2014年12月3日水曜日

言語の伝承

人が持っている言語については、何回も触れてきていますし、その中でも基礎言語として母語の大切さについても機会あるたびに書いてきました。

様々な見方で表現していきながら、より多くの人に理解していただきたいと思っています。

その根源にあるのは、世界の言語から見た時の日本語の際立った特徴であり独自性です。
(参照:気づかなかった日本語の特徴


漢語という輸入言語を元にしながらも、文字のなかった時代から日本独自の言語として使われていた「古代やまとことば」を表す「かな」を発明したことが、日本語の基礎となっています。

結果として日本語は、話し言葉としても文字としても世界に類を見ない、日本だけの独自言語としての歩みを始めたのです。
(参照:「ひらがな」の成り立ち

独自言語の存在は、世界にはいくらでも例を挙げることができるものです。

しかし、その独自言語が世界の最先端文明を取り込みながら、世界の文明の最先端を走るモノまでになった例はほとんどありません。

先端文明を取り込むことは、その文明を作り上げ継承している言語そのものを取り込むことになるからです。

その文明の恩恵にあずかるためには、その文明の言語を使用しなければならなくなるからです。


先端文明を取り込んだことによって、言語そのものが先端文明を生み出し利用している国の言語に変わっていった例は数限りなくあります。

それは、自らの意志で先端文明を取り込もうと、植民地的に押し付けられようとも結果としては同じことになりました。

取り込んだ先端文明は、今までになかった技術であり考え方であったりして、今までの言語では表現できなかったものだったからです。


独自の言語を生かしていくためには、自らの持っている言語で先端文明が持っているモノを表現しなければなりません。

自らの持っている言語で、新しい言葉や表現を生み出していかなければならないのです。

先端文明の導入は、多くの場合は人の移動を伴って行われました。

先端文明を持った人によって伝えられ、その人が持ってきた言葉によって広がっていきました。


日本においては地理的な条件や気候条件もあり、先端文明の多くが書物によってもたらされました。

その結果、先端文明が持っている言語に対する翻訳が徹底的に行われていったのです。

そして、自分たちの持っている言語による先端文明の理解と拡散に繋げていったのです。


そこでは完全なコピーを出来なかったものがたくさん存在しています。

オリジナルとは異なった、言語に代表される日本ならではの環境に調整されていったものがたくさん存在します。

その結果、オリジナルの日本を残したままに世界の最先端文明を取り込んで、日本文化を昇華させていったのです。

同じ技術であっても、日本において調整されたものはオリジナルのコピーではなく、日本独特のものに変化しながら発展していったのです。


「古代やまとことば」の感覚が日本の原始オリジナルだとしたら、「古代やまとことば」を基礎文化として、数多くの世界の最先端文明を模倣した学習文化をその上に積み重ねていったことになるのではないでしょうか。

世界の文化に追いつけ追い越せと走っていた、明治維新から第二次大戦後の経済発展までが学習文化の時期だと思われます。


やがて、学習期間が終了し世界のなかで自主性を持って生きていかなければならない時期が来ます。

様々な分野が広がっており、様々な環境があり、それぞれのなかで適応しながら生きていかなければなりません。

取り込んで真似をして、自分流に理解していればよかった環境から、生きてくためには持っているものを生かして自らを適応させていかなければならなくなったのです。

そこでの拠り所は、自らの能力であり独自性であり特異性です。

日本として世界の環境の中で生きてく方法を見つけて、実行していかなければならなくなったのです。

参考にできるものはたくさんあっても、単なる理解と模倣では生きていけなくなっているのです。

参考にすることもあっても、自らのアウトプットによって生きていかなければならなくなったのです。


このことは、言語習得の環境ときわめて類似していると思われます。

親から基礎言語としての母語を伝承されて身につけていくのが幼児期です。

生きていくため必要なルールや知識を身につけるために必要なのが、学習言語としての国語であり、義務教育です。

実際に社会で生き抜いていくために必要なのが、それぞれの生活をする環境における生活語です。


親として持っているこれらのすべての言語が、主に母親から子供に伝承されて、子どもにとっての母語となっていきます。

そのすべてを伝承することは不可能ですので、伝承されていく母語は母親の持っている言語の一部として、極めて個人的なものとなっていきます。


母語としての「現代やまとことば」、教育言語としての明治維新以降に造られた多くの和製漢字、環境言語としての英語や中国語、そんな感覚が持てるような気がします。
(参照:「現代やまとことば」を使おう

現在では、伝承すべきものが、あまりにも環境言語に偏りすぎてはいないでしょうか。

伝承すべき私たちが、もっと伝承言語や学習言語について理解しておく必要はないでしょうか。


日本語は、先端文明を走っている言語としては、世界の他の言語とは一番遠いところにあるものです。

そのことが特徴であり価値ではないでしょうか。

この価値こそ継承すべきものであると思います。


小手先で、目先を生きていくことは、生活語だけでもできるかもしれません。

でも、母語と国語によって守られた生活語だからできていることを忘れてはいけないのではないでしょうか。

言語の伝承は、文化の伝承そのものです。


せっかく、日本語と言うとんでもない価値を持った言語を持って生きているのですから、もっと多様なもっと日本らしい生き方ができてもいいのではないでしょうか。

「やまとことば」をきっかけに研究し始めた日本語が、ずいぶん遠いところまで来てしまった気もしますし、本来行くべきところに来ている気もしています。

これからもどんな所へ行けるのかはとても楽しみでもあります。

知れば知るほどすごい言語ですね、日本語は。

ますますのめり込みそうです。




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