文字を持っている言語は全体の20%程度ではないかと言われています。
その中でも言語について学問的な領域で研究の対象としているものは、決して多いとは言えないでしょう。
世界の一般的な言語学は、主としてアルファベット文字の言語を主体にして成り立った学問です。
そのために、音声と文字を同等に扱っており、文字の理解においてはおのずから限界があると思われます。
アルファベット使用言語については、アルファベットと漢字で触れていますので参考にしていただきたいと思います。
(参照:アルファベットと漢字)
アルファベット使用言語の基本は「文字=音声」です。
アルファベット自体が文字としては意味を持たない、音を表す記号と近しての働きをする表音文字です。
したがって、同じ音声であっても表記文字のよって意味が変わってしまうことは考えにくいこととなってしまいます。
さらには、同じ表記であっても音声も意味も異なってしまうことには、考えも及ばないこととなってしまします。
こんな機能を文字が持っていること自体が把握しにくいこととなっています。
漢字が現存する唯一の表意文字であることは何度も触れてきました。
文字として書かれた一文字ずつにすべて意味があるものは、世界の言語のなかで漢字だけです。
アルファベット言語の場合は、言葉の意味は耳で聞き取ります。
音声だけで十分であり、文字は必要ありません。
音声言語と言われるゆえんがここにあります。
この点に関しては、中国語も、漢字を使用しているとはいえ声調(トーン)があるので、情報は口頭だけでも精密に伝わります。
一方、日本語の場合は中国語や他の言語のように、言葉の意味についての精密さを求めると、文字が必要になります。
詳細は忘れましたが、ネイティブ同士の会話の90%を理解しようとすると、どれだけの単語(言葉)を理解していないとできないかと言うことを調べた人がいます。
フランス語については2,000語が必要で、英語については3,000語が必要であるとのことです。
日本語については、実に10,000語を身につけていなけければ日本人同士の会話の90%以上を理解することができないと結論をつけています。
他の言語に比べて話し言葉に使う音の数が圧倒的に少ないために、同音異義語がたくさん存在するからです。
そもそもが、音だけで判断することができない同音語に対しては、前後の言葉からの推測が必要になるために、その音で表現可能な候補を持っていなければならないからです。
結果として、より精密な情報を理解しようとする場合には文字による補助が必要になります。
日本語が曖昧であるとされる原因がここにあります。
彼らの言語では、文字による確認は必要ないのです。
音声言語であるので、話し言葉で精密な伝達が可能なのです。
その同じ精密さを、日本語の話し言葉に求めようとするから曖昧だと感じるのは当たり前のことなのです。
しかも、話し言葉だけをとってみれば、日本語は覚えるのにとても簡単な言語です。
極めて少ない音数から成り立っていますので、他の言語話者から見たら簡単な音ばかりです。
したがって、入門編の言葉を覚えることはすぐにできますので、取り組みやすい言語だと思われます。
ところが、自分たちの言語の感覚でいくと、話し言葉だけでは通じなくなります。
そこからは、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の文字の理解がないと進まなくなります。
今度は習得するのに、きわめて難しい言語となってしまうのです。
漢字には、読めなくともあるいは読み方を忘れてしまったとしても意味は分かるということが決して珍しくありません。
また、同じ意味漢字でも略語になることによって読みが変わってしまうこともあります。
名古屋大学→名大(めいだい)、大阪大学→阪大(はんだい)などですね。
また、日本語はいとも簡単に外来語を取り込みます。
外来語のほとんどは音声言語ですので、日本語の持つ音で似たような音を充てることになります。
するともともとあった言葉と同音になる場合が出てきます。
「照らす」と「テラス」の関係や、「ほっとする」と「ホットにする」のようなことが頻繁に起こります。
特に外来語を取り込んだ初期のうちは、その言葉自体を外来語として知っている人が少ない状況です。
文字で表記すること、特にカタカナやアルファベットで表記することによって、外来語であることすら区別できてしまいます。
日本語における文字は、他の言語における文字の役割とは決定的に異なっており、音声の代理や補助的なものではなくなっています。
音声と同時に意味を生成する過程において参加しているものとなっています。
文字の積極的な役割は、他の言語における文字の役割とは大きく異なっています。
特に、現代においては文字が同音の言葉を区別し、特定の内容を明瞭に伝える役割を果たしており、曖昧さの解消に働いているのです。
したがって、文字をうまく使いこなすことによって、他の言語ではできないような精度の高い表現や言葉遊び的な表現が可能になっています。
漢語という言語に触れた時に、文字としての意味の精緻さを利用し、そこに使われった文字の漢字から自分たちが使ってきた「やまとことば」を表記する文字であるひらがなを編み出しました。
和歌によるひらがな表現法の発展によって、曖昧に揺れうごく「やまとごころ」を色々な言葉に掛けながら表現してきました。
時代が求める精密さには、明治期を中心として広辞苑一冊にも該当するほどの新しい言葉を生み出し、漢字仮名混用文として彼らの持つ精緻さをこえる表現力を身につけてきました。
言語について知っている人ほど、他の言語から見た日本語はスーパー言語なのです。
日本語で思考できることがとてもうらやましくもあり、恐れていることでもあるのです。
せっかく持っている日本語です、使いこなしたいですね。
もっと、表現して発信していきませんか。
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