2014年12月2日火曜日

母語と錯聴

先回のブログで、虫の声をことばとして聞くことが錯聴ではではないかと指摘しました。

日本語を母語として習得した聴覚では、虫の声や蝉の声の周波数帯を言葉として聞くことは難しいことになります。
(参照:周波数から見てみた言語

むしろ、英語を母語とする聴覚の方が、言語として使っている周波数帯と虫や蝉の声が重なっているために、言葉としては聞き取りやすいはずです。

それにもかかわらず、彼らには虫の声や蝉の声は言葉としては聞き取ることができずに、自動車の騒音や機械音と同じように雑音として聞いていることがわかっています。


アメリカの蝉と日本の蝉が鳴き方が違うとも思えませんし、英語を母語に持つ者が日本の蝉の声を聴いたとしても「ミーン、ミーン」とは聞こえてはいないのです。

全く同じ蝉の声を聞いているのに、聞こえ方が異なるのは、母語によって開発された脳や聴覚の影響があるとしか思えません。


聴覚の発達については、身につけた母語によって、その母語が聞き取りやすいように発達していくことがわかっていますが、どう聞こえているかを理解しているのは聴覚ではなくて脳の方です。

個人差や右利き左利きによる差が存在することは報告されていますが、ほとんどの人の言語をつさどっている脳の領域は左脳にあることがわかっています。(言語野)

反対に音楽に対して多く反応している領域は右脳にあることがわかっています。


また、日本語を母語として持っている人は、聴覚に対してかなりの音に対して両方の脳が反応していることが報告されています。

これは、虫の声や蝉の声だけでなく、言語以外の音に対しても言語として受け取っていることがあることを示しているものと言われています。

自然界の音に対して、言語として受け取ることことができる言語は、日本語以外にはポリネシア語くらいしか見つけられていません。


実際の音としては全く同じ音を聞きながらも、方や雑音としての認識をし、方や言葉としての認識をしていることになります。

聴覚そのものにおいては、どの言語を母語とする者であってもその機能においてほとんど差が見られないことが報告されています。

したがって、入ってきた音に対して脳が判断している内容が違うということになります。


日本語の使用している周波数帯である125Hz~1,500Hzから考えれば、キリギリスの鳴き声である9,000Hzを超える周波数は言葉として捉えることはほとんどできないと思われます。

それにもかかわらず、昔からその鳴き声として「スウィーッチョ」や「ギーッチョ」などと表現されてきている言葉が、そのまま現在でも同じように使われているのです。

これは、母語として日本語を持っているからの特徴です。

他の言語では、できないことなのです。


実際の音が同じであることを考えれば、脳が言語として判断していることとなります。

しかし言語として感じている周波数帯とは大きく離れているのです。

どうやら、母語によって錯聴が仕込まれていると思われるのです。


錯聴の典型は空耳であったりします。

視覚の錯覚を利用した錯視は有名ですが、これも見えているものは同じなのですが脳が騙されてしまうことの現れです。

錯視の典型には以下のようなものがあります。


直線部の長さは全く同じなのですが、どうしても上の方が長く見えてしまうものですね。

同じようなことが聴覚に対しても起きていることがわかっています。

ある種の音楽においてはこのことをわざと利用していることも報告されています。


日本語の中には、自然音に対して言語感覚として錯聴となる要素が含まれていると思われます。

これは、母語として日本語を身につけていく間に、受け継がれていっていると思われます。

はるか昔の人が同じような感覚であったことが、直接的な伝承をしなくとも、言語としての感覚の中に含まれて伝承されているのではないでしょうか。


母語としての母親からの日本語の伝承中には、直接的な蝉の声として「ミーン、ミーン」がなかったとしても、それ以降のどこかのタイミングで蝉の声を聴いた時に「ミーン、ミーン」と認識することができるものとなっているのだと思われます。

これは、あらゆる言語の中にもあるものだと思われます。

日本語の場合は、自然界の音に対して多くの錯聴が仕込まれていることになります。


特に音としては聞き取りにくい子音を中心とした言語においては、言語の音そのものにも錯聴が仕込まれていると思われます。

その言語を母語として習得していく間に、脳を初めとする各器官が母語を使うに適した内容で発達していきます。

その時の脳の発達の中に、その言語独特の錯聴の要素が含まれていると思われます。


持ってる母語が異なる人たちに対して、全く同じ音を聞いてもらい、どう聞こえたかを実験してみると面白いのではないでしょうか。

音によっては、思わぬとんでもない認識をしているものがあると思います。

母語を大切に継承していくことは、具体的な言語だけではなく言語感覚的なものも含まれていることは、さまざまな現象から指摘されてきたことです。

そのうちの一つとして、それぞれの言語独特の錯聴のパターンがあるのではないでしょうか。


母語を習得するということは、具体的な言語としての伝承に加えてそれぞれの言語独特の言語感覚が継承されていくことを意味しています。

知的活動のための唯一の道具である言語は、その言語感覚によって知的活動に貢献していることもあると思われます。


バイリンガルであっても母語は一つです。

バイリンガルは、母語によってもう一つの言語を理解して使っていることになります。

そこでは少なからず、母語からの翻訳が行なわれていることになります。

言語感覚自体は、翻訳するのにはとても厄介なものです。

しっかりとした母語を使いこなせないと、自分の持っている母語における言語感覚も理解できません。

自分の持っている母語を言語感覚がわからない状態で翻訳をしたところで、まともに伝わるわけはありません。

役に立つバイリンガルのためには、母語自体をしっかりと使いこなせることが前提となるようですね。





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