tag:blogger.com,1999:blog-55235210930804850072024-03-05T13:56:49.994+09:00日本語のチカラ曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comBlogger985125tag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-62610605713393239052019-02-10T08:30:00.000+09:002019-02-15T13:34:34.666+09:00日本語脳は世界最強だ!日本語の特徴の一つに習得することの難しを挙げられる場合がよくあります。
世界に存在する言語の中で最も習得が難しいと言われているものが中国語と日本語です。
それはどちらの言語習得の学習環境においても同じような状況が指摘されていることでも理解できるのではないでしょうか。
その状況とは以下のようなことです。
中国語も日本語も学校教育における言語の基本的なレベル習得に大変膨大な時間を必要としているのです。
その結果として、どちらの社会においても中学生の言語習得レベルでは日刊新聞の朝刊を読んで理解するにはまだ難しいという現実になっているのです。
必要最低限の教育レベルといわれる義務教育の期間を修了しても日刊新聞を読んで理解できるとは限らないことになります。
日刊新聞で使用されている言葉や表現方法は、それぞれの言語社会におけるきわめて標準的で基準的なものとなっています。
その基準的な言葉や表現方法曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-27230516432104700992017-11-21T09:42:00.000+09:002017-11-21T09:42:45.627+09:00みんな悩んだ「かなづかい」「かなづかい」とは一言で言い換えると話し言葉を「かな」でどのように表現するかということになります。
文字が使われだすよりもはるか前に話しことばだけの日本語であった「やまとことば」が存在していたことは間違いのないことだと思われます。
その「やまとことば」を書き表すために漢語の文字と音を利用して「かな」を生み出したことは記録するための日本語の革命ともいうべき出来事ではないでしょうか。
「かな」が今のような形で漢字を崩した一筆書きのような文字(ひらがなに近い文字)として記録に残っているのは「古今和歌集」の時代からであり、今からは1100年以上も前のことになります。
それ以前には万葉仮名や古事記のような漢字そのものによる表記となっていたものです。
「かな」の地位を築き上げた立役者と言えるのは紀貫之ではないでしょうか。
「古今和歌集」の選者としてその序に「かな」で記した「仮名序」を残し曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-60635318406059020942017-11-06T06:00:00.002+09:002017-11-13T07:10:59.833+09:00カタカナの役割の変化日本語の基本的な表記方法は漢字とひらがなの混用表記(和漢混交文といいます)になります。
つまりは、一般的な日本語表記のためにはカタカナとアルファベットは使用しなくとも対応ができることになります。
アルファベットはこの文字を使用している言語の感覚をできるだけ原語に近いものとして表現しようとしたり、日本語の感覚の言葉とは異なるものであることを強調するときなどに使用されています。
カタカナも同じような使い方をされていますが、カタカナを使用している言語が日本語以外に存在しているわけではありません。
文字としては日本語にしかない文字ですが、その役割は歴史的な日本語独自の感覚と異なる言葉として強調するときに使われていると思われます。
漫画などでよく使われている擬音などはその一例ではないでしょうか。
日本語のいちばん最初の姿は文字のない音だけのことばでした。
「古代やまとことば」と呼んで曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-84870662974126745042017-10-30T06:07:00.001+09:002017-11-03T00:44:21.618+09:00短歌を学んで「いいね」をゲット!最近、若い人たちの間でも短歌がブームになっているとニュースでやっていました。
日本語の感覚を磨くにはとても良い方法だと思います。
日本語としての表現技術は和歌(主に短歌)によって磨かれてきたので、短歌を詠んだり考えたりすることはその歴史技術に触れることになります。
古くは文字をもたなかった「古代やまとことば」の時代にも歌が詠まれてきました。
色々な形式の歌が残されていますが、その基本は五七五七七の短歌形式となっています。
仮名という文字の表記形式が整ってからは記録として残されることでその技術が継承されていくことになります。
漢字は「やまとことば」の文明にはなかった先進文明の技術感覚を日本語に付け加えてきました。
仮名だけで表記される短歌は外来語としての漢語を排除した純粋の日本語文化による感性で作られてきた世界なのです。
いかに漢字による表現が尊ばれようとも、どんなに身分曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-17974070372217813982017-10-25T06:35:00.000+09:002017-12-01T23:37:22.408+09:00ふたつの日本語一般的な言語は文字として表記するときには一種類の文字を使用しています。
