2013年12月4日水曜日

母語と幼児期健忘

タイトルには固い言葉が二つ並んでしまいました。
今までも母語については何回か触れていますので、たぶんお馴染だと思いますが、幼児期健忘については言葉としては初めてかもしれません。

実は、何回か触れているのですが幼児期健忘という言葉を使っていなかっただけの事なんです。

母語と幼児期健忘は一緒に扱う必要があると思いましたので、今回は二つ並べてみました。

幼児期健忘とは幼児期の記憶が消えている(学者によっては思い出せないだけとする説もあります)ことです。

特に3歳以前の記憶は全くと言っていいくらいありませんし、それ以降の記憶も一般的には5歳前後まではかすかにある程度です。



自分の体験で見てみますと、幼稚園の時は土曜日の退園後に幼稚園の教室で行われたオルガン教室に参加していたそうです。(親から聞いた話で、本人に記憶はありません。)
たぶん、そうなんだろうなと感じるのは、物心ついてからそのころの写真を見せてもらったからだと思います。

小学校に行っても3年生くらいまでは、ピアノの先生のところに通っていたそうです。
何となく通っていた記憶は残っていますし、場所もぼんやりと覚えている気がします。

ところがオルガンやピアノで学んだりできたりしていたことが、全く記憶されていません。

小学校3年生ですから8歳から9歳ですね。

親の話によると、譜面を覚えるのが早かったので、止めるときは先生が残念がっていたとのことですが、今では全く譜面が読めません。

それどころか小学校の5年生の時に、なぜか鼓笛隊の小太鼓で卒業式の音楽を担当していたのですが、その時点ですでにメロディ譜面さえ読めなかった記憶があります。

自分の感覚では、それなりに記憶があるのは小学校の高学年以降についてのことのようです。
そのころのことですと、うろ覚えながら「いつ、どこで、だれと」が何となく掴めている気がします。

それ以前のことは、なんとなく覚えていることもありますが「いつ、どこで、だれと」がほとんど分かりません。


実はこの幼児期健忘が、幼児期の英才教育を無力化しているのです。
何を教えても、覚えさせてもほとんど記憶に残らないのです。

個人差もありますし五感の発達の差もありますので、一概には言えませんが、5歳までの幼児英才教育はほとんど無為意味だと言っていいと思います。

実験や観察によれば、5歳以降で記憶に残っているものは、五感のいくつかが同時に刺激されたきわめてネガティブな恐ろしい経験と一体になっているものがあるそうです。
幼児虐待や直接自分は受けなくても家庭内暴力は、記憶に留まっていることが多いようです。



では、母語も記憶としては消えてしまうのでしょうか。
言語としての母語は、小学校以降に習得していく学習言語に置き換わっていきます。

言語はほぼ毎日繰り返し同じ言葉を使っていますので、記憶が消える前にさらに上書きがなされていると考えられています。

それでも、しばらく使わなくなった言葉は次から次へと消えて行っていると言われています。

学習言語を習得するのであれば、母語の習得は必要ないのではとする意見があります。

母語は、言語だけ成り立っているものではありません。
言語に伴った感覚とともにあるものと考えられています。

また、母語の習得とその使用によって、基本的な脳の機能が形つくられていっていることがほぼ判明しています。
母語として身につけた言語が異なると、脳の基本機能に違いが出てくることがわかっています。



以上のことから、母語は言語として母親を中心に伝承されながら、その言葉の持つ感性や感覚をも伝えられていることになります。
母親がどのような感覚をもってその言葉を使っているのか、また言葉そのものに固定的な感覚が含まれているものもあるでしょう。

目に見えてるもの、聞こえるものとしては言葉になりますが、その言葉が持つ感覚は脳の基本機能を決めながら、保持されていくものと思われます。


幼児期健忘のことも視野に入れると、幼児期に必要なことはしっかりを母語を身につけることのみになりそうですね。
あとは、健全なる体の発育ですね。

幼児期の英才教育で無駄に子供の機能を使ってしまうと、肝心の母語の習得に弊害があるりそうですね。
この辺もこころに留めておきたいことですね。








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