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2017年7月15日土曜日

「使える日本語」習得の壁

他の母語話者にとって日本語の習得は、中国語と並んで最も難しいランクになっているようです。

このことは、義務教育である中学を修了しても日刊紙を読んで理解することができない者が大多数である実態が物語っていると思われます。

日本においても中国においても、中学卒業時点で日刊紙を読んできちんと理解できる者はほんの一握りであるようです。

簡単に一括りにはできないことは承知の上で敢えてその難しさの原点に迫ってみるトライをしてみます。

中国語と日本語の共通は漢字という文字にあります。

もとは漢語として中国で生まれたものを日本が流用して今の日本語の基本を作りました。

そのまま使っていたとしたら全く同じ言語圏ということが言えたのでしょうが、漢語を導入した時点で文字のない言語である「古代やまとことば」を持っていたことで日本独自の漢語の利用が始まりました。


ここで、それぞれの国の小学校六年間において一体どれだけの漢字を教わるのかを見てみたいと思います。

参考に台湾の小学校も加えてあります。(2015年時点の調査だそうです)
  • 中国の小学校・・・4,718字
  • 台湾の小学校・・・3,000字(香港も同じだそうです)
  • 日本の小学校・・・1,006字
日本の生活でもわかるように、小学校で習う漢字だけでは一般的な生活において不足していることは明らかです。

また、日本語には訓読みという読み方もあり一文字一音となっていない点も考慮する必要があるのでしょうね。


新聞の日刊紙が社会における必要な標準的な表記であるとしたら、これだけの漢字を習った上にさらに中学での漢字を加えても理解できない者のほうが多いことになります。

ともに義務教育は六歳(七歳)から十五歳までが標準となっています。

外国語という教科はあったとしてもその教科を理解するための授業はすべて国語で行われており、義務教育の間はずっと国語の習得をしていると言ってもいいと思います。

十年近くも毎日のように触れながらも簡単には習得できない言語であると言い切ってもいいのでしょうね。


人が使用する言語には昔から使う人が受けた教育のレベルが反映されていると言われてきました。

同じ言語であっても使用されている環境によって微妙に異なった使われ方があるのが当たり前の状況です。

場合によってはその環境に属していることの特殊性を強調したり差別化するために、あえて標準的ではない言葉の使い方をしていることもあります。

芸能界における独特のサカサマ言葉などはその典型ではないでしょうか。

その環境や立場にあこがれたり味わってみたい者は言葉だけでも模倣しようとして使うことになります。


したがって、その人が使っている言葉をもとにして個人としての教育レベルや基本的な能力までを判断する材料としてしまうのは仕方のないことだと言えます。

しかし、一つの判断材料とはなりますが決してすべてではありません。

むしろ、使っている言葉によって相手を判断することは私の経験上では誤った先入観を植え付けていることのほうが多い気がしています。

それでも、ひとを判断するときのひとつのわかりやすい基準であることは確かだと思われます。


国立大学に日本語学の教授として招かれたアメリカ人が役所に行ったとき、手続き上の内容はすべて理解できているのに子供のような扱いを受けて馬鹿にされているような気分を味わった話を聞いたことがあります。

発せられているレベルの日本語から判断して、その人が理解できている内容に置き換えてしまったことによって起こったことだと思われます。

どのような能力を持った人や教育レベルを持った人はどのような日本語を使うことができるのかといった基準が日本語にはないようです。

彼らが母語で行なうことができる思考や理解を母語ではない日本語で表現するためにはかなりのレベルの日本語能力を必要としますが、その基準は一般的な日本語母語話者には分かりません。

日本語母語話者同士のレベル判断よりも多少甘めに行なっている程度ではないでしょうか。

見た目が明らかに日本語母語話者ではない場合はある程度の心づもりができますが、ぱっと見では日本語母語話者に見えてしまう場合にはその日本語に対する基準が期待を込めてしまうことを含めてどうしても高くなってしまいます。

期待をする分だけ実際とのギャップをより大きく感じてしまいますので評価が下がります。

日本語が話せないだろうと思われる明らかな欧米人に比べて、日本語が話せそうと思われる東洋人に対しての評価が厳しくなってしまうのはきわめて自然なことなのです。


ところがこのことは、その人の本当の能力や専門分野に対して誤った先入観を植え付けてしまうことになりかねません。

場合によっては真のパートナーとなれる人を門前払いしている可能性があることになります。


日本語の場合は習得の壁があまりにも高いために、段階を追った習得のレベルというものを感じることがとても難しいものとなっています。

また、数多くの外国語話者が活躍しているにもかかわらず彼らに対しての段階的な日本語習得のレベルというものが周知されていません。

さらには、私たち日本語母語話者自身が実際に使える日本というものに対して考えたり感じたりすることがほとんどないので基準が作れない状況となっています。

母語話者はその使い方において感覚的に身についてしまっており、習得のステップなどを意識することがほとんど必要なかったことも要因だと思われます。


思考や論理については難しくなればなるほど母語で行なわれることが多くなってきます。

母語で行なわれた思考や理解を少なくとも何とか伝えることができる「使える日本語」が必要ではないでしょうか。

義務教育で十年近く毎日のように習ってきても新聞が理解できない「国語」ではない日本語が必要だと思います。

より簡単に習得することができて、日本語以外の母語として理解していることを何とか伝えることができる「日本語」です。


これは、逆の面からみれば日本語母語話者が他の母語話者に対して理解してもらうために使うことができる日本語ということができます。

いいかたを変えれば他の言語との接点としての世界レベルの日本語ということになります。


日本語は文字を理解し習得しようとすると漢字というそそり立つ壁に阻まれて簡単にはいきません。

この漢字の存在が日本語の習得を難しくしている一番の要因です。

ところが、話し言葉としての日本語はどうでしょうか。

音としては「ひらがな」の音しかもっていないのが日本語です。

漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットなどの多くの文字を持っていても、話し言葉としては「ひらがな」の一種類しかないのです。

しかも、このひらがなの音の数は現存する言語の中でもきわめて少ない音数となっているのです。
(参照:日本語の音)

話し言葉としての日本語はけっして習得するのに最高レベルに難しい言語ではないく、むしろ易しい部類に入るものとなっています。

これを利用しない手はないですよね。


しかも、言語情報については聴覚によって取得されている分が80%以上であるという研究があります。

他のほとんどの情報の80%以上が視覚から取得されていることに比べると、ますます可能性が見えてくるのではないでしょうか。

話し言葉に絞った時の日本語には今よりもずっと取り組みやすいアプローチがありそうです。

しかも、その姿のほうが話し言葉しかもっていなかった日本語の原点により近いものとなっているのです。

より簡単により本来の日本語の感覚を知ることができるかもしれないです。

こんなところから「使える日本語」を眺めてみると意外と手の届くところにあるのかもしれないですね。



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2016年9月18日日曜日

日本語の音

ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットと日本語を表記するために日常的に使われている文字は四種類もあります。

複数の文字種類を持つ言語は韓国語(ハングル・漢字)にようにいくつか存在していますが、その文字が混在しながら日常的な文章が表現されているのは日本語くらいではないでしょうか。

たまに見かけるものは固有名詞として言語の表記が登場するもの程度ではないでしょうか。


漢字としての日本語が存在している言葉については四種類の文字での表記が可能となっています。

そして同じ言葉であっても表記されている文字の種類が異なれば日本語としてのニュアンスが違っていることによって使い分けをされていることが日本語の表現を豊かにしている一つの要因となっています。

一つの言葉について表記できる文字の数だけ日本語としてのニュアンス・感覚が異なる表現を持っていることになっていることになります。


一般的な情報については視覚によって認知されるものが80%以上と言われています。

これをして「人は見た目が○割」などという間違った認識がまかり通ってしまうこともありますが、日常生活においても視覚による情報に頼っている部分はかなり大きなものとなっています。