つまり、話し言葉と書き言葉が一対一で対応していることになります。
英語における母音のように一文字ずつについては前後に置かれた文字との関係によって音が変化する場合がありますが、それでも言葉としての複数の文字列については、ほとんどの場合には文字の並びと音が一対一で対応しています。
文字表記が異なるのに読みとしての音が全く同じ言葉は存在していないのが前提になっています。
音数の極めて少ない言語である日本語を母語としている私たちにとっては同じ音に聞こえたとしても、アクセントや音の出し方が微妙に違っていてその言語においては区別されているのが分かるようです。
日本語のように完全に同じ音である同音異義語は他の言語においては極めて珍しいものとなっているようです。
日本語ほど話し言葉と書き言葉が異なっている言語はほかには曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-6394971814377167332017-10-16T06:11:00.000+09:002017-10-16T06:17:13.135+09:00「はなす」と"Talk"日本語文化とアメリカ英語文化は人が言葉を発するという行動に対して同じような感覚を持っているようです。
それは、人が言葉を発するという行為を表す言葉としての基本語(日常的に使われているにもかかわらず昔から継承されている誰でもが理解できる言葉)の数を見てみればわかるのではないかと思います。
日本語の基本語は「現代やまとことば」として漢字の音読みや外来語を排除した訓読み言葉(いわゆる「ひらがなことば」)で表現されるものになります。
アメリカ英語の基本語は日本の中学校程度で習う単語だと思えばいいのではないでしょうか。
例えば人が言葉を発するという活動を表する基本語を探してみます。
日本語の基本語として代表的なものは「はなす」(話す)、「しゃべる」(喋る)、「かたる」(語る)、「のべる」(述べる)、「いう」(言う)などとなります。
これに対して、アメリカ英語の基本語は "talk"曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-18841627000954088882017-10-09T06:30:00.000+09:002019-06-03T21:16:18.894+09:00「愛する」が苦手な日本人あなたは「愛する」(愛している)という言葉を誰かに対して本気で伝えたことがあるでしょうか。
わたしも使ってみたことはありますが、その時の間の悪さやおかしな感覚は今でもはっきりと覚えています。
使った後でも言わなければよかったと何度も考えさせられました。
その場の勢いや格好をつけて言う分には取り立てて意識はしないのですが、本意としての「愛してる」を伝えようと思うとどうしても言葉が違うのではないかという違和感が残っているのです。
その理由を日本語の面から考えてみました。
まずは結論からいきます。
「愛する」という言葉は日本語ではなかったのです。
日本語を母語として生きてきた私にとっては本当に言いたいことを表現するときには、自然と母語として持っている日本語が出てきます。
しかもきちんと相手に伝えたいと思えば思うほど感覚的な日本語が多く使われていくことになります。
さて、「曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-41685761440448210032017-09-21T06:00:00.000+09:002017-09-21T18:06:14.368+09:00今月の現代やまとことば・・・「はなす」新しい言葉は常に生まれては消えていっていますが、日本語の根幹をなす基本語の中には遠く古代の文字のなかった時代の言葉につながっているものがあります。
漢字の音読みは導入された時代における中国語の読みかたである呉音、唐音、漢音などの音を真似たものです。
古代より「やまとことば」として存在していた音しか持たなかった原始日本語とはその起源を一緒にするものではではありません。
特に、人の基本的な活動を表す言葉としては文字のなかった時代においてもしっかり存在しており、その言葉をたどることは日本独特の生活文化を推測するためにけっして無駄なことではないと思われます。
文字のなかった古代の「やまとことば」を知ることは日本語の原点、ひいては日本文化の原点を知ることにつながります。
現代の言葉の中から漢字で表記された上に読み方として音読みしか持たない言葉は「やまとことば」とは一線を画したものであり曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-39415575538814230642017-08-13T09:18:00.000+09:002017-08-13T09:18:21.268+09:00夏休みで伸ばせ、日本語のチカラ。お盆も近づいてきて帰省ラッシュのピークを迎えています。
高速道路の渋滞情報を聞いただけでもグッタリしてしまう人もいるのではないでしょうか。
私なども渋滞情報を聞いただけで出かけるのが嫌になってしまいます。
帰省先での楽しい時間を過ごしていても帰りの渋滞を考えると楽しさも半減してしまうような気がしたものです。
子供たちや妻は車で寝ていることができますが、運転者はそうはいきません。
クルーズコントロールだけでもとても助かったものですが、いよいよ自動運転の技術が目の前まで来ていますね。
本当の安全技術ではないでしょうか。
ところで、この帰省の活動が幼い子供達の日本語を磨くのにとても役に立っていたことをご存知でしたか?
