頭のいい子を育てるならば5歳までの育て方が大切であると言います。
そのことを受けて、5歳までに何かを教え込もうとする間違った幼児教育が行われている現実があります。
勘違いもいいところです。
幼児期の英才教育が役に立たないだけでなく、健全な知的活動の発育に障害となっていることは明らかになっています。
その上で、子どもたちに起きている現象から判断すると、基本的な知的活動のための能力が5歳までに形成されているとしか考えられないことがあるからなのです。
幼児期に何かを教え込んでも、単にそのことを覚えているだけで知的活動が活発化されているわけではありません。
何かを教え込むよりも、祖父母や地域のなかでのコミュニケーションが沢山あった子どもの方が、自分で考えて実行するという知的活動に対しての能力が高いことがわかっています。
現象としては統計などから広く知られていることなのですが、そのメカニズムについてはほとんどわかっていないことも現実です。
教育に携わる人たちは、経験的にそのことがわかっていますので5歳までの環境が大事であると言いますが、どうしてそうなっているかがよくわかっていないのです。
祖父母との同居や地域での触れ合いの多い子どもたちが、小学生以降になった時に学習内容の習得度合いが高く、結果として成績が上位になっていることから導き出した経験則でしかないのです。
ですから、5歳までの環境が大切であると言っている人たちも具体的にどのようなことが影響して学習習得能力の高い子供ができているかは説明がつかないのです。
このことについて少しずつではありますが、解明されてきていることがあります。
そのキーワードが「母語(ぼご)」と「幼児期健忘(ようじきけんぼう)」です。
ともに現象としては、ほぼすべての子どもに現れてくることなのですが、そのメカニズムについてはわかっていないことの方が多くなっているものです。
人間の進化発達については目に見える現象や物理的な器官についてはかなり解明されてきていますが、そのメカニズムについてはわかっていないことの方が多い分野となっています。
その中でも「母語」と「幼児期健忘」については呼び方こそ統一されてはいないものの、その存在と現象についてはほぼ解明されているものと言うことができると思われます。
したがって、この二つのことを知っているのと知らないのでは、子どもの知的活動のための発育に大きな影響が出るものであるということができると思われます。
「母語」とは幼児期に主に母親から伝承される言語「ことば」のことです。
小学校に入って学ぶ国語の前に、最初に使えるようになる言語のことです。
ほとんどが母親からの伝承された「ことば」でできていますので、ひとりずつ異なった個性豊かな言葉となっています。
この「母語」が重要な点は、この「母語」を使っていくことによって脳を代表とする知的活動のために必要な器官が、「母語」を使うための最適な機能に発達していくことにあります。
日本人の母親から伝承される言語は日本語ですが、その日本語は一人ひとり個性を持った「ことば」からできています。
方言や地域によるアクセントの違いもありますし、正確には一人ずつ全く異なったものになっているわけです。
幼児期の子どもに親も使わないような標準語を教え込む必要は全くありません。
幼児期は母親からの情報がほとんどすべてになりますので、母親独自の「ことば」による情報の方が個性的な「母語」を身につけることができます。
個性的とはいっても日本語に変わりはありませんので、基本的な言語感覚は日本語として共通のものとなっています。
この「母語」を習得しながら、知的活動のための器官の機能が定まってくのが4歳頃までだと言われています。
機能形成のための言語で、脳の基本機能を作っていくことが中心となりますので、思考することはまだほとんどできない状態です。
4歳頃までが母語習得の期間であると言われています。
4歳から5歳にかけて、もう一つの「幼児期健忘」という現象が起きます。
幼児期であっても一週間に満たない程度の記憶保持期間があることが確認されています。
しかし、6歳以降の記憶保持期間が急激に伸びてくるころに比べるとまだまだ短い期間です。
つまりは記憶をするという機能も「母語」によって作られてきていることがわかると思います。
「幼児期健忘」は幼児期の記憶がそのほとんどを失う(リセットされる)ことを示した現象のことです。
4歳以前の記憶がある人はいません。
もし、記憶していると思っているのならば、それはもの心がついてから親に教えられたり写真を見せられたりしてできた記憶です。
日本人の場合は、個人差もありますが4歳の半ばから5歳頃にかけて現れていることが多いようです。
これは、「母語」として持っている言語の大きさや難しさに影響を受けていると考えられています。
単純言語である原住民の言語を「母語」としている場合には3歳頃に現れるようですし、ヨーロッパ言語においては4歳前後で現れているようです。
言語として複雑で難しい部類である中国語や日本語を「母語」とする場合には、4歳の後半から5歳頃にかけてのことが多いと言われています。
この「幼児期健忘」によって「母語」として身につけた「ことば」もリセットされることになります。
しかし、「母語」によって身につけた言語感覚と知的活動のための機能は、一番基本の能力として生涯の基盤となることになります。
小学校に入ると、日本語の共通言語としての「国語」を学びます。
この「国語」によってこれから先の様々な知識を習得していくことになります。
この「国語」のことを学習言語と呼んだりするのはそのためです。
この「国語」を身につけるための基本言語が「母語」なのです。
「母語」によって開発された知的活動の機能が最初に試されるのが「国語」の習得なのです。
ここで「国語」の習得に遅れが出たりすると、あらゆる知識の習得に影響が出てきます。
「国語」によってすべての知識の習得をしていかなければいけないので、そのもとになる言語の理解に遅れが出たら致命的です。
小学校の算数が苦手な子供に算数を教えても一向に改善しません。
算数は分野としての独特な表現や表記がたくさん出てきます。
算数が理解できないのではなくて、算数の教科書に書いてある国語や先生の言葉が理解できない場合がほとんどなのです。
国語をきちんとやり直すとあっという間に改善してくるのは当然のことなのです。
「母語」の基本的な習得が完了するのが4歳頃と言われています。
「幼児期健忘」を経過しながらも「母語」によってコミュニケーションができるのは小学校入学までのわずかな間しかありません。
この間に、祖父母をはじめ地域での数多くの経験をすることが、さらなる知的活動のための機能開発に役立っていると言われています。
もちろん、記憶にはほとんど残りません。
「母語」によって作られた機能を最大限生かすためには、「母語」によって刺激を与えることです。
人の思考は言語でなされていることがわかっています。
人は「母語」で思考しているときが一番思考活動が活発化していることがわかっています。
人の知的活動のための基本機能は5歳までに作られていることがわかってきました。
しかし、そのメカニズムについては不明のことだらけです。
かつては、幼児期英才教育がもてはやされました。
その結果は人としての一般的な生活を送る能力に対しての欠落という結果を導いてしまいました。
いま、また幼児期英語教育が浸透しています。
幼児期に言語の区別はつきません。
無理に英語を教え込めば、母親の母語としての日本語と混ざり合った、世の中にない言語を「母語」として持ってしまうことになります。
その「母語」は日本語でも英語でもありません。
どちらの言語感覚とも違う言語となってしまうのです。
日本語を母語とする者はいつからでも英語は使えるようになります。
少なくとも「国語」の基本が習得される小学校5年生以降でないと、母語や学習言語に影響が出ると思われます。
海外で幼児を育てる時の「母語」についての注意を喚起している組織があります。
海外子女教育振興財団といいます。
ここが「母語の大切さをご存知ですか?」というパンフレットを発行しています。
内容は海外生活者向けになっていますが、環境は国内であっても変わらないものがあると思います。
是非とも、読んでおいてほしいと思います。
(参照:母語の大切さをご存知ですか?)