2014年5月31日土曜日

知的活動と言語について(2)・・・思考活動

先回は、知的活動の最初の段階としての「認知活動」が、5歳頃までに伝承言語である「母語」によってその基礎的なことが身についてくることを見てきました。

今回は次の段階としての「思考活動」についてみてみたいと思います。


思考ができるためには、思考するための知識が必要になります。

この知識を身につけるためには言語が必要になりますが、幼児期に身につけた伝承言語である「母語」ではあまりにも私的な言語であり、知識として決まった意味のある内容を理解するには同じ意味を理解できるための共通語が必要になります。

思考するための知識を身につけるために必要な言語を、学習言語と呼びます。

決まりきったルールや法則・成り立ちなどを学習するには、皆が同じ言葉で同じ意味を理解していないとなりません。

そのために身につけていく学習言語が「国語」です。


「国語」はそれぞれの言語において存在します。

一般的な理解としては、義務教育において人として生きていくために必要な知識を身につけるための共通語と思えばいいのではないでしょうか。

日本においては小学校一年生から義務教育として「国語」を習い始めます。

低学年の間は、知識を身につけるための言語としての「国語」の習得が中心になりますので、思考する能力はまだほとんどありません。

すべての教科を通じて、学習言語を身につけている期間と考えていいのではないでしょうか。

「国語」は、それぞれの言語の中でもできる限り個人的な理解に基づく意味を排除した、規則的なルールで成り立っている共通言語と言うことができます。

一般的に社会で使用されている日本語よりも、より厳格なルールである文法や限定的な意味の語彙よって構成された共通語と言えます。


それでも一年生から独立した教科として「算数」があります。

「国語」自体の習得がほとんどできていない一年生のうちから、その「国語」で書かれた教科書を中心にして論理としての知識の基本となる「算数」を学ぶことになります。

「1+1=2」を理解するのも言語で理解していきます。

そして論理としての「1+1」が「=2」であることを知識として学んで身につけていくのです。


低学年のうちは、知識を学ぶための学習言語の習得すらできていない段階にもかかわらず、論理の基本としての「算数」を「国語」で学んでいかなければならないのです。

「算数」の教科書や先生の話で使われている「国語」の理解が遅れると、いわゆる「算数が苦手」になるのです。

「算数」についても理科や社会のように、ある程度学習言語の習得が進んだ小学校三年生頃より取り組めばより理解しやすいのかもしれません。

それにもかかわらず、小学校一年生から独立教科として「算数」があることは、思考活動のために必要な重要な知識であることの証明でもあります。


知識を身につけていくために必要な基本的な学習言語の習得ができるのが、10歳頃であると言われています。

それ以前から少しずつ、身につけた知識を使って思考することができすようになっていきますが、目に見えて思考活動ができるようになってくるのがこのころです。

独立した専門教科も増えてきて、学習言語の習得度合いに合わせた形で、それぞれの教科に応じた「国語」による知識の習得が進んでいきます。


小学校の高学年以降の義務教育においては、習得された基礎的な学習言語によって、さらに高度な学習言語の習得とその言語による知識の習得をしていきます。

学習効果の結果を確認する試験の内容も、それまでは知識を習得し覚えているかどうかの記憶力が中心であったものから、少しずつ思考活動が求められる内容になっていきます。


学習言語の習得が進むにしたがって、使用する言語のほとんどが学習言語になっていきますが、一番ベースにある「母語」は無意識のうちに使用するできる言語として知的活動をスムースに機能させる言語として定着していきます。

基礎的な学習言語の習得ができてくると、認知活動における共同性もできるようになってきます。

一般に言われる、「物心がついてくる」「考えることができる」ようになるのが10歳頃です。

基礎的な学習言語が習得できて、言語を使った認知活動・思考活動ができるようになった頃ということができるのではないでしょうか。

幼児期に比べると記憶の保持期間も長くなり、10歳頃には2週間程度の記憶保持ができているようです。


この学習言語の習得がスムースに始められるためには、伝承言語である「母語」によって、そのための下地ができていなければなりません。

学習言語を早目に学んでも身につかないことは、さまざまな機関で報告されています。

「母語」は言葉としての記憶がほとんど残らないことも知られています。

「母語」によって発達した機能の中に、日本語としての言語感覚が含まれているのではないかと言われています。


学習言語の習得段階で全くわからない古い言葉に出会った時に、なんとなくこんなことを言いたいのではないかと感じることがあると思います。

この感覚が、「母語」によって身についている言語感覚ではないでしょうか。

「母語」によって開発され習得してきた認知活動の能力は、学習言語の習得によってさらに磨かれていくことになります。

単なる認知活動に加えて、思考活動をするための認知活動ができるようになっていくのです。


「国語」を習得しただけでは「1+1」は「いち たす いち」になってしまいます。

「国語」によって「算数」を習得することによって「1+1」は「=2」になる知識を理論として身につけていくのです。

義務教育で習得していく知識は、人として生きていくために必要な基本的な共通知識です。

したがって、自分だけ違ったものとなっていては社会で生きていくことにおいて不都合が生じます。


共通の知識として、同じ言葉で同じ理解ができるようにするために学習言語としての「国語」があります。

そのために、すべての教科の教科書に使用されている「国語」のレベルは、原則として、その時点までの「国語」の学習で習得完了しているレベルで書かれています。

基礎的な学習言語の習得が完了した10歳以降については、習得した「国語」を駆使したさらに高度な知識・理論を習得していきます。

身につけた知識・論理によって思考活動が行なえるようになっていきます。


「国語」においてもさまざまな文章に触れることによって、論理の展開を習得していきます。

高学年になると語彙の増強とともに、様々な種類の文章の読解力が習得されていきます。

各教科における独特の知識や論理も増えてくることによって、一気に思考活動の能力が磨かれていくことになります。

問いかけに対して記憶している知識をそのまま返すのではなく、「なぜか」「どうしてか」などの理由を付けることができるようにないます。

答えに対しての理論付けとして「~だから」が使えるようになります。


時間や距離・人との関係のなどの知識がついてくることによって、記憶についても「いつ、どこで、だれと」が明確になった記憶ができるようになってきます。

このような記憶のことをエピソード記憶と言います。

それまでのぼやっとした、どんなことがあったかという記憶から、より正確さを持った記憶を持つことができるようになります。

この記憶自体も言語によって行われているのですね。


知識が習得されるにつれて、いろいろな判断基準を持つことができるようになります。

比較したり、順番を付けたりすることができるようになるのはこのころからです。


言語を習得していますので話すこともできますが、この段階では相手の理解を意識した話し方はできません。

「認知活動」「思考活動」は個人の理解だけでも成り立つ活動です。

相手に伝える、理解してもらうための「表現活動」はさらなる習得を必要とすることになります。







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2014年5月30日金曜日

知的活動と言語について(1)・・・認知活動

人の知的活動が言語によってなされていることは疑う余地のないことですが、「知的活動」も「言語」も抽象的な言葉となっているために実感としてはつかみにくくなっています。

このことについてはいろいろな言い方がなされています。

いくつか挙げてみましょう。

「言語は思考のための唯一の道具である。」
「言語の限界が思考の限界である。」
「思考は言語によってなされている。」

知的活動の代表として「思考」を挙げていることが多いようです。

それぞれについて、少しですが掘り下げてみると若干わかりやすくなるのではないでしょうか。


まずは「知的活動」から見てみましょう。

知的活動は大きく三つの活動に分けることができます。

認知活動、思考活動、表現活動の三つです。

これらの活動のすべてが言語によってなされています。


個人でこれらの活動を行なっている場合もあれば、人と一緒に行っている場合もあります。

社会生活を営んでいると言うことは、人と協力して知的活動を行なっていることにほかなりませんので、知的活動を行なうことの基本は人と協力して行うことであると言うことができるのではないでしょうか。

一般に言われるコミュニケーション能力とはこのことを差していると思われます。


認知活動とは、対象を自分の持っている言語で理解する行為になります。

一人で行っているときは、自分だけの独特の理解でも構いませんが、共同・協力のもとに行う認知活動は、共通の理解ができなければなりません。

そのためには、同じ意味を持つ共通の言語によって同じ理解をすることが必要になります。


同じ言葉であっても、人によってその言葉の意味は微妙に異なっていることがあります。

認知活動において正確さが必要になればなるほど、対象を理解しようとするときの言葉の定義の共有が大切になります。

言葉は一般的になればなるほどいろいろな意味を持つようになります。

持っている意味の多い言葉や、意味の広い言葉による共有は正確さの妨げになります。

専門家同士が正確さを求めて認知活動を共有するときには、意味が限定された専門用語が多くなるのが当たり前のことになります。


知的活動の発達・成長の段階も、認知活動から始まります。

まずは、対象を認知することからすべてが始まるからです。

言語の習得も同じことが言えます。

知るために言語が必要になります。

対象がどういうものかを理解するための言葉が必要になります。


最初の理解は、共有の前提として個人としての理解が必要になります。

自分だけが理解できればいいのですから、そのための言語は極めて個人的な言語で構わないことになります。

個人として勝手に意味を持たせている言語で構わないのです。


幼児期がまさしくこれに当たります。

誰かと認知した内容を共有する必要がないのです。

一番初めに共有する相手は、ほとんどの場合は母親になります。

最初に認知活動を共有する必要がある相手が母親になりますので、認知活動のための言語として母親の持つ言語との共有が少しずつ始まっていきます。

この時に母親から伝承される形で身につける言語が、伝承言語としての「母語」になります。


幼児期に発達する知的活動ためのあらゆる器官が、この「母語」を最適に使えるようになるために発達していきます。

脳は勿論のこと、言葉を発する声帯や、言葉を受取る聴覚なども「母語」を最適に使うことができるように発達してき、反対にそのために不必要な機能は発達しなかったり退化したりしていくことになります。

日本語を「母語」として習得してく場合には、母音を発生しやすいように声帯が発達していきますし、英語を「母語」として習得していく場合には舌や口腔の動きが子音を派生しやすいように発達していくことになります。

この段階の言語は日本語や英語と言っても、母親の言語の伝承形ですから、母親が持っている個人的な言語が「母語」として受け渡されていくことになります。


認知活動のために言語を習得していっている段階ですので、認知活動自体もまだまだこれから習得していくところです。

知的活動のために必要な各器官の発達は、体の成長に伴って基本的なところまででも15歳くらいまでかかると言われています。

世界中の義務教育が定めている期間とほぼ合致するのは、こんなことも影響しているのかもしれないですね。


「母語」によって認知活動の経験を積みながら、知的活動のための本当に必要な基礎的な部分ができてくるのが5歳頃だと言われています。

この段階ではまだ思考活動や意志を持った表現活動ははほとんどできていません。

生きていくために最低限必要な認知活動を、母親との共通語によって何とか始められるようになった段階と言えるのではないでしょうか。


4歳頃になれば、「母語」を原動力としていろいろなものが認知できるようになってきます。

いくら個人的な言語だとは言っても母親の言語も日本語である以上、他の人が使っている日本語との共通性はかなりの範囲であります。

このころの子どもたちは、認知活動のために身につけた「母語」を話すことができますが、知的活動のための他の能力が身についていませんので、思考や表現をしているわけではありません。

