2014年5月31日土曜日

知的活動と言語について(2)・・・思考活動

先回は、知的活動の最初の段階としての「認知活動」が、5歳頃までに伝承言語である「母語」によってその基礎的なことが身についてくることを見てきました。

今回は次の段階としての「思考活動」についてみてみたいと思います。


思考ができるためには、思考するための知識が必要になります。

この知識を身につけるためには言語が必要になりますが、幼児期に身につけた伝承言語である「母語」ではあまりにも私的な言語であり、知識として決まった意味のある内容を理解するには同じ意味を理解できるための共通語が必要になります。

思考するための知識を身につけるために必要な言語を、学習言語と呼びます。

決まりきったルールや法則・成り立ちなどを学習するには、皆が同じ言葉で同じ意味を理解していないとなりません。

そのために身につけていく学習言語が「国語」です。


「国語」はそれぞれの言語において存在します。

一般的な理解としては、義務教育において人として生きていくために必要な知識を身につけるための共通語と思えばいいのではないでしょうか。

日本においては小学校一年生から義務教育として「国語」を習い始めます。

低学年の間は、知識を身につけるための言語としての「国語」の習得が中心になりますので、思考する能力はまだほとんどありません。

すべての教科を通じて、学習言語を身につけている期間と考えていいのではないでしょうか。

「国語」は、それぞれの言語の中でもできる限り個人的な理解に基づく意味を排除した、規則的なルールで成り立っている共通言語と言うことができます。

一般的に社会で使用されている日本語よりも、より厳格なルールである文法や限定的な意味の語彙よって構成された共通語と言えます。


それでも一年生から独立した教科として「算数」があります。

「国語」自体の習得がほとんどできていない一年生のうちから、その「国語」で書かれた教科書を中心にして論理としての知識の基本となる「算数」を学ぶことになります。

「1+1=2」を理解するのも言語で理解していきます。

そして論理としての「1+1」が「=2」であることを知識として学んで身につけていくのです。


低学年のうちは、知識を学ぶための学習言語の習得すらできていない段階にもかかわらず、論理の基本としての「算数」を「国語」で学んでいかなければならないのです。

「算数」の教科書や先生の話で使われている「国語」の理解が遅れると、いわゆる「算数が苦手」になるのです。

「算数」についても理科や社会のように、ある程度学習言語の習得が進んだ小学校三年生頃より取り組めばより理解しやすいのかもしれません。

それにもかかわらず、小学校一年生から独立教科として「算数」があることは、思考活動のために必要な重要な知識であることの証明でもあります。


知識を身につけていくために必要な基本的な学習言語の習得ができるのが、10歳頃であると言われています。

それ以前から少しずつ、身につけた知識を使って思考することができすようになっていきますが、目に見えて思考活動ができるようになってくるのがこのころです。

独立した専門教科も増えてきて、学習言語の習得度合いに合わせた形で、それぞれの教科に応じた「国語」による知識の習得が進んでいきます。


小学校の高学年以降の義務教育においては、習得された基礎的な学習言語によって、さらに高度な学習言語の習得とその言語による知識の習得をしていきます。

学習効果の結果を確認する試験の内容も、それまでは知識を習得し覚えているかどうかの記憶力が中心であったものから、少しずつ思考活動が求められる内容になっていきます。


学習言語の習得が進むにしたがって、使用する言語のほとんどが学習言語になっていきますが、一番ベースにある「母語」は無意識のうちに使用するできる言語として知的活動をスムースに機能させる言語として定着していきます。

基礎的な学習言語の習得ができてくると、認知活動における共同性もできるようになってきます。

一般に言われる、「物心がついてくる」「考えることができる」ようになるのが10歳頃です。

基礎的な学習言語が習得できて、言語を使った認知活動・思考活動ができるようになった頃ということができるのではないでしょうか。

幼児期に比べると記憶の保持期間も長くなり、10歳頃には2週間程度の記憶保持ができているようです。


この学習言語の習得がスムースに始められるためには、伝承言語である「母語」によって、そのための下地ができていなければなりません。

学習言語を早目に学んでも身につかないことは、さまざまな機関で報告されています。

「母語」は言葉としての記憶がほとんど残らないことも知られています。

「母語」によって発達した機能の中に、日本語としての言語感覚が含まれているのではないかと言われています。


学習言語の習得段階で全くわからない古い言葉に出会った時に、なんとなくこんなことを言いたいのではないかと感じることがあると思います。

この感覚が、「母語」によって身についている言語感覚ではないでしょうか。

「母語」によって開発され習得してきた認知活動の能力は、学習言語の習得によってさらに磨かれていくことになります。

単なる認知活動に加えて、思考活動をするための認知活動ができるようになっていくのです。


「国語」を習得しただけでは「1+1」は「いち たす いち」になってしまいます。

「国語」によって「算数」を習得することによって「1+1」は「=2」になる知識を理論として身につけていくのです。

義務教育で習得していく知識は、人として生きていくために必要な基本的な共通知識です。

したがって、自分だけ違ったものとなっていては社会で生きていくことにおいて不都合が生じます。


共通の知識として、同じ言葉で同じ理解ができるようにするために学習言語としての「国語」があります。

そのために、すべての教科の教科書に使用されている「国語」のレベルは、原則として、その時点までの「国語」の学習で習得完了しているレベルで書かれています。

基礎的な学習言語の習得が完了した10歳以降については、習得した「国語」を駆使したさらに高度な知識・理論を習得していきます。

身につけた知識・論理によって思考活動が行なえるようになっていきます。


「国語」においてもさまざまな文章に触れることによって、論理の展開を習得していきます。

高学年になると語彙の増強とともに、様々な種類の文章の読解力が習得されていきます。

各教科における独特の知識や論理も増えてくることによって、一気に思考活動の能力が磨かれていくことになります。

問いかけに対して記憶している知識をそのまま返すのではなく、「なぜか」「どうしてか」などの理由を付けることができるようにないます。

答えに対しての理論付けとして「~だから」が使えるようになります。


時間や距離・人との関係のなどの知識がついてくることによって、記憶についても「いつ、どこで、だれと」が明確になった記憶ができるようになってきます。

このような記憶のことをエピソード記憶と言います。

それまでのぼやっとした、どんなことがあったかという記憶から、より正確さを持った記憶を持つことができるようになります。

この記憶自体も言語によって行われているのですね。


知識が習得されるにつれて、いろいろな判断基準を持つことができるようになります。

比較したり、順番を付けたりすることができるようになるのはこのころからです。


言語を習得していますので話すこともできますが、この段階では相手の理解を意識した話し方はできません。

「認知活動」「思考活動」は個人の理解だけでも成り立つ活動です。

相手に伝える、理解してもらうための「表現活動」はさらなる習得を必要とすることになります。







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