2013年6月17日月曜日

文化(言葉)による侵略

大航海時代以降始まった植民地の開拓はヨーロッパ列強の独壇場でした。

第2次大戦以降のアメリカ主導の世界に至るまでは、植民地の奪い合いと開拓が続けられていました。

力で行われた開拓は、先住民族の文化を凌駕した新しいヨーロッパ文明の拡散であり文化的な侵略でもありました。

その結果、数多くの言葉が消えていきました。

この時の征服・被征服の関係が言葉の中に感覚として残っており、その後にどんなに文化的な発展をしようとも、本国から見た被征服先は見下した感覚があるようです。



たとえば、ヨーロッパは本質的にはをアメリカをバカにしています。(表現は的確でないかもしれませんが・・・)
特にイギリスはアメリカの文化の底の浅さを軽蔑しています。

物欲、生産、資産に対しての感覚を嫌っています。

英国人と仲良くなってアメリカの悪口を言い合えるようになると、ものすごく広範にわたって出てきますので驚きます。

1500年ころよりヨーロッパの植民地として開拓されたアメリカは、現代文化においては本当に歴史の浅い国です。

先住民の文化は完全に新しいヨーロッパ文化に侵略されて、ネイティブ・アメリカン(インディアン)の言葉は次々と消えていきました。

その国が世界で一番の経済大国であることはヨーロッパにとっては面白くないことなんですね。


また、オーストラリアは1850年代に金鉱が発見されたために、ヨーロッパ各国からの移民や侵略によって開拓されてきました。

オーストラリア人は自分たちの英語の発音にかなりの劣等感を持っています。

もともとのアボリジニの言葉が文化侵略によって、今はほとんど残っていません。


井上ひさし先生の実話にこんなのがあります。

オーストラリアの大学に招かれて滞在することになった時、英語が上手ではないということを伝えようとして「My English is poor.」と言ったそうです。

これが日本語訛りでへたくそな英語でぼつぼつとしゃべったために「My English is pure.」と聞こえたらしく、英語に対して劣等感の強い彼らにはお前はなんて冗談のわかるやつだと大変喜ばれたそうです。


さて、身近な中国を見てみましょう。

侵略をしたわけではないのですが、自分たちの進んでいた文化を取り込んで発展していった気に食わない国が近くあります。

図に乗って戦争まで仕掛けてきて、叩き潰したくせに経済的にうまく時流に乗ってアメリカの傘に隠れて発展した国。

そうです、彼らは本質的に日本が大嫌いなのです。
同じテーブルに着くこと自体が屈辱なのです。


特に、言葉の面でみるとアメリカやオーストラリアと異なり、侵略しきったわけではありません。

自分たちの文化を持って行って、それを使って独自の文化を発展させていったのです。
余計に気に食わないのです。

今まではアメリカの出先機関としての日本と中国の間では経済力においてかなりに開きがありましたが、それが逆転した現在では様々な場面で本性が見えてきてます。

それは言葉の中に感覚として存在し続けているのです。

そのための教育も徹底されて刷り込まれていますから、簡単には修正されることはありません。

こちらが対等に同じレベルで振る舞えば振る舞うほど、彼らにとってはなめられていると映るのです。


世界が日本に期待していることがあります。

強力な文化の侵略にも独自の文化を見失うことなく、現在の経済的価値にもすべての基準を置くことなく、時々人間の本質に対しての対応をする日本に漠然とした期待を抱いています。

日本は何かが違うと感覚で思っているのですが、表現ができないのです。
たぶん私たち自身もわかっていないことだと思います。

具体的なことではないのです。

それがなんなのか、どうしたらわかってくるのか?

何となく言葉をたどっていくと見えるような気がしているのですが・・・。