自分が認知していることを話したり、本能の求めに応じて認知したものを欲しがったりしているだけのことです。


言語で認知することがしっかりできるようになるまでの補助として、さまざまな器官の感覚が敏感に働いています。

言語以外での情報をもっともたくさん感じているのが幼児期になります。

言語の習得が進むのに比例して、他の感覚による情報の収集が減っていくことになります。

そのかわり、言語の習得が進むにつれて、知的活動のための機能がどんどん発達し磨かれていくことになるわけです。


この時期に母親が持っている言語と違うものを教え込んだりすると、母親との認知の共有ができないことが増えてきます。

母親がバイリンガルであれば問題ありませんが、そうでない場合は幼児期の多言語の教え込みは、一番大切な母親との触れ合いに障害となることがありますので注意が必要です。

この段階でしっかり母親との一体感である認知の共有ができないと、将来的な学校生活や社会生活での活動に影響が出る可能性が高くなります。

一番大切な言語において、周りの人と違う感覚を長い間味わって苦しんだ例が報告されています。


すべてのことが母親との共有・一体感から始まります。

5歳までの環境で、その人の知的活動の能力が決まってくると言うことは、教育者だけでなくあらゆる分野で言われていることです。

この期間に何かを教え込まなくてはいけないと勘違いされる場面もあるようですが、そうでないことはお分かりただけると思います。

知的活動のすべての基礎が、幼児期の母親からの伝承言語である「母語」にあることを知っていただきたいと思います。







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2014年5月29日木曜日

自然を表す言葉

日本語の特徴の一つとして、自然にある音を言葉として表すことができることがあります。

この感覚は日本語を母語として育った場合に、ほぼ5歳くらいまでに出来上がってしまうものです。

生まれて初めて触れる言語として、日本語を持っている場合には自然の音を言葉として捉えることができるようになります。


風の音を表現するのに、「そよそよ」「ひゅうひゅう」「びゅうびゅう」「ごうごう」などや、虫の声を表現すのに、「りーんりーん」「ころころ」「すいーっちょ」などですね。

西洋言語においては、これらの音は自動車や機械の音と同じように騒音として感じるようです。

音楽についても、日本語の昔からの音楽である雅楽や三味線・尺八などはその音を言葉で表現できることによって、技術を口頭で伝承することが可能でした。

その伝える内容によって一子相伝や免許皆伝などの師弟関係による技の伝承が可能になっていたと思われます。


言葉として捉えることで他の言葉と区別することが容易にできますので、屋外における自然の音の中での音楽も何の抵抗もなく楽しむことができたわけです。

西洋音楽については、密室空間において外部の音を遮断した状態にしないと音楽を楽しむことができなかったと思われます。

風の音や虫の声といっしょになると、雑音が邪魔をして音楽そのものを切り分けすることができなかったのでしょう。


この日本語の感覚と同じように、自然の音を言葉として感じることができる言語が見つかっています。

ハワイ南太平洋のポリネシア語です。

両方の言語に共通することは、ほぼ完全に近い母音言語であり、その母音の数が限られた少ない自然母音でなりたっていることです。


この共通点が、直接に自然音を言葉として受取ることにつながるのかどうかはわかっていません。

しかし、文字のない時代に人が初めて口にした言葉としての音は、無理なく発することができる自然な音であったことであろうことは想像に難くありません。

母音の中にも、人工的に作られた音がたくさんあります。

中国語では母音の数だけでも100以上あります。


子音は声帯を使わない音です。

息を使って舌や歯・唇や口腔で変化をつける音です。

声帯を使って声として発する自然母音に比べると、響きにくい届きにくい音となっています。

発声と発音の違いにも、このあたりのことが反映されているのかもしれません。


中国で作られた漢語は、日本にわたって仮名を生み出すもとになりました。

漢語は公の言葉として政治や仏教を中心として使用され、公式なことを記録する文字として使用されてきました。

日本で漢語から生み出された仮名は、和歌と言う仮名表現を発展される場を得て、日本独特の文化を象徴するものとなっていきます。


皇室・皇統における公式文書は漢語ですが、普段の生活における議論や会話の言葉は「やまとことば」であり、文字にすれば仮名であったと思われます。

公的なことを書き残す、書き記すということに使われたのが漢語であったろうと思われます。


中国から渡ってきた文化は、漢語で導入されました。

やがてその文化は、仮名の発展とともに日本独自の文化として中国文化のしがらみから離れて発展していきます。

漢語として残っている記録の裏にある、仮名の発展に伴う文化の推移を想像することはとても楽しいことです。


仮名が現代ひらがなに近い文字の記録として現れてくるのが「古今和歌集」からです。

それまでにあった勅撰の記録は漢詩集でした。

古今和歌集からの勅撰の記録は、和歌集となっていきます。


そこでの2大テーマは、移りゆく自然の描写と人の心の描写です。

和歌という表現形式のなかでこれらのことを伝えるために、仮名よる表現の技術が一大発展していくことになります。


ここでは中国から伝わった暦に日本独自の発展を加えた自然の移り変わりを意識したものとして、二十四節気と七十二候を見てみたいと思います。

一太陽年を二十四等分して、その一つずつにその時々の季節として名称を与えたものが二十四節気です。



15日ごとに季節としての名称がついていると思ったらいいですね。

重要な節気として、角にある四つの立春、立夏、立秋、立冬のことを四立と呼ぶこともあります。

また、それぞれの季節の真ん中のにある特に重要な節気である夏至、冬至を二至、また春分、秋分のことを二分と言い、あわせて二至二分とも呼びます。

そして、四立と二至二分を合わせて八節と言います。


この二十四節気を5日ごとに、初候・次候・末候として三つずつ細分化したものが七十二候です。

どちらも中国から持ってきたものですが、長い年月を経ることによって日本の季節に合わせて変更されてきています。

ここでは季節として夏にあたる時期の七十二候を取り上げてみます。



思わず、「なるほど」と思う名称や「?」と思うものなどさまざまですが、5日ごとに自然の変化を身近に感じる感覚が伝わってこないでしょうか。

歌に詠まれているものもたくさんありますね。

季語として使われるものもあります。


信仰の対象として人を設定した文化は、他の信仰を排除して人の利便性と人が生きていくのに都合がいい文化を作ってきました。

方や、信仰の対象として自然を設定した文化は、様々な信仰が共存しながら自然の中に生かされている人を文化の中心に置いています。


一方では、人の技術や文化の発展によって自然をコントロールしようとします。
そこでは、人をコントロールすることも当たり前のように行われます。

またもう一方では、変化する自然の中で適応しながら生きていこうとします。


お金に関する捉え方ひとつ見ても元の感覚が見えるのではないでしょうか。

浄財という言い方があるくらいですら、もともとお金に対しては不浄なものとしての感覚があると言うことです。


日本語は、和歌によるひらがな発展のなかで、自然を表す言葉をたくさん産んできました。

一般的な言葉として使われてるもののなかで、植物の名前や自然の色を表す言葉の多さは他の言語の比ではありません。

その感覚はひらがなを継承している私たちに、しっかりと根を張っています。

もう一度、自然を表す言葉を見直してみたいですね。

絶対にみんなが好きな言葉がたくさんありますから。




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2014年5月28日水曜日

表現の正確さはどこまでできるか

表現の正確さがどこまで追求できるかを考える時に、表現手段を抜きにしては考えることができません。

言語での表現ですから、基本的な表現手段は二種類です。

話し言葉によるものなのか、文字表記によるものなのかで全く違った方法が考えられます。


それぞれの方法の違いを明確にするためにも、話し言葉と文字表現が混用できない状況を前提としてみます。

話し言葉では文字による補助がないことが前提ですが、相手が目の前にいて習慣的なやり取りが可能な場合を想定します。

また、文字表現においては、その場でのやり取りが不可能であり、文字として記録されたもによる伝達を想定します。


最初に考慮すべきことは、表現すること・伝えることの対象です。

何を伝えようとするのかによって、求められる正確さの程度が大きく変わってしまいます。

対象物を正確にわかって欲しい場合には、一番正確な表現は対象物を他のものと区別する絶対的な表現が必要になります。

その表現の典型が、品番でありさらにはシリアルナンバーです。

そこまでの特定ができれば、唯一無二のものを特定することができます。

伝えられた相手が具体的にその対象物を知らなくとも、その情報をもとに間違いなく対象物にたどり着くことが可能です。


品番やシリアルナンバーは一般的な言語とは異なった表現がされていることが多いものです。

したがって、話し言葉での伝達においては記憶しにくいものとなっています。

伝えられた言葉を記憶するという行為が伴いますので、聞き間違いや記憶違いが発生することが考えられます。

品番やシリアルナンバーの一か所が違っていただけで、全く違ったものや存在しないものになってしまう可能性があります。

したがって、数字や記号、大文字や小文字などの精度を求められる表現においては、ほぼ絶対的に文字表現が必要になってきます。


これを何とか話し言葉で正確にやろうとする例があります。

フォネティックコードと呼ばれるものです。

「AlphaのA」「BravoのB」などと言うアルファベットを正確に伝えるために決まった単語を使ったものを聞いたことはありませんか。

そうです、戦争映画の通信の場面などでよくお目にかかるあれです。

音声通信で通信文の聞き間違いを防ぐために定められた、頭文字を表す規則です。



正確に伝えることのみを目的としていますので、使うアルファベットを指定するためだけに言葉を発信します。

例えば「JAPAN」を伝えるためには「Juliet Alpha Papa Alpha November」と伝えるだけであり、基本的には「JAPAN」そのものは送りません。

一種の暗号的な役割もあったのではないでしょうか。


口頭言語としての英語だけではなく、日本語にも同様に通信文におけるフォネティックコードがありました。

和文通話表として無線局運用規則として定められています。



特に数字については1と7(「いち」と「しち」)、2と4(「に」と「し」)の間違いを防ぐために厳格に運用されたと言われています。

数字の2は陸上・海上自衛隊などで「ふた」と読むことが使われていますが、無線従事者国家試験などで「ふた」とすると誤りになるそうです。

有名な無線電文では、「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」と言う第二次大戦の開戦電文があるますが、実際には「にっぽんのに、いろはのい、たばこのた、かわせのか・・・」と送られていたわけですね。

フォネティックコードの存在そのものが、いかに話し言葉による正確さの追及に苦労していたかを示しているのではないでしょうか。


軍隊の用語においては、同音異義語があっては大変なことになります。

また、同じ言葉を聞いたらすべての人が同じ理解と行動をしなければ、軍隊としての役に立ちません。

この効率よさを戦後の社会で利用することによって、軍隊用語を駆使して経済活動部隊を構成していったわけです。


日本には、軍隊も徴兵制もありません。

一般の人にとっては軍隊用語(自衛隊用語)に直接触れる機会はほとんどありません。

徴兵制のある国では、軍隊用語は極めて身近な言語です。

そこで求められていることは正確性と一意性です。

日本語の持つ「あいまいさ」とは正反対の性格を持つものです。


明治になって富国強兵を目指した日本が、西欧に肩を並べようとしました。

その時の、原動力が新しい正確な表現のできる漢字の創出でした。

西欧の概念を表すのものや、より正確さを求められるものを目指して作り出された漢字の言葉は、今の広辞苑に収録されている言葉の数に匹敵する20万語を超えていたと言われています。


