2016年6月3日金曜日

日本語の感覚を確かめる

日本語におけるコミュニケーションの難しさは話し言葉と書かれた文章とのギャップの大きさにあると思われます。

日常的に使用されている日本語を表記する文字は、ひらがな・カタカナ・漢字・アルファベットの4種類があります。

世界のどんな言語でも4種類の文字を日常的に使用しているものは他にはないのではないでしょうか。


同じ言葉であっても表記文字の違いによって4種類の感覚の使い分けが自然と行なわれていることになります。

ところが話し言葉としては日本語の音は「ひらがなの音」の一種類しかありません。

本人はカタカナやアルファベットを使い分けて発音しているつもりでも実際には「ひらがなの音」としてしか伝わっていないのです。


英語をできるだけ英語らしく発音するためには、英語であることを明確にするためにも「ひらがなの音」を使わないことが求められます。

言語として持っている音が全く異なっているから少なくとも日本語ではないことを最初に分からせる必要があるからです。

アルファベットとして使用している文字は英語ではありません。

日本語の一部でありその音については「ひらがなの音」で使用されていることになります。


それはアルファベットの読み方そのものが日本語のものであり英語では通用しないようなものとなっていることでもわかるのではないでしょうか。

英語で使用されているアルファベットの音と日本語で使用されているアルファベットの「ひらがなの音」は全く違ったものとなっているのです。

表記している文字が同じだけにややこしいのですが、口頭言語として音としての意味しか持たないアルファベットは表音文字として使用されていますので表記することよりも音にすることの方が重要な活動になります。

したがって「ひらがなの音」にはない音が大半を占める英語の音は日本語を母語とする者にとっては真似することが大変難しい音となっているのです。

つまりは、英語の音は日本語話者にとっては言語の音として認識していない音ということになります。


英語の文化は始まった時点で話し言葉と文字の両方を持っていました。

それは文字を持った文化から継承したものだからです。

最初から話し言葉と文字が一緒にあるのが当たり前の環境だったのです。


ところが日本語の文化は文字としての漢語が導入される以前にも話し言葉しかない原始日本語としての「古代やまとことば」が存在していたことが確認されています。

当時の先進文明である漢語が導入されたときに漢語によって言語が統一されることなく、その漢語から「古代やまとことば」を表記するための文字である仮名を生み出してしまったのです。

漢語だけでは表現することができないものが根付いていたことをうかがわせる事実です。

漢語を利用しながらもその漢語から原始日本語である「古代やまとことば」を表記するための文字を生み出したことになります。

以降、「古代やまとことば」を継承する言語の表記方法としての仮名と先進文明を享受するための言語としての漢語がずーっと共存していくことになります。


ひらがなは文字のなかった原始日本語である「古代やまとことば」を継承している言語となっているのです。

やがて仮名は日常的な言語として定着していきます。

漢語は公式な文書やインテリ層の教養の証として定着していくこととなります。

そして日本語としての標準表記方法としての漢字かな交じり文(和漢混淆文)のスタイルが出来上がっていくことになります。


世界の現存する言語の中でも文字のなかった時代の言語をそのまま継承している言語はほとんど見当たりません。

しかもその音を文字のなかった時代より継承してきている言語は日本語くらいではないでしょうか。

日本語の感覚はひらがなの言葉やひらがなの使い方の中に脈々と継承され続けているのです。

ひらがな以外の文字は他国の先進文明や新しい技術・考え方などを日本語として取り込んできたものなのです。


したがってどんな言葉を使用するにしてもすべてひらがなとして表記し「ひらがなの音」として発してみることが日本語の持っている基本的な感覚を確認するための一番良い方法となります。

音読み漢字の熟語はひらがなとして表記したり音にしてみるとよく分からないものになります。

日本語の感覚の伴っていないものとなっていることの表れになります。


漢字の便利さは文字そのものが意味を持っている表意文字(表語文字ともいう)であることになります。

「ひらがなの音」を必要としなくとも言葉としての意味が文字から理解できてしまうからです。

これは文字のない「古代やまとことば」が持っていた言葉としての感覚としては異なったものです。

日本語の持っている基本的な感覚とは異なるものです。


どんなに単語を並べたとしても論理や内容の理解は「ひらがなことば」である「てにをは」や接続詞などの役割によってでき上がっているのです。

漢字やカタカナ・アルファベットは名詞としての新しく取り込んだ物や技術・考え方などを表しているだけでありそれらの関係である論理を作り上げることはひらがなを抜きにしては不可能なのです。

日本語の感覚はすべてひらがなによって継承されてきているのです。


もちろん「古代やまとことば」にも多くの名詞や動詞が存在していました。

それらは「ひらがなことば」で表わすことができる極めて基本的なものとなっています。

場合によっては漢字が充てられていたとしてもひらがなで表記した方が適切なこともたくさんあるものとなっています。


まずは自分の使っている言葉や伝えたいことをひらがなに置き換えてみることが日本語の感覚に合っているのかどうかを確認できる行為になります。

日本語を母語として持っている人には本人が意識しなくともこの感覚が備わっています。

しかも、言語を使って行なわれるあらゆる活動において影響を与えている感覚となっているのです。

つまりは、日本語を母語として持っている人にとっては誰にとっても理解できる基本的な感覚であると言うことができるものなのです。


言い方を変えれば、日本語の母語話者はこの基本的な感覚によって日本語によるコミュニケーションが可能となっていると言うことができるのです。

日本語同士でも理解できないことが増えてきました。

若者たちは新しい言葉を生み出す天才です。

そんな中でも日本語の持っている基本的な感覚は世代や時代を超えて共通しているものとなっているのです。

その感覚は文字のなかった「古代やまとことば」につながる感覚でもあるのです。


ひらがながなかったら漢語を導入した時から日本語は中国語文化圏に取り込まれたものとなっていたことでしょう。

皆に自然と身についているこの感覚を大切にして活かしていきたいものです。

世界に誇る文字のない時代のことばを継承した感覚を持った言語としての歴史伝統的な背景がすべて反映されたものなのですね。

しっかり活かしていきたいですね。


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