また人によっては万葉集、古今集、新古今集の時代の言葉とする人もいます。
あるいは明治維新で大量に言葉が作られたり入ってきたりしたとき以前の、漢語でない言葉とする人もいます。
どこの時代を起点として見ても、それ以前にあった日本独特の言葉ということでいいのではないかと思います。
今となってしまっては、漢語の導入前の言葉か、漢語の導入後にできた言葉かなんてほとんど調べようもないですからどっちでもいいのではないでしょうか。
何となく懐かしい響きを持ったひらがな言葉、そんな意味合いでもいいのではないかと思っています。
さて、今回は数についてみてみます。
やまとことばで一から十まで言えますか?
「ひい・ふう・みい・よう・いつ・むう・なな・やあ・ここ・とお」ですね。
数え方としては「ひとつ・ふたつ・みっつ・よっつ・・・・・とお」もありですね。
これ時々一部が普通の生活の中に顔を出すんですね。
1から10までを普通に「イチ、ニ、サン、・・・」と言ってください。
次に反対に10から1に降りてきてください「ジュウ、キュウ、ハチ、・・・」ですね。
さて、上がるときと下がるときで言い方の違うものがありませんでしたか?
そう、普通に数えたら2つあったと思います。「4」と「7」です。
上りが「イチ、ニイ、サン、シイ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、キュウ、ジュウ」。
下りが「ジュウ、キュウ、ハチ、なな、ロク、ゴ、よん、サン、ニイ、イチ」。
この「よん」と「なな」が「やまとことば」なんですね。
「よん」は「よう」から転じたものですね。
上がっていく使いたかがほとんどですので、そのときはきちんと漢語の音で規則正しくいきます。
しかし、あまり使わない下がってくるときにちらっと本性が出るのですね。
さて、では「十一」のことを「やまとことば」では何というでしょうか?
また「二十」のことは何というでしょうか?
これも定説がないんですね。
勝手に考えていいんですね。
楽しくなってきませんか?
紀貫之が女の振りをして書いたとされる「土佐日記」にヒントがありました。
「二十一日(ニジュウイチニチ)」を「二十日(はつか)あまり一日(ひとひ)の日」などと表現しているところがあります。
これから類推するに「十一」は「十(とお)あまり一(ひと)」となりそうですね。
「とおあまりひと」って聞いたことあります?
ということは「十二」から先は「とおあまり・ふたつ、とおあまり・みっつ、とおあまり・よっつ、・・・とおあまり・ここのつ」となるわけですね。
聞き覚えがありませんね。
また「二十」は他の文献でも「はた」というのは結構出てきます。
これは今でも「二十歳(はたち)」「二十日(はつか)」としてお目にかかるところですね。
「三十」も「三十路(みそじ)」「三十日(みそか)」として使われています。
「青い山脈」や「王将」を作った、西條八十(・・やそ)とういう素晴らしい作詞家もいましたね。
「二十」「三十」「四十」から先については「はた、みそ、よそ、いそ、むそ、・・・・ここのそ」となるようですね。
これ以上に大きな数字ですと「百、千、万」を「もも、ち、よろず」と言ったものがあります。
でも、100より大きい数字を具体的に数として読んだものは見たことがないですね。
大きな数という意味で「百、千、万」が使用されていて、現代のような正確な数字の位としてあったわけではないようです。
このようにして見てくると、勝手に推測しますと(また専門家に怒られますかね・・・)、昔は「十」より大きな数字を具体的に使うことはなかったのではないかと思います。
いつごろまでと言われても困りますが、漢語が導入されるまではせいぜい「十」までの数字で実生活は足りていたのではないでしょうか。
それ以上はせいぜい「二十、三十、四十」といったくくりで充分だったと思われます。
十までならば指を使えばかなり正確に数えられたはずですし・・・(私もやりました・・・)
指の数を越えたところから「とおあまり・・・」とどう考えても数字の読み方ではないですよね。
あとはべらぼうに大きな量を表すのに「百、千、万」が出てきたと思われますが、これはしばらく後のことだと思われますね。
どこかで、私よりもまともなご意見を見かけたらまたご案内させていただくことにして、数と「やまとことば」で遊んでみました。
また一緒に遊んでください。よろしくお願いします。
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