話す言葉は正確さを追及することは難しい言葉です。

話し言葉の音はひらがなの音しかないからです。

音から伝わる言葉はひらがなになってしまうからです。

ひらがなは日本語のあいまいさの象徴ともいえる言葉です。


日本語において正確さを追及する場合には、必ず文字の補助が必要になります。

日本語は、借りてた来た漢字である漢語から始まりました。

そこからひらがなを生み出し、感性豊かな「やまとことば」を育ててきました。


そして明治期以降の近代の西欧化のなかで、新しい日本独自の漢字を生み出して、新しい概念と正確さの表現を加えてきました。

今私たちが使っている漢字仮名混用文は、素晴らしい可能性を秘めた文体です。

正確さの追及と文学的な懐の広さの追求のどちらも高いレベルで可能なものとなっています。


その言語を持ちながらも私たちは、場面に応じた、対象物に応じた、正確な表現の仕方をしていないのではないでしょうか。

おそらく、世界の言語のなかで一番正確な表現が可能なのが日本語ではないでしょうか。

日本語に翻訳された内容を確認した原著者が、自分の表現よりも正確であると言った例はいくつもあります。

もちろん、訳者の能力によっては反対のこともあるわけですが・・・


日本語は正確さを求めたらどこまでもできる可能性があると思います。

現実的に伝達するうえで必要な正確さを理解して、表現で対応していくことが大切ですね。

正確さにも程度があります。

幅がある内容を表現するのには、日本語は本当に素晴らしい力を発揮します。

両極端から中間領域までをあらゆる表現でこなすことができます。


感覚としてはわかってきているんですが、もう少し具体的な表現で見てみたいですね。

そんな表現に出会った時に、また正確さについて触れてみたいと思います。




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2014年5月27日火曜日

伝える言葉、動かす言葉

これからの社会を生き抜いていくために必要な言語技術が、人に伝えることと人を動かすことです。

言葉でこれをできるかどうかが問われることになるのではないでしょうか。


伝えることは、正確さが必要です。

同じ言葉を使っていても、一つひとつの言葉に持たせている意味は人によって異なります。

言葉が多くなればそれだけ、異なり方も大きくなります。


正確に伝えるためには、伝える相手が使っている言葉の意味を把握していないとできないことです。

結論から言ってしまうと、一度に大勢の人に対して正確に伝えることは不可能だと言うことです。

聞いている人がそれぞれ同じ言葉に対して持っている意味やイメージが微妙に異なります。


聞いているすべての人の言葉に合わせて言い直していたら、みんなが飽きてしまって聞いてもらうことすらできません。

大勢の人に伝えるためには、聞いている人たちに「聞こう、聞きたい、知りたい。」と感じてもらわないと難しいことです。

こちらが発した言葉をこちらが込めた意味として受け取ろうと言う姿勢になってもらわないと難しいこととなります。


発信側も、聞き手の集団的な性格に合わせた言葉を選ぶ必要があります。

聞き手も、興味を持って聞こうという姿勢が生まれなければなりません。

その時に初めて、ある程度の正確さをもって伝わることが可能になります。


一対一の場面における伝え方は、条件が変わります。

その場で相手の理解と言葉が確認できるからです。

理解内容と確認を繰り返しながら、より正確な理解を得ることが可能になります。


ここまでの状況では、相手に起きていることはインプットのみです。

知識の押し売りです。

発信側が求めていることは、得た知識やその知識を使ったアウトプットです。

聞き手側が、単なる自分の知識としてのインプットだけに終わってしまっては、せっかく伝えたことが半減してしまうのです。


聞き手が、単なる知識としてインプットするためだけであるなら正確さにこだわる必要はないのです。

正しく伝わっていって欲しいと願うから、正確さを求めた表現になるのです。

インプットしたものを使ってアウトプットするために正確さが必要になるのです。


人を動かしてアウトプットしてもらうためには、動機が必要になります。

動機は人の感情です。

アウトプットすることによって、何らかのプラスの感情が得られる状況を描かせてあげる必要があります。

現実的なメリットが伴えばもっと有効でしょう。


今度は聞き手の言葉ではだめです。

話し手の自分の言葉で、相手の感情を揺さぶらなくてはいけません。

本気になって相手にプラスの感情が得られる状況であることを伝えなければいけません。

そのためには、自分のこととして語らなければ相手を動かすことができません。

自分の経験、感じていること、したいことだから自分の言葉で語らなければいけないのです。


一般論で人は動きません。

勝手に想定した状況では人は動きません。

人を動かすのは人の思いです。


まがい物の話で人を動かすことはできません、自分が本気になれる本物の話でないと、自分の言葉が伝わりません。

わたしの周りの人たちは、一般に比べると人前で話す機会が多い人たちだと思います。

その人たちを見ていると、伝えることの上手な人はそこそこいます。

しかし、人を動かす話ができる人はほとんどいません。


それは、聞いた人の反応を見てみればすぐにわかります。

「いい話でした」「参考になりました」「続きも聞きたいです」はある程度のことが伝わったことの証です。

動かす言葉が伝わった時の反応は、言葉では出てこないです。

人によっていろいろな変化が出ます。


セールスや洗脳における反応とは違った、暖かい力強い空気が伝わります。

セールスや洗脳の動かし方は、その場の勢いが必要です。

場の雰囲気つくりもそのようになっています。


正確に伝えるためには、伝える相手の言葉を考えなければいけません。

相手を動かすためには、自分の言葉で語らなければ伝わりません。

相手の言葉を知る努力と、自分の想いを伝える言葉を使える努力をしておかないと、いざという時には役に立ちません。

正確さも、感情も、思いも、すべてを表現するのは言葉なんですね。


自分の言葉を磨くのも大切ですが、相手の言葉を理解することももっと大切です。

相手にないかをしてもらうためには、まず正確に理解してもらう必要があるからです。

自分の言葉でいくら話しても相手に動いてもらえないのは、前段階としての理解が正確になされていないからです。

ステップとしては、相手の言葉の使い方や持っている意味を確認することからですね。




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2014年5月26日月曜日

日本語にしかできない思考

一首の歌があります。

古今和歌集にも伊勢物語などにも載っている、在原業平の有名な歌です。

 月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして

この歌の一部、とくに「月やあらぬ」はその後にも数多く引用され、いわゆる「本歌取り」としてこの歌を引用した歌は百首以上になっています。


歌の背景と意味を簡単に触れておきましょう。

ある男は、身分の高い女と契りをかわしましたが、その女の人が簡単には通っていけない別の場所に移ってしまい合えなくなりました。

翌年の春、梅の花が美しく咲いたころ、面影を浮かび上がらせる月影の夜に、男は女がかつて住んでいた場所を訪れて昔を偲びながらこの歌を詠みました。

一見すると弱々しいものと見えるかもしれませんが、歌の意味をじっくりと考えてみると情熱的な愛の告白であることがわかります。

月も変わったかもしれない、春も昔の春とは違うかもしれない、私だけが、私の思いだけが変わらないのだが・・・


のちの歌論書などでも秀歌として取り上げられている歌です。

世界で最もよく翻訳されている和歌の一つです。

アリゾナ州立大学のアンソニー・チャンベルズ教授が、ネット上にあらゆる種類のこの歌の英訳を公開しました。
そこには実に50種類くらいもあったそうです。

その中にはフェノロサの訳までが含まれています。

詩歌の翻訳家だけでなく研究者でさえもが、既に存在する訳を引用しようとせずに、自分なりの訳を試みるのはなぜなのでしょうか。

この「月やあらぬ」の不思議な魅力はどこにあるのでしょうか。


十九世紀末から現在に至るまでの「月やあらぬ」の英訳の流れは、和歌翻訳の歴史そのものを示すとともに、日本文化に対する知識や理解のずれを見ることができるものとなっています。

「心づくしの日本語」(ツベタナ・クリステワ、ちくま新書)にはいくつもの英訳が取り上げられており、解説を見ながらとても興味深く読むことができます。

その中で、言われていることがあります。

この歌の英訳に挑戦した人たちは皆、優れた学者か翻訳の専門家です。

歌の意味を誤解したとは到底考えられません。苦労して英訳された割には完全に納得のいく英訳になっていないと言い切っています。

それは知識不足や力不足ではなくて、あいまいさを内包して重んずる和歌表現と、断定的な調子を重視する英語との間の溝が、どんなに努力しても埋められないほど深いものであるからだと言っています。


YES/NOや右/左などの境界を超越した日本語とは異なって、英語ではどうしてもどちらかに決めないと表現ができないとしています。

日本語はYES/NOの中間領域をも非常に微妙なニュアンスで表現することができます。

そのうえ、両極端である、YESとNOが同時に存在していることも表現することができるのです。


この関係で英語表現ですぐ思い浮かぶのが、"To be, or not to be"ではないでしょうか。

ハムレットの有名なこの言葉は、まさしく英語の表現力そのものではないかと思われます。

ですから、日本語にはものすごく訳しにくいのです。


日本語にしかできない表現もあれば、英語にしかできない表現もあります。

そこを見つけた時の面白さはまた格別なものがあります。


"I love you."の和訳にも様々なものがあります。

有名なところでは夏目漱石と二葉亭四迷のものがよく取り上げられます。

「月がきれいですね。」(夏目漱石)

「わたし、死んでもいいわ。」(二葉亭四迷)

この部分のみ取り上げられることは、当人にとっては本意ではないと思われますが、二人の優れた文人による全体訳を見てみたいところですが、どの本を訳したものかは両方とも定かではありません。

この訳のところだけが後世に伝わってきていると言うことを考えただけでも、それだけ当時の人にとっては"I love you."は直接的な衝撃的な言葉だったのではないでしょうか。


