2014年5月30日金曜日

知的活動と言語について(1)・・・認知活動

人の知的活動が言語によってなされていることは疑う余地のないことですが、「知的活動」も「言語」も抽象的な言葉となっているために実感としてはつかみにくくなっています。

このことについてはいろいろな言い方がなされています。

いくつか挙げてみましょう。

「言語は思考のための唯一の道具である。」
「言語の限界が思考の限界である。」
「思考は言語によってなされている。」

知的活動の代表として「思考」を挙げていることが多いようです。

それぞれについて、少しですが掘り下げてみると若干わかりやすくなるのではないでしょうか。


まずは「知的活動」から見てみましょう。

知的活動は大きく三つの活動に分けることができます。

認知活動、思考活動、表現活動の三つです。

これらの活動のすべてが言語によってなされています。


個人でこれらの活動を行なっている場合もあれば、人と一緒に行っている場合もあります。

社会生活を営んでいると言うことは、人と協力して知的活動を行なっていることにほかなりませんので、知的活動を行なうことの基本は人と協力して行うことであると言うことができるのではないでしょうか。

一般に言われるコミュニケーション能力とはこのことを差していると思われます。


認知活動とは、対象を自分の持っている言語で理解する行為になります。

一人で行っているときは、自分だけの独特の理解でも構いませんが、共同・協力のもとに行う認知活動は、共通の理解ができなければなりません。

そのためには、同じ意味を持つ共通の言語によって同じ理解をすることが必要になります。


同じ言葉であっても、人によってその言葉の意味は微妙に異なっていることがあります。

認知活動において正確さが必要になればなるほど、対象を理解しようとするときの言葉の定義の共有が大切になります。

言葉は一般的になればなるほどいろいろな意味を持つようになります。

持っている意味の多い言葉や、意味の広い言葉による共有は正確さの妨げになります。

専門家同士が正確さを求めて認知活動を共有するときには、意味が限定された専門用語が多くなるのが当たり前のことになります。


知的活動の発達・成長の段階も、認知活動から始まります。

まずは、対象を認知することからすべてが始まるからです。

言語の習得も同じことが言えます。

知るために言語が必要になります。

対象がどういうものかを理解するための言葉が必要になります。


最初の理解は、共有の前提として個人としての理解が必要になります。

自分だけが理解できればいいのですから、そのための言語は極めて個人的な言語で構わないことになります。

個人として勝手に意味を持たせている言語で構わないのです。


幼児期がまさしくこれに当たります。

誰かと認知した内容を共有する必要がないのです。

一番初めに共有する相手は、ほとんどの場合は母親になります。

最初に認知活動を共有する必要がある相手が母親になりますので、認知活動のための言語として母親の持つ言語との共有が少しずつ始まっていきます。

この時に母親から伝承される形で身につける言語が、伝承言語としての「母語」になります。


幼児期に発達する知的活動ためのあらゆる器官が、この「母語」を最適に使えるようになるために発達していきます。

脳は勿論のこと、言葉を発する声帯や、言葉を受取る聴覚なども「母語」を最適に使うことができるように発達してき、反対にそのために不必要な機能は発達しなかったり退化したりしていくことになります。

日本語を「母語」として習得してく場合には、母音を発生しやすいように声帯が発達していきますし、英語を「母語」として習得していく場合には舌や口腔の動きが子音を派生しやすいように発達していくことになります。

この段階の言語は日本語や英語と言っても、母親の言語の伝承形ですから、母親が持っている個人的な言語が「母語」として受け渡されていくことになります。


認知活動のために言語を習得していっている段階ですので、認知活動自体もまだまだこれから習得していくところです。

知的活動のために必要な各器官の発達は、体の成長に伴って基本的なところまででも15歳くらいまでかかると言われています。

世界中の義務教育が定めている期間とほぼ合致するのは、こんなことも影響しているのかもしれないですね。


「母語」によって認知活動の経験を積みながら、知的活動のための本当に必要な基礎的な部分ができてくるのが5歳頃だと言われています。

この段階ではまだ思考活動や意志を持った表現活動ははほとんどできていません。

生きていくために最低限必要な認知活動を、母親との共通語によって何とか始められるようになった段階と言えるのではないでしょうか。


4歳頃になれば、「母語」を原動力としていろいろなものが認知できるようになってきます。

いくら個人的な言語だとは言っても母親の言語も日本語である以上、他の人が使っている日本語との共通性はかなりの範囲であります。

このころの子どもたちは、認知活動のために身につけた「母語」を話すことができますが、知的活動のための他の能力が身についていませんので、思考や表現をしているわけではありません。

自分が認知していることを話したり、本能の求めに応じて認知したものを欲しがったりしているだけのことです。


言語で認知することがしっかりできるようになるまでの補助として、さまざまな器官の感覚が敏感に働いています。

言語以外での情報をもっともたくさん感じているのが幼児期になります。

言語の習得が進むのに比例して、他の感覚による情報の収集が減っていくことになります。

そのかわり、言語の習得が進むにつれて、知的活動のための機能がどんどん発達し磨かれていくことになるわけです。


この時期に母親が持っている言語と違うものを教え込んだりすると、母親との認知の共有ができないことが増えてきます。

母親がバイリンガルであれば問題ありませんが、そうでない場合は幼児期の多言語の教え込みは、一番大切な母親との触れ合いに障害となることがありますので注意が必要です。

この段階でしっかり母親との一体感である認知の共有ができないと、将来的な学校生活や社会生活での活動に影響が出る可能性が高くなります。

一番大切な言語において、周りの人と違う感覚を長い間味わって苦しんだ例が報告されています。


すべてのことが母親との共有・一体感から始まります。

5歳までの環境で、その人の知的活動の能力が決まってくると言うことは、教育者だけでなくあらゆる分野で言われていることです。

この期間に何かを教え込まなくてはいけないと勘違いされる場面もあるようですが、そうでないことはお分かりただけると思います。

知的活動のすべての基礎が、幼児期の母親からの伝承言語である「母語」にあることを知っていただきたいと思います。







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