2014年6月1日日曜日

知的活動と言語について(3)・・・表現活動

今回は二つの知的活動である「認知活動」「思考活動」に続いて、日本人が一番苦手な「表現活動」についてです。

母親からの伝承言語である「母語」によって開発される「認知活動」や、主に義務教育において学習言語である「国語」によって開発される「思考活動」に比べると、中心となる能力開発の場が定まっていないのが「表現活動」です。

三つの知的活動のなかで、他者とのコミュニケーションにおける役割が一番大きいものが「表現活動」です。


コミュニケーションの基本は、自分が「認識」したことや「思考」したことを、正確に相手に伝えることにあります。

それにもかかわらず、義務教育の後半における「国語」の授業内容や試験の内容は、語彙の増強のための漢字の書き取りと多彩な文章に対する読解が繰り返されるだけで、実用的な表現を磨く内容はほとんどありません。

学習言語としての共通語である「国語」の強化は行われていきますが、「国語」を使っての「表現活動」に必要な言語技術は身につける場面がないのです。


本来ならば、5歳頃までに基礎言語である「母語」によって「認知活動」を身につけ、10歳頃までに学習言語である「国語」で「思考活動」を身につけながら「認知活動」をさらに磨いてきた後に、「表現活動」を身につける環境が必要となります。

小学校の高学年になってくると、日記をつけ始めたり、漫画を描き始めたり、詩を書き始めたり、交換日記を始めたり、授業以外の学校生活の中でも「表現活動」が自然発生的に起きてきているのです。

10歳から15歳頃までの期間は、タイミング的にも身についている能力的にも「表現活動」を身につける最適な時期と言えるのではないでしょうか。


10歳までの基本的な学習言語を取得した後も、義務教育の間はさらに高度な学習言語の習得が続きます。

人が持っている言語は、半本能的に幼児期に身につけていく母親からの伝承言語としての「母語」。

知識や理論・規則などを身につけていくための学習言語としての「国語」。

そして、一般生活や社会生活・専門分野などにおいて後天的に身につけていく環境言語としての「生活語」の三種類があります。


中学校までは、生活の場の中心は学校と家庭です。

授業で扱われているのは「国語」がほとんどであっても、学校生活の授業以外の場面では環境言語である「生活語」や「母語」が使われている方が多いと思われます。

高等教育の専門分野や社会に出ていくようになると、環境言語が大きなウエイトを占めるようになります。

専門家と言うのはその分野で持っている言語の多い人のことを差す言葉ではないでしょうか。


「表現活動」の目的はさまざまですが、その一つに相手に正確に理解してもらうことがあります。

そのためには、表現に使う言葉に対して相手がどのような意味として理解するのかを知っておかなければなりません。

特に「母語」は同じ言葉でも一人ずつ持っている意味が違うと思った方がいいものですし、環境言語においては同じ環境にいる者でないと意味が違う場合も多々あります。

正しく理解してもらおうと思えば思うほど、相手と自分との環境の違いや持っている言語の違いを考慮しなければなりません。


「表現活動」の基本は自分の伝えたい内容を、相手の持っている言葉で表現することになります。

ある種の翻訳をする活動と言えます。

また、伝える内容によっては、相手に理解してもらいたい正確さの度合いが異なってきます。

さらには、口頭で伝えるのか文字や文章で伝えるのかの手段の選択も考慮に入れなければいけません。


社会に出ても、活動範囲の狭い人は持っている言語も少ないですし、ほとんど同じような環境にいる人との接触しかありませんので、伝えるべき相手の人が持っている言語も自分の持っているものとほとんど変わりません。