日本語だけを見ていたのでは、日本語の特徴はいつまでたっても見えてきません。

また、世界の文化や言語やそれを持った人たちと触れることがなければ、日本語の特徴を知ったところで何の役にも立たないのではないのでしょうか。

社会活動にしても言葉にしても、英語がなければ成り立たない世の中になっているのが現代です。

より英語を英語話者を理解するためには、日本語・日本語話者との比較において考えることが大切です。

そうすることによって、結果としてより日本語をよく見ることになるのです。


日本語をよりよく理解するためには、英語から離れることは逆効果です。

英語と触れる機会が増えることによって、さらに日本語の特徴が際立ってくるのではないでしょうか。

母語としての日本語を持っている私たちが、英語の言語感覚を持つことはできませんが、それを理解することはできます。

英語の言語感覚を理解したうえで、より英語に訳しやすい日本語を使うことは可能です。

そのことが日本語の持つ最大の特徴である「あいまいさ」をいい意味で補う最良の方法です。


日本語は、世界の言語のなかでその成り立ちも含めてきわめて特殊な言語です。

しかも、その特殊性が世界から注目を浴びているものです。

もっともっとよく知る必要がありそうですね。



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2014年5月25日日曜日

他の言語話者から見た日本語

現代世界に存在する言語の数は5,000とも8,000とも言われていますが、そのほとんどが文字を持っていません。

文字を持っている言語は全体の20%程度ではないかと言われています。

その中でも言語について学問的な領域で研究の対象としているものは、決して多いとは言えないでしょう。


世界の一般的な言語学は、主としてアルファベット文字の言語を主体にして成り立った学問です。

そのために、音声と文字を同等に扱っており、文字の理解においてはおのずから限界があると思われます。

アルファベット使用言語については、アルファベットと漢字で触れていますので参考にしていただきたいと思います。
(参照:アルファベットと漢字


アルファベット使用言語の基本は「文字=音声」です。

アルファベット自体が文字としては意味を持たない、音を表す記号と近しての働きをする表音文字です。

したがって、同じ音声であっても表記文字のよって意味が変わってしまうことは考えにくいこととなってしまいます。

さらには、同じ表記であっても音声も意味も異なってしまうことには、考えも及ばないこととなってしまします。

こんな機能を文字が持っていること自体が把握しにくいこととなっています。


漢字が現存する唯一の表意文字であることは何度も触れてきました。

文字として書かれた一文字ずつにすべて意味があるものは、世界の言語のなかで漢字だけです。

アルファベット言語の場合は、言葉の意味は耳で聞き取ります。

音声だけで十分であり、文字は必要ありません。

音声言語と言われるゆえんがここにあります。


この点に関しては、中国語も、漢字を使用しているとはいえ声調(トーン)があるので、情報は口頭だけでも精密に伝わります。

一方、日本語の場合は中国語や他の言語のように、言葉の意味についての精密さを求めると、文字が必要になります。


詳細は忘れましたが、ネイティブ同士の会話の90%を理解しようとすると、どれだけの単語(言葉)を理解していないとできないかと言うことを調べた人がいます。

フランス語については2,000語が必要で、英語については3,000語が必要であるとのことです。

日本語については、実に10,000語を身につけていなけければ日本人同士の会話の90%以上を理解することができないと結論をつけています。


他の言語に比べて話し言葉に使う音の数が圧倒的に少ないために、同音異義語がたくさん存在するからです。

そもそもが、音だけで判断することができない同音語に対しては、前後の言葉からの推測が必要になるために、その音で表現可能な候補を持っていなければならないからです。

結果として、より精密な情報を理解しようとする場合には文字による補助が必要になります。


日本語が曖昧であるとされる原因がここにあります。

彼らの言語では、文字による確認は必要ないのです。

音声言語であるので、話し言葉で精密な伝達が可能なのです。

その同じ精密さを、日本語の話し言葉に求めようとするから曖昧だと感じるのは当たり前のことなのです。


しかも、話し言葉だけをとってみれば、日本語は覚えるのにとても簡単な言語です。

極めて少ない音数から成り立っていますので、他の言語話者から見たら簡単な音ばかりです。

したがって、入門編の言葉を覚えることはすぐにできますので、取り組みやすい言語だと思われます。


ところが、自分たちの言語の感覚でいくと、話し言葉だけでは通じなくなります。

そこからは、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の文字の理解がないと進まなくなります。

今度は習得するのに、きわめて難しい言語となってしまうのです。


漢字には、読めなくともあるいは読み方を忘れてしまったとしても意味は分かるということが決して珍しくありません。

また、同じ意味漢字でも略語になることによって読みが変わってしまうこともあります。
名古屋大学→名大(めいだい)、大阪大学→阪大(はんだい)などですね。


また、日本語はいとも簡単に外来語を取り込みます。

外来語のほとんどは音声言語ですので、日本語の持つ音で似たような音を充てることになります。

するともともとあった言葉と同音になる場合が出てきます。

「照らす」と「テラス」の関係や、「ほっとする」と「ホットにする」のようなことが頻繁に起こります。


特に外来語を取り込んだ初期のうちは、その言葉自体を外来語として知っている人が少ない状況です。

文字で表記すること、特にカタカナやアルファベットで表記することによって、外来語であることすら区別できてしまいます。


日本語における文字は、他の言語における文字の役割とは決定的に異なっており、音声の代理や補助的なものではなくなっています。

音声と同時に意味を生成する過程において参加しているものとなっています。


文字の積極的な役割は、他の言語における文字の役割とは大きく異なっています。

特に、現代においては文字が同音の言葉を区別し、特定の内容を明瞭に伝える役割を果たしており、曖昧さの解消に働いているのです。

したがって、文字をうまく使いこなすことによって、他の言語ではできないような精度の高い表現や言葉遊び的な表現が可能になっています。


漢語という言語に触れた時に、文字としての意味の精緻さを利用し、そこに使われった文字の漢字から自分たちが使ってきた「やまとことば」を表記する文字であるひらがなを編み出しました。

和歌によるひらがな表現法の発展によって、曖昧に揺れうごく「やまとごころ」を色々な言葉に掛けながら表現してきました。

時代が求める精密さには、明治期を中心として広辞苑一冊にも該当するほどの新しい言葉を生み出し、漢字仮名混用文として彼らの持つ精緻さをこえる表現力を身につけてきました。


言語について知っている人ほど、他の言語から見た日本語はスーパー言語なのです。

日本語で思考できることがとてもうらやましくもあり、恐れていることでもあるのです。

せっかく持っている日本語です、使いこなしたいですね。

もっと、表現して発信していきませんか。




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2014年5月24日土曜日

万葉仮名から平仮名へ

両方とも「かな」と言われるものですが、見た目が明らかに違います。

万葉仮名は見た目は漢字そのものであり、平仮名は平安初期に共通の字体として定着した、現代の「ひらがな」とほぼ同じものです。


古今和歌集においてその技術的な典型をたくさん見ることができる「掛詞(かけことば)」は、平仮名が使用はじめられたことによる同音異義語を利用したテクニックです。
(参照:かな文字が生んだスーパーテクニック(掛詞)

しかし、万葉集においても数は少ないものの、「掛詞」の例を見ることができます。

万葉集の場合は歌の音を表すのに漢字が使用されています(万葉仮名)ので、それぞれ意味のある文字となっています。

同じ音であっても、表記する漢字を変えることによって「掛詞」の技術を表していると思われます。


万葉集の第一巻の二番目の歌の一部で使われた二つの「たちたつ」を見てみましょう。

「・・・國原波 煙立龍 海原波 加萬目 立多都 ・・・」
(・・・国原は 煙立ち立つ 海原は かもめ立ち立つ・・・)

意味としては、「広い平野にはかまどの煙があちこちから立ち上がっている、広い水面にはかもめが盛んに飛び立っている」と言うことです。

「煙立龍」の場合は、「龍」が雲を想像させるので、煙があちこちから立ち上がっているイメージが伝わってきます。

また、「加萬目立多都」においては、「たつ」が「多」と「都」(全てと言う意味)で表記されているので、多数のカモメが一斉に飛び立つ姿が目に見えるようです。


一方、平安期に定着した平仮名においては、同じ音に対して異なる表記を用いて、意味を区別したり補ったりする万葉仮名の使い方を見ることは出来ません。

確かに文字の草体化の過程においては、「し」の元字として「之」「志」「新」があったことなどは確認することができます。


それでも仮名文字は、同音の言葉を差異つけするのではなく、差異をなくす方向で発展していったことは間違いありません。

つまり、万葉仮名から平仮名へという文字の発展は、一つの表記で同音異義語を同時に表すという「掛詞」の効果を産んでいったのです。


漢字が再び日本語の表記として現れ出すのは、和漢混用文が成立した時です。

この文体を最初に使ったのが平安末期の「今昔物語」だと言われています。

さらには文章の主体として和漢混用文が定着するのは鎌倉時代以降まで待たなければいけません。



ここから言えることは、仮名文字(平仮名)の成立から和漢混用文の定着までの期間は、「やまとことば」の表現力を徹底的に発展させる期間だったということです。

「やまとことば」が持つ、広がりのある概念は、現代の私たちには曖昧さとして映ります。
音として持っていたその広がりを、文字によって表現していく過程がこの期間だったのではないでしょうか。


結果として「やまとことば」の発展の場となった和歌においては、文字の流れは常に二重あるいはそれ以上に読めるのです。

意味の多義性は、和歌解釈の結果としての「掛詞」技術ではなく、「やまとことば」が本来持っていた広がりの、文字表現としての前提や出発点なのではないでしょうか。


このことは濁点にも言えることではないでしょうか。

濁音を表す記号は、平安時代に作られた辞書『類聚名義抄』に初めて使われたと言われています。

と言うことは、平仮名の全盛期には日常会話にはすでに濁点のある言葉が使用されていたと思って間違いはないでしょう。


それにもかかわらず、和歌と言う表現方法における平仮名には濁点を表記していません。

濁点を持つ言葉の存在と平仮名を発展させてきた能力をもってすれば、濁点を表記する方法などいくらでも編み出せたはずです。

それにもかかわらず、平仮名表記における濁点をしていないと言うことは何を意味しているのでしょうか。


音としての「やまとことば」の持つ懐ろの広さを、文字として表すためには濁点が邪魔であったと考えることが一番理に適っているのではないでしょうか。

曖昧さの排除のためには、音と文字の一対一での対応が不可欠です。

1900年ころに義務教育で教える文字のとしての「ひらがな」が決められました。

いま、私たちが習ってきているものと同じものです。


現代社会では、表現としての懐の広さは、主に曖昧さとして受け取られてしまいます。

今の社会の基準がそうなっているからですね。

表現としての懐の広さが、優雅さや奥ゆかしさとして想像を掻き立てた時代があったことは間違いないのでしょう。


すべての表現が正確さを求められているわけではありません。

「やまとことば」の持つ広さがうまく活きる場面も沢山あります。

平仮名と言う文字は文化そのものではないでしょうか。

楽しんで使っていきたいですね。




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2014年5月23日金曜日

日本語表現は語感が決め手

日本語の表記文字は、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「アルファベット」と主に4種類が使われています。

ところが日本語の音は一種類しかありません。

「ひらがな」で言うところの基本音46に濁音・半濁音を加えても71音、すべての音を集めても130音あるかどうかといったところです。

世界中の言語の中でも音として持っている数は、きわめて少ない部類に入ります。


どんな表記文字で書かれていようとも、それを話し言葉として聞いた時はすべて「ひらがな」の音として入ってきます。

素直に音として入ってきた瞬間に理解できる言葉はいいのですが、一瞬でも「?」となる音においては頭の中で自分で理解するための言葉探しが始まります。


「かんき」という音が入ってくるとひらがなでは理解しきれませんので、漢字への置き換えが始まります。

歓喜、喚起、乾季、換気、乾期、寒気、神吉、勘気、官紀、簡記、刊記、官記、還気、さらには「カンキ」や「KANNKI」なども出てきます。

それらの浮かんでくる候補を、文脈や前後の言葉と照らし合わせて自分の理解としていきます。


それでもなお「?」となるような場合は、聞いた音を疑い始めます。

もしかしたら「かんき」ではなくて「かんきつ」ではないかと思い始めます。

「柑橘」でしっくりくるとやっと安心して理解することになります。


ひとつの言葉でここまでのことが行なわれてしまいますと、そこそこの時間がかかってしまいます。

その間は流れてくる言葉の音を拾いそこなうということが起きてきます。

相互の会話が成り立っていて、その場で言葉の確認がすぐにできる場合はいいのですが、一方的に話している講演や演劇などの場合でこれが起きると、聞いている人の理解の流れがブツブツ途切れることになります。


話し言葉で伝えることの難しさはここにあります。

漢字やカタカナ・アルファベットの候補がたくさんある言葉をなるべく使わないことや、伝える相手が持っている言葉を理解しておかないと、話し手の意図したことが理解されにくいことになります。

その理解を助ける方法として、チャートやグラフ・文字表現といった視覚による補助が効果的であることはよく知られていることです。


ところが文字だけの表現の場合は、相手が目の前にいないことがほとんどですので話し言葉で補助することができません。

しかも、話し言葉に比べたら文字の種類の使い分けもそうですが、文体としての表現の仕方も選ばなければいけません。

文体に統一感のない文章は、読んでいても辛いものがあります。


同じ言葉であっても、表記する文字によって読む人のイメージすることが違ってしまう場合もありますし、同じ言葉に対して複数の表記がなされてると、その違いが気になったりわからなかったりしてしまいます。

どんな人が読むのかを想定して表現するのは勿論ですが、どういう意図をもって表現すのかが大きな要因になります。


日本語は世界で類を見ないほどの、表記方法があります。

小説、随筆、紀行文、伝記、手紙、詩集、歌詞集、参考書、問題集、教科書、法律、解説書、申請書、辞書、百科事典、新聞、マニュアル、論文、白書、報告書、レポート、実験ノート・・・

しかも、それぞれの分野での深耕度に応じて、全くの初心者から専門家・プロフェッショナルまでに応じた表現ができる言語です。

そこでは、わかりやすさを優先するのか、専門性による正確さを優先するのか、あるいはわかりやすい正確さを求めるのかによっての表現の違いも可能なものになっています。


それぞれの表現の中で行われている、文字の種類の選択と文体の選択のことを合わせて語感と読んでいます。

同じ小説でも、恋愛小説と推理小説では語感が異なっています。

伝える内容・作品の内容によってどの様な語感で伝えるかが作者の表現力になってきます。


変化を嫌う役所や硬直した組織では、過去に使用された語感や登録されている語感からなかなか離れることができません。

わかりやすさを求めるよりも、変化を嫌うことの方が強くなっています。


自分で表現するときになるとよくわかると思いますが、個人が持っている語感は極めて限られたものです。

アウトプットとしての表現に慣れていないからですね。

特に、書いた物は一方的に相手に届くだけで、その表現についてのフィードバックをもらえる機会は稀です。

社内の報告書を上司が手直ししてくれるたりするのは、いい例でしょうね。

そのために、文書例としてのひな形があれだけたくさん存在しているのです。


語感は後天的なもので、基本的な言語が身についてからでなければ、語感の違いによる受取り方の違いに気がつきません。

それまでは、馴染みのない語感の表現に対して「わかりにくい文章だな。」くらいに感じるだけです。

すべての語感は、それぞれの語感に適した場面と相手があります。


私たちが一番初めに出会う大きな語感の違いは教科書です。

教科書ですから、その文章を理解することによって知識を得なければいけません。

それまで眺めていた絵本とは、意味が違ってきます。


今までの語感に一番近いものが「こくご」の教科書の語感ではないでしょうか。

そして一番馴染みのないものが「さんすう」の教科書の語感ではないでしょうか。

「こくご」と「さんすう」は小学校の一年生から独立した教科として時間が割り当てられています。

「理科」や「社会」は小学校三年生からですね。


「さんすう」の教科書は小学校一年から横書きで書かれています。

今の子どもたちは早い段階から横書きに触れていますので、それほど違和感はないと思いますが、それでも「こくご」の縦書きに出てくる馴染みにある言葉に比べると、「さんすう」独特の表現が多くみられます。

