2013年6月27日木曜日

昨日、出会った「やまとことば」

今回はひさしぶりに「やまとことば」にもどって書いてみたいと思います。

実は、そう思わせてくれる出来事がありました。

昨日、友達のサトカズのセミナーに参加して第22代UWF世界ライトヘビー級チャンピオンだった田久保剛さんのお話を聞いてきました。

25年間、自分探しをしてこられて現在はメンタル系のコンサルタントして活動をされているその話は、ご自身の経験から辿りついた「いのちの使い方」でした。(内容はこちらを参照してください。)

極めて納得し共感できる中身でしたので、懇親会が終了して帰りの電車の中でもメモと写真を見直していました。

話を聞いているときもそうでしたが、話が先に進んでいくほどすっと腹に落ちてきて分り易くなってきます。

1時間弱という時間でしたが内容がきちんと整理されており、伝えたいポイントがきわめて明確でした。

話し方も見せる内容もこなれている感じで安心感があり、ご自身の経験を中心にした内容は心地よい共感と納得感に浸ることができました。

どこかにそれだけでは言い切れないある種の興奮感を持ちながら、写真に撮った資料を見直していた時です。

「あっ!」思わず電車の中で声を上げてしましました。

何となくこうではないかなと思いつつも絶対間違いないという感覚を持った、例のひらめきが訪れました。

過去の経験の話や、テーマの導入部よりも田久保氏の言いたいポイントは「やまとことば」の嵐なのです。

漢語やカタカナで始められた導入部が一番言いたいポイントになるとどんどん「やまとことば」に置き換えられていくのです。

過去の経験や現在の事象で良しとしない内容には漢語がバンバン使われています。

言いたいことになってくるとどんどん「やまとことば」が増えてくるのです。

「自分」は「己(おのれ)」に換わってきます、「使命」は「命の使い方」に換わってきます。

「本物の自分」は「すでにある自分」に、「素直」が「今に在る生き方」に換わっていきます。受け入れやすさの理由がここにもあると確信しました。

ご本人が意識してやっておられるかどうかはわかりませんが、数多くやられているうちに聞き手の反応を感じながらこのようになってきたのではないかと思います。

とくに精神的なことや自然との融合についてのことは「やまとことば」(ひらがな表現と言ってもいいかもしれません)は極めてふさわしい表現方法なんだろうと思います。


ご自身も使うのに抵抗があるように見受けられた言葉がいくつかありました。

マーケティング、エネルギー、神・・・

この言葉を使ったほうが伝わりやすいかなと考えられた跡がうかがわれましたが、使っていて納得されていない様子も漂っていました。

カタカナはエネルギーの使い方(「本音エネルギーの出し方」)を除いてはほとんどがネガティブな表現の場合に使用されていました。

「神」は人前で使うのにはとても難しい言葉です。

聞き手の「神」に対しての感覚を確認できるまでは使わないほうがいい言葉ですね。

田久保氏はこの言葉で自然との融合、人の判断や感性を越えたあるがままの世界を表現しようとしたのだと思います。

目に見えるところには「神」を書いていませんが、口にしたときにされたフォローはその難しさをよく御存知なことがうかがえました。


「やまとことば」は決して昔の言葉だけではありません。

現在の私たちが使っている言葉にも「やまとことば」と言えるものはたくさんあります。

私たち日本人の心には理屈抜きに響く言葉です。

「やまとことば」の解釈として難しいことを言う人はいっぱいいますが、私は「ひらがな言葉」でいいのではないかと思っています。

もちろん、厳密に言えば違うのですが決まりはないのです。

本当に言いたいこと伝えたいことはひらがな言葉で表現してみると思った以上に効果があると思いますよ。

漢字は訓読みにしてしまえば「やまとことば」になることがほとんどです。

ひらがなとの組み合わせで気楽に使ってみましょう。



あらためて「やまとことば」の魅力に気づかせてくれた田久保剛氏と、この機会を作ってくれたサトカズ氏に感謝です。