「カタカナ」を漢字で書くと「片仮名」になります。
元になる漢字(字母)の一部である篇(へん)や旁(つくり)といった片側を利用することから「片仮名」と言うのではないかという意見がありました。
ところが「キ」(幾)、「ク」(久)、「ケ」(介)などは漢字の一部ではなく全体を省略したものとなっています。
実は、カタカナの五十音の半分以上が偏や旁としての一部ではなく、篇や旁としての分解のできない文字の全体を略したものとなっているのです。
確かに字母の篇や旁の一部を使っているものもあるのですが、その数は半分以下でありそれだけを理由に全体に対して「片」とは言えない気がします。
「片」という字をよく調べてみると、「片輪(かたわ)」や「片言(かたこと)」などの例ように、不完全であるとか未熟とかの意味として使われています。
「片仮名」という言い方は「文字としては不完全なもの」として使われたのではないでしょうか。
「片」の反対語にあたるものが「真」になります。
「仮名」という字も「借名」や「仮字」と書かれたこともありました。
「仮名」に対して漢字のことを「真名」と言っていたのは平安期以降のことだと思われます。
「仮名」という言葉が使われた時にそれに対応する言葉として「真名」が生まれたと思われます。
『古今和歌集』における序に、漢字で書かれた「真名序」と仮名で書かれた「仮名序」があることは有名ですね。
「仮名」の使われたかを見るための貴重な史料となっているものです。
紀貫之が中心に編纂したものが『古今和歌集』であり、『土佐日記』などの仮名による表記を広めた一大文化人です。
(参照:紀貫之という天才を見る)
そこに見えるのは現代の「ひらがな」に通じるものであり、「カタカナ」につながるものを見ることは出来ません。
「仮名」においても「真仮名」という呼び方がありました。
「真仮名」=万葉仮名と解釈してもいいと思われます。
のちの「ひらがな」や「カタカナ」のように略されていった字ではなく、字母としての漢字をそのまま使った表記のことを「真仮名」と呼んでいました。
字体としては楷書として一画ずつをきちんと書いた漢字で表記したものを言ったようです。
それでも書き手の癖などがありますので、字体が草体化していき略された形になっていき「ひらがな」となっていきます。
『古今和歌集』が編纂されてころにはすでに字母が分からなくなった「仮名」が存在していたようです。
一般的に「かな」というと「ひらがな」のことを指すと思われます。
「真仮名」(万葉仮名)から始まった仮名は「草仮名」「男手(おとこで)」「女手(おんなで)」などと様々な形になっていきます。
やがては連綿体と言われるつづき文字を書くようになります。
一文字ずつの美しさと共につづき文字としての美しさが評価の対象となるようになります。
とくに「し」の文字はその長さや全体とのバランスにおいて注目される対象となっていきました。
以上のようなこともすべて文学的な表記として用いられた「ひらがな」についてのことです。
「片仮名」はもっぱら平安時代の初めのころに、僧侶たちが仏典の講義を聞きながら訓読を覚えるために利用してきたものと思われます。
真仮名(万葉仮名)としての文字については、宗派や流儀によって若干の字母の違いがあるとは言えほとんど定まっていたことと思われます。
講義を聞いて学ぼうとしても、テキストがあるわけではありません。
必要とあれば自分で書き写すしかありません。
元のテキストそのものが師が持っているものしかないことがほとんどですので、講義はもっぱら口頭で行なわれることになります。
筆記しようとしても真仮名でいちいち書いていたのではとても書ききれるものではありません。
仮に書き写した仏典のテキストがあったとしても、それだけでは訓読ができませんので講義を書きとめる必要があったのです。
初めのうちは誰かが始めた真仮名を意味する記号としての省略形だったと思われます。
その方法の一部は中国から伝わってきた書物にもあったのです。
酉酉(醍醐)、王王(瑠璃)、比巴(琵琶)などは仏書においてもよく見られた省略法です。
テキストの行間やメモとして真仮名を省略してふりがなや速記のように書く方法を採ったのです。
狭い場所に書くことができて字画が少なくて早書きできるものとして行なわれていったと思われます。
やがて、個人的な書き取りに共通性が見られるようになり、省略形としての共通性が求められるようになったのではないでしょうか。
宗派や流派による統一性が現れてくることは自然の流れであったと思われます。
平安初期のその書体には字母も省略の方法も個性豊かなものが多くなっています。
同一人物であっても一音に対して複数の字体を使うこともあります。
初期においては、個人としてのメモの域を出ていない感があります。
「カタカナ」は漢語に触れる必要のある学術分野に携わる人の間で作り上げられた、真仮名を略式表記するための速記記号だったのです。
「ひらがな」は漢語に触れる機会の少ない人たちの間で独立した「やまとことば」を表記する文字としての発展を遂げていきます。
男性はその教養の一部として漢字に対する教養が求められていきますので、仮名としても一画ずつを正確に書く仮名としての「男手(おことで)」が求められます。
それに対して「女手(おんなで)」はますます草体化し元の漢字すらわからないものが増えていくことになります。
和歌は仮名で書くというルールを作り上げたのも紀貫之だと言われています。
「ひらがな」は「いろは」によって手習を覚えることによって、情緒的な表現に向くような環境を整えていきました。
「カタカナ」は学術的な分野において「アイウエオ」という音韻体系を構築して言語のシステムとしての基盤を作っていったのではないでしょうか。
体系がほとんど出来上がってしまった現代においては「ひらがな」「カタカナ」は単なる表記文字としての違いでしかないと思われます。
成り立ちを見てくると面白いですね。
そう思ってみていると、なんとなく女性はカタカナを使うのが苦手なのかなと思ったりしてしまいますね。