2014年6月2日月曜日

知的活動と言語について(4)

3回にわたって知的活動の方から見た、その活動能力を習得して使いこなしていくための言語を見てきました。

今回は、日本語の環境下における日本語の習得段階から見た、知的活動との関連を見ていきます。

まずは、伝承言語としての「母語」について見てみます。



「母語」をひとことで表すと、「子どもが生まれて初めて出会う、人間形成の基盤となることば。」(海外子女教育振興財団)ということになるのでしょうか。

何とも抽象的で「?」がついてしまいますが、なかなか短い言葉で適切に表現されたものが見つかりません。

私自身も、「母語」を説明するときにはいつも苦労しています。


その中でもこれなら何とかわかってもらいやすいかなと思っている表現が以下のものです。

母語とは、生まれた子どもと母親との共通語として子どもが身につけていくことば、そのほとんどが母親から伝承されていくことば。」である。

母親が持っている言葉であり、母親と子供の間でだけ通用すればいい極めて私的な言語であると言うことができます。


江戸時代の大藩の殿様の子どものように、生まれてすぐ専用の子育て係として乳母がいる場合には、母親よりも乳母の影響の方がより強くなります。

それでも子供は生まれた時から本能的に母親を見分ける力を持っていますので、子どもと接している時間が乳母よりもずっと短くとも母親の影響は大きいものとなります。

藩の総領としての環境に母親の出自(持っている言葉や常識)が合わない場合などは、早めに母親から引き離して乳母による子育てが行なわれました。


また、敢えて母親の持っている言語と異なる言語を子どもに持たせようとする場合には、母親を子どもから遠ざけて目的とする言語持った者による子育てが行なわれることもあります。

「母語」は子どもを育てていくうえで欠かすことのできない保育者と子供との共通語ですので、直接日常の子育てにかかわらない者がいくら言語として教え込もうとしても身につかないものとなっています。

保育者の持っている言語のうち子育ての間で交わされたり、使われたりする言葉が子どもが「母語」として身につけていくことばとなります。


この直接的な子どもと触れる子育てに、どれだけの人がどれだけの時間かかわっているかが「母語」の内容に影響を与えます。

一番影響を与える期間が、乳児期から4歳くらいまでの時期になります。

この時期に誰が中心になって直接子どもと触れ合う子育てを行なってきたかが、子どもの「母語」を決めていきます。

また、この時期は子どもにとってのあらゆる情報が母親を経由して収集されていきますので、母親(役)が絶対的な影響を与える時期となっています。

幼稚園であったことを一生懸命母親に話すのは、母親経由の安心できる情報として確認しているからなんですね。


この時期の子どもの記憶はほとんど残りません。

まだ脳が発達している段階ですので4歳くらいになってやっと数日間の記憶保持ができる程度です。

したがってほぼ毎日のように記憶が新しくなっていきますので、過去のことよりも日々の子育てのなかで一番多くの時間接している人の言葉をメインの「母語」としていくこととなります。

これが母親の場合が理想です。

子どもは母親を見分ける能力を生まれながらに持っており、母親と接していることが一番安心できる状態であるからです。

したがって、父親や祖父母などと同じ時間で直接的な子育てを分担したとしても、子どもが受ける影響は圧倒的に母親からのものとなります。


また、母親が無条件の愛情を持って子どもと接している時間が長いほど、子供の成長は健全なものとなります。

この時点で子どもが持っている「母語」は極めて個人的な言語です。

幼稚園などで子どもたち同士や保母さんとの会話が母親と同じように広がらならないのは、共通語になっていないからです。

すべてが日本語としては同じ言語なのですが、一人ずつが違う「母語」になっているから当たり前のことなのです。


この「母語」によって脳を代表とする知的活動のために必要な各器官の機能が発達していきます。

それは持っている「母語」を話したり、聞いたり、感じたりするのに最適な機能に発達していくことです。

「母語」は大きなくくりでは日本語です。

したがって日本語を話したり、聞いたり、感じたりするのに最適な機能になっていきますが、一人ひとりが持っている日本語が違っていますので、さらに個別に持っている「母語」に合わせて機能が変化していくことになります。

