2016年6月8日水曜日

「ことば」と「言葉」

世界には文字を持たない話し言葉だけの言語もたくさん見つけられています。

それでも、世界の文化文明を作り上げてきた言語はすべてが文字を持っていると言うことができます。

そのなかでも複数の文字を持った言語と言うものは決して多くはありません。


特別な用途に使用する場合に限らず日常的な使用においてもひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットを意識することなく使っている日本語は、世界でもきわめて珍しい言語であると言うことができます。

しかも、一番一般的であり標準的な表記方法においてさえ漢字と仮名の混合文(和漢混淆文)となっており二種類の文字が日常的に混用されていることになります。

過去においては文化の交流期や統治権の変更などによって文字が混用されていた地域もあるようですが、第二次大戦後70年を超えた現在では言語の流動性はかなり落ち着いたものとなっていると言えます。

その中でも、日常的に複数の文字を使いまわしている言語である日本語は特筆すべきものであると言えます。


言語が知的活動のための唯一のツールであることを考えてみれば、この日本語の特徴は常に日本語を母語とする者に大きな影響を与えていることになると思われます。

文字の性格を示す分類としては表音文字・表意文字(最近では表語文字とも言う)がいちばん認知されているものだと思います。

それでも現存する文字のなかで完全なる表音文字も表意文字も見つけることは出来ていないと思われます。

主要な機能としてどちらかに分類することは可能ですが少なからず他の要素も持った文字がほとんどではないでしょうか。


表音文字と言われる文字であっても文字の組み合わせによっては同じ文字であっても音が変わる例外を持っていることが多くなっています。

あえて完全な表音文字を探すとするといわゆる発音記号としての文字記号になるのではないかと思われます。

現存する文字のなかで唯一の表意文字であると言われている漢字であっても「夜露死苦」(よろしく)に代表されるような表音的な使い方は意図的であっても目に触れることが多くなっているのではないでしょうか。


言葉としての日本語を考える時にその言葉がどのような文字によって表記されるのかはそれだけで受ける感覚が違ったものとなっています。

この感覚が同じであるのならどんな文字が何種類あろうとも関係ありませんが、実際にはコピーラーターなどの言葉を商売にする人たちなどはこの感覚の違いをうまく利用することが求められていたりします。