小学校一年生の「さんすう」の教科書の内容は、それほど専門性はなく「こくご」の延長みたいなものですが、そこは普段の生活とは異なった語感があります。


この「さんすう」の語感に慣れないと、専門性が深まって教科独特の内容が出てくるようになった時に理解がしにくくなってきます。

「さんすう」が苦手になる原因がここにあります。


小学生における教科によっての苦手意識の原因は、その強化の教科書の語感にあることがほとんどです。

このことがわかっている先生は、自分の言葉で教科独特の語感を補ってくれますが、それができない先生は教科書の語感と同じ語感を使って説明をしますので子どもたちにとってはわかりにくさは変わらないのです。


表現力としての語感を磨くためには、多くの語感に触れることしかありません。

小学校のころに読書量を競わされた経験がある人が多いと思いますが、冊数ばかりを言われるものですから、自分の好きな語感のものしか読まなかった記憶があります。

しかも、中学生になると好きな語感が固定してきてしまい、同じ作家のものばかり読んでいた記憶があります。

もっといろいろな語感の本に触れておけばよかったと思っています。


ネットの時代は文章力が大きな決め手になります。

文章力とは、内容の構成もありますが、一番大きな要素は伝える相手に応じて語感を使い分けることです。

ネットで使用する文章の目的はかなり限られていると思います。

ネット上での短い文章でも、これは伝わってくるなと思うものがあったら、コピペして取っておくことです。

自分が表現しようとするときに必ず役に立ちますよ。


できれば、どんな対象に対して発信しているのか目的まで一緒に記録しておけると最高ですね。

コピペしたものの一覧を眺めているだけでも、自分が表現するときの文章に明らかな違いが出てきます。

この表現は自分で考えても出てくるものではありません。

ネット上には素晴らしいコピーや文章がたくさんあります。

少し注意してみてみませんか。




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2014年5月22日木曜日

子どもを持つ前に見直したい日本語

人のコミュニケーションの大部分が言語によるものであることは疑いのないことでしょう。

社会で自力で生き抜いていくために必要な、一番基礎的な能力がコミュニケーション能力だと言われています。

一人で生きていくことができない以上、間違いのないことだと思います。

したがって、人が社会で生き抜いていくために必要な基礎力は言語能力であると言うことができるでしょう。


個人の言語は次の三つの言語から出来上がっているようです。

  1. 母語・・・幼児期に主に母親から伝承される言語
  2. 学習言語・・・知識を身につけるために必要な共通語、国語
  3. 環境言語・・・所属する社会で使用されている専門的、一般的言語

それぞれの言語の習得時期を見てみましょう。

母語・・・生まれてから5歳頃まで
学習言語・・・6歳頃より義務教育期間(基礎は10歳頃までに習得)
環境言語・・・学校以外に属する社会が定まってきたころ

きれいに段階としてステップがあるわけではありませんが、次のようなことで区切りがつけられるのではないでしょうか。

学習言語(国語)を学び始める前の幼児期言語、
辞書・辞典等を使って自分で学習できるようになるようになるまでの学習言語習得基礎、
学習言語の強化とそれによる知識習得のための学習言語後期、
学習言語による知識習得後の社会生活言語。

両親が日本人であり日本語でずっと育ってきた人にとっては、こんなことは考えたこともないことだと思います。
社会に出て海外との交流・交渉の必要でもでてきた時に、初めて言語に興味を持つくらいではないでしょうか。


それぞれの国において、それぞれの国語で教育が行われ、それぞれの母国語で社会で生きていけていた時には、母語を意識することなどなかったと思います。

他の国の情報や言語に触れる機会がどんどん低年齢化し、自国の言語以外の言語を使う可能性が高まってきました。

場合によっては、幼児を連れて自国の言語以外の環境での生活をすることも出てきました。

義務教育から等しく始まる国語の学習において、それ以前に身についている言語の影響の大きさから発見されたのが母語ではないかと思います。


ですから、母語に対する警鐘は国内ではほとんど見ることができません。

海外生活を送る幼児の親に対しての警鐘が、メインとなっています。

リンク先の海外子女教育振興財団のパンフレットがその典型と言えるでしょう。
(参照:母語の大切さをご存知ですか? 海外子女教育振興財団)


このパンフレットを読むと、海外での母語習得のための環境に気をつける内容で書かれていますが、同じような環境が日本国内でも起きているのではないかと思います。

しかも、子供の将来のために良かれと思い込んで、親が使えもしないのに英語の環境を作ったりしています。

母語については、新しい発見やアイデアが出るたびに触れてきていますので、その特徴についてはここまでわかってきた「母語」で確認してください。
(参照:ここまでわかってきた「母語」


母語の習得で一番大切なのは母親です。

母親の持っている言語が、母語として伝えることができるMAXです。

子どもが生まれてからの母親は、人生で一番大変な時間を過ごします。

その期間が、母語の習得機関とダブってしまうのです。


育児をしながら、考えながら母語を伝承していく余裕なんかありません。

よほど周囲の理解とサポートがなければ、ストレスから解放されることはほとんどない日々が続きます。

自分の使っている言葉に気を使っている余裕なんかありません。

不平、不満に対する愚痴や文句は思わず口に出ることでしょう。

赤ちゃん言葉で子どもに愚痴を言ったりすることもあるでしょう。

その言葉が子どもに伝わり、母語として子どもが身につけていきます。


幼児に言葉の選択なんかできません。

母親の語りかけを、普段の言葉を、母親が誰かと話している言葉を伝承していきます。

これが母語となって、その子の生涯の基礎言語となっていくのです。


子どもができてから、母語のことを考えても対応は難しいです。

子どもができる前に、日本語について興味を持っておくことが大切ではないでしょうか。

そして、母語について知っておくことが大切ではないでしょうか。


私が母語という言葉に出会ったのが約7年前です。

少ない資料のなかで理解を深め、周りに母語について語り始めたのが3年位前からです。

その頃に幼児を持たれていて、私の話を聞いていだいたお母さんの子どもが小学生になっています。

この先はまだわかりませんが、国語は好きなようです。

それ以上に、言葉に興味を持っていろんなことを聞いてくるそうです。

言葉と物が一致してくる頃であり、何でも確認をしたがる頃ではありますが、ほかの子どもに比べていろいろなことに対する好奇心が強いようです。


お母さん自身が幼児期の母語について知ったことによって、安心して幼児期を送れたことを喜んでいました。

幼児教育で余分なお金を掛けないですんだことも喜んでいました。

そして、できれば子どもが生まれる前から知っていたら、子どものためにもっと良い環境を作ってあげられたとも言っていただきました。


わかっていても実際に子どもを持ってからの日々は、毎日が大変なことになります。

その前に、お母さんになる予定がある人が日本語に興味を持ってもらうことが一番大切なことだと思います。

その中で母語について知っていってもらうことが、この世界に誇る素晴らしい言語を継承していく道ではないでしょうか。


わたしの今までの母語についての発信は、幼児の母親に対象を絞りすぎていたと反省しています。

もっとより積極的に広く、日本語に対する興味と母語に対する理解を深めてもらえるような活動をしていきたいと思います。

一声かけていただければどこへでも言って話そうと思っています。

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2014年5月21日水曜日

「ひらがな」の成り立ち

日本語の独特の文字としての「ひらがな」については何度か触れてきていますが、その成り立ちについてはよくわかっていません。

残されている資料に基づいて推測していくしかありませんが、元が漢字であることは間違いがありません。

現在に至る流れを少し見てみたいと思います。


文字のない時代の話しことばとして存在していた「古代やまとことば」の成り立ちについても、ほとんどわかっていないと言った方がいいでしょう。

5世紀を中心として古代中国の文化を導入し始めたのが、文字との出会いであると思われます。

地理的な問題もあり大陸関係がかなり限られたものであったことは歴史的な事実だと思われます。

ほとんどの文化が書物によってもたらされたために、中国文化に触れるためには漢語を習得する必要がありました。

この時に話し言葉を含めてすべての言語が漢語にならなかったということは、話し言葉としての「古代やまとことば」の定着を確信させるものであると思われます。


古代中国の例に倣って、勅撰書物の作成が行なわれていきました。

その代表が奈良時代の「日本書紀」(720)と平安初期の「令義解(りょうのぎげ)」(833)であろうと思われます。

これらは漢語で書かれたものとなっています。


やがて、平安時代になると勅撰書物の対象として定着したのが詩歌です。

「凌雲集(りょううんしゅう)」(814)、「文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)」(818)、「経国集(けいこくしゅう)」(827)の三つが勅撰漢詩集として編纂されました。

その目的は「凌雲集」の序文の冒頭に引用された、魏の初代皇帝である文帝の次の言葉です。

「文章は、経国の大業、不朽の盛事である。」


勅撰の漢詩集は平安期初期の上記の三集で終わりを告げます。

その後も漢詩集は作られていますが、勅撰のものはありません。

代わりに「勅撰集」の名を独り占めしていったものが勅撰和歌集です。


勅撰和歌集の隆盛は、日本文化が中国文化の模倣を脱して、独自の表現へと転換していていったと解釈することができるのではないでしょうか。

「文章は、経国の大業、不朽の盛事である。」と言う、文学を重んじる基準を中国から学び、その一方で古典中国語の漢詩から「やまとことば」の和歌へと変えていったのでしょう。


勅撰和歌集の初めは醍醐天皇の勅命により、「万葉集」に選ばれなかった古い時代の歌から、選者たちの時代の歌までを選んで編纂した「古今和歌集」です。

奏上されたのは905年とされていますが、それ以降の歌も含まれており完成はさらに遅くであろうとも言われています。

「万葉集」においては、その成立がよくわかっておらず勅撰説もありますが、現在では大伴家持ら複数の編者によってまとめられたものではないかと言われています。

したがって、勅撰集としては扱っていないのが一般的となっています。

その成立年代もはっきりせず、780年頃から830年頃までではないかと言われています。

史料的にも「万葉集」が平安中期以前のものには登場してこないために、現在では確かめるすべがありません。


ただし、「万葉集」には漢語から仮名への変遷を見るためのきっかけとして、仮名の原型であろうとされる「万葉仮名」を見ることができます。

仮名とは言ってもその見た目は漢字そのものであり、現代の私たちが見ただけでは漢語との区別はつきません。

ここで使われているのは和歌として詠われている「やまとことば」を音として表現するための借字です。

漢語の音を利用して、話し言葉である「やまとことば」の音を表したものです。


当時の「古代やまとことば」がどれだけの音数を持っていたのかは、全くわかっていません。

しかし、最古の「いろは」が700年台半ばには確認できることから、基本音としての47音(「ん」を除く)はかなり前から存在していたのではないかと思われます。


「ひらがな」としての字体が決まったのは、1900年頃であり小学校令として文字と音が一対一で対応するようになりました。

この段階で元になる漢字も定められ、その漢字の草書体から独立したものとして「ひらがな」が確定しました。


万葉仮名のころには音に対して借字する元の漢字も定まっていませんでした。

「やまとことば」としての同じ音に対しても何種類もの漢字が充てられています。

借字の数は数百とも言われています。


借字についての草書体化が進んでいくことによって、漢字との区別がしやすくなってきますが、「ひらがな」が公的な文書に現れてくるのは「古今和歌集」が最初だと言われています。

それ以前の「ひらがな」になる前の草書体の文字を草仮名と呼ぶことがあります。


「古今和歌集」の編者でもある紀貫之によって書かれた「土佐日記」(935)は、後世の「ひらがな」とほぼ同じ字体が使われたと言われていますが、作者が女性に託して書かせたものではないかと言われています。

