古代から近代にいたるまで、日本は中国の文化圏の中にありました。
それに伴ってその言語と文字を学びとっていきました。
その言語は漢語として日本語の中に大きな比重を占めています。
漢語は中国の文化を学ぶための前提として必要だったばかりでなく、その高度な文明に対する尊敬の念を持って用いられていきました。
漢語を用いるほうが和語を用いるよりも荘重だと思われていたようです。
時の文化の担い手は中央の高官でありインテリたちです。
彼らが公の言語として漢語を用いれば、当然それに対するあこがれが生じます。
つまりは同じことを表現するのに和語よりも漢語のほうが高尚に思われることになります。
現代の私たちにもこの感覚は引き継がれています。
たとえば「お酒(さけ)」「お人(ひと)」とは言わずに「御酒」「御仁」と言うようなことです。
また、漢語はその表現が簡潔で含蓄に富み、文字で書き表せば文字数が少なくてすみます。
読む場合もその表意性によって一目で意味が分かるという利点があります。
「辛うじて勝った」「惜しくも敗れた」を「辛勝」「惜敗」と書けばかなりの紙面の節約ができます。
以上のようなことから漢語を必要以上に用いるようになったと思われます。
そのために中国から伝えられた本来の漢語だけでなく、日本においてあらたな漢語が作られていくことになります。
これが和製漢語です。
正確には本来の漢語ではないので日本語なのですが、時間を経るにしたがって漢語と見分けがつかなくなっている和製漢語も増えてきています。
代表的な和製漢語をその成り立ちとともにいくつか見ていきたいと思います。
音を聞いても文字を見てもわからない漢語がありました。
何とか実物を確認することができて、日本にもある「おほね(おおね)」のことだということがわかりました。
この「おほね」に対して意味が伝わるように漢字の意味と音を考えて、「大根」をあてて「おほね」と読ませました。
これを漢字の持つ音で読むことになると「ダイコン」の出来上がりです。
やまとことばの「おほね」が和製漢語の「大根」になりました。
私の出生地のある駅名が「大根」と書いて「おおね」と読む小田急線の駅でした。
今は東海大学前という名になってしまいましたが、「おおね」の由来の碑が残っています。
この場合はもともとのやまとことば「おほね」があり、それを意味と音を考えて漢字に当てました。
それを音読みすることによって漢語になる和製漢語成立のひとつのパターンです。
また訓読みの漢字交じりの文章が短くなって漢語になるパターンがあります。
「会に入る」「念を入れる」はもともと日本語です。
これを短縮して「入会」「入念」となれば立派な和製漢語の出来上がりです。
これらに対して漢字のもつ音のみを日本の言葉にあてはめたものが存在します。
たとえば「とかく」という語は「ともかく」「とにかく」のように用いられる固有の和語ですが、「兎角」と書くのは音のみを合わせたいわゆる当て字です。
これは和製漢語とは言えません。
同様に数寄屋と書いて「すきや」と読みますが、この「すき」も和製漢語とは言えません。
時代を遡るほど本来の漢語と和製漢語の区別がつきにくくなりますが、漢字には大変な造語力が
あるため成り立ちを想像するだけでも当時の文化がしのばれそうです。
明治維新の時にその造語力を生かして短い期間でたくさんの新しい和製漢語が作られたことは、外国語に対して漢語を借用したことも加えて日本語をのこした大きな功績の一つではないかと思っています。