そのような環境では、相手の言語のことを考えることはほとんどないと思われます。

せいぜい、年齢や役職・立場の違いを考慮すればよい程度のことになるでしょう。

それすらできずに社会に出ていく人が多いことは、教育体制にも問題があるのではないでしょうか。


同じ言葉を使うときであっても、語順や前後の言葉の選択までもが考慮すべき対象となってきます。

日本語の持つ表現の豊かさは、正確さを伝えようとするときにはかえって邪魔になる場合があります。

同音異義語がたくさんありますので、同じ言葉だと思って間違えた理解をすることも頻繁に発生していると思った方がよさそうです。

自分が伝えようと思った内容は、正確に自分の理解している通りに伝わっていることはまずありえないことだと思ったいたほうがよさそうです。


それにもかかわらず、大学卒業時においてもほとんど「表現活動」のための言語技術を身につけないまま社会に出ていくことになります。

会社に入ってコミュニケーションが取れないためにうつ病になる者があとを絶ちません。


相手の持っている言語がわかっていなかったり、不特定多数の人に対してまず理解してもらうことをしたいときに使える言語があります。

誰でもが習って身につけてきた共通語です。

そうです、「国語」です。

それもなるべく最初のころに身につけた基礎的な言語のほうが有効です。


「国語」の一番初めは「ひらがな」です。

ひらがな言葉で伝えることが、一番多くに人に理解してもらえる方法です。

ひらがな言葉で伝えると言うことは、漢字の音読み言葉を使わないと言うことです。

現実の場面ではどうしても音読み漢字を使わなければならない場面も出てくると思われますが、その時には音読み漢字を使ったあとで、ひらがな言葉で説明しなおすことです。


漢字の音読みが、同音異義語の宝庫になっているところです。

ひらがな言葉には同音異義語は極めて少なくなっています。

ひらがな言葉の同音異義語は、そのほとんどが動詞です。

訓読み漢字としては多くの漢字が当てはまったとしても、基本的な動作を表す言葉としてはひらがな言葉の方が広い意味を持っているために理解がしやすくなります。

例えば「かく」は、訓読み漢字としては「書く」「描く」「画く」「掻く」「欠く」などがあります。

「かく」はこれらの漢字の意味をすべて包括した意味を持っているひらがな言葉であって、動作としては漢字で表記するよりもわかりやすいものとなっているのではないでしょうか。

文字を示せる環境があるのであれば、「かく」と言いながら訓読み漢字を書き出せば、より正確な理解を得ることができるでしょう。


学会での発表や専門家相手の表現の場合は、どんなに人数が多くとも伝える相手の持っている言語がわかりますので、それに合わせた表現をする言語技術での対応が必要となります。

ひらがな言葉の多用はかえって評価を落とすことになるでしょう。


社会へ出てからのコミュニケーションにおいて一番大切なのは「表現活動」になります。

いわゆるアウトプットです。

「認知活動」「思考活動」はインプットと内部活動です。

「認知活動」と「思考活動」においても共同や協力の場面においては、「表現活動」による共有作業のための確認が必要になります。


世界の他の国の人に比べて、日本人がアウトプットとしての自己表現やアピールが下手だと言われる理由がここにあります。

「表現活動」のための言語技術を身につけていないのです。

学ぶ機会がほとんどないのです。


彼らが、学習言語としての彼らの言語での「国語」を身につけるのは、小学校の低学年で完了します。

そのあとは、自己表現や議論・ディベートのための言語技術を義務教育で身につけていきます。

日本語は、彼らの言語に比べると文字の種類や語彙を含めて、とてつもなく大きな言語です。

その分、「国語」についても身につけるのに期間が必要になります。

基本的な習得だけでも10歳くらいまでかかっています。

したがって、義務教育はおろか学校教育の期間中ずっと、語彙の強化とより多くの文章体の読解に明け暮れることになります。


おそらく世界で最も豊富な表現を持つ言語を持ちながら、その使いかたを身につけることなく社会へ出ていくことになっているのです。

社会で求められてる能力は、その使い方である「表現活動」であるにもかかわらず、このような状況になっているのです。

小学校高学年から中学生にかけての期間に、何とか「表現活動」のための言語技術を習得できる環境を作りたいですね。

高校以降の入学試験でも取り組まれるようにしていかないと定着はしないと思われます。


なぜか、この期間が英語学習にとってとても重要な期間に充てられていることが気になります。

しっかりとした日本語を身につけてからの方が、英語の習得も効率がいいことはすでにほとんどの人がわかっていることです。

英語の授業がさらに低学年から実施されようとしているしている状況ですが、本当に必要なのはどちらなのか、よく考えていきたいですね。






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