このころには、借字から草書体化して仮名として使われていた文字は100~200種類であったと思われます。

ひとつの音に対して一つの文字ではなかったようです。

同じ作品の中での同じ音に対しても、複数の仮名が使われていたようです。


小学校令で定められた字体以外の仮名のことを変体仮名(異体仮名)と呼びます。

「い」の元となっている漢字は「以」ですが、変体仮名の借字としては「伊」や「異」などもあり、これらの漢字が草書体化したものは仮名としても当然違ったものとなっています。

同じ「ひらがな」の字体になっていても元の漢字(字母)が異なるものや、字母が同じであっても草書体化の過程において「ひらがな」の字体が変わってしまったものなど、様々な変化仮名が存在しています。

「いろは」に充てられている漢字も、時代や出典によってさまざまなものがあります。


日本語は「ひらがな」だけですべての表現ができる言語です。

文字にした時の読みにくさは伴いますが、話し言葉としてはすべてを「ひらがな」で伝えることが一番わかりやすい伝わり方になっています。

一番初めに身につける言葉であり、誰でもが使える言葉だからですね。

日本語の原点は「ひらがな」にあります。


漢字倒れ、カタカナ倒れ、英語倒れにならないようにしたいですね。
日本語を一番わかりやすく伝える言葉は「ひらがな」です。

もっと大切にしたいですね。


・ブログの全体内容についてはこちらから確認できます。

・「現代やまとことば」勉強会メンバー募集中です。,

2014年5月20日火曜日

ここにもあった日本語の特徴

今年(2014年)の初めに、日本語の持つ特徴のなかで比較的目が向けられていなかったことを取り上げた内容を書いてみました。
(参照:気がつかなかった日本語の特徴(1)~(6)

しばらく時間が経ちましたが、また新たな発見がありましたので触れておきたいと思います。


日本語を言葉としても技術としても磨き上げてきたものは、和歌にによる表現だったと思われます。

漢語が導入される前の文字のない時代から詠み続けられ、現代においてもその形式を保持したまま川柳や短歌として一般に浸透している二千年以上にわたって存在しているものです。

文章表現の原点が和歌にあることは間違いのないことだと思われます。

言い換えれば、日本語は和歌によって磨かれてきたともいえるのではないでしょうか。

そして、この和歌の感覚は心地よいリズムとして表現方法の基盤になって私たちの中に継承されてきているものと言えるでしょう。


七文字五文字の言葉を中心としたリズミカルな音の流れは、最短形の俳句から長歌・連歌まで表現方法があります。

今でこそ、和歌というとほとんどの場合は短歌のことを言うようですが、本来は俳句、短歌、長歌、仏足石歌、旋頭歌、など多岐にとんだものです。

その基本はすべて七五調の言葉の流れにあるものです。

現代でも川柳や標語で耳にする七五調は、リズムよく耳に届いてきます。


特に広く詠われたものが短歌であり、時の天皇が編纂を命じた勅撰集が数多く残っており記録をたどることができます。

三十一文字という限られた文字数の中に込めた思いは、時代を経るにしたがって様々な表現方法を編み出していきます。

人の心情の典型である恋愛を詠ったものも数多くあり、当時の有識者たちの表現の場あったことは疑いのないことだと思われます。


限られた文字数と音の制限のなかでの、しかも直接的な表現をできるだけ避けようとすることが良しとされる環境においては、限りなく研ぎ澄まされた表現技術が磨かれていったのではないでしょうか。

短い文字数で言い表すために、省略の技法が進んだことでしょう。

ひとつの言葉に複数の意味を持たせた技法が進んだことでしょう。

書かれた文字以外の意味やニュアンスを伝える技法が進んだことでしょう。


これらの技法が駆使されたものを文字面から理解することはとても難しいこととなります。

誰が、いつ、どんな環境において詠んだものかという但し書きが必要になってくるのはそのためです。

詠まれた歌を客観的に見るのではなく、詠み人と同人化した感覚が必要になってくるからです。

これは単なる感情移入とは異なります。

自分自身が詠み人として同じ環境に身を置くという疑似体験によって詠まれた歌を見る必要が出てくるのです。

そうでないと、そこに省略されたものや例えられたもの、文字以外のニュアンスが理解できないのです。


各勅撰和歌集においても、歌以外の説明は限られたものしか書かれていませんが、歌を理解するにはとても貴重な内容となっています。

現代から見たら、もっとたくさんの説明書きがあったほうが理解しやすいのですが、今更望むべくもありません。

また、読み手の想像を掻き立てる意図もあるのではないかと思われます。


これらのことが、欧米言語の思考から見ますと「あいまいさ」として映るものだと思われます。

「行間を読む」「心情を読む」「以心伝心」「一を聞いて十を知る」などの感覚を伝えることはとても難しいことだと思います。

ひとつの言葉で正反対の意味を表すことによって、揺れ動く心情を表現している技法などは、日本語を母語として持つ日本人であっても気がつきにくいことです。


特に、現代では学校教育において、和歌の解釈において一元的な解釈を定めることによって試験のための教材として扱おうとしてきた傾向があります。

本来の和歌の読み方は、読み手の気持ちや環境によって受けとる内容が変わってもいいものでした。

恋の歌などは、わざと受取った相手にしかわからないような内容で詠われていたりします。


それぞれの技法が個別に存在するのではなく、同時にいくつもの技法を駆使しながら自分の思いを表していったものではないでしょうか。

景色を読みながらも、その景色がそのように見える自分を映していたり、自然の変化を詠みながらも自分の心の変化を映していたりします。


言語としての絶対的な音の少なさを利用した見事な技ではないでしょうか。

ひらがなを編み出してきた能力をもってすれば、音としては文字以前から持っていたはずの濁点を表記する技術はとっくにあったはずです。

濁点を表記しないことによって言葉としての広がりがさらに増えることを考えると、ひらがなにおいて敢えて濁点を表記しなかったと考える方がよさそうです。


これらの技術によって、特徴として表現されていることは多岐にわたっています。

正反対のことを一つの言葉で言い表すことができることや二つ以上ことを一つの言葉で言い表すことなどは大きな特徴と言えるでしょう。

あらゆる場面においてあらゆる言葉が省略されることがあります。

それでも他の言葉から省略された内容をうかがい知ることができることも大きな特徴でしょう。


それによってどちらかに限定した断定を表しているのではなく、揺れ動いている心情であったり、どっちつかずの状況であったという中間領域の微妙な表現がなされているのではないでしょうか。

YES/NOや右/左ではない、その間の中間領域を表現することが得意な言語であると言えないでしょうか。


20世紀の後半には、自然科学の分野において偉大な発見がつづき、絶対的な二元論的な捉え方から相対的な中間領域的な捉え方へのシフトが起きました。

2000年以降のノーベル賞の自然科学三分野(物理学、化学、医学生理学)の受賞者数の世界2位が日本人です。

1位のアメリカはぶっちぎりで多いですが、原国籍ではアメリカ人でない人がたくさん含まれていることはご存じのとおりです。

2位の日本人の受賞者数は全ヨーロッパの合計をも上回っているのです。


日本語を母語として持っている人の思考は日本語で行われています。

日本語の可能性はまだまだいくらでもありそうですね。





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2014年5月19日月曜日

「国語」ってなに?

みなさんは「国語」について考えてみたことがあるでしょうか。

「国語」ってどんな言語なんでしょうか。

「国語」の役割ってなんでしょうか。


小学校に入学以降ずっと「国語」がついてきました。

関連教科としては、「かきかた」や「書写」などもありました。

中学生以降は「現代国語」「古文」「漢文」などに細分化されていきました。


「国語」を辞書的に見てみるとこんな表現があります。

国(国家)を代表する言語で、公の性格を持つようになっている言語のこと。
国民にとって共通語としての性格を持ち、外国語に対応する言葉。


何のために「国語」があるのか、何のために必要なのかを見てみたいと思います。

日本において「国語」を学ぶのは義務教育である小学校になってからです。

義務教育制度は各国に存在していますが、その在り方は国によってさまざまです。

義務教育の本来の目的は、国民に等しく教育の機会を提供し、社会で生活していくための基礎知識を習得することをめざしています。

しかし、その実態は高等教育を受けるための準備段階となっており、義務教育の終了時点で社会に出ていく人はほとんどいません。

特に義務教育の後期である中学校においては、上級学校に進学するために受験する入学試験に合格するための知識を身につけることが中心となっています。


日本語は中国語と並んで、習得に長い期間を必要とする言語です。

他の言語が小学校に入学して1~2年で習得を完了するのに対して、日本と中国は小学校卒業時点で持っている言語では社会でのコミュニケーションに不足が生じているのです。

不足が出ている分は主に語彙と漢字の習得です。


日本では、小学校6年間で教育漢字として1,006字を学びますが、現代の国語を表す一般に使用する漢字として定められている常用漢字は2,136字となっています。

中国では、小学校6年間で約2,000字の漢字を学びますが、ほとんどの子どもが中学生になってもまともな文章が作成できないようです。


漢字を使用している国では、アルファベットを使用している国よりも言語習得に関しての時間が多く必要となっているようです。

日本語においてはさらに文字の種類が豊富です。

「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「アルファベット」を使いこなさなければなりません。


基本的な言語の習得だけでも10歳くらいまでかかっているのが現状となっています。

もちろんその後も語彙の補強や漢字の習得を続けていかなければなりません。


義務教育で等しく同じ言葉と用法で、同じ意味を理解するために「国語」があります。

日本語のなかで、共通語として定められた言葉と用法によって規定された言語です。

共通語としての役割がありますから、誰でもが同じ理解ができるものになっている必要があります。

日本語はとてつもなく大きな言語ですので、「国語」としての規定を設けて共通語として使用しているのです。


教育においては同じ表現からは同じ理解をしてもらわないと評価ができません。

同じ表現からは同じ知識として理解してもらわなければ、教育になりません。

特に義務教育においては、共通した知識を習得をするための言語として「国語」による知識の習得が行なわれます。

知識を習得するための学習言語が「国語」なのです。


すべての教科の教科書が「国語」で書かれています。

学年による「国語」の習得度合いに合わせて、他の教科書の表現がなされるようになっています。

教科の内容がより専門的になるほど、「国語」の表現もその教科独特のものが増えていきます。

同じ「国語」であっても、教科によって表現の特徴が出てくることになります。

縦書きや横書き、記号や語順などが様々なものになってきます。


個人的には慣れない表現もでてきます。

表現によっては同じ「国語」ではあっても、理解しにくいものも出てきます。

何度もそんな表現に出会っているうちに、その教科が苦手になることがあります。

特定の教科が苦手になる場合は、その教科をいくら教えても駄目ですね。

その教科で使われてる表現の「国語」を理解できないと、いくらその教科を教えても苦手の克服はできません。

ベテランの先生はこのことをよくわかっていますね。


「国語」が日本語のすべてではありません。

「国語」が正しい日本語ではありません。

日本語の共通語として使用するためのルールによって運用されている言葉と用法が「国語」なのです。

日本語のほんの一部であると思った方がいいと思います。


私たちは、実生活において「国語」ではない日本語をたくさん使っています。

言語は変化していきますので、正しいとか正しくないとかいうことで判断できるものではありません。

あえて言うとしたら、「国語」のルールとして合っているかいないかの判断ができるだけのことです。

「正しい日本語」というものは存在しないのです。

「国語」の用法として合っていると言うことができるだけのことです。


私たちの知識習得として学習の場は、あくまでも生活の一部です。

学生・生徒の時はその時間が一日の大半を占めているだけです。

学校生活の中でも、実際の学習言語に触れている場面もあれば、生活言語として「国語」以外の言語に触れている場面もあります。


すべての知識が言語によって習得されていきます。

人が持っている基本言語が3つあります。

重複している部分もたくさんありますが、その3つは「母語」「国語」「環境言語」です。


「母語」は幼児期に母親から受け継いだ、基本となる言語感覚を本能的に身につけた個人としての基礎言語です。

「環境言語」は生活環境によって身につけていく、後天的な経験言語です。

どちらも個人的な要素の強い個性的な言語となっています。

そのすべてが日本語です。


日本語を使用している人の、一人ひとりはそれぞれ違った日本語を持っているのです。

それだけでは、あまりにも大きな日本語のなかで一人ひとりの理解が微妙に異なってしまいますので、共通語としての「国語」の存在が重要になっているのです。


義務教育としての極めて基本的な知識を習得してきた言語であり、あらゆる情報や書物において表現されている標準形とされている言語です。

「国語」で表現されていることによって、共通理解の幅が広がっているのです。


独自表現が尊ばれる場面があります。

しかし、その表現が「国語」のルールに沿ったものになっていなければ、共通理解を得ることは難しいものとなっているでしょう。

「国語」のルールそのものがあやふやとなっており、私たち一人ひとりがよく理解していないのが現実です。

人に理解してもらうための表現をするのであれば、本来ならば「国語」のルールに照らし合わせて表現を見直すという行為が必要なはずです。


現代の「国語」は学習言語としての機能しか持っていないように思われます。

もう一つつの大切な機能である共通語としての機能は、あまり有効に働いていないように思われます。

「国語」よりももっとシンプルで実用的な共通語が必要なのではないでしょうか。


そんな共通語として「現代やまとことば」を提唱しています。

興味のある方は以前のブログも参考にしていただきたいいと思います。
(参照:なぜ「現代やまとことば」か?

