2013年11月22日金曜日

漢字かな交じり文の価値

私たちが現在使っている日本語を文として表す時は、漢字かな交じりの文として書き表します。
普段から書き慣れていますし、読みなれていますので改めて考えてみる機会はあまりありませんね。
実は、漢字かな交じり文は世界でも類を見ない珍しい文です。

漢字とかなというそれぞれで一つの言語として成り立つものを組み合わせて使いこなしているものです。
更に、漢字は音よりも文字そのものに意味がある表意文字です。
それに対して、かなは文字そのものに意味はありません、音によって意味を表す表音文字です。
この2種類の文字を同時に使っている言語は日本語だけです。


また、
漢字には音読みと訓読みがあり、音読みは漢語から来た純粋な表意文字です。
そのために同じ音の漢字がたくさん存在し、文字の持つ意味によって使い分けをしています。
訓読み漢字は、もともとの音としてあった「やまとことば」の広い意味を限定するために漢字のもつ具体的な意味を利用したものがほとんどです。

たとえば「かく」という「やまとことば」の動詞はかなり広い範囲の動作を表しますが、その意味をより具体化して漢字で表したものが「書く」「描く」「掻く」「画く」などとなっているわけです。

表意文字と表音文字を同時に使っている言語は、世界広しといえども日本語だけでしょう。
人の思考は言語によってなされますので、日本語の特徴は日本人の思考の特徴そのものと言っていいと思われます。


現代日本語の基本となっている漢字かな交じり文を見ることによって、現代日本人の思考の特徴を見ることができると思います。
インターネットの普及や航空網の充実によって、海外交流は留まるところを知りません。
そこではビジネスに限らず、様々な海外の考え方があります。

日本の文化技術は世界的に見てもきわめて特徴的であり、見てきたように言語においては全く独特なものということができます。
そのために、欧米の考え方としては常識であっても日本人の考え方とは異なる部分がかなり見えてきています。

ビジネス上のスタンダードルールとして調整していくことは必要ですが、様々な考え方において狂信的に彼らのものを取り込むことは避けたいものです。
特に人にかかわる分野については、個人の考え方そのものに触れることになります。
この部分が欧米人と比べて決定的に異なる特徴を持つ日本人に合わないものがたくさんあります。

 
マネジメントやコーチングなどの理論は既に日本人に向かない部分が明らかになっているものもあります。
無理にその理論や考え方を導入しようとすると、日本人の歴史的に持っている生き方そのものと矛盾してくるために定着できないものが見えてきています。

ありがたがって欧米の理論や考え方をそのまま持ってくることはもう終わりです。
一つの考え方としての範囲にとどめておくべきでしょう。
欧米の企業で成功したマネジメント手法が日本ではうまくいかないのはいたるところで散見できますね。
上手く使っている企業は、必ず時間をかけて自社なりのアレンジをした上で実施しています。
外資系のコンサルティング会社に高いお金を払って導入したマネジメント手法が、思うような成果を出せない状況は今に始まったことではないですね。


もともと世界的にきわめて特徴的な現代日本語を見ていくことによって、日本人の思考の特徴を見ることができると思います。

「かな」は、もともと音しかなかった「やまとことば」に漢字から作った仮名を文字として当てたものです。
仮名が表されたのは万葉集からと思われますので、音としての「やまとことば」は2000年以上前から使われていたものと思われます。
その言葉を文字として表したものが「ひらがな」です。

その「ひらがな」は、今でもほぼそのままの形で現代においても使用されています。
その感覚は継承され続けていると思われます。
導入した漢語から仮名を作り出した功績は、世界と異なる独特な文化・思考を生み出した原点ということができるでしょう。

したがって現代において「やまとことば」の影響を考える場合は「ひらがな」を見ていくといいことになります。

ひらがなの音、文字、使い方の特徴が日本人の特徴そのものです。
・やさしい表現
・自然と一体
・飾る言葉がたくさんある
・自然を表す言葉がたくさんある
・気持ちを表す言葉がたくさんある
・結論がわかりにくい
・主語がわかりにくい
・漠然とした意味の言葉が多い
・論理的な表現が苦手
・感覚的な表現が得意
・明確な表現が苦手

自然の中で自らをその一部と感じながら、周りと溶け込んで共に生きてきたそのままが言葉になっていると思われます。

これだけで生きていければ一番幸せだったのかもしれませんね。

ところが競争の原理が入ってきますと、そうはいかなくなりました。
競争を少しでも優位に行うために、技術が、国体が、体制が、主義が必要になりました。
そして競争に勝つことによってのみ富が手に入るようになりました。

そのための文化と技術は先進国より学ぶことになりました。
そのために新しい言葉がたくさん作られました。
その新しい言葉のほとんどを漢字で対応しました。

仏教の導入とともに来たむかしからの漢語よりも、新しく作られた漢字(熟語)のほうが多くなりました。
現代の漢字かな交じり文に使用されている漢字のほとんどは、明治期以降に新しく作られた漢字だと言われています。

これらの漢字を使うことによって日本語は次のような対応ができるようになりました。
・契約書や法律の条文
・欧米式の論理的な表現
・具体的にものを限定する表現
・固有なものの表現
・明確な手順ややり方
・対象にふさわしい限定的な表現
・物や時間の変化の表現
・簡潔でより的確な表現

欧米の先進文化を取り込むことは急務でした。
遅れれば植民地として取り込まれ、継承してきた独自の文化は消え去ります。
言語も同様です。
慌ててやったので「?」となるようなことがたくさんあります。
探すと面白いですよ。



現代では「ひらがな」だけでは生きていけません。
通じることはできますが、実際に生きていくためには漢字かな交じりでなければできません。
同様に漢字だけでも生きていけません。
漢文は「ひらがな」だけよりもさらに馴染のないものとなっています。

見てきたように日本人の思考の基本は「ひらがな」にあります。
漢字は現実の社会を生きるために取り込んできたものです。

現実の社会は競争による富の獲得によって成り立っていますので、「ひらがな」だけでは生きていくことができません。
漢字を使いこなすことも必要になります。


どうやら、競争による富の獲得という基盤が揺らいできていませんか?
日々の生活が漢字頼みに偏りすぎていませんか?
「ひらがな」に懐かしさだけでない安心感を感じませんか?

どうも、生き方そのものが変わらなければいけないところに来ているような気がします。
漢字かな交じり文の漢字の量を少し減らしてみませんか?
もうすこし「ひらがな」を使ってみませんか?

そのほうが、自分の言いたいことが言えるような気がしているのですが。
まだ、感覚だけです。
最近は「ひらがな」が気になっています。