母語を身に付けようとしている幼年期の子供達にとっても、ある程度国語が分かるようになった児童期の子供にとってもとても貴重な機会だったのです。
ほとんどの人の夏曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-62503191276736461052017-07-31T18:03:00.000+09:002017-07-31T18:03:00.388+09:00日本語習得の難しさの原因他の言語話者から見たときに日本語の習得の難しさを表した例えに以下のようなものがあります。
母語話者同士で会話している内容を理解するのに、その言語の単語をどれだけ知っていたら話している内容を理解できるのかというものです。
もちろん音としてはきちんと聞き取れることが前提となります。
会話している内容の90%以上を理解するために必要な単語の数が言語別に調査されたものがあります。
フランス語・・・ 2,000語
英語 ・・・ 3,000語
日本語 ・・・10,000語
日本語の母語話者同士の会話を理解するためにはとんでもない数の単語を覚えなくてはならないことになります。
しかも、日本語の場合は同じようなことを表すのにもたくさんの単語が存在するだけではなく同音異義語の多さがさらに理解の難しさに拍車をかけていることになります。
世界的に見たときに習得するの曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-35578930697388614142017-07-27T16:43:00.000+09:002017-07-27T16:43:02.829+09:00言語を見れば文明がわかるより早く、より詳しく。
文明の要請はあらゆる分野でこのことを実現し続けていくことではないかと考えています。
人の日常生活においても基本的な欲求の方向として潜在的に存在しているものではないでしょうか。
移動手段としてもより早いものを追い求めています。
いいかたを変えればより高い生産性を常に求め続けているということができるのではないでしょうか。
生産性とは単位時間において処理できる仕事量のことになります。
生産性を上げるためには、同じ仕事量をより早く処理ことが求められます。
いくら早くても結果としての質が落ちてしまっては生産性の評価対象とはなりません。
より高い精度を維持しておくことが時間短縮につながり生産性の高さへつながります。
したがって、過去の文明に触れることは、現在よりもゆっくりとしたものや粗いものに触れることになります。
そこでは、現在の自分のおかれた曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-63250668233038987852017-07-15T05:57:00.000+09:002017-07-15T05:57:12.873+09:00「使える日本語」習得の壁他の母語話者にとって日本語の習得は、中国語と並んで最も難しいランクになっているようです。
このことは、義務教育である中学を修了しても日刊紙を読んで理解することができない者が大多数である実態が物語っていると思われます。
日本においても中国においても、中学卒業時点で日刊紙を読んできちんと理解できる者はほんの一握りであるようです。
簡単に一括りにはできないことは承知の上で敢えてその難しさの原点に迫ってみるトライをしてみます。
中国語と日本語の共通は漢字という文字にあります。
もとは漢語として中国で生まれたものを日本が流用して今の日本語の基本を作りました。
そのまま使っていたとしたら全く同じ言語圏ということが言えたのでしょうが、漢語を導入した時点で文字のない言語である「古代やまとことば」を持っていたことで日本独自の漢語の利用が始まりました。
ここで、それぞれの国の小学校六年間曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-23923320590980615632017-07-06T21:09:00.000+09:002017-07-06T21:09:33.657+09:00ふところの広い日本語文字としての漢語が伝わる前から音だけの「古代やまとことば」としての原始日本語が存在していたであろうことは何度も触れてきました。
だからこそ、漢語が導入されたときにその文字の持つ意味と同じような意味を持つ「ことば」が訓読みとして充てられたことになります。
漢語が伝わる前にどれだけの音しかない「古代やまとことば」が存在していたのかは、今となっては確かめることができません。
それは訓読みの中にも「馬」や「梅」のように漢語の読み(音読み)である「マ」「メイ」から派生した「うま」「うめ」のような例があるからです。
(参照:日本語ではなかった「馬(うま)」と「梅(うめ)」)
そのためにすべての訓読みが漢語の伝わる以前に存在していた「古代やまとことば」とは限らないことになります。
現在使われている訓読みからこれらの分類することはかなりの困難を伴う作業でもあります。
