2014年5月18日日曜日

「母語」と「国語」の関係

このブログの目的の一つに「母語」について知ってもらうことがあります。

幼児期にしか身につかない言葉ですが、人としての知的活動のための基本機能を決めてしまう大事な言葉です。

「母語」については新しい発見があるたびにテーマにしていますので、ラベルの「母語」を見ていただけると取り上げてきた履歴がわかると思います。

直近で一番まとまっているのはここまでわかってきた「母語」ではないでしょうか。
(参照:ここまでわかってきた「母語」


その中でも述べていますが、「母語」はそのほとんどが母親から伝わる伝承言語です。

そして「母語」を語るときに避けて通れないのが「幼児期健忘」です。

これもラベルとして取り上げていますので、参照していただきたいと思います。
(参照:幼児期健忘について)


丁度、「母語」の習得が完了する4歳頃になると、幼児の持っている記憶のほとんどがリセットされて消えてしまう現象のことです。

このことによって、母語として身につけた言葉のほとんどが記憶に残りません。

この時点で、毎日のように使っている言葉だけが新たな記憶として残ることになります。


記憶としての言葉はなくなりますが、その言葉によって発達してきた知的活動のための脳を代表とする各器官の機能には、言語の感覚として定着しています。

それ以降の言語習得を含むすべての知的活動が、「母語」によって作られた機能によってなされていくのです。

「母語」の習得が完了するのが5歳頃と言われています。



そのあとは、学習言語の習得の段階へと移っていきます。

「母語」は母親から伝承されたきわめて個性的な言語です。

同じ日本語ではありますが、「母語」同士で会話がなされても理解できない言葉が出てきます。

ましてや方言や独特のアクセントを持つ言葉で「母語」を身につけた人同士の会話では、ほとんど理解できない場合もあります。


義務教育としての身につけるべき内容は、日本国民であればすべて同じでなければなりません。

義務教育の内容を身につけるための共通言語が必要になります。

それが学習言語と言われる「国語」です。


「国語」=「正しい日本語」と思い込んでいる人があまりに多いことに驚きます。

「国語」はすべての人が義務教育において等しく知識を身につけるために規定された、日本語のほんの一部です。

「国語」以外の日本語は無限に存在しているのです。


同じ教科書によって得られる知識が同じ内容であるように、同じ言葉については同じ理解ができるように、使用する文字と語彙と文法が定められたものが「国語」です。

日本の義務教育を受けたものであれば、誰でも同等の知識を同じ言葉で身につけるための学習言語なのです。


この「国語」を身につけるための基礎言語が「母語」です。

小学校に入学してからいきなり「国語」を教えられても、簡単には身につきません。

小学校一年生の最初には「ひらがな」を教わりますが、その期間は読み書きを含めて2ヶ月程度しかありません。

先生の指導内容では、「ひらがな」の習得は合計24時間以内で終わらせるようになっています。


現在では、小学校に入学してくる生徒の90%以上が、入学時点で「ひらがな」の読み書きができるようになっています。

自己防衛の広がりでしょうか、それとも「母語」習得の不十分さがあるのでしょうか、よくわかりません。


「国語」の習得が遅れると大変なことが起きます。

すべての教科の教科書に書かれている言語と先生の言葉のすべてが「国語」だからです。

小学校の低学年は、すべての教科で「国語」の習得をしていると考えたほうがいいでしょう。

教科としての「国語」と「算数」は小学校の一年生から独立した教科として存在しています。

すべての教科の教科書が、「国語」の進度に合わせた内容で書かれています。

「国語」の習得で遅れが出ると、すべての教科に影響が出ます。


「国語」の基本が身につくのに10歳頃までかかると言われています。

小学校の三年生からは社会や理科が独立した教科となっていきます。

独立した教科は、それだけその分野の独特の表現となっています。

一般的な「国語」とは違った表現となっており、「国語」にだけ触れていては理解しにくくなっています。


その典型的な教科が「算数」です。

そのための独特な算数の表現に早くから慣れる必要があるので、一年生から「算数」の教科が独立しているのです。

言い方を変えれば「国語」から一番遠いところにある教科の表現が「算数」であるとされていると言えます。


「算数」でも教科書は「国語」で書かれています。

「国語」の習得進度に合わせた表現で書かれていますので、一年生の「算数」はなんとも言えない表現がされています。

もう少し「国語」の習得が進んでからの方がわかりやすい表現ができるのではないかと思うところも見受けられます。


「算数」が苦手になった子どもは、その原因が「算数」がわからないのではなくて、算数のことを理解するための「国語」にあることがほとんどです。

小学校の低学年を受け持つベテランの先生は、ほとんどそのことを知っています。

小学校四年生までの「国語」を本当に大切にしています。


でも、その国語の習得に差が出てしまうのが「母語」の影響であることがほとんどわかっていません。

「母語」は母親が自分の言葉で語りかけていれば、子どもが自然と身につけていく言葉です。

おかしな教育しようとして、幼児期に何かを教え込もうとすると「母語」の習得を妨げることになります。

母子の自然な語りかけに、絵本の読み聞かせが効果があることは有名ですが、その読み聞かせにも悪い影響を与えるやりかたがあることがあまり知られていません。

この機会に知っておいていただくといいですね。
(参照:母語の習得と幼児教育(2)


「国語」が日本語のすべてではないことを知っていただくと、色々な日本語の可能性が見えてきます。

世界でも類を見ないとても優秀な言語である日本語は、その独特の成り立ちも含めて世界中で研究の対象になっています。

日本人が日本語に対して一番興味がなくて価値がわからない民族かもしれないですね。


基本言語を身につけるだけでも10歳くらいまでかかってしまう言語は、世界でも日本語と中国語くらいです。

そのあともさらに、語彙や文字を強化していかないと社会で通用する表現はできないですよね。

他の言語は、小学校の低学年から話し方や表現技術を学んでいます。

アピールやアウトプット力に差があって当然ですね。

そう考えると、反対に日本語の可能性はまだまだありそうですね。




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