2014年12月4日木曜日

英語習得は日本語力の差

英語の学習についてはどんどんと低学年化しています。

小さいころから英語に慣れておくことは、英語の習得においてそれなりの効果があることはわかっていますが、いつくらいからどのように英語と触れたらいいのかはほとんどわかっていないのが現実です。
(参照:日本語と英語の関係

それなりの効果があることはわかっていますが、そのことが母語としての日本語の習得に悪影響を与えることが意外と知られていません。


日本人が母語として英語を持つことは、決して不可能なことではありませんが、かなりのリスクを伴うことでもあります。

母語の習得は幼児期にしかできないことであり、一度習得してしまった母語は二度と書き換えられないからです。

また、母語は一つの言語としてしか身に付きませんので、日本語と英語のチャンポンの環境にあると、母語自体が英語と日本語のチャンポンになってしまい、どちらの言語もわからなくなってしまうからです。

幼児には日本語と英語の区別ができませんので、両方の言語が混ざり合ったものを母語として身につけてしまします。

そうすると、どちらの言語に対しても違和感を持ってしまうので、純粋の日本語話者とも英語話者とも感覚が違ってしまい、もの心が付くころには周りと言語感覚が違うことで孤立感を味わうことになります。


日本人に生まれて、周りの環境が日本語であるにもかかわらず英語を母語としようとする場合は、親を含めて日本語話者から隔離して英語話者だけの環境で育てる必要があるのです。

アメリカ人の言語学者が、日本語の素晴らしさに魅入られて、自分の子どもの母語を日本語で育てた人がいます。

親が子ども接するときは、言葉が話せないうちからすべて日本語で語りかけたそうです。

もちろん日本語を母語として持っている乳母(シッター)が四六時中子どもの世話をしました。

実際には、親にとってはとても辛いことになりますので、ほとんど行われませんし、途中で英語が混ざってしまってはそれこそすべてが台無しなってしまいます。


幼児期に英語を教え込むことは、このことと変わらないことをやっていることになります。

日本語環境にある子どもなのに、幼児期に英語を教え込んでしまうと日本語の感覚がおかしくなってしまうのです。

しかも、英語はほとんど身につきません。


母語以外の言語を身につけるのは、母語で母語以外の言語を区別して違う言語として理解できるようになってからでないと、母語自体がおかしくなってしまうのです。

日本語に対して、みんなと同じような理解ができなくなってしまうのです。


日本語を母語として持っている者は、持っている日本語で英語であることを理解できるようになってからでないと習得できないのです。

英語を理解するのは、母語である日本語で理解することになるからです。

したがって、母語としての日本語の能力が高いほど、英語の習得も効果的にできることになります。

英語の習得に限ったことではありません。


全てに知識の習得は、母語である日本語で行われますので、同じことを学習しても持っている日本語の能力によって習得に差ができるのです。

そのために、母語の習得時期である幼児期と国語の基礎である小学校の中学年程度までは、しっかりとした日本語を身につける必要があるのです。

ここで身につけた日本語が、それ以降の知識の習得のための基礎力になるのです。


しっかりとした日本語を持っていることが、英語習得のためには必要になります。

言語にはそれぞれ独特の音や感覚が含まれており、これが理解できないと使い物になりません。

その言語の母語話者に対して通じない言語になってしまうのです。


母語である日本語でもって、英語と日本語の違いを理解することが最初になります。

母語自体は、日常使う言葉として日々聞いていれば自然と身についていきますし、黙っていても日々の繰り返しの中で身についていくものです。

しかし、母語以外の言語は日常の環境の中では言葉として自然に身についていくことはありません。


母語を使って意識をしてその言語を、言葉として捉えなければならないのです。

特に日本語と英語では、使用されている周波数帯がほとんど重なりませんので、音としては聞くことは出来ても意味のあることばとして聞くことは意識をして捉えなければできないのです。

英語は、口頭言語ですので、文字よりも話し言葉の方に重きが置かれています。

その分、英語話者においては言葉を聞き取って理解しようとする態度があります。


日本語を母語として育ってきた者が、形や声の出し方を学んでも英語の音は出せません。

それよりも、彼らの音を聞き取って理解して、形は関係なくなるべく近い音を出すようにした方がよほど伝わるのです。

母語は理屈でなく、半本能的に感覚で身についていきますが、それ以外の言語は母語で理解することからしか身に付きません。

言語として持っている感覚は母語のものでしかありませんので、他の言語の感覚は異なることを理解するのも母語で行っていることなのです。


大切なのは、母語である日本語で英語を理解することなのです。

そのためには、母語である日本語の性能が高いほど効率よく理解できるのは当たり前のことなのです。

更には、日本語のことをよく理解することによって、英語が日本語とどこが違うのかが理解しやすくなります。


英語の学習法の一つにひたすら英語を聞き流しするものがあります。

ものによっては、一日中流しているだけ聞けるようになるなどと言っているものもあるようですが、決してそんなことはありません。

日本の母語話者が、ただ単に一日中英語を聞いていても音が流れている感覚しかありません。

言語として捉えることができないからです。


言語として捉えるためには、その音が何を意味するのかが理解できていないとできないからです。

英語を垂れ流しして、学習効果がある場合は、聞きながら何を言っているのかを考えるからです。

ましてや、日常的に使用している日本語とは使用されている周波数帯が異なっていますので、しっかりと言語としてとらえる意識を持って聞いていないと単なる音(雑音、音楽)として認識してしまうのです。

この音を言葉として認識しようとすることが、英語の理解につながっているのです。


英語は口頭言語ですので、母語話者たちは聞き分ける能力に高いものを持っています。

近い音で伝えることができれば、言葉として理解する能力が高いのです。

一つずつの単語の音ではないのです。

センテンスとしての音の流れとアクセントを彼らは言語として感じているのです。


英語習得の基本は、日本語にあります。

日本語でしっかりと英語を言葉として理解することが、英語習得の早道です。

そのためには、母語としてしっかりとした日本語を身につけることです。

幼児期や小学校の低学年で触れている英語は、日本語習得のための邪魔でしかないのです。

最低でも、小学校の高学年以降の日本語で表現することの能力がついてきたころから英語に触れていくことで十分です。


日本語の方が英語よりもはるかに大きな言語です。

日本語では英語を理解することが可能ですが、英語では日本語を理解することは出来ません。

母語として英語を持っている人が、日本語を身につけたくともほとんどできない理由はそこにあります。

反対に、しっかりとした日本語を持った人たちは、いくつになっても比較的簡単に英語を使えるようになります。

学習の仕方一つですね。




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