文字の種類は視覚による認知によってしか判断することができません。


一般情報と比較すると言語情報については聴覚による認知が80%以上を占めているといわれています。

一般的な言語情報といっても分かりにくいかもしれませんが代表的な言語情報として電話による情報やラジオによる情報を思い浮かべるといいと思います。

人が言語を認識している場合にはほとんどの認識を聴覚によって行い、視覚を中心とした他の認知によってその情報を補足しているといわれています。

したがって、文字の使いわけの感覚を言葉の音で表現することができない日本語は表記文字の少ない言語話者から見ると理解しにくい言語であることになります。


日本語の持っている音はどの文字を使用したとしても一種類しかありません。

それは読み方を指定するときの「読み仮名」として利用されているものを見るとよくわかると思います。

そこで使われているものは「仮名」であり、ひらがなでありカタカナであることになります。

表記文字はひらがなとカタカナの二種類が利用されていますが、音としてはひらがなもカタカナも全く同じものです。

ここでは代表として「ひらがなの音」を日本語の音として扱い、カタカナはそれと全く同じ音の表記文字の違いとして扱うことにします。


つまり、日本語は四種類の表記文字と一種類の音で表現されているものということになります。

読み仮名としてひらがなが使われているということは発音記号の役割を果たしていることになります。

しかし、同じひらがなであっても「は」や「へ」のように使われ方によっては「ワ」や「エ」と読ませる場合があることなどから完全な発音記号としては機能していないといえます。


それでは日本語の音は一体いくつあるのか見てみましょう。

日本語の音は「ひらがなの音」ですので、一番安直に言えば五十音ということになるのでしょうがそれでは科学的ではないのでもう少し詳しく見てみましょう。


ひらがな=五十音表 という感覚が染みついてしまっているのですがひらがなの五十音表にある文字数は現代仮名使いでは「ん」を含めて46文字になっています。

文字は46文字ですがその中で同じ音を持っているものがあります。「お」と「を」が同じ音を持っているために46文字に対して音の数は45音となっています。

五十音表にある音のことを清音と呼びますので、清音として45音を持っていることになります。

先ほどの「は」や「へ」のように使われ方によっては複数の音を持っている持ってい文字もありますが、その音については清音の45音の中の音に収まっていますので音数として増えることにはなっていません。


清音に対して濁音と半濁音が別の音として存在しています。

濁音は「が」「だ」のように「゛」が付いているものであり半濁音は「ぱ」「ぴ」のように「゜」が付いている音のことです。

濁音文字は「が」「ざ」「だ」「ば」行のそれぞれ五文字の20文字ありますが、その中でも音としては同じものがあります。

ざ行の「じ」「ず」とだ行の「ぢ」「づ」が同じ音となっているので20文字に対して音の数は18音を持っていることになります。


半濁音は「ぱ」の行だけですので文字数も音数も5となっています。

ここまでの合計で日本語の音数の合計は清音45+濁音18+半濁音5=68音となっていることになります。


さらに「きゃ」「きゅ」「きょ」のような小さなひらがなを含む音があります。

これを単独の音とする場合と「きや」の音の短い言い方として別の音としてカウントせずに68音の基本音の言い方のバリエーションとする場合があります。

別の音とする場合は、小さな「ゃ ゅ ょ」の付く音が「か、さ、た、は、ら、が、ざ、だ、ば、ぱ」行のイ段の音「き、し、ち、ひ、り、ぎ、じ、ぢ、び、ぴ」になりますので10文字になります。

しかし、同じ音が「じ」と「ぢ」にありますので音としては9音になります。

それぞれに「ゃ ゅ ょ」の3音が付きますので9×3=27音が基本音の68に加えられて合計95音が日本語の音として最大のものとなります。


「たっ」「きっ」などの「っ」で表される音は詰まった言い方として音として存在しているわけではありませんのでカウントはしません。

したがって、日本語の音は通常は基本音としての68音として扱うことが多く、場合によっては最大で95音として扱うことになります。


他の言語の音についても様々な取り組みがありいろいろな数字が挙げられていますが、日本語の基本音に相当するものだけで中国語では独特のアクセントである声調を考えなくても400音以上であり英語では1,000音程度ではないかと言われています。

ともに表記文字は一種類しか持っていない言語ですので音によって言葉の違いを付けるために多くの音を必要としているのではないでしょうか。

世界の言語の中でも日本語は際立って少ない音数で成り立っている言語であるということができます。

それを文字の種類で補って多くの言葉を持っていると言えます。

言い方を変えれば同じ音による言葉の存在が一番多い言語であるということになるのではないでしょうか。


世界の言語の中でいちばん同音異義語が多い言語ということですね。

文字のサポートがない場合の日本語の使い方には一段と注意が必要になるということになりますね。



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2016年8月31日水曜日

文字と音のギャップは大きい

母語として日本語を持っていることによって、日本語で伝えるための技術については意識をしなくともある程度身についてしまっていることになります。

そのために特に日本語で伝えるということを意識しなくとも日常的な言語伝達において困っていると感じることはほとんどないと思われます。

ところが、伝わっていると思っていたことが実際には伝わっていなかったり、思っているのとは違った伝わり方をしていることは以外とあることです。

そのことに気がつかないのは、伝わった内容についての確認をせずに言いっ放しになっているからではないでしょうか。

たいして長くもない内容について数人で行なう伝言ゲームは、誰でも経験したことがあるのではないでしょうか。

想像もできないくらいおかしな伝わり方をしていることもあったと思います。同じようなことは日常的に行なわれているのではないでしょうか。


伝えるための二大手法は書くことと話すことです。

書くことと話すことの一番の違いは日本語が四種類の文字を持ちながら一種類の音しか持っていないことに由来していることです。
つまり、文字が四種類あることによって自然に行なわれている使い分けによる意味や感覚の違いは話し言葉では表現できないことになります。

文字による表現では区別できていたとしても読み方が同じであれば話し言葉としては一つのものとして同じになってしまうのです。

日本語以外の言語で複数の表記文字を持っているものは数えるほどしかありませんし、さらに同じ文の中で複数の種類の文字を混用して使い分けしている言語は日本語だけだと思います。
たまにお目にかかるものはせいぜい固有名詞の表現くらいではないでしょうか。

それだけに日本語は他の言語に比べると、話し言葉よりも文字として視覚に頼ることが多い言語となっていることになります。


ところが実験によると人が得ている言語情報はおよそ80%を話し言葉から得ていると言われています。
(参照:言語情報は耳から)

言語以外の一般的な情報についてはおよそ80%を視覚から得ていることに比べるとほとんど視覚情報に頼ることができない状況であると言えます。

日本語を伝えるための技術として最も効果的なものは伝えたい内容を文字で表記することになるのですが、ほとんどの場面ではそれが不可能であることを示していることになります。

したがって、日本語で伝えるための技術を考えるときには文字によるサポートができないことを前提として話し言葉による伝え方で考えることが必要になってきます。

仮に文字によるサポートが可能な場面があったとしたら、それはラッキーとして捉えて積極的にうまく活用すべき状況であるといえます。

他の言語と比べた時に日本語は視覚情報と聴覚情報の差が一段と大きなものとなっていることになります。


実際に言葉を理解している内容を見てみると音で理解していることよりも文字として理解していることのほうが多いことが分かるのではないでしょうか。

特に、漢字によって意味を理解している言葉については同じ音を持った言葉(同音異義語)が存在していることが多いために文字の違いで意味の違いを理解していることになります。

また、漢字自体が意味を持った文字(表意文字)であるために音(読み)よりは文字のほうが意味が理解しやすくなっています。

同じ漢字であっても訓読みの場合はもともと日本語として意味を持った音であり、文字を持たなかった「ことば」となっているために音だけでも意味を理解することができます。

しかし、音読みの場合は音としての読みには日本語としての意味がありません。したがってどうしても文字による意味の確認を必要としてしまっているのです。


話し言葉だけで音読み漢字の言葉を理解するためには、その言葉を限定するための独特の使われ方やその言葉を説明するための周りの言葉が必要となっているのです。

文字としての確認が可能な場合はその言葉だけを見せれば理解できるのですが、話し言葉の場合はさらなる説明が必要になってくることになります。

これを怠るときちんと伝わらないことが増えていくことになります。


同じ内容を書いて伝える場合よりは話して伝える場合のほうが言葉が多くなってしまうことの理由はここにあることになります。

同音異義語がある場合だけではなく日本語として意味ある言葉となっていない音読みについても音だけではもともと理解しにくいものとなっていることになります。


以前にも見てきたように日本語が持っている音は「ひらがなの音」になります。

ひらがなもカタカナも持っている音は同じ音となっていますので話し言葉では文字の違いがまったくなくなってしまいます。

漢字やアルファベット(ローマ字)にしてもその読み方が必要なときには仮名で表記して音を表しています。

音として声に出した瞬間にはすべてが「ひらがなの音」になってしまうことになります。


文字によって言葉の違いや意味の違いを理解していることが多い日本語において、実際の言語伝達はほとんどが話し言葉で行なわれている事実を踏まえて伝えるための技術を考えていかなければいけないことになります。

