2015年10月20日火曜日

「あめつち」の詞(ことば)

「いろは」については折に触れていろいろな観点から述べてきました。
(参照:怪しすぎる「いろは」歌「いろは」に手本があった? など)

「いろは」を一番身近に感じるのは習字の手本としてではないでしょうか。

「いろは」歌そのものを全部言うことができる人も減ってきているのでしょうね。


ひらがなを四十七音をすべて使って七五調の歌に仕上げた巧みさは見事というほかはありません。

ところが「いろは」が見られるようになる前の平安初期にも、かなの四十八音のすべてを一回ずつ使った歌(ことば)が作られているのです。

手習の見本として作られたのだと思われますが、実際にはどこまで使用されていたものかどうかは分からないものです。


「あめつち」の詞と言われるものですが、扱いとしては歌として扱われているようです。


二音で表されたことばが多いことは、複雑な言葉ができる前に基本的なことばとして馴染みがあるものを選んだと思われます。

それでも後半の「おふせよ」以降はどの様に読み取ったら良いのか解明されていません。

最後まで二音ずつ読むべきだとして何とか意味かをかんがえている者もあれば、四文字として考えているものもあります。


とくに、最後から二つ目の「えのえを」は現代仮名では「え」が重なることになってしまいます。

「いろは」の四十七文字と異なるところがここです。

この当時ではア行の「え」(衣)とヤ行の「え」(江)が区別されていたことを物語っていると思われます。

この違いが明確にあったのは奈良時代から平安の初期ころと言われていますので、「いろは」の前には使い分けれていたのでしょう。

意味を確認するには漢字で書いた方がわかり易いかもしれませんので、いちばんよく使われている形で書いてみましょう。(これにもいろいろな説があります)


この「あめつち」が有名なのは、源順(みなもとのしたごう:911-983年)の歌の中に、初句の頭文字と終句の最後の文字を同じにしてこの「あめつち」のことば四十八首を作ったものがあるからです。


春、夏、秋、冬、思、恋を主題として各八首ずつ詠まれています。

何の制約もなく詠んだ方が様々な技量が発揮できるのでしょうが、敢えて頭と末を固定してまで「あめつち」を表すにはそれなりの意義があったのではないでしょうか。

また、このような歌が存在していること自体が「あめつち」がそれなりに広がっていたものとして考えることができると思われます。


「いろは」が突然生まれたものとしては余りにもいろいろな要素が盛り込まれていて完成度が高いものとなっていることが気になっていました。

「いろは」以前にもさまざまな工夫がされ、文字として書くことが求められていたことによって歌とのつながりができていったのでしょう。

実は「いろは」についてはその精度のあまりも高いことや暗号としていろいろなことが見えることから、日本で生まれたものではないのではないかと疑問を持っていました。
(参照:怪しすぎる「いろは」歌

「いろは」の手本としての「千字文」は完全に漢語であり、仮名の感覚としては違うような気もしていました。
(参照:「いろは」に手本があった?


現代から見ると古代の何百年は一気に過ぎてしまいます。

その間に起こった変化を知ることはとても難しいことになります。

よく言われるように、記録として残っている歴史は時の為政者の都合の良いように書かれたものです。

疑ってかかる方がスタンスとしては正解ではないでしょうか。

私たちは文字としての記録になっているとどうしても事実だと思い込んでしまう傾向があります。

書物からひたすら知識を得てきた弊害だと思います。


こんなことから始まってきた日本語の原典である「かな」は、いろんな経験をして感覚として継承されてきているんですね。

大切に使っていきたいですね。



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