであり、母語の習得がほぼ完了する時期と重なっています。
母語とする言語を一番聞き取りやすいように、必要な器官が発達していくことになり、それ以外の機能が退化していくことになるようです。
聴覚においては、人間の可聴領域が15Hz~20,000Hzと言われています。
この可聴域のピークを迎えるのが十代の中盤と言われており、その後は少しずつ可聴域が狭くなってくるようです。
特に高音域については、20代になると15,000Hzを音として聞こえる人の割合がぐっと減ってきます。
ニュースで見たことがあるかもしれませんね。
子どもの公園で、帰りを促す夕方のチャイムの音に高周波の音を使った自治体がありました。
子どもたちには、キンキンした嫌な音として聞こえて、大いに効果があったたようですが、20代以降の人には音が聞こえなくて確認すらできなかったこともあったそうです。
日本語を母語として身につけた日本人の場合は、1,500Hzを超える音に対しては言語として捉えるチカラが大幅に落ちるようです。
反対に、英語話者は1,500Hz~5,000Hzの音を言語として捉える力が高いと言えます。
英語話者が聞く日本語は、彼らの日常的な言語として捉える音から低い方にズレていますので、ボソボソとして聞き取り難いだけでなく言語として認識すること自体が難しくなっているのです。
では、日本語の特徴でもある、自然音をことばとして聞く力はどのように解釈したらいいのでしょうか。
日本人がよく言葉で表現する虫の声を例に挙げてみます。
あるデータによれば虫の声は以下のような周波数帯にあるようです。
スズムシの鳴き声:約4,000Hz
コオロギの鳴き声:約5,000Hz
キリギリスの鳴き声:約9,500Hz
セミの鳴き声:ピークは約4,000~5,000Hz
日本語の言葉として聞き取れる周波数帯と比較しても、あまりにも高い周波数となっていると思われます。
何かを意識しなければ、自然に言葉として捉えることは難しいと思われます。
健康診断での聴力検査を記憶されてるでしょうか?
狭い部屋の中でヘッドホンをして、音が聞こえた時にスイッチを押した、例のやつですね。
あの検査で使用されているのが二つの周波数です。
ほとんどの検査で使われているのが、1,000Hzと4,000Hzなのです。
40代になってくると高い音の方が聞き取りにくくなってきていると思います。
自然界には動物の鳴き声にしても、人間の可聴域を超えた音が沢山ありますが、人間はその中で必要な音だけを選択して聞いていると思われます。
本来ならば言葉としては聞き取りにくい周波数であるはずの虫の声を、言葉として受け取る感覚は何か違うものがあるのではないかと思われます。
むしろ、周波数から見たら英語話者たちの方が、言葉として聞き取りやすいものとなっているはずなのです。
この自然の音をことばとして聞き取る感覚も、母語によって開発されてもたらされているものです。
本来の母語としての日本語の基準から言えば、言葉として聞こえてはいけないはずの音です。
なぜ、日本語だけに(ポリネシア語も仲間です)自然の音が言葉として、みんなが同じように聞き取ることができるのでしょうか。
どうやら、母語の習得中や母語による機能の開発中に錯聴(さくちょう:錯視の聴覚版)として、言葉として聞こえる感覚が身についているのではないかと思えます。
例えば、犬の声を表現するのに言語によってかなり違った表現になっています。
「バウバウ」と「ワンワン」の犬の鳴き声表現はまだしも許せる範囲かもしれません。
ニワトリの鳴き声は、どう聞いても英語のようには聞こえません。
持っている母語によって、錯聴となるパターンが決まっているのではないでしょうか。
母語は主には母親から受け継いだ言葉ですので、母親の持っている言語の使い方や感性が大きな影響を与えています。
意識しなくとも、その言語においてはある種の音はある種の言葉として置き換えられる錯聴が、母語の中に含まれていると思われます。
虫の声は、実際の音は誰が聞いても全く同じ音のはずです。
それにもかかわらず、アメリカ人やイギリス人が聞けば雑音として聞こえてしまい、日本人が聞けば虫の声として言葉として聞いてしまうのです。
実際の音としての周波数では、彼らの言語としての音の周波数と同じ周波数帯にあるのにです。
日本人にとっては、言語としては聞き取りにくい周波数帯にあるのにです。
母語としての日本語の感覚の中に、スズムシの声のを「リーン、リーン」と聞こえる錯聴が仕込まれているのではないでしょうか。
しかもその言葉は、日本語を母語として持つ人にとってはほとんど同じ言葉として解釈できるわけですから、何世代にもわたって受け継がれてきたものだということができます。
ここまでくれば、錯聴と言うよりも母語としての感覚の一つであると言えると思います。
具体的な言語以外に、母語として持っている感覚ではないでしょうか。
第二言語を学ぶのは、母語で学ぶのです。
第二言語の音は、母語で聞き取るのです。
日本人が英語を学ぶときは、イギリス英語よりもアメリカ英語の方が学びやすいことの理由の一つがここにあります。
使用している周波数帯の開きとしての聞き取りやすさが異なるからです。
聞き取れない音は、真似することができません。
アメリカ英語にしても、日本語の日常言語の使っている周波数とは離れていますので、まずは聴覚的に英語を言語として認識し聞けるようになることが、英語習得の早道ですね。
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