英語などの一種類の文字と一種類の音しか持たない言語の表現技術は、日本語にはそのままでは当てはまらないものであるのもよくわかるのではないでしょうか。

一般的な言語を伝えるためのテクニックではなく日本語の特徴を確認しながら、日本語のための話して伝えるために必要な技術に特化して考えていく必要があります。


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2016年8月10日水曜日

ひらがなの文字と音

日本語が音としては「ひらがなの音」しか持っていないことは何度か触れてきました。
(参照:四種の文字と一種の音)

それはどんな種類の文字で表記しようとも読み仮名としてはひらがなで表記することが多いことからも分かるのではないでしょうか。

読み方の難しい漢字やアルファベットなどには読み仮名が振られることが多くなっています。


読み仮名としては外来語などにはカタカナが使われることもありますが、その音はひらがなとまったく同じものとなっています。

読み仮名の役割としては発音記号としての機能を持っているということができますが、ひらがなの音が完全に表記された文字通りの音になっているわけではないことは日常的に使われている言葉においても気が付いていることだと思います。

「ひらがなの音」が一体いくつあるのかを見てみたいと思います。

現代の五十音表には以下のひらがなが充てられています。
文字数としては46文字になっています。

この中で「ん」は、言葉の最初に来ることがないことや母音を伴わないことなどから特殊な文字(音)として扱われることが多い文字となっています。


この表に書かれた文字のことをひらがなの清音と呼ぶことがあります。音という文字を使っているのですが実際の音数としてはどうでしょうか。

話し言葉としての音では「お」と「を」が同じものとなっていますので、清音の音数としては45音ということになります。


清音以外に日本語の基本音としては濁音と半濁音を数えることが多くなっています。

濁音は「が・ぎ・ぐ・げ・ご」など「か」「さ」「た」「は」行、半濁音は「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ」の「は」行のそれぞれ5文字ずつ合計25文字になりますが、実際の音としてはどうでしょうか。

「さ」行の濁音の「じ」「ず」と「た」行の濁音の「ぢ」「づ」は音としては同じものとなっています。

したがって25の文字数に対して音は23ということになります。


日本語の基本音は清音としての45音と濁音半濁音の23音を加えて68音ということになります。

「きゃ」や「しょ」のような小さなひらがなで表記される音もあるではないかと思う人もいるかもしれませんね。

これは基本音としての「き」「や」や「し」「よ」が短くなった音として基本音のバリエーションとして考えるために別の音とはカウントしないようです。

同じように「きって」「てっぽう」などで表記される小さな「っ」についても、音があるわけではなく基本音の言い方の違いとして別の音としてのカウントとはしないようです。


つまり日本語は基本音としての68音とその言い方のバリエーションだけでできていることになります。

これは現存する世界の言語の中でも極めて少ない音数であることになります。


代表的な言語で日常的に使用されている単語の数は、フランス語で2,000語、英語で3,000語と言われています。

それに対して日本語は、10,000語が使用されていると言われています。

その日常的に使用される語だけでも10,000語もある言葉をたった68音で使い分けていることになるのです。

同音異義語だけではなく似たような音に聞こえる言葉がどれだけたくさん存在しているのか実際に数えることも不可能だと思います。


さらに、同じひらがなであっても複数の音を持っている文字がいくつか存在しています。

見た目の文字は全く一緒ですので使われ方によって音が違ってくることになります。

典型的な例は格助詞として使用される「は」になります。

「わたしは」の「は」の音は「ハ」ではなく「ワ」という音になっています。


「は」の基本音は「ハ」ですが格助詞として使用されるときの音は「ワ」となっています。ほとんどの場合は私たちはこのことを意識することなく使い分けをしていますし聞いて理解する場合も同様だと思われます。

書く場合でも読む場合でも聞く場合でも意識することなく使い分けをしていることになるのではないでしょうか。

音の通りに表記されたものではかえって読んだときに理解することが難しくなってしまいます。


同じような例では目的地や方向を表す副詞としての「へ」があります。

基本音は「ヘ」ですがこの場合には「エ」という音になります。

音となって初めて意味するところの違いが分かるものとなっているものです。


実はこれ以外にも表記されているひらがなと実際の音が違っているものはまだまだあるのです。

「おとうさん」の「う」の音は基本音の「ウ」ではありません、「オ」という音になっていませんか。

このことは「東京」「京都」などのひらがな表記である「とうきょう」「きょうと」の「う」の音のすべてにも当てはまるものになっています。

基本音の「ウ」という音を使うとかえってぎこちなくなって言いにくくなってしまいます。


母音の「エ」に続く「い」についても基本音の「イ」とは言っていません。

「警報」(けいほう)、「成功」(せいこう)、「栄光」(えいこう)などの「い」は「イ」とは言わずに「エ」と言ってないでしょうか。


音読み漢字は文字で意味を表しているものであり音にしてみても日本語として意味のあるものではありません。

音としての日本語を表記するために漢字を利用して生み出されたものがひらがななのですが、そのひらがなであっても表記通りの音だけではないことになります。

日本語の本来の姿が音にあることは歴史が物語っているのではないでしょうか。


漢字の功罪には大きく二つの面があると思います。

意味のある文字として表記して理解するためにはとても便利であるために音としての日本語に対しての意識が薄れてしまったこと。

漢字があったことによって音としての日本語を表記するためのひらがなを生み出すことができたこと。


あらためて「ひらがなの音」によって日本語ができていることを見直してみることもいいのではないでしょうか。

普段から当たり前になってしまっているだけに新しい発見があると思いますよ。



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2016年8月3日水曜日

日本語で伝えるための技術(3)

過去二回にわたって日本語で伝えるための技術の具体的な内容について触れてきました。

一回目は日本語の伝わり方が「ひらがなの音」によるものであることを確認したうえで、私なりの「ひらがなの音」の練習の仕方をお伝えしました。

二回目にでは「ひらがなの音」で伝えるためには「現代やまとことば」がいかに有効であるかということをお伝えしました。


三回目の今回はきき手の行なっている人の話しを理解するための活動を知ることで、きき手の行なっている活動をサポートする方法についてお伝えしたと思います。
  1. 「ひらがなの音」をしっかり発声する
  2.   (参照:日本語で伝えるための技術(1))
  3. 「現代やまとことば」を使う
  4.   (参照:日本語で伝えるための技術(2))
  5. きき手の「きく」活動をサポートする

きき手がどのようにして「ひらがなの音」から理解していくかについては”「きく」の五段階活用”としてじっくりと見てきました。
(参照:「きく」の五段階活用(1)・・・聞く)

その中で役に立ったのが動詞としての「きく」と読むことができる訓読みの漢字でした。

「聞く」「聴く」「利く」「効く」「訊く」の五段階として「きく」活動を理解することに大きな助けとなりました。


きき手が行なっている理解するための活動が今どの段階にあるのかを理解して、それぞれの活動の段階に適したサポートを伝える側がしていく必要があります。

まずは「ひらがなの音」を確実に伝えることが大切になります。

日常的には「ひらがな音」で伝わっていることを意識することはないと思われるので、大切なことを伝えるときに思い出すだけでも伝わり方が違ってくると思います。

どんなに体裁の良い言葉ばかり並べてみても言葉自体が伝わらなければ意味がありません。


書くときには誰でもが気をつけている句読点と文字の間隔を話し言葉でも伝えていきたいところです。

特に音数の少ない言葉はしっかりと伝えることが大変難しいものとなります。

その中でも母音の「う」や「お」で終わる音はとても伝わりにくいものとなってしまいます。

戸(こ、と)、酢(す)、巣(す)、麩(ふ)、藻(も)、野(の)などの名詞だけでなく助詞や接続詞なども単音で使用される場合が少なくありません。


接続詞はきき手が論理を理解するための推測にとても役に立つものになりますので、否定の「が」を使う場合には「が、しかし」のように音数を増やしてはっきりと否定であることを伝えていきたいものです。

意味もなく順接の「で」が口癖になっている人を見かけることがありますが、本人が思っているよりもキツイ音になっていることが多く耳障りになることがあるので注意したいところです。