世界中の他の言語に比べてあまりにも大きすぎる日本語において、より正確な理解のために共通語は必要だと思います。


10以上の方言が飛び交い、話し言葉ではお互いに理解しにくい中国語も、漢字という表意文字のおかげで書くことでの理解はすすみます。

それでも共通語としての標準語を持っています。


「国語」を見直してみることからもいろんなことが見えてきますね。

どこから見ても日本語はすごい言語ですね。




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2014年5月18日日曜日

「母語」と「国語」の関係

このブログの目的の一つに「母語」について知ってもらうことがあります。

幼児期にしか身につかない言葉ですが、人としての知的活動のための基本機能を決めてしまう大事な言葉です。

「母語」については新しい発見があるたびにテーマにしていますので、ラベルの「母語」を見ていただけると取り上げてきた履歴がわかると思います。

直近で一番まとまっているのはここまでわかってきた「母語」ではないでしょうか。
(参照:ここまでわかってきた「母語」


その中でも述べていますが、「母語」はそのほとんどが母親から伝わる伝承言語です。

そして「母語」を語るときに避けて通れないのが「幼児期健忘」です。

これもラベルとして取り上げていますので、参照していただきたいと思います。
(参照:幼児期健忘について)


丁度、「母語」の習得が完了する4歳頃になると、幼児の持っている記憶のほとんどがリセットされて消えてしまう現象のことです。

このことによって、母語として身につけた言葉のほとんどが記憶に残りません。

この時点で、毎日のように使っている言葉だけが新たな記憶として残ることになります。


記憶としての言葉はなくなりますが、その言葉によって発達してきた知的活動のための脳を代表とする各器官の機能には、言語の感覚として定着しています。

それ以降の言語習得を含むすべての知的活動が、「母語」によって作られた機能によってなされていくのです。

「母語」の習得が完了するのが5歳頃と言われています。



そのあとは、学習言語の習得の段階へと移っていきます。

「母語」は母親から伝承されたきわめて個性的な言語です。

同じ日本語ではありますが、「母語」同士で会話がなされても理解できない言葉が出てきます。

ましてや方言や独特のアクセントを持つ言葉で「母語」を身につけた人同士の会話では、ほとんど理解できない場合もあります。


義務教育としての身につけるべき内容は、日本国民であればすべて同じでなければなりません。

義務教育の内容を身につけるための共通言語が必要になります。

それが学習言語と言われる「国語」です。


「国語」=「正しい日本語」と思い込んでいる人があまりに多いことに驚きます。

「国語」はすべての人が義務教育において等しく知識を身につけるために規定された、日本語のほんの一部です。

「国語」以外の日本語は無限に存在しているのです。


同じ教科書によって得られる知識が同じ内容であるように、同じ言葉については同じ理解ができるように、使用する文字と語彙と文法が定められたものが「国語」です。

日本の義務教育を受けたものであれば、誰でも同等の知識を同じ言葉で身につけるための学習言語なのです。


この「国語」を身につけるための基礎言語が「母語」です。

小学校に入学してからいきなり「国語」を教えられても、簡単には身につきません。

小学校一年生の最初には「ひらがな」を教わりますが、その期間は読み書きを含めて2ヶ月程度しかありません。

先生の指導内容では、「ひらがな」の習得は合計24時間以内で終わらせるようになっています。


現在では、小学校に入学してくる生徒の90%以上が、入学時点で「ひらがな」の読み書きができるようになっています。

自己防衛の広がりでしょうか、それとも「母語」習得の不十分さがあるのでしょうか、よくわかりません。


「国語」の習得が遅れると大変なことが起きます。

すべての教科の教科書に書かれている言語と先生の言葉のすべてが「国語」だからです。

小学校の低学年は、すべての教科で「国語」の習得をしていると考えたほうがいいでしょう。

教科としての「国語」と「算数」は小学校の一年生から独立した教科として存在しています。

すべての教科の教科書が、「国語」の進度に合わせた内容で書かれています。

「国語」の習得で遅れが出ると、すべての教科に影響が出ます。


「国語」の基本が身につくのに10歳頃までかかると言われています。

小学校の三年生からは社会や理科が独立した教科となっていきます。

独立した教科は、それだけその分野の独特の表現となっています。

一般的な「国語」とは違った表現となっており、「国語」にだけ触れていては理解しにくくなっています。


その典型的な教科が「算数」です。

そのための独特な算数の表現に早くから慣れる必要があるので、一年生から「算数」の教科が独立しているのです。

言い方を変えれば「国語」から一番遠いところにある教科の表現が「算数」であるとされていると言えます。


「算数」でも教科書は「国語」で書かれています。

「国語」の習得進度に合わせた表現で書かれていますので、一年生の「算数」はなんとも言えない表現がされています。

もう少し「国語」の習得が進んでからの方がわかりやすい表現ができるのではないかと思うところも見受けられます。


「算数」が苦手になった子どもは、その原因が「算数」がわからないのではなくて、算数のことを理解するための「国語」にあることがほとんどです。

小学校の低学年を受け持つベテランの先生は、ほとんどそのことを知っています。

小学校四年生までの「国語」を本当に大切にしています。


でも、その国語の習得に差が出てしまうのが「母語」の影響であることがほとんどわかっていません。

「母語」は母親が自分の言葉で語りかけていれば、子どもが自然と身につけていく言葉です。

おかしな教育しようとして、幼児期に何かを教え込もうとすると「母語」の習得を妨げることになります。

母子の自然な語りかけに、絵本の読み聞かせが効果があることは有名ですが、その読み聞かせにも悪い影響を与えるやりかたがあることがあまり知られていません。

この機会に知っておいていただくといいですね。
(参照:母語の習得と幼児教育(2)


「国語」が日本語のすべてではないことを知っていただくと、色々な日本語の可能性が見えてきます。

世界でも類を見ないとても優秀な言語である日本語は、その独特の成り立ちも含めて世界中で研究の対象になっています。

日本人が日本語に対して一番興味がなくて価値がわからない民族かもしれないですね。


基本言語を身につけるだけでも10歳くらいまでかかってしまう言語は、世界でも日本語と中国語くらいです。

そのあともさらに、語彙や文字を強化していかないと社会で通用する表現はできないですよね。

他の言語は、小学校の低学年から話し方や表現技術を学んでいます。

アピールやアウトプット力に差があって当然ですね。

そう考えると、反対に日本語の可能性はまだまだありそうですね。




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2014年5月17日土曜日

かな文字が生んだスーパーテクニック(掛詞)

かな文字の原型を見て取れる資料は万葉集です。

漢語の音のみを使って、それまで表記文字のなかった「古代やまとことば」に文字を与えたのです。

見た目は漢語そのものですが、「古代やまとことば」の一音一音にその音を表す記号として、漢語を充てたものです。

やがて時代とともに、「古代やまとことば」に音をあらわす文字として与えられた漢語が、どんどん省略されていきます。


2種類の省略のされ方をしていきます。

音記号として充てた漢語をそのまま省略していったものが「ひらがな」となりました。

充てた漢語の一部を残したものが「カタカナ」となりました。


表記の初めは読み仮名としてあてられた漢語と送り仮名として充てられた漢語があったと思われます。

「ひらがな」は「古代やまとことば」を文字として書き表すために発達したものと言えるでしょう。

「カタカナ」は漢語を「古代やまとことば」に翻訳したときの補助表記として発達したものと思われます。


したがって、やがて「ひらがな」は古代より伝わる「やまとことば」を表記する文字として、日本独自の使われ方をしていくことになります。

日本語の話し言葉・書き言葉としての技術の基盤を作ってきたのが和歌です。

和歌にもいろいろな種類があります、有名なところでは短歌、長歌、旋頭歌、などがあります。

しかし、今では和歌=短歌としての認識の方が一般的ではないでしょうか。


万葉集に始まった和歌の記録は、勅撰和歌集という一大事業によってその歴史をたどることができる貴重な文化史料です。

世界にたった一つしかない表記文字としての「ひらがな」は、世界でも極めて珍しい独立した言語なのです。

日本文化の特徴と、日本人の歴史の感覚がすべて込められているものということができます。


ひらがなが今の文字に定着したのはそれほど古い話ではありません。

印刷の技術が確立して、一文字一文字が明確に区別できるようになってからのことです。

それでも筆で書かれた文字は、見事な連続性を見せ、そこには個性も加わり、現代の私たちが理解するには難しいものとなってしまっています。


和歌の中心的な技法である掛詞(かけことば:ひとつの言葉に複数の意味を持たせたもの)は、仮名文字として漢語の姿の残っていたころは、音を拠り所としていたと思われます。

やがて「ひらがな」で書き表すようになると、そこから想像が大きく広がっていったのではないでしょうか。

現代和歌では、漢字も多用しますのでその意味するところは文字からでもわかりやすくなっていると思います。


掛詞の例として、次の歌を挙げておきます。

古今和歌集に収められている歌です。

 今日別れ 明日は近江と 思えども 夜やふけぬらむ 袖の露けき

京から近江までの旅は当時はほぼ一日であったと思われます。

掛詞を考えずに、素直に読んでみると以下のような内容になるでしょう。

「今日、私たちが別れて、明日あなたが近江につくと思うけれど、夜が更けたからだろうか、袖に露が置いた」


しかし、「あうみ」とひらがなで書かれた近江にはすぐにも「逢う身」が想像できるし、平安以降は普通に掛詞として使われるようになりました。

平安頃には省略されたひらがな字体がかなり定着し始めているころであり、漢語のゴツさが抜け始めている頃と思われます。

また、「今日別れ」は次の句の近江との対比において、素直に「京別れ」と読むこともできるようになっています。

「逢う」の掛詞としてよく使われた「逢坂の関」が近江にあったこととも決して無縁ではなかろうと思われます。


想像される条件が多ければ多いほど、掛詞としての使い方は一般的になります。

また、思わず「なるほど」と思わせるような関連から導かれる掛詞は、「技あり」という評価を受けます。


次に二首を比較してみましょう。

ひとつめは万葉集(奈良時代)に掲載された歌であり、二つ目はその後数百年を経過した鎌倉時代の玉葉集という勅撰集に載っているものです。

  淡路の 野島が崎の 波風に 妹が結びし 紐吹き返す

 近江路の 野島が崎の 波風に 妹が結びし 紐吹き返す

違いは一か所「淡路」と「近江」だけです。野島が崎の場所が淡路から近江に移っただけのことです。


見方によっては後者は万葉集の盗作ということになるでしょう。

勅撰集の選者が万葉集に収められている歌を知らないはずがありません。

その勅撰集に後者の歌が載っているのにはやはり何かがあるはずです。


対比は「淡路」と「近江」だけです。

後世で「近江」に「逢う身」を掛けていることが見えてくると、「淡路」の音に「逢はじ」(逢うまい、逢わないだろう)が見えてくるのではないでしょうか。

野島が崎の場所が変わったことによって、「逢わないだろう」から「きっと逢うだろう」へと180度変わった意味になってしまいます。


本歌取り(元歌を意識させる技法)をしながら、たった一言を変えることによって全く逆の内容にしてしまう技術ですね。

しかも、明らかに直接的な表現で変えるのではなく、掛詞同士のなかで変えるという憎らしさを見せています。

見た目には場所が変わっただけにしか見えません。

「近江」=「逢う身」が一般化したことによって、改めて数百年前の歌に掛けられた思いを対比して見せてくれる、何とも憎い演出ではないでしょうか。


数百年前の歌に隠された掛詞がわからなかったとしても、現代の掛詞からそのことを想像することができます。

改めて数百年前に対する興味を持たせてくれるのではないでしょうか。


「ひらがな」は日本の言語においては最下位に位置付けされる文字です。

もっとも初級の言語です。

そこに日本の言語の本当の姿があるのではないでしょうか。

楽しくなってきますね。



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2014年5月16日金曜日

世界を導く「あいまいさ」

欧米を中心として発展してきた近代文明に、あらゆる分野で限界が見えてきています。

二元論を元にしたクリティカルシンキングも、行き着くところがYES/NOになってしまうことによって実態をとらえきれなくなっています。

コーチングや制約条件理論なども論理の展開や手法としては理解できても、実際に使用する場面においては、ある種の割り切りによる定型化が必要になってきています。

人の生活が豊かになることによって生まれている価値観の多様化は、様々な価値基準を生み出しており、今までの考え方では現状を把握することすら難しくなってきているのが現状でしょう。

