2013年6月29日土曜日

日本語の危機(明治維新)

日本語の継承・存続において一番の危機は漢語が導入された飛鳥、奈良時代であったことは今まで何度か触れてきました。

このときの奇跡的な対応がその後の日本語の存続に大きな影響を与えました。


そして次の大きな危機は明治維新でした。

政治、文化、軍事あらゆることで徹底した欧化政策を、しかも急いで成し遂げないと列強の支配下に入らざるを得ない状況でした。

夏目漱石をして「こんな安普請で国を作り上げて、この国は本当に大丈夫なのか。」とも言わしめたような急ぎようでした。


あわててやったことの影響は100年以上たった現代に微妙なズレが大きくなっているものも多くありますが、原日本語を守りながら嵐のようにやってくる外国語に対応したパワーは知れば知るほど頭が下がる思いです。
(参照:100年たって微妙なズレが

開国以来、列強の帝国主義的植民地政策に対抗すべく、早くに西洋の技術を受容し、産業化を進め、国力を充実する必要がありました。

明治維新によって、近代化、西洋化を進めようとした日本にとって、西洋の思想、政治、経済用語はどうしても必要な物でした。


次の様な言葉が次々に作られまたは流用されていきました。

社会・存在・自然・権利・自由・憲法・個人・近代・美・恋愛・彼/彼女・芸術・・・・

面白いのは「憲法」と言う言葉です。

この時に作られた漢字の組み合わせですが、これが中国に渡ってそのまま中国語として「憲法」として使われていきます。

現代中国の言葉で日本から逆輸入された言葉を探すと意外とあるようですね。


具体的な物があれば言葉をあてることは比較的簡単にできます。

あてる言葉がなければ外国語のままの音でカタカナでもいいわけです。

ところが哲学や文学の芸術の領域になると抽象的な概念を言葉にしなければなりません。

たとえば「愛」という言葉です。

もともと日本語に仏教用語として「愛」という言葉はありました。

しかし、それはいわゆる西洋で言う「love」とは異なっており、翻訳するのに苦心した跡がうかがえます。

「恋愛」という言葉はこの時に生まれています。


二葉亭四迷は「浮雲」の中で「ラヴ」と表記しました。

その後「愛」と書くようになりました。

彼は翻訳の中で出会った一行に四苦八苦します。

「I love you.」の一行です。

前後の脈略もあります。

二葉亭四迷はこれを「死んでもいい。」と訳したそうです。


同じものを夏目漱石が訳したものがあります。

漱石はこれを「月がきれいですね。」と訳したといわれています。

「君を愛している。」という言葉は今でも私たち日本人の感性にはなじまないものだと思います。

頑張ったところで「君が好きだ。」程度ではないでしょうか。

政治、芸術、軍事あらゆるところでこのような翻訳が行われたのです。


この時にフルに対応したのが漢字です。

その造語力は世界の言語学者が認めるところです。

この漢字の造語力とカタカナによる直接的な語彙の取得によって、原日本語は守られたのです。

その守りは直接的な外国語との接触によって、さらに強固なものになったのではないかと思っています。


歴史的にはこの時にヨーロッパ言語に征服されてもおかしくなかったはずです。

この時の経験が次に迎える太平洋戦争後のアメリカ英語への対応において大きな力となっていることは言うまでもありません。

日本人独特の発想や思考は一人ひとりの母語である日本語によってなされています。

2000年以降のノーベル賞における自然科学分野(物理学、化学、生理学・医学の3分野)の日本人の受賞者は13人となっています。

この数はアメリカに次いでいるとともに全ヨーロッパの合計よりも多いのです。

もっと日本語に自信を持ってもいいようですね。