「ひらがなの音」をはっきりと伝える段階である「聞く」や「聴く」の段階では、発音や切れ目としての句読点の間などがきき手の役に立つことになります。

まずは「ひらがなの音」から「ことば」としての音を正しく伝えるように工夫をしなければなりません。

さらに同じ言葉であっても「ひらがなの音」として伝わりやすい言葉としての「現代やまとことば」を使いこなすことによってきき手の理解をより確実なものとしていくことができます。

このことは「利く」の段階にも役に立つことになります。


さらに「効く」の段階においては語尾の変化や助詞や接続詞の使い方できき手の推測を助けることができるようになります。

きき手が行なっている「きく」の段階によってもいろいろな工夫を使い分けしなければならないことになります。

それだけ話し言葉として伝えることの伝わりにくさに多くの原因があるということになると思います。


実際の場面をよく思い起こしてみてください。

とっさの場面で文字を利用できる環境がどれだけあるでしょうか。

ほとんどの場面では話すことでしか伝えることができないのではないでしょうか。

言語情報の80%は聴覚によって得ているとまで言われています。


しっかりと事前に準備をして伝えるべき相手が持っている言葉を確認できてから話をできる環境などほとんどないのではないでしょうか。

相手が持っている言葉を意識することすらなく、自分の言葉を使って勝手に伝わったつもりになっていることがほとんどではないでしょうか。

「ひらがなの音」を意識することで相手が持っている言葉にかかわらず、日本語を母語とする人ならば誰でもが同じように理解できる「現代やまとことば」を考えることができるようになるのです。


話すことに比べると「きく」という活動はとんでもなく多くの知的活動を行なっていることは今まで見てきたとおりです。

聞いて理解するということが日本語の伝え方としては標準的なパターンとなっているものです。

どのように理解しているのかを知っておかないとより理解しやすい伝え方というものを考えることができません。

きき手が行なっている理解する段階によっても伝える側が気を付けるべきポイントが変わってくることになります。


また、きき手の活動はつねに段階を追って順番に流れているわけでもありません。

伝える側は自分勝手な論理と言葉でたたみかけてきますので、きき手のほうではそれぞれの段階を行ったり来たりしながら理解していくことになります。

それだけに、伝える側としてはきき手の行なっているであろうと思われる段階に応じた伝え方をしていく必要があります。


きき手が論理の展開を理解しようとしている段階にいるのに、「ひらがなの音」をきちんと伝えるための対応をしていると馬鹿にされていると感じることにもつながることになります。

伝える側のスタンスとしてはどんな場面においてもきき手の「訊く」という活動を受け入れるという態度が必要になります。

きき手に「訊く」という機会を与えることは伝える側の役割になります。


きき手が行なっている「きく」の段階は伝える側からは分かりにくいものとなりますので、きき手の「訊く」という行為によって確認することしかできないのです。

具体的に言葉を発して「訊く」場合もあるかもしれませんが、非言語による「訊く」に対しても感覚を研ぎ澄ませておく必要があります。

きき手のうなずきや首をかしげるなどの自然な行為に対して注意を払っておく必要があることになります。


これをさぼって伝える側の一方的な思い込みでの対応はかえって伝わりにくさを招いてしまうことになります。

ここまで見てくると伝えることときくことはそれぞれ独立した活動ではなく、伝えるときにはきき手の「きく」活動を意識していなければなりませんし、「きく」ときは伝える側の活動を意識していなければいけないことになります。


一人ひとりが持っている言葉は同じく日本語を母語としても決して同じものではありません。

同じ言葉であってもその定義については異なっていることのほうが多いことになります。

本来ならば伝えるべき相手の持っている言葉を分かったうえで相手の言葉とその定義を使って伝えることが一番理解しやすいことになります。


しかし、伝える相手の持っている言葉を掴み切ることは不可能です。

現実には相手の持っている言葉と定義だろうと思い込んで使った言葉によるミスがほとんどです。

日本語には国語として習得した言葉とその定義以外にも、母語として日本語を持っているだけで共通理解ができる言葉が存在しているのです。


それは世代にも生活環境にも影響されることなくほとんどの人が同じ解釈ができる言葉なのです。

日本語の基本語とも言うことができる「現代やまとことば」で、どんな場面でも安心して伝えることができるようにしておきたいものです。




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2016年7月29日金曜日

日本語で伝えるための技術(2)

先回は話し言葉としての日本語が「ひらがなの音」であることを確認して、一音ずつをしっかりと伝えるための技術についてお伝えしました。
(参照:日本語で伝えるための技術(1))

今回は次の段階として伝えるための言葉としてどのような言葉を選んだらよいのかということについて触れてみます。


文字によって意味を理解している言葉が多い日本語は、音としての「ひらがなの音」になった途端に意味を理解するのに苦労をすることになります。

それは聞いている方が「ひらがなの音」を聞いてから行なっている理解するための活動をよく考えてみると分かるのではないでしょうか。

自分でやっているときのことを思い出してください。


「ひらがなの音」からすぐに言葉としての意味を理解していますか。

そこには文字に置き換えるという過程が存在していませんか。

特に、同音異義語がたくさんある言葉などはどの漢字を使っている言葉なのか探していませんか。

使っている漢字を特定できたことによって意味を理解しているのではないでしょうか。


”ひらがなの音 ⇒ 文字への置き換え ⇒ 意味の理解” という過程が行なわれていることになります。

さらに、この「ひらがなの音」から文字への変換は聞いている人の中で持っている言葉で勝手に行なわれていることであり、伝えている方にはどのような変換が行なわれているのか全然わかりません。

つまり、伝えた方が意図している文字なり言葉なりに変換されている保証はまったく無いということになります。



また、伝える方が意図している言葉として発した「ひらがなの音」のアクセントや音の長短などから聞き手が同じ言葉を選んでくれる保証もありません。

伝える方が発した「ひらがなの音」が聞き手にとっては言葉の音として受け取られないこともあることになります。


「ひらがなの音」が文字に変換されたときに漢字にしなければならないから違ってしまう可能性があることになります。

「ひらがなの音」だけから文字を特定できる言葉はないのでしょうか。

そうです、音としてのひらがながそのまま言葉になっている「ひらがなことば」は間違えようがないものになります。

ひらがなでしか表記されない言葉こそ音と文字が一対一で対応しており、他に変換される候補すらないことになります。


ひらがなのすべてが一つの音しか持っていなければ間違えようがありません。

しかし、ひらがなにも使い方によって二つの音を持つものが存在しています。

例えば格助詞としての「は」や目的地や方向を表わす助詞の「へ」は、そのままの音以外に「ワ」や「エ」という音を持っています。

「わたしわ」という「ひらがなの音」は文字としての「私は」と変換されて意味が理解できていることになります。

この活動はあまりにも頻繁に行われているために話し言葉としての「わたしわ」は文字に変換しなくとも記憶されている意味に直接結びついていると思われます。


日常的に頻繁に使用している言葉においてはその変換行為が記憶されており、「ひらがなの音」から直接意味につながっているような感覚を持っているのではないでしょうか。

”ひらがなの音 ⇒ 文字への置き換え ⇒ 意味の理解”における「ひらがなの音」と「意味の理解」が直接的に記憶として結びついており、過程としての「文字への置き換え」がなくても困らない程度になっているのだと思われます。

すぐに意味を理解できない「ひらがなの音」に出会った時には確認するために文字への変換行為を改めて行っていることがよくあると思います。

同じ経験を繰り返すことによって学習されてしまい、過程が意識されることなく原因と結果が結びついて記憶されてしまうことは様々な分野でよく知られていることとなっています。


ここで種明かしをしなければいけません。

先ほど「わたしわ」は「私は」と文字になって理解しているといいました。

実はこれは文字として表記しているうえでだけのことなのです。

実は話し言葉としては、全く反対のことが起こっているのです。


文字として「わたしわ」と書いたものを見ているから意味が掴みにくいのです。

文字としての「私は」の意味は音としては「わたしわ」で理解しているのです。

口に出して言ってみてください。


音としての「わたしわ」は文字にすることなくそのまま理解しているのです。

音としての「わたしわ」は誰もが理解している純粋な日本語としての「ひらがなことば」ですので音そのものが意味を表しているのです。

ここでは話し言葉についてのことを文字で表現していますので実感としてつかみにくくなっていると思われます。

ぜひ、実際の話し言葉でも経験してみてほしいと思います。(参照:はなし方ときき方)


