2014年5月23日金曜日

日本語表現は語感が決め手

日本語の表記文字は、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「アルファベット」と主に4種類が使われています。

ところが日本語の音は一種類しかありません。

「ひらがな」で言うところの基本音46に濁音・半濁音を加えても71音、すべての音を集めても130音あるかどうかといったところです。

世界中の言語の中でも音として持っている数は、きわめて少ない部類に入ります。


どんな表記文字で書かれていようとも、それを話し言葉として聞いた時はすべて「ひらがな」の音として入ってきます。

素直に音として入ってきた瞬間に理解できる言葉はいいのですが、一瞬でも「?」となる音においては頭の中で自分で理解するための言葉探しが始まります。


「かんき」という音が入ってくるとひらがなでは理解しきれませんので、漢字への置き換えが始まります。

歓喜、喚起、乾季、換気、乾期、寒気、神吉、勘気、官紀、簡記、刊記、官記、還気、さらには「カンキ」や「KANNKI」なども出てきます。

それらの浮かんでくる候補を、文脈や前後の言葉と照らし合わせて自分の理解としていきます。


それでもなお「?」となるような場合は、聞いた音を疑い始めます。

もしかしたら「かんき」ではなくて「かんきつ」ではないかと思い始めます。

「柑橘」でしっくりくるとやっと安心して理解することになります。


ひとつの言葉でここまでのことが行なわれてしまいますと、そこそこの時間がかかってしまいます。

その間は流れてくる言葉の音を拾いそこなうということが起きてきます。

相互の会話が成り立っていて、その場で言葉の確認がすぐにできる場合はいいのですが、一方的に話している講演や演劇などの場合でこれが起きると、聞いている人の理解の流れがブツブツ途切れることになります。


話し言葉で伝えることの難しさはここにあります。

漢字やカタカナ・アルファベットの候補がたくさんある言葉をなるべく使わないことや、伝える相手が持っている言葉を理解しておかないと、話し手の意図したことが理解されにくいことになります。

その理解を助ける方法として、チャートやグラフ・文字表現といった視覚による補助が効果的であることはよく知られていることです。


ところが文字だけの表現の場合は、相手が目の前にいないことがほとんどですので話し言葉で補助することができません。

しかも、話し言葉に比べたら文字の種類の使い分けもそうですが、文体としての表現の仕方も選ばなければいけません。

文体に統一感のない文章は、読んでいても辛いものがあります。


同じ言葉であっても、表記する文字によって読む人のイメージすることが違ってしまう場合もありますし、同じ言葉に対して複数の表記がなされてると、その違いが気になったりわからなかったりしてしまいます。

どんな人が読むのかを想定して表現するのは勿論ですが、どういう意図をもって表現すのかが大きな要因になります。


日本語は世界で類を見ないほどの、表記方法があります。

小説、随筆、紀行文、伝記、手紙、詩集、歌詞集、参考書、問題集、教科書、法律、解説書、申請書、辞書、百科事典、新聞、マニュアル、論文、白書、報告書、レポート、実験ノート・・・

しかも、それぞれの分野での深耕度に応じて、全くの初心者から専門家・プロフェッショナルまでに応じた表現ができる言語です。

そこでは、わかりやすさを優先するのか、専門性による正確さを優先するのか、あるいはわかりやすい正確さを求めるのかによっての表現の違いも可能なものになっています。


それぞれの表現の中で行われている、文字の種類の選択と文体の選択のことを合わせて語感と読んでいます。

同じ小説でも、恋愛小説と推理小説では語感が異なっています。

伝える内容・作品の内容によってどの様な語感で伝えるかが作者の表現力になってきます。


変化を嫌う役所や硬直した組織では、過去に使用された語感や登録されている語感からなかなか離れることができません。

わかりやすさを求めるよりも、変化を嫌うことの方が強くなっています。


自分で表現するときになるとよくわかると思いますが、個人が持っている語感は極めて限られたものです。

アウトプットとしての表現に慣れていないからですね。

特に、書いた物は一方的に相手に届くだけで、その表現についてのフィードバックをもらえる機会は稀です。

社内の報告書を上司が手直ししてくれるたりするのは、いい例でしょうね。

そのために、文書例としてのひな形があれだけたくさん存在しているのです。


語感は後天的なもので、基本的な言語が身についてからでなければ、語感の違いによる受取り方の違いに気がつきません。

それまでは、馴染みのない語感の表現に対して「わかりにくい文章だな。」くらいに感じるだけです。

すべての語感は、それぞれの語感に適した場面と相手があります。


私たちが一番初めに出会う大きな語感の違いは教科書です。

教科書ですから、その文章を理解することによって知識を得なければいけません。

それまで眺めていた絵本とは、意味が違ってきます。


今までの語感に一番近いものが「こくご」の教科書の語感ではないでしょうか。

そして一番馴染みのないものが「さんすう」の教科書の語感ではないでしょうか。

「こくご」と「さんすう」は小学校の一年生から独立した教科として時間が割り当てられています。

「理科」や「社会」は小学校三年生からですね。


「さんすう」の教科書は小学校一年から横書きで書かれています。

今の子どもたちは早い段階から横書きに触れていますので、それほど違和感はないと思いますが、それでも「こくご」の縦書きに出てくる馴染みにある言葉に比べると、「さんすう」独特の表現が多くみられます。

小学校一年生の「さんすう」の教科書の内容は、それほど専門性はなく「こくご」の延長みたいなものですが、そこは普段の生活とは異なった語感があります。


この「さんすう」の語感に慣れないと、専門性が深まって教科独特の内容が出てくるようになった時に理解がしにくくなってきます。

「さんすう」が苦手になる原因がここにあります。


小学生における教科によっての苦手意識の原因は、その強化の教科書の語感にあることがほとんどです。

このことがわかっている先生は、自分の言葉で教科独特の語感を補ってくれますが、それができない先生は教科書の語感と同じ語感を使って説明をしますので子どもたちにとってはわかりにくさは変わらないのです。


表現力としての語感を磨くためには、多くの語感に触れることしかありません。

小学校のころに読書量を競わされた経験がある人が多いと思いますが、冊数ばかりを言われるものですから、自分の好きな語感のものしか読まなかった記憶があります。

しかも、中学生になると好きな語感が固定してきてしまい、同じ作家のものばかり読んでいた記憶があります。

もっといろいろな語感の本に触れておけばよかったと思っています。


ネットの時代は文章力が大きな決め手になります。

文章力とは、内容の構成もありますが、一番大きな要素は伝える相手に応じて語感を使い分けることです。

ネットで使用する文章の目的はかなり限られていると思います。

ネット上での短い文章でも、これは伝わってくるなと思うものがあったら、コピペして取っておくことです。

自分が表現しようとするときに必ず役に立ちますよ。


できれば、どんな対象に対して発信しているのか目的まで一緒に記録しておけると最高ですね。

コピペしたものの一覧を眺めているだけでも、自分が表現するときの文章に明らかな違いが出てきます。

この表現は自分で考えても出てくるものではありません。

ネット上には素晴らしいコピーや文章がたくさんあります。

少し注意してみてみませんか。




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