ほとんどの場合は、母親から受け継いだ言葉になっていますので、母親から受け継いだ「母語」が一番受け入れやすい言語となっていくことになります。


「母語」の大きな役割は、生きていくために必要な子育てを受けるための保育者(母親)との共通語であること、知的活動のために必要な基礎機能を作っていくために必要な言語であること、と言うことになるでしょう。

直接子育てにかかわった人たちの持っている言語も子どもの「母語」形成には影響していますが、どの程度の影響があるかはそれぞれの子育て環境によって異なってきます。

母親が働きに出て、専業主夫として父親が子育てのほとんどをやっているとしたら、父親の言葉が子どもの「母語」に大きな影響を及ぼすことになります。


国際結婚によって、両親の持っている言語が異なる場合や、海外駐在などで両親の持っている言語と違う環境で幼児を育てなければいけない場合などは、子どもの「母語」形成のための環境に気を付けなければいけません。

幼児期に二つの言語をほぼ同じように受け入れる環境にあっても、子どもの言語はバイリンガルにはなりません。

二つの言語の区別がついて初めて、バイリンガルが可能になります。

幼児に言語の区別はつきません。

幼児期に多言語に触れる環境にあると、それらの言語が複雑に混ざり合った(環境によって混ざり方は様々になる)世の中には存在しないひとつの言語として「母語」感覚を持ってしまいます。

話せる言葉としては、それぞれ使い分けているように見えるかもしれませんが、思考が出来ていませんので、複数の言語感覚が共存してしまうことになります。


言葉として記憶されたものは、すぐに消えますので問題ありません。

次の段階としての学習言語で置き換わっていくことができます。

しかし、その後の言語の習得に大きな障害となるのが「母語」として持ってしまった世の中にないおかしな言語感覚です。


通常であれば、「母語」の言語と学習言語は同じ種類の言語になると思われます。

その場合でも、「母語」によって作られた知的活動機能の差によって、学習言語の習得に差が出てしまいます。

特に「母語」によって作られた言語感覚は、学習言語の習得の様々な場面での出会いにおいて「快」「不快」を生み出します。

「不快」をそのままにしておくと、そのことを避けるようになりますので習得が遅れたりできなかったりすることが起こります。

多かれ少なかれ、誰でも起きていることですが、元になる「母語」が学習言語と大きく異なってしまうと、この「不快」がいたるところで起こることになります。

本人にとっては学習言語を習得すること自体が苦痛になることすらあります。


実際の人の生活の中で、コミュニケーションのために一番大切な言語は学習言語です。

その言語を使う人にとっての共通語としての役割があるからです。

「母語」は学習言語習得以降の生活の中で実際に出てくることはほとんどありません。

しかし、学習言語を身につけるために「母語」は不可欠であり、「母語」の内容によって学習言語の習得が違ってしまうのです。


「母語」によって作られてきた知的活動のための機能は、できだけ「母語」に近い言語で使用されることが効果を発揮することになります。

それによって学習言語で得た知識による後天的な機能の向上が行なわれます。

複雑な思考や創造的な思考をするときは、自然に「母語」に近い言語で考えています。

感情を揺さぶられる言語は「母語」に近い言語です。


実際に「母語」として使ってきた言葉は幼児期健忘の現象もあって、記憶に残っていません。
(参照:幼児期健忘について)

「母語」によって作られた機能は、「母語」の持っている言語感覚によって最も心地よく機能するようにできています。

実際の生活で使っている言語は学習言語や環境言語がほとんどですが、これらを使いこなして知的活動をしていくためには「母語」の言語感覚がとても大事になることになります。

海外子女教育財団の言葉にある「人間形成の基盤となることば。」はまさしくこのことを言っているのではないでしょうか。







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