同じ言葉に対しても文字の使い分けができることは日本語の感覚において大きな役割を持ったものとなっているということができます。

表記文字が違っただけで同じ言葉であっても感覚の違ったものとして伝えるチカラを持ったものとなっていると言うことではないでしょうか。


伝わる感覚の異なる複数の表記文字を持っている日本語ですが、話し言葉としてはその文字に対応した使い分けは可能となっているのでしょうか。

日本語の持っている音を調べてみると基本音というものが見えてきます。

仮名の50音(実際には46音)に濁音・半濁音の25音を加えた71音が基本の音だと思われます。

小さな仮名で表現されるような音便などは基本音のバリエーションとして扱うことができると思います。

世界の主要言語の中では持っている音の数は極めて少ないものとなっています。


日本語の持っている言語の音は「ひらがなの音」の一種類しかないことになります。

同じ言葉であることの認識は同じ音であることによって行なわれています。

同じ言葉を文字を変えて表記することは可能であってもその文字に合わせた音を使用することはできません。

どんな文字を使用したとしても言葉の音は同じものとなっていることになり、音となった言葉にとっては文字の違いは認識されないことになります。


話しことばと書かれた文字の感覚の違いは他の言語に比べてとても大きなものとなっていると思われます。

わかっている範囲で漢字を除く現存文字はすべてが表音文字だと言われています。

一種類の表音文字しか持たない言語は、書かれたものであっても話されたものであっても日本語ほどの大きな感覚の違いを持ったものとはなっていないことになります。

それは文字自体が意味を持たない音を表す表音文字であることも大きな要因となっていることになります。


日本語や中国語は文字自体が意味を持った漢字を使っていますので、話し言葉よりも漢字を用いて文字として表記した方が意味が伝わりやすいものとなっています。

そのおかげで中国ではお互いには話し言葉では意味が通じない方言がたくさん存在していても文字によって共通の理解ができるようになっているのです。

複数の文字表記の中に漢字を持っている日本語は中国語に比べるとさらに話しことばと表記言葉のギャップの大きなものとなっているのではないでしょうか。


文字を伴った言語として日本に最初に入ってきたのが漢語です。

当時の世界最先端の文明を持った言語です。

漢語を理解して使えることが世界の最先端文明に触れる近道だったのです。

政治の仕組みから生活まであらゆるものに使われていきました。

このまま漢語が日本語として定着してもおかしくなかった環境だったと思われます。

むしろ、その方が自然だったのではないかと思われます。


ところが、その最先端文明の言語である漢語を利用して文字を持たなかった話しことばだけの古代日本語(「古代やまとことば」)を表現するための文字として仮名を生み出していくことが行なわれたのです。

仮名が定着するまでは大変な労力がかかっています。

このことは、文字としての優位性を持った漢語をもってしても駆逐できないほど文字を持たない「古代やまとことば」が浸透し定着していたことを伺わせる事実です。

漢語に比べれば持っていることばもはるかに少なく利便性も低いはずの「古代やまとことば」を表記するための表音文字を、表意文字である漢語を利用することによって作り出してしまったのです。

それだけ「古代やまとことば」と漢語は感覚的にも異なったものであったことがうかがえるのではないでしょうか。


このことによって日本語の音を表す文字ができあがっていったのです。

「あいうえお」が固定化され教育に用いられるようになったのは戦後でありまだ100年もたっていません。

文字のなかった「古代やまとことば」を表記するために作られたひらがなはつい最近まで「いろは」によって継承されてきていたのです。

それが「あいうえお」に受け継がれていくことになったのです。


ひらがなは「古代やまとことば」からつながる日本語の音の感覚を伝える大切な表記文字なのです。

ひらがなでしか表記することができない「ことば」にこそ日本語本来の基本的な感覚が伝えられていることになります。

千年以上前の「ことば」を現存する「ことば」で理解することができる言語はどれだけ残っているのでしょうか。


同じ言葉であってもひらがなで表記することによって不自然さを感じるものがあると思います。

日本語の基本的な感覚に合っていない言葉と言ってもいいのではないでしょうか。

話しことばとして使うためには不向きな言葉ということができると思います。


話すことの音を意識して「やまとことば」とかかわりが深いと思われる場合には「ことば」とひらがな表記をしています。

「やまとことば」が定義が分かりずらいので、「ひらがなことば」としてその由来にかかわらず「現代やまとことば」として扱っています。

文字として書かれたもののことを「言葉」と漢字で表記しています。


表意文字である漢字が表しているのは「言葉」としての意味になります。

音読み漢字は「ことば」にはなりません。

ひらがなになった時に不自然さがあることが分かるのではないでしょうか。

この不自然さを感じることが日本語が持っている基本的な感覚ということになるのでしょう。


漢字には造語のためのとても便利な機能が有ります。

明治期に大量の外国文化の導入と富国強兵を急がなければならなかったときに役に立ったのが漢字による翻訳と造語です。

広辞苑一冊にも相当する20万語以上が作り出されたとされています。

現在使っている漢字言葉のほとんどがこの時に造り出されたものと言われています。

「明治の漢字」の画像検索結果

日本語が宿命的に持っている「ことば」と「言葉」のギャップはうっかりすれば気づかずに済んでしまいます。

意味と感覚とのギャップでもあると言うことができると思います。

「ことば」の意味と「言葉」の意味の二重構造が日本語の特徴かもしれないですね。

言語の持っている感覚は「ことば」の方なのですが、「言葉」の意味に振り回されないようにしたものだと思います。



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