日本語は「ことだま」と言われるようにもともとは音によって意味を持っている言語です。

そこに新しい文化としての外来語をたくさん取り込んで今の日本語が出来上がっています。

もともとの音による日本語は母語として日本語を持っている人にとっては、聞きなれていない音であってもかなりの範囲で推測ができるものとなっています。

昔からの音による日本語が「やまとことば」と言われるものです。


漢語も外来語です。

その漢語に対して文字としての意味を利用しながら「やまとことば」が持っていた音と意味を与えたものが漢字の訓読みだと理解していいと思います。

音としての「やまとことば」に表記としての漢字を加えて日本語として取り込んでいったものが訓読み漢字になります。

同じ漢字を使っていても音読みとして利用しているものは日本語として取り込まれていない外来語として文字の意味を利用しているものだということができるのです。


音読み漢字による表現はカタカナによる外来語表記と同じことになるのです。

音としては日本語になり切っていないものとなるのです。

だから「ひらがなの音」として話し言葉になったときに文字を考えないと意味が理解できなくなることがあるのです。


それでも頻繁に使われている音読み漢字は、先ほどのように文字への変換行為が省略されて音と意味が直接結びついて記憶されていることが起きているのです。

これはすべての人が同じ音に対して同じ意味を結び付けているとは限りません。

その言葉に対しての経験と使われ方がすべての人に共通とは限らないからです。


話し言葉として伝えることが適した言葉はもう分かりますね。

「ひらがなの音」が直接意味をあらわしている言葉です。
文字に変換する過程を必要としていない言葉です。

「やまとことば」はもちろんのこと、現代の日本語の中でも音としての意味を持っている言葉がたくさん存在しています。

具体的に言えば「ひらがなことば」と訓読み漢字で表すことができる言葉たちです。


これらの言葉を「現代やまとことば」と呼んでいます。

「ひらがなの音」がそのまま日本語としての意味を伝えてくれる言葉です。

「ことだま」に結びつくことができる言葉たちです。

日本語を母語とする人にとっては誰もが同じ意味を感じ取ることができる言葉です。


音読み漢字による言葉も外来語も「現代やまとことば」だけを使って説明することができます。

ひとことで言い換える必要はありません、その言葉の持っている意味やその言葉で伝えたいことを「現代やまとことば」を使って説明すればいいのです。


自分で使いたい言葉が「現代やまとことば」で説明できないということは、その言葉に対して自分の持っている日本語でしっかりとした理解ができていないことになります。

そんな言葉を使って他の人に理解してもらおうとすること自体が無理なことではないでしょうか。


限られた紙面やスペースに書かれた言葉は略語や外来語や音読み熟語が多くなってしまいます。

それらの言葉を「現代やまとことば」で置き換えたり説明したりする練習はとても役に立ちます。

日本語で伝えるための技術の二番目はしっかりと日本語になっている言葉を使うということにほかなりません。

それが「現代やまとことば」ということになるのでしょうね。


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2016年7月27日水曜日

日本語で伝えるための技術(1)

母語として日本語を持っていることによって、日本語で伝える技術については意識をしなくともある程度身についてしまっていることになります。

そのために特に日本語で伝えるということを意識しなくとも日常的な言語伝達において困っているとはあまり感じることがないのではないでしょうか。

ところが、伝わっていると思っていたことが実際には伝わっていなかったり思っているのとは違った伝わり方をしていることは以外とあることです。

そのことに気がつかないのは、伝わった内容についての確認を一つひとつ行なっていないことによるものです。

たいして長くもない内容について数人で行なう伝言ゲームは、経験したことがあるのではないでしょうか。
想像もできないくらいおかしな伝わり方をしていることも少なくないと思います。


伝えるための二大手法は書くことと話すことです。

日本語が四種類の文字を持ちながら一種類の音しか持っていないことは前にも確認してきました。
(参照:四種の文字と一種の音)

つまり、文字の使い分けによる意味や感覚の違いは話し言葉では表現できないことになります。

読み方が同じであれば話し言葉としては一つのものとして同じになってしまうのです。

他の言語で複数の表記文字を持っているものは数えるほどしかありませんし、日常的に使用する表現で複数文字を混用して使い分けしている言語は日本語だけだと思います。

それだけに話し言葉よりも文字として視覚に頼ることが多い言語となっていることになります。


ところが人が得ている言語情報はおよそ80%を話し言葉から得ていると言われています。

言語以外の一般的な情報についてはおよそ80%を視覚から得ていることに比べるとほとんど視覚情報に頼ることができない状況であると言えます。
(参照:言語情報は耳から)

日本語を伝えるための技術として最も有効なものは伝えたい内容を文字で表記することになるのですが、ほとんどの場面ではそれが不可能であることを示していることになります。


したがって、日本語で伝えるための技術を考えるときには文字によるサポートができないことを前提として話し言葉による伝え方で考えることが必要になってきます。

仮に文字によるサポートが可能な場面があったとしたら、それはラッキーとして捉えて積極的にうまく活用すべき状況であるといえます。

他の言語と比べた時に日本語は一段と視覚情報と聴覚情報の差が大きなものとなっていることになります。


実際に言葉を理解している内容を見てみると音で理解していることよりも文字として理解していることのほうが多いことが分かるのではないでしょうか。

特に、漢字によって意味を理解している言葉については同じ音を持った言葉(同音異義語)が存在していることが多いために文字の違いで意味の違いを理解していることになります。

また、漢字自体が意味を持った文字(表意文字)であるために音(読み)よりは文字のほうが意味が伝わりやすくなっています。

同じ漢字であっても訓読みの場合はもともと日本語にあった意味を持った音の「ことば」となっているために音だけでも意味を理解することができますが、音読みの場合は音としての読みには日本語としての意味がありませんのでどうしても文字による意味の確認を必要としているのです。


話し言葉だけで音読み漢字の言葉を理解するためにはその言葉を限定するための独特の使われ方やその言葉を説明するための言葉が必要となっているのです。

文字としての確認が可能な場合はその言葉だけを見せれば理解できるのですが、話し言葉の場合はさらなる説明が必要になってくることになります。

これをさぼるときちんと伝わらないことが増えていくことになります。

同音異義語がある場合だけではなく日本語として意味ある言葉となっていない音読みについても理解しにくい音となっていることになります。


以前に見てきたように日本語が持っている音は「ひらがなの音」になります。
(参照:日本語で話していること)

ひらがなもカタカナも全く同じ音となっていますので話し言葉では文字の違いがまったくなくなってしまいます。

漢字やアルファベット(ローマ字)にしてもその読み方については仮名で表記して音を表しています。

音として声に出した瞬間には「ひらがなの音」になってしまうことになります。


文字によって言葉の違いや意味の違いを理解していることが多い日本語において、実際の言語伝達はほとんどが話し言葉で行なわれている事実を踏まえて伝えるための技術を考えていきたいと思います。

一般的な言語を伝えるためのテクニックではなく日本語の特徴を確認しながら、日本語のための話して伝えるために必要な技術に特化して触れていきたいと思います。


最初の特徴はすでにキーワードとしても登場している「ひらがなの音」です。

どんな文字を使用したとしても日本語の話し言葉はすべて「ひらがなの音」として伝わります。

聞き手は「ひらがなの音」を確認することで言葉として理解することになります。


つまりは「ひらがなの音」がきちんと伝わらないと言葉として認識してもらうことができないことになります。

「ひらがなの音」をきちんと聞き分けてもらえるための話し方が必要になります。

他の言語話者が感じる日本語の聞こえ方は、低い音で単純なリズムで「ダッダッダッダ」といった太鼓をたたいているような音のようです。

言語の持っている周波数が低いことや抑揚(アクセント)があまりないことがこのような印象を与えているのではないかと思われます。
(参照:周波数から見てみた言語)