漢語においては文字が曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-71940911680680216142017-06-28T05:48:00.000+09:002017-06-28T05:48:20.772+09:00「あゆ」と「なまず」今が旬の魚に「鮎(あゆ)」があります。
「旬」という意味も最近では「はやりの初め」や「市場に出回り始めるころ」といった使われ方が多くなっており、本来の意味であった「味の乗ってきた最もおいしい数も出回る時期であったり、最盛期をあらわす」ことからは離れ始めています。
この「あゆ」という言葉の音がどこから来たものかは諸説ありますが決定打はありません。
魚の素早い動きをとらえてアイヌ語で矢(アイ)のようだとしたところから転じたものではないかとする説もありますが、今となっては確認するすべがありません。
それでも漢字としての「鮎」については、誰がやったものかは別にして、この魚を占いに使ったことからこの漢字が「あゆ」の読みとして充てられたという説が有力となっています。
その中でも一番具体的なものが神功皇后が朝鮮半島の新羅を攻めたときに占いに「あゆ」を用いたために占いに使う魚ということで曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-60477350632989894362017-06-22T06:04:00.000+09:002017-06-22T21:02:36.797+09:00日本語ではなかった「馬(うま)」と「梅(うめ)」 半年ほどお休みしていたブログの更新ですが、新たな構想のご案内とともに再開することにしました。
今までのように毎日更新とはいきませんが、「現代やまとことば」の普及と啓蒙にこだわった内容で続けていきたいと思います。
まずはもう一度「現代やまとことば」の定義からしていきたいと思います。
現代日本語の中で漢字表記が可能な言葉は訓読みとして使われる言葉
現代日本語の中で漢字表記を持たない「ひらがな」のみで表記される言葉
この二つが「現代やまとことば」の定義になります。
言葉の伝わり方は他の情報と異なり、聴覚によるものがそのほとんどを占めています。
他の情報については目に見える情報である視覚によるものがそのほとんどを占めていることに比べると、文字としての形や文字から理解できる意味がほとんど役に立たないことになります。
特に、日本語の場合には音としては「ひらがなの音」しか持ってい曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-22714509897160688542017-01-17T11:13:00.002+09:002017-07-15T23:55:51.094+09:00文字と音のズレについて日本語には英語のような発音記号がありません。
英語は同じ文字であっても前後のつながりによっては音が変わる使い方がたくさんあるので、単語(文字のつながり)を見ただけでは音が確定できない場合が多くなっています。
そのために音を表す記号として発音記号があることになります。
中国語にもピンインと呼ばれる発音記号の役割を持った表記方法があります。
実は国際音声記号と呼ばれる世界のあらゆる言語の音声を文字で表記するための音声記号があるんですね。
国際音声字母とも呼ばれるこの記号は1888年に最初に制定されて以来、対象としていなかった言語が加わるたびに改定を繰り返しています。
現在ではどんどん付け加えられた記号によって使用されている記号(文字)がどれだけあるのかすらわからないくらいになっている膨大なものとなっています。
日本語には発音記号がない代わりにその機能を担っているものが読み曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-18508261146529029442017-01-11T08:41:00.000+09:002019-09-15T06:49:34.494+09:00「現代仮名遣い」から日本語の音を数える日本語が持っている音については以前に「日本語の音」で詳しく触れてきましたが、今回それを補うための適切な資料を見つけましたので紹介したいと思います。
その資料は文部科学省のホームページに掲載されている「現代仮名遣い」です。
(参照:→現代仮名遣い)
この資料は内閣告示として公開されておりその目的は最初に書かれているとおり、「一般の社会生活において現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころを、次のように定める。」ことにあります。
つまり、ひらがなで表記するときの方法を示したものになります。
昭和61年に改定されており現代ひらがなの使い方の基本となっているものになります。
そこではひらがなを音で五つに分類していますので日本語の音を考えるときに参考になります。
その五つは、1.直音、2.拗音、3.撥音、4.促音、5.長音となっています。
