2013年6月1日土曜日

やまとことばを守りきった漢字とカタカナ

日本語には厄介なことに表記文字が4種類もあります。

漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット。

基本的な音は50音で母音が5つしかないので、話すだけなら学ぶのに優しい言語です。

ところが読むこと書くことになった途端に、世界でも最も難しい言語の仲間に入ってしまいます。

でも、このことによってむかしからの伝統の言葉「やまとことば」(和語)を守り伝えてくることができたのです。


強力な文明や軍事力と一緒にやってくる外来語に対して漢字とカタカナで対応してきたのです。

そして、ひらがなで日本独自の大切な「やまとことば」を守ってきたのです。

漢字とカタカナで対応できない外来語に対しては、彼らの言語そのままのアルファベットでも対応するという離れ業まで披露するのです。

しかも、アルファベットについては日本語に置き換えるため変換機能としてのローマ字を小学校4年生であっという間に身に着けてしまいます。


私は初めのうちは日本語を身に着けるべき大切な時になんでローマ字を教える必要があるのかと思っていました。

中学になって英語を習い始めるとローマ字を身に着けたことがかえって邪魔になったことを覚えています。

ところが今は、ローマ字をこの時期に習うことに賛成しています。

ここでローマ字を習うことによって、本来の伝統的なやまとことばが外来語に侵略されることを防御してくれているのです。

ローマ字は表記こそアルファベットですが、日本語なんです。

子供たちは新しいことをすぐ自分の中に取り込んでしまいます。

英語を習い始めたころの新しい音との出会いや、日本語に近い言い回しなどは言葉遊びとして洒落としてすぐに取り込んでしまうのです。

その言葉が直接すぐにひらがなに置き換えられることが起こっていたら、「やまとことば」はこれほど昔の姿を保っていなかったでしょう。


日本の古来よりの言葉が消えていく危機は、歴史上3回あったと言えます。

1回目が中国の漢語と仏教文化を取り込んだ時。

2回目が明治維新でヨーロッパの文化と言葉を取り込んだ時。

3回目が太平洋戦争後のアメリカ世界戦略の先鋒として英語を取り込んだ時。

3回目の危機は今現在も続いています。

この中で一番大きな危機は1回目だったのはないでしょうか。

この危機を乗り切った内容は先々回のブログ(漢語導入に見る日本語の奇跡)で確認していただきたいと思います。

カタカナの本来の目的は漢語で書かれたものを理解するための補助的な言語でした。

それを外来語を導入するための第一の道具として用いた対応力はすごいことだと思います。


明治維新の時はカタカナと同時に、漢字の造語力が大活躍をしました。

福沢諭吉をはじめとした知識人たちが、ヨーロッパの文化や民主主義の概念に関する言葉を次々と漢字で表現し、新しい言葉を作っていきました。

あまりに急ぎすぎて微妙にニュアンスの異なる漢字を当ててしまったために、100年を経過してズレが表面化してきた言葉もありますが・・・。(参考:100年たって微妙なずれが現実に・・・


そして、今なお続いている英語による第3の危機。

やまとことばを守るバリヤーはしっかり機能していますが、心配している兆候がいくつかあります。

小学校5年生から英語を学ぶことが必修となっています。

最高学府の授業は日本語ですが、論文は英語でないと世界に通用しません。

技術的に瞬間翻訳が可能な状況が来ています。

せっかく守られきた「やまとことば」を使う場面が激減しています。

「やまとことば」に触れる機会が激減しています。

言葉としてのありがたさ高尚さは私たちの感覚においてどうもこのようになっているようです。


アルファベット>カタカナ>漢字>ひらがな


先人たちが1000年以上の間守り育ててきた「やまとことば」とその独自の文化は、確実に普段の生活の中にそして私たちの思考に息づいています。

当たり前すぎてあらためて見ることをしていないだけだと思います。

時々、見直してあげる必要があるのではないでしょうか?  ひらがなで。


漢語の母国である中国は、略字がどんどん広がっています。

元来あった難しい漢語がどんどん消滅して、文化の伝承に危機を抱いています。

韓国においては長い間の漢字の使用禁止によってハングル語のみによる教育の結果、長かった漢字使用時代の文化が理解できないことが起きています。

歴代20人の首相経験者による漢字復活の建議書が出されたりしており、国語が揺らいでいます。

両国とも外来語ではなく自国内の状況で国語が揺らいでいるのです。

そこに英語という世界戦略語が押し寄せてきています。

中国も韓国も最高学府の授業はかなりの分野を英語が占めています。


私たちはなんと恵まれた環境にあるのでしょう。

日本においては言葉の乱れが問題になることはあっても、国語そのものが侵されることはありません。

どんな外来語の襲撃にあっても、カタカナと漢字とアルファベットが二重三重に守ってくれます。

もっと自信を持ってひらがなを使いませんか?

世代間のギャップもひらがなに戻れば理解できるのではないでしょうか。

孫との会話はひらがなではないですか?

やまとことばというと特別の言葉のように聞こえますが、ひらがな言葉といえばもっと気楽に付き合えないでしょうか。






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