それだけに言葉としての音のくくりが掴みにくく一音ずつがはっきりとしないととても分かりにくいものとなるようです。


そのためには、一音ずつをはっきりと発音する必要があるのですがボイストレーニングなどをやらなくてもできる方法がありますのでご紹介しておきたいと思います。

ライブのリハーサルなどで実際に私がやっており効果を実感している方法です。


母音である「あいうえお」だけでリハーサルを行なっているのです。

ひらがなは「ん」を除けばすべて母音で終わっている音ばかりです。

終わりの母音をしっかりと発することで音としてのキレができるのです。

歌詞を母音だけで歌ってリハーサルすると本番の歌がとても伝わりやすくなります。


すべての音が母音の形の口で終わり母音の音で終わりますので、母音だけで練習しておくととても切れの良い「ひらがなの音」として伝わるようになります。

母音は声帯をしっかりと使って喉から音を出さないと伝わりません。

子音は息の音ですのでほとんど声帯を使うことがありません。

音としての母音をしっかり出せるようにしておけば「ひらがなの音」はすべて伝わりやすくなるのです。


同じ母音でも特に奥のほうから音を出すことになる「う」「お」についてはしっかりとリハーサルをしたほうがいいと思います。

「いえあおう」の順番で音が奥になっているようですので、同じ音量のつもりでもどうしても「う」や「お」は伝わりにくくなってしまい間違いやすくなってしまうようです。


あまりにも単純なことでがっかりされたかもしれませんが、伝えているものが「ひらがなの音」であることが分かって初めて意味があるものとなっていると思います。

次回は、効果的に伝えるための言葉についての技術を見てみたいと思います。



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2016年6月22日水曜日

四種の文字と一種の音

私たちの情報伝伝達における中心的な方法は文字による表記と話し言葉による二種類になります。

これは日本語だけに限ったことではなく文字を持つ言語にとっては当たり前のことだと言えます。

もちろんその前提には文字を持った言語は必ず口頭言語としての音による表現も同時に持っていることになります。


言語の成り立ちからすれば口頭言語の存在の方が文字よりも先にあったことは明らかであり、それは文字を持たない言語の存在からも確認されていることでもあります。

現存する多くの言語が文字の持っている役割として音を意味する発音記号的な役割である表音文字であることが日本語や中国語との特徴を異にすることになります。

文字として単独で意味を持つ表意文字は現在において日常的に使用されている文字の中では漢字だけだと言われています。

文字自体が意味を持っていることから、言葉としての音が分からなくとも漢字という文字のみによってその言葉が持っている意味を理解することが可能となっています。

そのために、話し言葉としての伝達方法よりも文字による伝達方法の方がより精度の高いものとなっていることになります。


表意文字を持っていない言語においては文字にして記録することに対して日常的な場面においてはそれほど重きを置いていない傾向があります。

後で確認が必要となることや記録として残しておく必要のある内容についてのみ文字化している傾向があり、実際の情報伝達においては口頭表現のウエイトが多くなっていると思われます。

そのために、書くことよりも話す技術の方が重要視されておりかなりの教育レベルを修了した者であってもスペルのミスは散見されることがあります。

読む技術は話すために必要な技術であり一緒に扱われることが多いですが、書く技術とは一線を画したものとなっている場合が多いようです。


見た目からわかる日本語の特徴として使用している文字種の多さがあります。

ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットの四種類が日常的に使われています。

漢語・漢文的な表現ができる人にとっては漢字だけで表現することも可能ですし、ローマ字であればアルファベットだけで表現することも可能なのが日本語です。

その意味では、四種類の文字のすべてで単独での日本語表現が可能な文字であると言うこともできます。


しかし、敢えて日本語の標準表記方法を撰ぶとしたら漢字かな混用表記ということになるのではないでしょうか。

その基本形に対してカタカナやアルファベットを必要に応じて使い分けしているということだと思われます。

そのようにして見てみると、日本語になり切っていない言葉や外来語の表記についてはカタカナやアルファベットで行なわれていることが分かってくると思われます。


もともとは外来語であっても漢字やひらがなで適切な日本語表現がなされた言葉については、明治期に大量に生み出された言葉のように日本語として定着しているものだと思われます。

日本語として定着しきれなかった言葉や適切な日本語に翻訳できなかった言葉、あるいは本来の言葉が持っているニュアンスを上手く日本語にできなかった言葉などがカタカナやアルファベットで表記されているのだと思われます。


特にアルファベットについては元の言葉がアルファベット言語で表記されたいたニュアンスをそのまま伝えたいときにはよく使われるのではないでしょうか。

使い始めの場合においてもいろいろ試した日本語での表記に対してどことなく違和感を感じるために原語表記を残しておきたくなるのではないでしょうか。

それだけ原語のニュアンスに対しても敏感になってきて違いを感じられるようになってきているという証でもあると思われます。

「カタカナニュア...」の画像検索結果

文字表記上の四種類の文字の使い分けはコピーライターは勿論のこと一般的な表記においても気にしていることではないでしょうか。

伝える相手を考慮しての言葉の選択は当たり前にしても、決まった言葉に対しての文字の選択にも自然と注意を払っているのではないでしょうか。

表記文字を一種類しか持たない言語に比べると余分な活動であり手間であると言うこともできると思います。

また、それだけ同じ言葉に対しての表現が豊かであるということでもあります。


文字を一種類しか持たない言語に比べると表現が豊かであるが故の問題も存在していることになります。

それは、文字上では四種類の文字の使い分けによるニュアンスや感覚の違いを表現できる豊かさがあったとしても、その言葉を話したときには文字の種類による違いを表現できないことがあります。

話しことばとしての日本語が持っている音は一種類でありそれは四種類の文字の違いを表現できるだけの音になっていないということです。


話しことばとしての日本語が持っている音は「ひらがなの音」だけになっています。

それは言文一致の政策としてひらがな五十音が定められた時からまったく変わっていないことになります。

ひらがな五十音と言っても実際の音は五十音表に載ってる46音になります。

それ以外に明確に異なっている音としては濁音・半濁音の25音ではないでしょうか。

その他の音はこれらの音の組み合わせとしてのバリエーションと言えると思います。

つまりは「ひらがなの音」は基本音71音でできていることになります。


小さなひらがなで表されるような音は単独の音としてよりも基本音の言い方のバリエーション(長短や音便など)として扱うことの方が適していると思われます。

そのようにしてみてみると、日本語は世界の現存する言語の中でも極めて音数の少ない言語であることが分かります。


同じ漢字を使っている中国語を見てみると、母音だけでも36音あり音数の合計ではゆうに400音を超えるものとなります。

英語の場合にはいくつあるのかさえわかりませんが2,000音以上はあると言われています。

同じような基準で小さなひらがなまでも入れても120音あるかないかといったところが日本語の音です。


中国語も英語も表記文字は一種類です。

どちらもあまりに多い音に対して発音記号を持っているのも共通していることかもしれませんね。

基本的には文字(単語)と音が一種類ずつしかない言語だということができます。

文字にして表現しても言葉として話したとしても表し方は一種類しかないことになります。

したがって、文字表記と話し言葉が同じ理解をされることになり、そこにはほとんどギャップが存在しないことになります。


ところが日本語はニュアンスや感覚が異なる四種類の文字表記が可能にもかかわらず話しことばとしては一種類しか持っていないことになります。

話しことばでは文字の種類の違いの感覚を表現することは出来ないことになってしまいます。

しかも圧倒的に少ない音数で表現するとんでもない豊かな表現には、必然的に同じ音によって表現される言葉が出てきてしまいます。

いわゆる、同音異義語です。

異なった漢字で読みが同じものだけが同音異義語ではないのです。


四種類の文字と一種類の音との間には大きな表現力の違いが存在していると思われます。

ある程度の教育を受けた者は日本語を言葉として理解しているのは文字によって行なっています。

多くの同音異義語から適切な言葉を見つけるのは文字の違いによる意味の違いを理解しているからです。

人の話しを聞いた時には行なっているこれらの活動は、自分が話すときにはどうなっているのでしょうか。


文字になっているものと聞いているだけのものとの間には大きなギャップが存在しているのが日本語だと思われます。

それを意識しないで伝達が行なわれていることはどこかでもの凄い知的活動が無意識に行なわれているのでしょうね。

これだけ文字を使いこなしている日本語はやっぱり大きな言語だと思います。

日本語だけの環境にいたのでは分からないことかもしれないですね。



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2016年5月26日木曜日

日本語で話していること

わたしたちが日本語で話をした時に実際に相手に伝わっているのはどんなものなのでしょうか?

わたしたちは話しをして相手に何かを伝えているときに感覚としては言葉が伝わっていると思っているのではないでしょうか。

自分の思っている言葉が相手に伝わらなかったときに、自分の伝え方を顧みることなく思わず相手のせいにしていることはないでしょうか。


話し手が実際に発しているものはなんでしょうか?

