言語での表現ですから、基本的な表現手段は二種類です。
話し言葉によるものなのか、文字表記によるものなのかで全く違った方法が考えられます。
それぞれの方法の違いを明確にするためにも、話し言葉と文字表現が混用できない状況を前提としてみます。
話し言葉では文字による補助がないことが前提ですが、相手が目の前にいて習慣的なやり取りが可能な場合を想定します。
また、文字表現においては、その場でのやり取りが不可能であり、文字として記録されたもによる伝達を想定します。
最初に考慮すべきことは、表現すること・伝えることの対象です。
何を伝えようとするのかによって、求められる正確さの程度が大きく変わってしまいます。
対象物を正確にわかって欲しい場合には、一番正確な表現は対象物を他のものと区別する絶対的な表現が必要になります。
その表現の典型が、品番でありさらにはシリアルナンバーです。
そこまでの特定ができれば、唯一無二のものを特定することができます。
伝えられた相手が具体的にその対象物を知らなくとも、その情報をもとに間違いなく対象物にたどり着くことが可能です。
品番やシリアルナンバーは一般的な言語とは異なった表現がされていることが多いものです。
したがって、話し言葉での伝達においては記憶しにくいものとなっています。
伝えられた言葉を記憶するという行為が伴いますので、聞き間違いや記憶違いが発生することが考えられます。
品番やシリアルナンバーの一か所が違っていただけで、全く違ったものや存在しないものになってしまう可能性があります。
したがって、数字や記号、大文字や小文字などの精度を求められる表現においては、ほぼ絶対的に文字表現が必要になってきます。
これを何とか話し言葉で正確にやろうとする例があります。
フォネティックコードと呼ばれるものです。
「AlphaのA」「BravoのB」などと言うアルファベットを正確に伝えるために決まった単語を使ったものを聞いたことはありませんか。
そうです、戦争映画の通信の場面などでよくお目にかかるあれです。
音声通信で通信文の聞き間違いを防ぐために定められた、頭文字を表す規則です。
正確に伝えることのみを目的としていますので、使うアルファベットを指定するためだけに言葉を発信します。
例えば「JAPAN」を伝えるためには「Juliet Alpha Papa Alpha November」と伝えるだけであり、基本的には「JAPAN」そのものは送りません。
一種の暗号的な役割もあったのではないでしょうか。
口頭言語としての英語だけではなく、日本語にも同様に通信文におけるフォネティックコードがありました。
和文通話表として無線局運用規則として定められています。
特に数字については1と7(「いち」と「しち」)、2と4(「に」と「し」)の間違いを防ぐために厳格に運用されたと言われています。
数字の2は陸上・海上自衛隊などで「ふた」と読むことが使われていますが、無線従事者国家試験などで「ふた」とすると誤りになるそうです。
有名な無線電文では、「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」と言う第二次大戦の開戦電文があるますが、実際には「にっぽんのに、いろはのい、たばこのた、かわせのか・・・」と送られていたわけですね。
フォネティックコードの存在そのものが、いかに話し言葉による正確さの追及に苦労していたかを示しているのではないでしょうか。
軍隊の用語においては、同音異義語があっては大変なことになります。
また、同じ言葉を聞いたらすべての人が同じ理解と行動をしなければ、軍隊としての役に立ちません。
この効率よさを戦後の社会で利用することによって、軍隊用語を駆使して経済活動部隊を構成していったわけです。
日本には、軍隊も徴兵制もありません。
一般の人にとっては軍隊用語(自衛隊用語)に直接触れる機会はほとんどありません。
徴兵制のある国では、軍隊用語は極めて身近な言語です。
そこで求められていることは正確性と一意性です。
日本語の持つ「あいまいさ」とは正反対の性格を持つものです。
明治になって富国強兵を目指した日本が、西欧に肩を並べようとしました。
その時の、原動力が新しい正確な表現のできる漢字の創出でした。
西欧の概念を表すのものや、より正確さを求められるものを目指して作り出された漢字の言葉は、今の広辞苑に収録されている言葉の数に匹敵する20万語を超えていたと言われています。
話す言葉は正確さを追及することは難しい言葉です。
話し言葉の音はひらがなの音しかないからです。
音から伝わる言葉はひらがなになってしまうからです。
ひらがなは日本語のあいまいさの象徴ともいえる言葉です。
日本語において正確さを追及する場合には、必ず文字の補助が必要になります。
日本語は、借りてた来た漢字である漢語から始まりました。
そこからひらがなを生み出し、感性豊かな「やまとことば」を育ててきました。
そして明治期以降の近代の西欧化のなかで、新しい日本独自の漢字を生み出して、新しい概念と正確さの表現を加えてきました。
今私たちが使っている漢字仮名混用文は、素晴らしい可能性を秘めた文体です。
正確さの追及と文学的な懐の広さの追求のどちらも高いレベルで可能なものとなっています。
その言語を持ちながらも私たちは、場面に応じた、対象物に応じた、正確な表現の仕方をしていないのではないでしょうか。
おそらく、世界の言語のなかで一番正確な表現が可能なのが日本語ではないでしょうか。
日本語に翻訳された内容を確認した原著者が、自分の表現よりも正確であると言った例はいくつもあります。
もちろん、訳者の能力によっては反対のこともあるわけですが・・・
日本語は正確さを求めたらどこまでもできる可能性があると思います。
現実的に伝達するうえで必要な正確さを理解して、表現で対応していくことが大切ですね。
正確さにも程度があります。
幅がある内容を表現するのには、日本語は本当に素晴らしい力を発揮します。
両極端から中間領域までをあらゆる表現でこなすことができます。
感覚としてはわかってきているんですが、もう少し具体的な表現で見てみたいですね。
そんな表現に出会った時に、また正確さについて触れてみたいと思います。
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