2013年6月3日月曜日

いつから「私」と言いだした

日本語における人称代名詞を見ていくと、他の言語との違いが何か見えてきそうな気がしました。

きっかけは歌謡(曲)でした。

気になったのは特に一人称(「私」「僕」など)です。

歌詞の中に出てくる人称代名詞、特に一人称の現れ方に何か特徴がありそうだなと感じました。

と言うよりはなんか変だなと感じたのです。


歌謡曲をさかのぼっていくと一番古くても明治の初めと思われます。

「宮さん宮さん お馬の前の ひらひらするもの・・・」がスタートだと思われます。

そこから見ていくと私とか僕とかの一人称の代名詞が全く見当たらないのです。

それらしいものが初めて見えるのが明治19年の「抜刀隊の唄」ですが、これとても歌いだしは「われは官軍 わが敵は・・・」となっており個人のことを歌っているわけではないようです。

ただし曲の冒頭に「われ」という語が使われた最初の歌ではないかと思っています。


そのあとは国中が富国強兵で一つの目的に向かって走っていきますので、個人のこと「私」や「僕」のことなんか構ってられない時代になります。

歌謡曲についてもおはやしみたいなものや人生の応援歌みたいのものがほとんどになります。

それでも明らかに第一人称のことを歌っているなというものもありますが、言葉としての「わたし」は登場しません。


次に一人称の代名詞が現れるのは大正12年の「船頭小唄」まで待たなければならないと思います。

あの「おれは川原の枯れすすき・・・」です。

その前の大正3年に「ゴンドラの唄」というのがあって一人称の感情をたっぷり歌っているのですが、言葉としては登場してきません。

ご存知の「いのちみじかし 恋せよ乙女・・・」です。

枯れすすきは野口雨情の作詞ですが、このころより「わたしは」「おれは」が散見されるようになります。

一つのヒット作が世の中に与える影響はかなりのものです。


明治時代は一気に近代文明が取り込まれ、民主主義のもと選挙が行われ個人に目が向けら始めた時です。

にもかかわらず歌の中に「わたし」が見当たらないのです。

歌は世につれ世は歌につれ、ですので歌は世相を反映しています。

明治のころはまだ個の感覚に戸惑っていたのではないでしょうか。


明治以前に使われていた一人称の代名詞は、麿(まろ)、其(それがし)、余、朕、拙者、拙僧などが挙げられます。

どれも一般的ではなく限られた世界の中だけの限られた者しか対象にならない言葉です。

一人称代名詞というよりは身分を表す言葉と言ったほうがいいかもしれないくらいです。


昭和の前半は西條八十さんを中心にさかんに一人称代名詞で歌を作り、それが戦前までは世の

中のはやりとなりました。


戦後は民主主義で一人一人が大事だとなりました。

すぐに歌にも人称代名詞が復活したかと言うと、たぶん昭和25年の「僕は特急の機関士で」まで待たなければならないと思います。

歌としては一人称のことを歌ったものはたくさんあるのですが「わたし」(僕)という一人称の代名詞が出てくるものはなかったようです。

終戦後の復興の中、いかに民主主義とはいえ個人のことに触れるのは抵抗があったのかもしれません。


講和条約のあたりから西條八十の越後獅子の唄で「わたしゃみなし子 街道暮らし・・・」と美空ひばりが歌ったのをはじめとした人称代名詞が使われ始めました。

それでもまだ全体から見れば控えめなものの様でした。


そして昭和45年阿久悠によって出されたのが、「あなたに抱かれて わたしは蝶になる あなたの胸 あやしい蜘蛛の糸・・・」(白い蝶のサンバ)です。

歌いだしはいきなり人称代名詞だらけです。

どうやらこのころから本格的に個人として主張することが受け入れられ始めたのではないでしょうか。


日本人はもともと個人としての主張が苦手です。

主語がなくても伝わる場面はたくさんあります。

自己主張することに自然と抵抗があるのです。

どうしても主張しなければならない場面では、できるだけ柔らかく主張したいのです。

日本語を母語として持つ以上、当然の特徴なのです。

決して短所ではありません。

それをわかったうえで主張する技術を身につければいいのです。


アメリカナイズされたネゴシエーションや説得術は、日本人同士の間では煙たがられるのは当たり前のことなのです。

どんなにいいことを言っていても自己主張の強い人に対して、抵抗感を感じるのは自然の反応なのです。

私たちは「わたし」を使うのが苦手なのです。








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