2014年6月3日火曜日

知的活動と言語について(5)

先回は伝承言語の「母語」について見てみました。

コミュニケーションのための言語と言うよりは、生涯にわたって知的活動の基盤になる言語感覚を身につけるための言語と言うことができそうです。

母親(役)とのコミュニケーションのツールであることは間違いありませんが、きわめて私的なツールであり、母親(役)との間でのみ共通語として機能するものとなっています。

そのことも「母語」として大切な機能ですが、もう一つの大きな機能として、幼児期の知的成長を成し遂げるために必要な言語であり、生涯の知的活動の基礎を作る言語となっていることです。

その役割が終わると、日常言語はほとんどが学習言語と環境言語になっていくために、実際に使用される言語としては表に現れなくなります。

赤ちゃん言葉や幼児言葉がその例と言えるでしょう。



母親(役)が持っている言語がバイリンガルである場合には、子どもとの間で持つ「母語」で使用する言語に注意が必要になります。

母親(役)は経験のなかで、二つの言語の言語感覚を区別して別の言語であることをわかって使い分けをしています。

子どもは二つの言語を区別する能力がありませんので、一つの言語としての感覚を持つようになってしまいます。


「認知活動」の初期のうちは認知対象物のほとんどが物ですので、個別名詞を一語で使っているうちはどの言語でも言語感覚に違いが見えてきません。

対象物が複雑になってきたり、文章で認知したりすることが始まると言語感覚が大切になってきます。

「思考活動」が始まるようになると言語感覚がフル回転するようになってきます。

二つの言語について一つの言語感覚を持ってしまうことは、どちらの言語のとも異なる感覚を持つことになります。

これが人の話を聞いたりしたときに、周りの人と違う理解をする原因となります。


言葉はわかりますが、強調されるところや本当に言いたいこと細部のニュアンスなどの言葉から直接伝わる意味以外のメッセージを理解する感覚が、周りの人と違ってきてしまうのです。

言葉そのものの意味はわかりますので、周りの人は親を含めて同じような理解をしていると思い込んでしまいます。

本人がこのズレに気がつくのは、早くとも学習言語によってコミュニケーションが始まるころになります。

日本語の場合は小学校の3・4年生頃でしょうか。

人によってはこのズレに気がつかず、周りとの理解の違いに苦しみ続ける場合があります。


私の友人で幼児期をシンガポールで過ごした人がいます。

母親は日本語しか話しませんでした。

家での会話はほとんどが日本語だったそうですが、幼児期の後半は英語を使う機会も多かったようです。

小学校の2年生まで現地で過ごし、その後日本の小学校に転校してきました。


同じ先生の話を聞いても友達と聞き取り方が違うのに気がついたのが4年生の時だそうです。

自分が間違っているんだと思って、一生懸命聞きますが微妙に理解が違うことがわかってきたそうです。

小学校6年生から中学生になるころには、教科書の理解はほぼ同じなのですが、先生や友達との話の理解では肝心なポイントでズレていることが多くなったそうです。

話そのものが小学校に比べると複雑になってきたことも影響しているのかもしれないと思っていたそうです。


やがて、自分を責めるようになったそうです。

「こんなことがわからないで、なんてバカなんだ。」と言う感覚だったそうです。

日本語を理解する感覚が人とは違うんだと言うことを自分にわからせるのに大変な苦労をしたそうです。

神経内科や知能テストを受けたりもしたそうです。


自分が周りの人と違うんだと言うことを受け入れることは、知的活動としてかなりのレベルまで行かないと難しいことです。

親でも普段の生活の中では気がつくことが難しいと言われています。

彼は中学で英語の授業をやっているときが一番安心できたそうです。


ところが、英語の環境の中でも同じことが起きるのだそうです。

中学校の教科書レベルであれば言語感覚に頼るところもあまりありませんが、日常の会話では日本語での感覚に近いことが起こるのだそうです。

人と違うのだということを受け入れることができたのは大学に入ってからのことだそうです。

それからは話のポイントを必ず確認するようにしたそうです。


彼は、私と知り合って「母語」の話を聞いてすぐにピンときたそうです。

日本語と英語の混ざり合ってしまった「母語」の言語感覚は、どちらの言語環境でも苦労することになってしまったのです。

今は、どちらかと言えば英語の方に近い感覚だそうです。

おそらく、英語の方が話し言葉だけの感覚で理解の違いが判るからではないでしょうか。

文字に重きを置かない英語においては、話し言葉による表現がわかりやすいものになっているからです。

日本語は、書くことによっていくらでもわかりやすくすることができる分だけ、話し言葉については規則がとても緩くなっていてわかりにくいものとなっています。

英語に比べると、言葉の持っている意味以外のニュアンスを読み取る必要があります。


「母語」の影響はどんなところで出てくるかわかりません。

人の言語の基盤にあるものですから、どこにでも影響が出る可能性があります。

結果として、知的活動のどこにでも影響を及ぼしていることになります。


「母語」によって知的活動のための器官が開発されてきました。

つまりは、「母語」で知的活動をすることが、各知的器官にとって一番なじみやすいことになります。


幼児期から他の言語に触れる機会が増えています。

英語を世界の共通語と思い込んで、幼児期から教え込もうとする環境があります。

日本人の両親のもとで、日本語を日常語とする両親のもとで、本気で英語を「母語」にするためには、子どもを両親のもとから引き離して英語環境におかなければなりません。

両親のもとで英語を「母語」にするためには、両親も英語を学びながら英語だけで子どもを育てなければなりません。

ただし、そのときに持つ「母語」としての英語の言語感覚はどんなものになるのか想像ができませんが・・・


次回は、伝承言語である「母語」と学習言語である「国語」の関係についてみてみようと思います。

キーワードは幼児期健忘、記憶保持期間、共通語などでしょうね。






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