人は声帯で発生した声(音)を口腔を通して発しています。

声帯で発することができるのは一つひとつの音であり、それは必ずしも言葉となっているものではないと思われます。


中には一音で言葉になっている「は」(葉、歯、派、刃・・・)のような言葉もありますが、言葉として捉えるためにはその「は」の使われ方が分かるような言葉としての塊が必要になります。

実際に人が発しているものは言葉の要素となる一つずつの音ではないでしょうか。

そして、言葉は一音で構成されているもの以外はいくつかの音が連続することによって初めて言葉として認識できるものとなっています。


言葉を構成する音は言語によってそれぞれ独特の音となっています。

日本語の場合は言葉を構成する音が「ひらがなの音」となっていることになります。

基本の清音である46音に加えて濁音・半濁音の25音で構成されており、拗音・撥音などの小さなひらがなで表現される音はそのバリエーションと言うことができます。

日本語は基本音としては71音とそのバリエーションですべての音を表すことができる、世界の言語の中でも音数の極めて少ない言語となっています。

わたしたちが話をしているときに言葉として発することができるのはこれらの音の連続でしかないのです。

「ひらがな」の画像検索結果

また、言語によって言語として使用されている音の周波数の幅が決まっているようです。

その比較を見てみると日本語で使用されてる音は125Hz~1,500Hzと言われており、言語の中では低い領域に集中しています。

そして母語として持っている言語の音について言葉として発信し聞き取れるように体の各器官の機能が発達していくことになります。


したがって、日本語を母語として持っている私たちは「ひらがなの音」を効率よく発することができるように声帯が発達し口腔が発達しており、他の言語を発することが苦手となっているのです。

このことは聞き取る場合にでも同じことになっており、「ひらがなの音」を言語として効率よく聞き取ることができるようにその周波数帯の音に対して敏感に聞き分けできるように聴覚が発達してきているのです。

音楽の録音やスピーカーの性能に対して重低音域にうるさい日本人の特徴はここからも伺うことができるのです。


話している方も聞いている方も直接言葉でのやり取りがなされていると勘違いするほど効率の高い変換が行なわれていることになります。

それも実際に発信し受け取っている「ひらがなの音」を全く意識することなく行なわれていることになります。

現実に発せられているものが「ひらがなの音」だけであるのなら、発信者・受信者のそれぞれの間で行なわれていることは以下のような変換活動になります。

言葉(発信者)⇒ 「ひらがなの音」(発信者)⇒ 「ひらがなの音」(受信者)⇒ 言葉(受信者)


この活動は行なっている本人でさえも意識することがないほどに効率よく瞬時に行なっているのではないでしょうか。

とくに発信者側においては自分の持っている伝えたい言葉を伝えたい使い方で順番に発しているだけですので言葉を伝えていると思っても無理はないことだと思われます。

しかし、受信者側においては実際には言葉になる前の「ひらがなの音」を受取っているにもかかわらずに言葉を受取っていると勘違いしてしまうほど瞬時の効率の高い変換が行なわれていることになります。


ひとたび「ひらがなの音」として発せられた言葉は発信者の込めた意図を離れて受信者の解釈に委ねられることになります。
(参照:日本語で聞いていること)

言葉を発している器官である口はそのための専門器官ではありません。

五感の一つを受け持ち生きるための基本である食を受け持っている器官でもあります。

言葉を発すること以外に生命を維持するための大切な機能を受け持っている器官となっています。


それに対して「ひらがなの音」を受け止める器官である耳は音をきき取るための専門器官です。

五感の一つを受け持つ専門機関となっておりきくための機能を専門として磨き上げてきた器官となっています。

その専門性ときめ細かさから見てみれば発する機能よりも受ける機能の方がより洗練されたものとなっているのではないでしょうか。


話すことと聞くことは一対の活動で成り立っているコミュニケーションと言うことができます。

この活動では聞き手の持っている能力に頼っている部分が多いのではないでしょうか。

発信者が実際に発しているものは「ひらがなの音」ですが、そこに込められた意図は様々なものがあります。

言葉を媒体として伝えてはいるのですが実際に伝わっているのは「ひらがなの音」になります。


伝わっているつもりの言葉と実際に伝わっている「ひらがなの音」の間にはギャップは存在していないのでしょうか。

受け手が聞くことができた「ひらがなの音」から言葉に変換しそこから発信者の意図を理解するためには多くの段階が存在しています。
(参照:「きく」の五段階活用)

聞き手の活動をより正確に助けるための活動として発信者ができることもあるのではないでしょうか。

あるいは発信者側としては理解活動を聞き手に任せることによって期待してはいけない諦めなければならないこともあるのかもしれません。


71種類の「ひらがなの音」をより正しく発声すること以外にも「ひらがなの音」を意識することで発信者側にもできることがありそうですね。

それこそが話すために本当に必要な技術になるのではないでしょうか。

「ひらがなの音」という視点が見えたことで他にも見えてくるものがあると思います。

どんなものが見えてくるのか楽しみですね。



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2016年2月15日月曜日

「はなす」の三つの意識

ともに無意識にやっていることが多いのですが、話すことも聞くことも実際にやっている活動について考えてみるとものすごい事をやっている事に驚きます。

話すことは独り言を除けば、なにかを伝えるために行なっている活動だと言えます。

そこには伝えるべき対象としての相手がいる事になります。

そしてその相手が聞いてくれている事によって初めて伝える事が可能になるのではないでしょうか。


伝えるためのツールが言語になります。

日本語以外の言語は口頭言語であり言葉は言語の音によって区別されていることが多くなっています。

持っている音数も多く同音異義語はほとんどありません。

日本語の感覚で同音異義語のように聞こえる音だと思っても、その言語の母語話者にとっては区別されている音であることがほとんどです。


日本語には同音異義語も多いのですが、同じ音で極めて近い意味を持つ同音似義語もたくさんあります。

「かく」という音からは「書く」「描く」「画く」「掻く」「欠く」などのように同じ動作を表しながら意味が微妙に区別されるものがあります。

名詞まで入れたらどれだけの意味が区別されるのか数え切れません。

それは、同じ音でありながら異なる漢字で表記することによって微妙な意味の違いを表しているものが多く、もとはおなじ「ことば」であったものがほとんどです。


しかし、話し言葉としてはすべて「かく」としてひらがなの音でしか伝わらないのです。

話し手は「描く」として伝えたつもりでも、どんなに正確に伝わったとしてもひらがなの音としての「かく」としてしか聞いてもらえないのです

同様にして、日本語はどんなに正確に漢字としての意味の違いを伝えたとしても「ことば」としてはすべてひらがなの音としてしか伝わらないのです。

「描く」の画像検索結果

そのようにしてみると「はなす」という言葉もいくつか意味の違いを漢字で表記することができます。

このようなことを試みる時に日本語の変換機能は大変便利なものです。

「はなす」という動作を表す「ことば」を漢字に変換してみると三つの候補が現れます。


「話す」「放す」「離す」の三つになります。

この三つの意味の違いが「はなす」という活動をよく表していると思われます。



言葉を選び語順を選んで発することが「話す」こと。

選んだ言葉や語順をどのような抑揚(アクセント)でどうのような間で投げかけるかが「放す」こと。

最後は相手の解釈に委ねることが「離す」こと。

ということができるのではないでしょうか。


話し手がどんなに言葉を撰んで論理を尽くしても、聞き手にとっては「ひらがなの音」としてしか届いていないことを意識することが大切ではないでしょうか。

聞き手に伝わっているのは言葉ではなく音でしかないのです。

その音を言葉として理解する活動はきき手に委ねられていることになります。

「話す」の画像検索結果

話し手にできることは、意図を伝えるために言葉を選び語順を考えて話すことであり、それが言葉として伝わるように抑揚や区切りをとしての間を入れながら「放す」ことしかできないのではないでしょうか。

そしてあとはきき手に任せるために「離す」ことになると思われます。


つまり、話し手が漢字やカタカナ・アルファベットで考えたりした理論や言葉は決してそのまま言葉としては伝わらないということになります。

「話し」た結果はすべてがひらがなの音としてしか発せられていないことになります。


それが「ことば」として聞き取ってもらうためには、「ことば」としての音としてはっきり聞き取ってもらえる音でなければなりませんし「ことば」としての音の塊として聞き取ってもらえる区切りがなければならないことになります。

話し手ができるのはここまでのことであり、そもそも論理や言葉の意味を思ったままに伝えることは不可なことだったのです。


話し手としての努力の方向は、「ひらがなの音」を間違いなく受け取ってもらうことと言葉としての音のひとかたまりの区別を間を持って伝えることしかできないことになるのです。

