2014年5月19日月曜日

「国語」ってなに?

みなさんは「国語」について考えてみたことがあるでしょうか。

「国語」ってどんな言語なんでしょうか。

「国語」の役割ってなんでしょうか。


小学校に入学以降ずっと「国語」がついてきました。

関連教科としては、「かきかた」や「書写」などもありました。

中学生以降は「現代国語」「古文」「漢文」などに細分化されていきました。


「国語」を辞書的に見てみるとこんな表現があります。

国(国家)を代表する言語で、公の性格を持つようになっている言語のこと。
国民にとって共通語としての性格を持ち、外国語に対応する言葉。


何のために「国語」があるのか、何のために必要なのかを見てみたいと思います。

日本において「国語」を学ぶのは義務教育である小学校になってからです。

義務教育制度は各国に存在していますが、その在り方は国によってさまざまです。

義務教育の本来の目的は、国民に等しく教育の機会を提供し、社会で生活していくための基礎知識を習得することをめざしています。

しかし、その実態は高等教育を受けるための準備段階となっており、義務教育の終了時点で社会に出ていく人はほとんどいません。

特に義務教育の後期である中学校においては、上級学校に進学するために受験する入学試験に合格するための知識を身につけることが中心となっています。


日本語は中国語と並んで、習得に長い期間を必要とする言語です。

他の言語が小学校に入学して1~2年で習得を完了するのに対して、日本と中国は小学校卒業時点で持っている言語では社会でのコミュニケーションに不足が生じているのです。

不足が出ている分は主に語彙と漢字の習得です。


日本では、小学校6年間で教育漢字として1,006字を学びますが、現代の国語を表す一般に使用する漢字として定められている常用漢字は2,136字となっています。

中国では、小学校6年間で約2,000字の漢字を学びますが、ほとんどの子どもが中学生になってもまともな文章が作成できないようです。


漢字を使用している国では、アルファベットを使用している国よりも言語習得に関しての時間が多く必要となっているようです。

日本語においてはさらに文字の種類が豊富です。

「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「アルファベット」を使いこなさなければなりません。


基本的な言語の習得だけでも10歳くらいまでかかっているのが現状となっています。

もちろんその後も語彙の補強や漢字の習得を続けていかなければなりません。


義務教育で等しく同じ言葉と用法で、同じ意味を理解するために「国語」があります。

日本語のなかで、共通語として定められた言葉と用法によって規定された言語です。

共通語としての役割がありますから、誰でもが同じ理解ができるものになっている必要があります。

日本語はとてつもなく大きな言語ですので、「国語」としての規定を設けて共通語として使用しているのです。


教育においては同じ表現からは同じ理解をしてもらわないと評価ができません。

同じ表現からは同じ知識として理解してもらわなければ、教育になりません。

特に義務教育においては、共通した知識を習得をするための言語として「国語」による知識の習得が行なわれます。

知識を習得するための学習言語が「国語」なのです。


すべての教科の教科書が「国語」で書かれています。

学年による「国語」の習得度合いに合わせて、他の教科書の表現がなされるようになっています。

教科の内容がより専門的になるほど、「国語」の表現もその教科独特のものが増えていきます。

同じ「国語」であっても、教科によって表現の特徴が出てくることになります。

縦書きや横書き、記号や語順などが様々なものになってきます。


個人的には慣れない表現もでてきます。

表現によっては同じ「国語」ではあっても、理解しにくいものも出てきます。

何度もそんな表現に出会っているうちに、その教科が苦手になることがあります。

特定の教科が苦手になる場合は、その教科をいくら教えても駄目ですね。

その教科で使われてる表現の「国語」を理解できないと、いくらその教科を教えても苦手の克服はできません。

ベテランの先生はこのことをよくわかっていますね。


「国語」が日本語のすべてではありません。

「国語」が正しい日本語ではありません。

日本語の共通語として使用するためのルールによって運用されている言葉と用法が「国語」なのです。

日本語のほんの一部であると思った方がいいと思います。


私たちは、実生活において「国語」ではない日本語をたくさん使っています。

言語は変化していきますので、正しいとか正しくないとかいうことで判断できるものではありません。

あえて言うとしたら、「国語」のルールとして合っているかいないかの判断ができるだけのことです。

「正しい日本語」というものは存在しないのです。

「国語」の用法として合っていると言うことができるだけのことです。


私たちの知識習得として学習の場は、あくまでも生活の一部です。

学生・生徒の時はその時間が一日の大半を占めているだけです。

学校生活の中でも、実際の学習言語に触れている場面もあれば、生活言語として「国語」以外の言語に触れている場面もあります。


すべての知識が言語によって習得されていきます。

人が持っている基本言語が3つあります。

重複している部分もたくさんありますが、その3つは「母語」「国語」「環境言語」です。


「母語」は幼児期に母親から受け継いだ、基本となる言語感覚を本能的に身につけた個人としての基礎言語です。

「環境言語」は生活環境によって身につけていく、後天的な経験言語です。

どちらも個人的な要素の強い個性的な言語となっています。

そのすべてが日本語です。


日本語を使用している人の、一人ひとりはそれぞれ違った日本語を持っているのです。

それだけでは、あまりにも大きな日本語のなかで一人ひとりの理解が微妙に異なってしまいますので、共通語としての「国語」の存在が重要になっているのです。


義務教育としての極めて基本的な知識を習得してきた言語であり、あらゆる情報や書物において表現されている標準形とされている言語です。

「国語」で表現されていることによって、共通理解の幅が広がっているのです。


独自表現が尊ばれる場面があります。

しかし、その表現が「国語」のルールに沿ったものになっていなければ、共通理解を得ることは難しいものとなっているでしょう。

「国語」のルールそのものがあやふやとなっており、私たち一人ひとりがよく理解していないのが現実です。

人に理解してもらうための表現をするのであれば、本来ならば「国語」のルールに照らし合わせて表現を見直すという行為が必要なはずです。


現代の「国語」は学習言語としての機能しか持っていないように思われます。

もう一つつの大切な機能である共通語としての機能は、あまり有効に働いていないように思われます。

「国語」よりももっとシンプルで実用的な共通語が必要なのではないでしょうか。


そんな共通語として「現代やまとことば」を提唱しています。

興味のある方は以前のブログも参考にしていただきたいいと思います。
(参照:なぜ「現代やまとことば」か?

世界中の他の言語に比べてあまりにも大きすぎる日本語において、より正確な理解のために共通語は必要だと思います。


10以上の方言が飛び交い、話し言葉ではお互いに理解しにくい中国語も、漢字という表意文字のおかげで書くことでの理解はすすみます。

それでも共通語としての標準語を持っています。


「国語」を見直してみることからもいろんなことが見えてきますね。

どこから見ても日本語はすごい言語ですね。




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