2013年12月5日木曜日

異年齢コミュニケーションについて

社会に出てからのうつ病に新しい種類が設定されています。
特に入社間もない若い世代に特有の新しい型のうつ病です。

新型の特徴は、日常生活や仕事、友達関係などがうまくいかなくて”自分を責める”という従来型と違って、”周りの環境や他人のせいにする”傾向が強いようです。

特に、仕事場で症状が出ることが多く、物事がうまくいかないことを”会社や上司”のせいにし、「会社が悪い」「上司が悪い」などの言葉が口癖のようになるみたいですね。
わかりやすく言ってしまえば、”仕事中にだけうつになり、会社の外では元気”というのが新型。


ふざけるな、ブッ飛ばしてやれ!
と感じる方もたくさんいると思います。
私もその一人です。

これが病気だと言うのですから世の中変わったてきたものです。

新型うつ病の診断書を会社に提出した休職中に、海外旅行をしてVサインの写真をFacebookに投稿しているという信じられないことが起こっているのだそうです。

単なる過保護ということではないのでしょうか?


新型うつ病を見ている医者に話を聞いたことがあります。
患者は真剣に悩んでいる人が多いようです。

医者に行くようなら本人も気がついていて一生懸命でしょうから、それなりの対処があると思いますが、どうも納得できない病気ですね。

この病気、かなりの有名大学を優秀な成績で卒業してきた、中途半端な自信を植え付けられた人に多いようです。

自分を調整して、相手や環境に適合されるという能力がきわめて低いようです。
褒められ、持ち上げられて、自分は変える必要がなく、周りが自分に合わせることで成り立ってきてしまったようです。



新型うつ病は、極端な例かもしれませんが、入社後に周りとのコミュニケーションがうまく取れなくて悩んでいる新人は思ったより多いようです。

一番の要因は、年齢の離れた人や、役職・立場の違う人との普通の会話のための言葉がわからないことにあるようです。
ある種の敬語もここに含まれるのかもしれないですね。


会社に入るまでは、年齢差の大きな人とのコミュニケーションの経験がほとんどないことが原因となっているようです。

学生時代の普段の会話は、ほとんどが同学年・同クラスの社会の中で完結してしまいます。
先生との会話は多少の敬意が払われるようですが、年々意識がされなくなっているようです。

社会に近いところで、部活動がありますが、年齢の離れたOBでもやって来て初めて意識するくらいですかね。

私のころは一年生が「イヌ」、二年生が「奴隷」、三年生が「ヒト」、四年生は「天皇」でしたね。
OBの扱いは「神」でした。

上下関係にはそれほど厳しくない部でしたから、普段も上級生と麻雀をやったりしました。
とっさに出る言葉には気を使った記憶があります。



普通に学生生活を送っていると、異年齢コミュニケーションの経験がきわめて少ないことが指摘されています。
このことが社会に出てからのコミュニケーションに苦労する大きな要因になっていると言われています。

特に小学校の中学年くらいまでにある程度の異年齢コミュニケーションができていないと、その後では積極的に異年齢コミュニケーションを自分から採りにいくいことが難しくなると報告されています。


祖父母との同居や地域社会での接触の機会が極端に少ない現代では、なかなか子供たちが異年齢コミュニケーションをできる機会がありません。

様々な幼児教育や校外学童教室が展開されていますが、そのほとんどが中心に据えていることが異年齢との接触機会を増やすことです。

学年の枠を取り払った小グループ活動が効果を上げているようです。

日々の活動を一緒にしながら、年少者は年長者の行動を学んで、自然と整理整頓や行儀を身につけていきます。
年長者は年少者の面倒を見ながら、きちんと伝えることと理解して育ってくることを待つことを身につけていきます。

年少者は持っている言葉も経験も少ないので、年長者が年少者に合わせた言葉や表現を使って伝えるようになります。

良く考えてみると、これって人が生きていくための基本ではないでしょうか。
このコミュニケーションができなければ、社会の中で生活していくことは難しいですね。



祖父母と孫が会話をするときは、祖父母の方が孫の理解できる表現に合わせなければいけませんよね。
孫の方は、自分の持っている表現力で伝えようとしますが、伝えたいことをすべて表現できるわけではありません。
祖父母の方が、推測してあげることが自然ですね。

子供が自然に抵抗なく異年齢コミュニケーションができるようになるための経験が必要な年齢が、学習言語の習得の年齢とほぼ被ってていることが分かると思います。

学校という狭い社会で授業を受けるために必要な言語は限られています。
より広い社会ではより多くの言語が必要になります。

閉じこもった狭い社会の中で生涯を過ごす場合は別ですが、ほとんどの場合は一般社会に出て生活をしていきます。

その時に必要なコミュニケーションは、学校や部活動で身につけたコミュニケーション能力では足りません。
本来なら、地域社会で育っていく間に自然と身につけていく力ですが、現代ではその環境で育てられる人は限られています。

学生生活が終わったころに身につけようとしても、できることではないですね。


むかしは地域社会の中で自然と身につけていた「社会で生き抜いていくチカラ」は、今では意識してその環境を作っていかないと身につかなくなりました。
そのギャップが社会のいたるところで出てきています。

自然と身につけてきてしまった人には理解できないことです。
個人の能力として切り捨ててしまうことも多くあるでしょう。

「社会で生き抜いていくチカラ」の基本はコミュニケーション能力だと思います。
同じ日本語を使うもの同士でも、難しいことがたくさんありますね。

異年齢コミュニケーションは、苦手になると社会での生活がしにくくなります。
若いときに苦手にしてしまうと、生きていくのが大変になりますね。

なるべく幅広い世代の人たちと、頻繁に会話ができる環境が大切になってきますね。