1.直音は一般には五十音表にある清音と曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-18887297249524596022016-11-02T09:49:00.001+09:002016-11-02T09:49:55.940+09:00教わらなかった、日本語の使い方あらゆる場面で言語間の垣根が崩れ始めていると思われます。
日本語の「ありがとう」に当たる言葉を5ヶ国語以上で言える人もかなりいるのではないでしょうか。
2020年の2度目のオリンピックを前にして近年特にインバウンド(来邦者)に注目が集まっています。
東京駅近辺を歩いていても話しかけられる言語は英語だけではなくなってきているのが現状であり、私の住んでいる埼玉県南部でも毎日のように英語以外の言語が飛び交っています。
相手に合わせることを基本的な感覚として軸にしている日本の感覚では、自分のことを伝えることよりも相手のことを理解することに意識が行ってしまうのは仕方のないことです。
同じ環境で中国語を母語とするメンバーがいると自己主張の強さに圧倒される経験は多くの人が味わっているのではないでしょうか。
欧米の言語を母語とする人たちの自己主張には慣れているものの、見た目にも日本人と曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-52821421333781024382016-09-18T10:08:00.000+09:002016-09-18T12:57:30.993+09:00日本語の音ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットと日本語を表記するために日常的に使われている文字は四種類もあります。
複数の文字種類を持つ言語は韓国語(ハングル・漢字)にようにいくつか存在していますが、その文字が混在しながら日常的な文章が表現されているのは日本語くらいではないでしょうか。
たまに見かけるものは固有名詞として言語の表記が登場するもの程度ではないでしょうか。
漢字としての日本語が存在している言葉については四種類の文字での表記が可能となっています。
そして同じ言葉であっても表記されている文字の種類が異なれば日本語としてのニュアンスが違っていることによって使い分けをされていることが日本語の表現を豊かにしている一つの要因となっています。
一つの言葉について表記できる文字の数だけ日本語としてのニュアンス・感覚が異なる表現を持っていることになっていることになります。
一般的な曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-76875627460794736132016-08-31T17:40:00.001+09:002016-09-01T06:03:41.137+09:00文字と音のギャップは大きい母語として日本語を持っていることによって、日本語で伝えるための技術については意識をしなくともある程度身についてしまっていることになります。
そのために特に日本語で伝えるということを意識しなくとも日常的な言語伝達において困っていると感じることはほとんどないと思われます。
ところが、伝わっていると思っていたことが実際には伝わっていなかったり、思っているのとは違った伝わり方をしていることは以外とあることです。
そのことに気がつかないのは、伝わった内容についての確認をせずに言いっ放しになっているからではないでしょうか。
たいして長くもない内容について数人で行なう伝言ゲームは、誰でも経験したことがあるのではないでしょうか。
想像もできないくらいおかしな伝わり方をしていることもあったと思います。同じようなことは日常的に行なわれているのではないでしょうか。
伝えるための二大手法は書く曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-30120434642239809342016-08-12T11:37:00.000+09:002016-10-02T22:29:39.372+09:00日本語で伝えるための技術(4)三回にわたってお伝えしてきた伝える技術は、伝えるべき内容が決まっていいるものに対して具体的にどのような伝え方をしたらよいかの観点から見てきたものでした。
「ひらがなの音」をしっかり発声する
(参照:日本語で伝えるための技術(1))
「現代やまとことば」を使う
(参照:日本語で伝えるための技術(2))
きき手の「きく」活動をサポートする
(参照:日本語で伝えるための技術(3))
最終回の今回は、伝える内容をどのように定めたらよいかについてみていきたいと思います。
書かれている文章を理解することと話し言葉を理解することの一番大きな違いは、いつでも前の内容を確認することができるかどうかということになります。
書かれた文章を読むという行為は、相手の関係ない読んでいる人独自の行為であり自分だけのペースで読むことが可能になります。
分かりにくい部分についてはいつでも曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-15129149928549072202016-08-10T10:49:00.001+09:002018-06-16T14:48:03.935+09:00ひらがなの文字と音日本語が音としては「ひらがなの音」しか持っていないことは何度か触れてきました。
