文字のない時代の「古代やまとことば」はどんな使われ方をしていたのだろうか?
現代日本語からこのことを推測できる方法はないものだろうか?
そんなことを考えていたら、思いついたことがありましたので紹介したいと思います。
私は、巨大な言語である日本語には、日本語の中でも共通言語が必要ではないかと考えています。
特に、文字種類の多さ(平仮名、カタカナ、漢字、アルファベット)に加えて、漢字には同じ漢字であっても読みの違う(音読み訓読み)ものまで存在します。
更には、語順の基本である文法による規制がきわめて緩いうえに、主語や述語までが省略されることも多々あります。
一つのことを表現しようとしたときに、いったいどれだけ多くの表現の仕方があるでしょうか?
そのために、日本語の中での共通語として、ひらがなと漢字の訓読みによる「現代やまとことば」を提唱しています。
ひらがなは、文字のない時代の「古代やまとことば」を書き表すために発明されたものであり、文字に意味はありません。
発音を表すための文字であって、音によって意味を表す文字です。(表音文字)
漢字の訓読みは、漢語として音読みだけで輸入された文字に、送りがなとひらがなによる読みを与えたものです。
その読みは、もともとの日本語が持っていたひらがなによる言葉であり、音しかなかった言葉に漢字という意味のある文字を充てたものです。
漢字は文字そのものが意味を表すものであり、音(音読み)に意味はありません。(表意文字)
訓読み漢字は、「古代やまとことば」からつづく日本オリジナルの音による言葉に、漢字という輸入言語を用いて意味のある文字を与えたものです。
したがって、音としてはひらがなとしての古来の言葉を継承しながら、文字としては漢字を用いて意味を分かりやすくしたものと言うことができます。
ここで少し、音読み漢字を見てみましょう。
熟語を構成することにおいては、もうすごく便利なものであり、並んだ漢字によって意味が分かります。
例えば、「会(カイ)」の一文字ではとても抽象的な様々な意味を受け取れますが、二文字の熟語になるとグッと具体的な意味になります。
「社会」、「会社」、「大会」、「会場」、「会合」、「総会」、「会費」、「開会」、「再会」など、限りなく出てきます。
これにさらに文字数を増やして三文字にすると、一段と具体性が上がります。
「村社会」、「大会社」、「本大会」、「小会場」などと二文字熟語よりもさらに限定的な表現ができます。
文字数が増えれば増えるほど、意味を表す文字が増えますので、より限定的な表現が可能になります。
精確さを求められる表現には漢字が増えるのは、こういう効果があるからなのですね。
音読み漢字は、そのほとんどが名詞での表現になります。
音読み漢字で動詞となるものは、「論じる」、「講じる」、「牛耳る」などでしょうか。
さて、訓読み漢字です。
訓読み漢字の多くは動詞です。
日本オリジナルの動作を表す言葉を漢字の意味を持って表したものがほとんどです。
ですから、同じ読みをもつ訓読み漢字が多数存在します。
ここから、「古代やまとことば」を推測することができると考えています。
例えば、「かく」という動作を表す読みを持つ漢字を拾い出します。
「書く」、「描く」、「画く」、「掻く」、「欠く」などが出てきます。
同じ「かく」という読みを持つ漢字ですが、文字を見ることによって具体的な動作の違いがが見えてくると思います。
これらの同じ訓読みを持つ漢字に共通する動作が、「古代やまとことば」としての「かく」が表すものと推測することができます。
訓読み漢字の成り立ちを逆にたどった方法です。
もともと「かく」という動作を表す言葉が存在していました。
それをより具体化するために意味のある文字として、漢字の意味を充てて作られたのが訓読みです。
同じ読みを持つ訓読み漢字を集めて、共通する動作を見つけてみれば、その読みが持つ「古代やまとことば」としての使われ方が推測できそうです。
「かく」の場合は「掻く」と「欠く」が大きなヒントを与えてくれますね。
動作そのものを表しているからですね。
「書く」、「描く」、「画く」はその対象によって使い分けをしていることが伺えます。
こんなことができるのも、現代日本語が文字の無かった時代の言葉を継承し続けているからですね。
「やまとことばの使い方探し」やってみてはいかがでしょうか?