(参照:「いろは」に隠された怨念)
その時に触れた、「仮名手本忠臣蔵」や「菅原伝授手習鑑」に利用されたとする「咎なくて死す」の暗号は、それらの浄瑠璃や歌舞伎が作られたときには誰もが知っているようなことだったと思われます。
では、そもそもの「いろは」の中に「咎なくて死す」を隠したのは誰であり、どんな目的のために折句として埋め込んだのでしょうか?
この辺をできる限り探ってみようと思います。
現存する最古の「いろは歌」は東京の大東急記念文庫にある「金光明最勝王経音義」という、仏教経典の解説書に書かれているものです。
その形式は「咎なくて死す」を見たように七文字七行(最終行は五文字)となっており、私たちが知っている「いろは歌」の形式とは異なっています。
したがって、「いろは」の原点を探ってみるには、元の形である七行形式で考える必要があると思います。
七行形式から見える姿が、あまりにも強烈なために歌としての七五調を充てて、元の暗号を見えにくくしたと言われています。
いずれにしても、四十七文字のすべてを使い切り意味のある文を考え出すだけでも大変な作業であるのに、そこに暗号を隠したうえに歌としての語調までを整えることは、単なる頭の良さを超越した意図を感じざるを得ません。
「いろは」の作者としては弘法大師空海が有力でしたが、定説はありません。
「いろは」に隠された暗号も、いろんな方面からかなり無理のある解釈までがなされていますが、ここではできるだけ素直に扱ってみたいと思います。
日本とイスラエルの関係については、数限りない物証が見つけられており、いまやその関係を否定することが不可能となっています。
原始日本においてイスラエルとの接点を見つける試みはこのブログでも何度かやって来ています。
(参照:記紀神話と聖書の預言)
この「いろは」に隠された一番有名な暗号である「咎なくて死す」に値する、歴史的にも一番ふさわしいものはキリストではないでしょうか。
日本とイスラエルとの関係を前提に、ユダヤと日本の智が合わさった時にこの「いろは」ができたと考えると、その巧みさと隠されたものを読み解くヒントがあるのではないかと思います。
まずは、角採りです。
四隅の左下はありませんので、角は五つあります。
3つを採りますと以下のようになります。
ずばり「イエス」が現れてきます。
そうです、聖書の物語が「いろは」に隠されていると推察することができます。
この手のマス目を読み解きするときの基本形があります。
- マス目の角を読む
- 縦の辺、横の辺を読む
- 対角線(斜め線)を読む
- ジグザグを読む
まさしく、「イエス」は「咎なくて死す」の見本のようなものです。
こうなると、「いろは」に聖書が隠されているのではないかと推察されます。
すると「イエス」にあるように、イスラエル(ユダヤ)の聖書の言語に近い外来語が含まれている可能性が考えられます。
そのように見てみると。
ここに横一行目の最後に「ヤアエ」が現れます、そして最終行も最後に「モセス」が現れます。
「ヤアエ」は旧約聖書に語られている創造主の名前であり、神様の名前として世界で共通して使われているものです。
「モセス」はイルラエルを導いた、あの偉大な指導者モーゼではないでしょうか。
さらに、「イエス」の後に残っている2つの角を読んでください。
「シト」となります。
いろは歌の角が「使徒イエス」で囲まれているのです。
この先も「いろは」から展開する、折句としての別の歌が見えてくるようですが、私としてはそこにはかなりのこじつけを感じます。
自然と読める範囲のところで、ご紹介しておきたいと思います。