(参照:四種の文字と一種の音)
それはどんな種類の文字で表記しようとも読み仮名としてはひらがなで表記することが多いことからも分かるのではないでしょうか。
読み方の難しい漢字やアルファベットなどには読み仮名が振られることが多くなっています。
読み仮名としては外来語などにはカタカナが使われることもありますが、その音はひらがなとまったく同じものとなっています。
読み仮名の役割としては発音記号としての機能を持っているということができますが、ひらがなの音が完全に表記された文字通りの音になっているわけではないことは日常的に使われている言葉においても気が付いていることだと思います。
「ひらがなの音」が一体いくつあるのかを見てみたいと思います。
現代の五十音表には以下のひらがなが充てられています。
文字数として曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-7595322189448389432016-08-03T09:35:00.002+09:002016-10-02T22:27:05.137+09:00日本語で伝えるための技術(3)過去二回にわたって日本語で伝えるための技術の具体的な内容について触れてきました。
一回目は日本語の伝わり方が「ひらがなの音」によるものであることを確認したうえで、私なりの「ひらがなの音」の練習の仕方をお伝えしました。
二回目にでは「ひらがなの音」で伝えるためには「現代やまとことば」がいかに有効であるかということをお伝えしました。
三回目の今回はきき手の行なっている人の話しを理解するための活動を知ることで、きき手の行なっている活動をサポートする方法についてお伝えしたと思います。
「ひらがなの音」をしっかり発声する
(参照:日本語で伝えるための技術(1))
「現代やまとことば」を使う
(参照:日本語で伝えるための技術(2))
きき手の「きく」活動をサポートする
きき手がどのようにして「ひらがなの音」から理解していくかについては”「きく」の五段階活用”としてじっくりと見て曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-59345902603115603212016-07-29T11:07:00.002+09:002016-10-02T22:30:52.195+09:00日本語で伝えるための技術(2)先回は話し言葉としての日本語が「ひらがなの音」であることを確認して、一音ずつをしっかりと伝えるための技術についてお伝えしました。
(参照:日本語で伝えるための技術(1))
今回は次の段階として伝えるための言葉としてどのような言葉を選んだらよいのかということについて触れてみます。
文字によって意味を理解している言葉が多い日本語は、音としての「ひらがなの音」になった途端に意味を理解するのに苦労をすることになります。
それは聞いている方が「ひらがなの音」を聞いてから行なっている理解するための活動をよく考えてみると分かるのではないでしょうか。
自分でやっているときのことを思い出してください。
「ひらがなの音」からすぐに言葉としての意味を理解していますか。
そこには文字に置き換えるという過程が存在していませんか。
特に、同音異義語がたくさんある言葉などはどの漢字を使っている言葉な曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5523521093080485007.post-60710094423603633432016-07-27T11:07:00.000+09:002016-07-29T12:20:46.754+09:00日本語で伝えるための技術(1)母語として日本語を持っていることによって、日本語で伝える技術については意識をしなくともある程度身についてしまっていることになります。
そのために特に日本語で伝えるということを意識しなくとも日常的な言語伝達において困っているとはあまり感じることがないのではないでしょうか。
ところが、伝わっていると思っていたことが実際には伝わっていなかったり思っているのとは違った伝わり方をしていることは以外とあることです。
そのことに気がつかないのは、伝わった内容についての確認を一つひとつ行なっていないことによるものです。
たいして長くもない内容について数人で行なう伝言ゲームは、経験したことがあるのではないでしょうか。
想像もできないくらいおかしな伝わり方をしていることも少なくないと思います。
伝えるための二大手法は書くことと話すことです。
日本語が四種類の文字を持ちながら一種類の音しか持曲作りをとおして日本語の不思議に気づかされました。同じことを表現するのにとてもたくさんの言葉や音を持っている日本語。http://www.blogger.com/profile/03444423763100006261noreply@blogger.com