把握したと思った現状すらが、切り口が異なれば全く正反対の評価をせざるを得ないものとなっています。


二十世紀の前半には、自然科学の世界では革命的な変化が起きました。

その変化を引き起こしたのはアインシュタインの相対性理論と量子力学の発見です。

古典的な物理学の土台をなしていた、因果律と決定論が破綻しました。

一義的決定性や完全なる記述の可能性という幻想は過去のものとなりました。

つまり自然界は根底のところで、一義的な決定的な表現ができないことが明らかになってきたのです。

それによって、自然科学はあらゆる中間領域(=あいまいな領域)に焦点を合わせるようになってきたのです。


私たちの存在そのものの根本原理に関しての見解は、物理学を土台として成り立っています。

物理学が二十世紀前半に成し遂げた飛躍的な発展は、やがて私たちの考え方にも変化をもたらしてくることになります。

すでに、自然科学の革命的な転換を受けて西洋の哲学も「あいまいさ」に目を向け始めています。

古代ギリシャ哲学の「ファルマコン」や「老子道徳経」などがさまざまな角度から取り上げられています。


こうした変化の波がいつ日本に届いてくるのかはわかりませんが、世界のあらゆる分野で日本人の思考や言語との関係が取り上げられてきています。

日本文化にその波が及ぶ時期は予想できませんが、近づいていることは間違いのないことでしょう。

今現在は、過去のものとされている日本古典文学は、その「あいまいさ」において実は未来のものであると言うことができるのではないでしょうか。


古代日本人は、古代中国の哲学を自らの経験を通して認識し、その認識を日本独自の表現方法である和歌を通して発展させていきました。

その結果、和歌は文学表現のメディアであるとともに、当時の知識層による哲学的議論のメディアとして活用されていったのではないでしょうか。

そして、哲学の対象である「心」は、古代日本人の存在論の基本的な概念として定着していったと思われます。

言い換えれば、もともととらえどころのない「心」は、古代中国の思想を特徴づける「あいまいさの哲学」と関連付けられることによって、現実的な概念として定着してしていったと思われます。


世界のどの国においても、「心」についてこれだけ多くの階層が、これだけ気軽に表現することができた環境は、日本における和歌以上のものを見ることができません。

「心」は自然科学における象徴であるとともに、唯一自分で感じること確認することができるものです。

一部の哲学者だけがその閉ざされた環境の中で思考してきた「心」は、そのほとんどを和歌においてみることができるのです。

そこにあるのは、まさしく極端から極端まで揺れ動く、中間領域における「あいまいさ」に他ならないのです。


この「あいまいさ」の思想は、まさしく私たち現代人の考え方に合いません。

現代の私たちは、決定論的な考え方に基づいて、古典の文学の読み方についても「ただ一つだけの正しい解釈」をしようとします。

もちろんこうした読み方も可能ですし、こうした読み方こそが今の考え方に即したものだと言えるかもしれません。


和歌の変遷を見ていくときに、単なる文学論として「大変美しいが、形に囚われてテーマが狭くて、深みが感じられない」という評価がほぼ定着してしまっているのはそのためではないでしょうか。

和歌を考える時に、当時の表現の手段を考えてみれば、知識層の問答がそこに集約されているとみることができると思われます。

誰もが表現できるその形式は、日常語に近いものとしての意味も持っていたのではないでしょうか。

あらゆる階層や地域での和歌を意図をもって編集するためには、最高権力者としての力が必要であったのではないでしょうか。

勅撰集という、単なる趣味嗜好の域を超えた事業としての意味合いもそこから伺うことができると思われます。


特に平安時代の和歌を考える時に、哲学的な議論の手段という役割をそこに認めると、古代人の存在論としての「あいまいさ」が一段と浮かび上がってくるのではないでしょうか。

これから世界を救うのはこの「あいまいさ」ではないでしょうか。

「もったいない」は世界を救ってきました。

「おもてなし」は世界の興味を引きました。

「あいまいさ」を感覚として持っている日本語を母語としているものとして、もっと日本語で表現を発信していってもいいのではないでしょうか。




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2014年5月15日木曜日

和歌に学ぶ言語技術

日本語の表現技術は、文字のなかった時代より和歌によって磨かれてきたと思われます。

和歌が残っている最古の記録としては万葉集と言うことになるのでしょう。


文字の発達においても、中国から導入された漢語の音を利用しながら文字を持たなかった「古代やまとことば」を表現するかな文字を生み出しました。

その目的は、「古代やまとことば」で詠われた和歌を文字として記録することが中心であったろうと思われます。

万葉集はそれだけとっても一級の文化資料であり、その研究だけで学問分野が成り立つほどのものです。

ここでは、万葉集と古今和歌集の表現の技術を比較することによって、発展を見てみたいと思います。


万葉集には、短歌・長歌・旋頭歌の形式で約4,500首の和歌が収められています。

扱われている歌の内容によって、相聞歌と言われる主に男女の恋を詠ったもの、挽歌と言われる使者を慈しみ哀傷する歌、それ以外の内容としての雑歌の三分類に分けられています。

表現の特徴からの分類も行われており、以下の分類が一般的となっています。
  1. 寄物陳思(きぶつちんし) - 恋の感情を自然のものに例えて表現
  2. 正述心緒(せいじゅつしんしょ) - 感情を直接的に表現
  3. 詠物歌(えいぶつか) - 季節の風物を詠む
  4. 譬喩歌(ひゆか) - 自分の思いをものに託して表現

その後の表現の技術の発展の基礎となっているのが、1と4で行われている「例える」技術です。

万葉集には古今和歌集(約1,100首を収めている)に比べると、長歌の量が多くなっています。

そこで行われている「例える」の技術は、例える対象物と例える心情を同じような言葉で両方とも表現しています。

長歌という文字数制限の比較的緩い方法だからできることともいえるでしょう。


これが150年以降に成立した古今和歌集になると、長歌が5首、旋頭歌4首となり、ほとんどのものが短歌となっています。

表現する文字数が少なくなるとともに、短歌という表現形式が定型化したものとして定着していることを示していると思われます。


古今和歌集のなかでは、より少ない文字数で定型化した短歌形式として、その中での表現技術が磨かれていきます。

万葉集の長歌の中で見られた「例える」技術は、短歌のなかでより洗練された技術として磨かれていきます。

その一つが、例える対象物と例える心情を同じような言葉で両方とも表現していたものを、短い文字数のなかで一つ言葉で両方のことを表現してしまう技術です。

この時代の和歌の中心技法としての掛詞(かけことば)です。


自然を詠った「水」(みず)に「見ず」(見えない)をかけて、川の「水」を詠いながらも相手を「見ず」に過ごす日々を恨めしく思っている感情を込めたりする技法です。

掛詞として使われる言葉も、自然における名詞や現象を表す言葉だけではなく、様々なことについての形容詞や動詞まで多岐にとんできています。

長歌における並記に比べると、ひとつの言葉で表現されることによって同時性がより強調されるとともに、秘めたる思いという心情が強調されています。


そこには、同時性を利用した「例える」ことを越えた表現も現れています。

その一つは全く正反対のことをひとつの言葉に込めることによって、不安定さや揺れ動く状態を表現する技法です。


次の小野小町の歌を見てみましょう。

  色見えて うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありけり

ここには、もう一つの大きな技術である濁点の不使用を見て取ることもできます。

掛詞の可能性を大きくするために、当時の技術では十分に対応できるはずの濁点を、あえて表記に使用にしないと言う技術です。


「色見えて」と「色見えで」で全く反対のことを表現しています。

それによって「色見えて うつろう物は」の最初の二句は二重の意味を持つことになります。

「目に見えて色が変わるもの」=「自然の花」と「目に見えないで色が変わるもの」=「心の花」が同時性をもって表現されています。


万葉集の時に漢語の音を使って「やまとことば」を表記した技術は、古今和歌集の時代には表記として使われる漢語が定まりながらも崩れ始めており、ひらがなの原型が見られるようになっています。

この当時の技術をもってすれば、濁点を表記することは決して不可能ではなかったと思われます。

和歌の表現技術のために、あえて濁点表記をしなかったと考える方が自然ではないでしょうか。


万葉集の長歌にあった並記による「例える」技術は、短歌が主流になることによってより短い言葉で行われる技術として磨かれていきました。

並記の技術はそこで消えてしまったのかというと決してそんなことはありません。

古今和歌集をよく見てみると、テーマごとに和歌群が構成されています。

この和歌群の構成が絶妙なのです。

テーマにおけるひとつずつの和歌の順番も選ばれている歌の数も絶妙なのです。


まるでテーマとしての和歌群によって、長歌が成り立っているような構成になっているのです。

複数の和歌を並べることによって、そこに使われている言葉や技術の対比の妙が、あたかも並べて構成するために詠まれた歌であるかのような編集がなされているのです。


近代以前では万葉集よりも古今和歌集の方が高い評価を受けていました。

近代以降は万葉集の方だと言うことになりました。

その理由の一つは長歌にあります。

文学の原型として表現技術を、短歌よりも直接的に見ることができるからです。

逆転のきっかけの一つとなったのが、「万葉集は歌集の王なり」と宣言した正岡子規の言葉です。


子規がどんな思いで主張したのかは定かではありませんが、古今和歌集を絶賛した江戸時代の国学者にたいして、きちんと万葉集のことも研究しなさいと言いたかった程度ではないでしょうか。

そもそもが、異なる時代の文化・文学の発展を示す第一級の資料であり「上」「下」で判断するようなものはないでしょう。

ここで言えることは、万葉集以降は長歌が読まれることがほとんどなくなったとともに、短歌における表現技術が飛躍的に発展した時期ということができると思います。

万葉集と古今和歌集を比較することは、日本語における表現技術の原点に触れるきっかけになるのではないでしょうか。


あえて勉強する必要はないでしょう。

同じ日本語として自分で感じられることで十分だと思います。

日本語の感覚として持つ文化と言語技術は和歌によって磨かれ発展してきたものということができます。

現代でも使える忘れられている技術もそこにはあるのではないでしょうか。


書くこと、表現することが大きな力となるのがネットの時代です。

短い表現で人を感動させる技術においては、和歌は素晴らしいものがあります。

もう一度、興味を持ってみてもいいと思いますよ。



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