2013年11月11日月曜日

母語から学習言語へ

母語が母親から子供に伝わる最初の言語であることはわかってきましたが、具体的にはどんな言葉なのか見ていきたいと思います。
母語の次のステップとして小学校に入ってから学習するの学習言語とどんな違いがあるのでしょうか。 
 
学習言語は、それで書かれた問題文を呼んだ人が同じ理解をしないと困りますので、厳格な用法の上に成り立っていると言えます。
それに対して、母語はほとんどが母親からの伝承言語です。
方言もあれば、個人的な特徴まで受け継ぎます。
学習言語に比べたらかなり自由度の高い言語と言えるでしょう。

また、物心がつくころには通常の使用言語は学習言語に移っていきます。
母語は現実に使用される言語としての役割を、学習言語に譲っていくことになります。
ほとんど記憶に残らない言語となっていきます。



日常生活においては学習言語が習得されれば母語を使うことはほとんどありません。
では、なぜ
母語という言語が存在し、学習言語の習得前の言語として注目されてきたのでしょうか。


このことは脳の発達と大きな関係があります。
子供の脳は2歳頃から一気に発達を始めます。
この時に脳の発達を助けるものが母語だといわれています。

この幼児期の脳が行っている機能は、システムで例えるとOS(オペレーティング・システム)をインストールしている状態と言えると思います。
そのOSが書かれている言語が母語ということになります。

そして母語で書かれたOSによって基本的な脳の働きが決まってきます。

欧米言語を母語とする脳は、自然界の風や虫の音を機械音や騒音と同じく雑音として認識します。
日本語を母語とする脳は、自然界の風や虫の音を声(言語)として認識します。
母語によって脳の認知機能が異なってくるのです。

基本的な母語の習得は4歳頃までに完了すると言われています。
小学校に入ると様々な知識を身につけるための言語としての学習言語を学びます。

学習言語を身につける前でも、言語によるコミュニケーションは行われます。
それは、学習言語によるコミュニケーションに比べるとはるかに貧弱なものです。


母語の一部は人対人のコミュニケーションにも使われますが、母語の大きな役割は人として生きていくための外界の認知機能の獲得としての脳の機能の形成にあるようです。

そのための一番大切な媒体が母親だと思われます。
初めのころは母親からしか情報は得ることができません。
言語を持たなくともできる情報交換をしています。
その一番大きなものが母語だと思われます。
母語は言語だけではなく感性までも含むものではないかと思われます。

成人したわれわれから見ると、母語は言語としての部分しか見えませんが、言語以外の感覚の部分を多く含んだものと考えることができると思います。
やがて、幼児は母親を媒体として、外界の情報が得られるようになります。

母語が少しずつ形成されていくとともに、自身の五感の感知機能が働き始めます。
すると媒体を抜きにとして直接、外界の情報を認知していくようになるものと思われます。

幼児は2歳頃にことばの噴火や爆発と言われる、一気に言葉をたくさん発する時期を迎えます。
このころになると、かなりのことを直接認知できるようになっていると思われます。
ただし、まだOSをインストールしている途中ですので、生命維持のための基本的な機能しかありません。

4歳頃までに基本的な母語を習得して、5歳頃には母語の習得が完了していると言われています。
この段階で脳の基本的な機能が形成されるものと思われます。

このころまでの記憶がほとんどないのは、記憶するための言語と表現するための言語を持っていないことによると思われます。
最近では、この期間での脳の発達は古い細胞を壊しながら急激に発達していくために、記憶が消されてしまうとも言われています。
幼児期の断片的な記憶はある程度脳が発達しきった段階で、言語を持った後から伝えられたり、写真で見せられたりしたものからインプットされたものであったりして、直接経験した時の記憶ではないことが多いと思われます。


6歳にして小学校に入って習得する学習言語は、これからの広い知識としてのアプリケーションを身につけて行くための共通言語です。
これが日常使用言語としての第一言語になっていきます。
認知、記憶、思考、表現のすべてにかかわってくる言語です。

そのベースには母語が刷り込まれていますので、学習言語を習得するための基礎言語は母語になると思われます。

一人ずつきわめて個性の強い言語である母語になっているはずですが、保育園や幼稚園を通じた共同生活によって、ある程度の共通性が養われているものとなっているのでしょう。


母語から学習言語への切り替えや、学習言語の習得過程においてに様々な差が表れてきます。
典型的なものが、算数や理科・科学との折り合いの付け方です。

小学校低学年のうちはすべての教科が国語の教材と言ってもいいくらいです。
基礎となる学習言語の習得のためにすべての教科があると言ってもいいくらいです。

これが中学年くらいになると、算数と理科については教科独特の表現が増えてきます。
教科独特の思考や見方が出てくるようになります。
論理的な思考が求められるようになってきます。
言葉だけでなく、実験による変化の理由や、数式による論理が出てきます。
これを言葉で説明するのです。

今までの言葉が並んで、その言葉を読んでいたことから違うことをするようになります。
小学校での学習のつまずきが一番多いところがここです。

算数や理科の教科書もすべて、国語の学習度合いに合わせた表現がされています。
国語の授業できちんと学習言語の習得が進んでいけば、問題ないはずなのですが、とても注意がいるところです。

小学校高学年になって算数の苦手な子供は、算数を一生懸命やっても取り戻すのが難しいことが多くあります。
一学年前のものから国語を勉強し直すと、すんなりと解消することが多いこともよく知られていることです。


このころになると母語はほとんど影をひそめてしまっています。
しかし、小学生のころの読書での感想などでは、個人の持つ母語の感性で受け止められた物を見ることができます。
学習言語として同じ言葉を習っても、その感じ方はそれぞれの母語によって影響されています。

使っている言葉は同じでも、人によってそのニュアンスは異なるのはその後の経験の積み重ねよりも母語によるところの方が大きそうです。
学習言語で習得しなかった言葉が出てきたり、知らないはずの古文の一節が何となく感じ取れるのは母語の影響ではないでしょうか。


母語+学習言語で一通りの言語の習得は完了します。
ほぼ10歳くらいがその目安ではないかと言われています。

他の国の言語教育に比べると、かなりの時間を必要としています。
日本語の特徴であるひらがなに加えてカタカナ、漢字、アルファベットがあるからですね。
他の国の言語教育では、表現のための技術を身につける時間が十分にありますが、日本語教育においては身につける基本言語量が多いために、学校教育で表現のための技術を身につける時間はほとんどありません。

それだけに母語の感性に頼っている部分がかなりあるのではないでしょうか。
赤ちゃん言葉に始まる母語については、まだ明らかになっていないことがたくさんあると思います。
それでも、幼児期の英才教育が子供の発育にいい影響を与えないことなどがわかってきており、幼児期のことばの大切さに、目が向くようになってきました。

もっといろんな人が母語について考えてくれるといいですね。
そんな発信を続けていきたいと思います。









 
 
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