2013年6月12日水曜日

変わる外国語の学び方

通常の教育課程を経てくれば、私たちは大学を出るまでに中学3年、高校3年、大学2年(教養課程)の合計8年間も外国語(英語)を学びます。

最近では小学校の5年生から英語の授業が採り入れられ、大学を出るまでは連続して10年間というとんでもない期間を費やします。

全くのド素人が10年という年月を費やせば、大概のことはその道のプロフェッショナル、スペシャリストとなることができます。


それにもかかわらず、大学を卒業しても英語でコミュニケーションができない人が多いのはどういうわけでしょうか?

いまやTOEICスコアは新卒採用の大きな要素になっていますが、850点以上のスコアなのに英語でのコミュニケーション(特に会話)ができない人がたくさんいます。

TOEICのスコアを上げるためだけのテクニックは、いまやいくらでもあります。

反対に実際にTOEICのスコアは550点に満たなくとも、英語でのコミュニケーションに不自由しないどころか、英語で契約書を作ることができる人もたくさんいます。

TOEICのスコアはその人がどれだけ英語に慣れ親しんでいるかの判断基準にはなると思いますが、それを持ってその人の英語力と判断するのは大変危険なことだと思っています。


母語がしっかり身についていないと外国語を学ぶ能力が著しく落ちることはいろいろな方面で語られるようになってきました。

これは海外子女教育振興財団という公益財団法人が、海外で生活する家族に対して母語としての日本語の大切さを訴えているパンフレットです。



この中でも母語としての日本語が身につかないと第2言語としての外国語は使いきれないと述べられています。

今までおつたえしてきたことと同じことがここにも書かれていました。

つい最近、この2011年に発行されたパンフレットを手にしたわけですが、あまりの合致に驚いているところです。

ここでも母語を身につける時期として、基本を身につけるのが4~5歳頃であり母語を使って学習ができる力を養うのが9~10歳くらいまでとされています。

この間に余分な言語を学ばせると「日本語をうしなう」とまで述べられています。


母語は思考そのものです。

人は母語以外での思考はできません。

母語が違えば思考が異なるのです。

それが多様性となるのです。

日本語を母語とする者には日本語独特の思考があることは世界中から認められており、ノーベル賞の受賞者を対象とした研究においても認められています。

第2言語はコミュニケーションのための道具です。

思考する道具にはなりません。

母語でしっかりとなされた思考を第2言語に通訳することができるだけです。


10年近く英語を学んできた学生が、英語での論文も満足にかけない原因は英語学習にあるのでしょうか?

表現力としての英語力に目を向けるまえに、思考力としての日本語力に目を向けてみたほうがいいのではないのでしょうか。

30年以上前に学生が英語論文をかけないことを嘆いた木下是雄先生が書かれた本に「理科系の作文技術」があります。

この本を書いたきっかけを木下先生は「最初はなんでこんな程度の英語が書けないのかと思っていたんですが、ふと気が着きました。彼らは英語ができないいじゃないんだ。日本語ができないんだと分かったんです。」と言っています。


ほんとに近いうちに瞬間言語翻訳ソフトは現実のものとなるでしょう。

その能力は加速度的に上がって、専門用語や言い回しを含めてあっという間に精度も上がっていくことでしょう。

さあ、外国語を学ぶことはどうなっていくのでしょうか?