それ以降の理解のための活動は聞き手に委ねることしかできないことになります。


聞き手がどの様な活動によって理解しているのかはまた別の機会に同じように見てみますが、「ひらがなの音」としてしか聞き取れないものから言葉や内容・論理までを理解するためにはかなり複雑な活動をしていることになります。

したがって、話し手が「言っていることが理解されない」と言って聞き手を責めることは大きな間違いであり、単に伝え方が悪いだけのことなのです。

ひとたび話し手の手を離れた「ひらがなの音」は、その理解を聞き手の活動に委ねることしかできないのです。


少なくとも、このことを知っていれば聞き手の理解を助けるための努力をしようと思うのではないでしょうか。

話しっぱなしで理解しろという態度がいかに間違ったものであるかわかるのではないでしょうか。

自分が聞き手に回った時にやっていることをよく理解してみれば分かりますよね。


日本語は話すことよりも聞き手にの能力に頼ることが大きな言語です。

どの様なきき方をしているのかをじっくりと考えてみることは、話すこと伝えることにとても良い効果が期待できます。

じっくりと考えてみたいですね。




2015年11月16日月曜日

話し手と聞き手のズレの正体

話し手の意図していることを聞き手に伝えることはとても難しいことです。

それにもかかわらず、話の手の立場としては当たり前に伝わっていると思ってしまっていることがあまりにも多いのではないでしょうか。

とくに、相互の間に上下の関係がみられる場合においてはこの思い込みにさらに拍車をかけている場合が多いと思われます。


日本語の感覚としての美徳と言われることに「行間を読む」「以心伝心」「一を聞いて十を知る」などがあることは間違いありませんが、どれをとっても聞き手の側の態度や能力について言っていることです。

上下関係の上側にいる者にとっては都合の良いことだけであり、自らが努力をして意図を伝えるという態度を欠かせる原因ともなっていると思われます。


上下関係の下にいる場合には、聞き返したり別の方法で確認することが失礼にあたるのではないかと言うおかしな感覚があることも確かです。

それがために、自分が下の立場になった環境では一生懸命に理解しようとする姿勢を持っていても、上の立場になった環境では伝えて理解してもらうための努力を欠いてしまうことがよく見受けられます。


これは話し手が下の立場であったとしても見受けられることであり、上の立場の人に理解してもらうために多くを語ることは決して褒められることはありません。

短い言葉で伝えきることをもって良しとされることが現実になります。

つまりは、話し手としても聞き手としてもその会話を理解しやすいようにするための努力は常に立場が下であったり弱者であったりする方が責任を負うことになってしまうのです。


聞き手としての場合は、短い時間における少ない情報量の中から的確なことを推測しなければなりません。

話し手の立場としては、短い時間において少ない情報量のなかで的確な内容を伝えなければなりません。

そしてほとんどの場合において、その場において伝わった内容を確認する機会はないことになります。


したがって、コミュニケーションにおけるミスの責任は立場の弱い者の方に押し付けられるのが普通のこととなってしまいます。

これを回避するためには、立場の上の強い者の方が内容を確認するという行為を率先して行なわない限り難しいことになります。


日本語の感覚としては、公的性が高くなればなるほど双方の間に上下の関係が明確に存在するようになります。

その関係をいち早くお互いに築き上げることが交渉ごとがうまく運ぶための前提でもあります。

両者が対等の関係にあって伴に協力し合うという関係は、お互いに不安定なものとして感じてしまうのです。

自分がどちらに相当するにしても上下、主従、本属の関係が明確になることの方が落ち着いた関係となるのです。


さて、話し手は考えたこと思ったことを言葉として発しています。

ほとんどの場合は、発せられる言葉は推敲され練られたものとはなっておらず考えたことや思ったことがその場で話し手の言葉として発せられたものとなります。

言い方を変えれば、話し手の思考が話し手の持っている言葉によって発せられたものと言うことができます。


そこで発せられた言葉は話し手が持っている思考の中での意味を与えられたものなっています。

思考のツールとしての漢字はとても便利なものですので、ほとんどの場合は思考という知的活動においては漢字が大活躍をしています。

思考のほとんどは単語による関係性の構築になりますので文法を意識することはありません。

したがって、専門用語としてのカタカナやアルファベットを含めて漢字を中心とした単語が溢れることになります。

ひらがなの出番はほとんどないと言ってもいいのではないでしょうか。


そこで構築された単語同士の関係を他者に説明する場合には、関係性を説明しなければなりません。

そこでは文章として時制や関係性を中心とした表現が必要になります。

助詞や語尾変化や接続詞が重要な役割を演じることになります。

それはひらがなの役割になります。


話し手が使用する大切な言葉のほとんどは漢字やカタカナ・アルファベットになります。

その言葉をつないで関係性を表す役割がひらがなです。

発している方は漢字やカタカナ・アルファベットをイメージして発していることになります。


ところが、これを聞き手が受取っているのはすべてひらがなの音として受け取っているのです。

話し手が思っているような漢字やカタカナ・アルファベットとして受け取っているわけではないのです。

会話における受け取り方はすべてひらがなの音としての受け取り方しかないのです。


発している話し手ではひらがなの音としてしか受け取っていないことを理解することはまずできないのではないでしょうか。

それは、自分が聞き手の時もひらがなの音としてしか受け取っていないことを意識していないからです。

一般的には、聞き手はひらがなの音として受け取ったものを瞬時に漢字やカタカナ・アルファベットに変換して理解しています。

その音だけで確定できない場合には前後の理解などから推測して置き換えていきます。


話し手の思考 → 話し手の言葉 → ひらがなの音 → 聞き手の言葉 → 聞き手の理解

話し手の言葉と聞き手の言葉の間にはどうしてもひらがなの音が介在しているのです。

話し手の言葉(漢字・カタカナ・アルファベット)は直接的に聞き手の言葉になるわけではないのです。

そして、このひらがなの音はお互いが意識していないものとなっているのです。


話し手の意図と聞き手の理解がずれる原因は何か所かあります。

話し手側では、意図がそのまま言葉になっているのかどうかが最初のチェックポイントです。

意図を伝えるのにふさわしい言葉であるのかどうか、ふさわしい言葉であればその関係性を表現する文章がふさわしいのかどうか、そこまで含めて意図がきちんと表現されているのかどうかということになります。


今度は、聞き手側の問題です。

伝わった言葉が話し手と同じ言葉に変換されているのかどうかというチェックポイントです。

伝わっているのはひらがなの音として伝わっていますので言葉ではありません。

それを言葉に変換する行為が必要になります。

発したものが意図した言葉に変換できているのかどうかは、ひらがなの音からの変換がどのようにできているのかが大きなチェックポイントになります。


更には、変換された言葉が同じであったとしてもその言葉の意味として理解していることが話し手が求めている内容とあっているのかどうかということもポイントになります。

この段階のチェックは日常的に行なわれていることが多いのではないでしょうか。

いわゆる同音異義語の確認や言葉の意味の確認などですね。


ズレが発生する可能性があるところが何か所かあるために、ひらがなの音による伝達にあまり注意が向かないことになっているようです。

両者がつながっているキーになるものがひらがなの音であることを分かってくると、話し手も聞き手もひらがなの音として意識をするようになります。

とくに話し手にとっては、ひらがなの音で伝わっていることを意識することは聞き手の理解を助けるためのとても大切なことになります。


文字として書いた場合には言葉はそのまま言葉として相手に伝わっているためにひらがなの音を意識することはないと思われます。

それでも読み手が言葉の意味を理解する場合には頭の中でひらがなの音としての「ことば」に置き換えていることが分かっています。

文字としての意味は同じようなものとして理解していても「ことば」としては一人ひとり微妙な感覚的な違いを持っていることになります。

同じ文章を読んでも受け取り方が人によって異なるのは当たり前のことですね。


話し手と聞き手の間でも意識をしていなければ言葉同士で交換しているように思いがちですが、そこにはひらがなの音が間違いなく介在しているのです。

このことを理解しておくだけでも話し方が変わるのではないでしょうか。


冒頭にあったように、日本語の感覚では聞き手の能力に頼ることがとても多くなっているのです。

教育そのものがそうなっているのです。

人前で話すことやプレゼンテーションが苦手なように教育を受けてきているのです。

どの様に相手に伝わっているのかを意識することで話し手の方の能力を上げることができるのではないでしょうか。

聞き手としてはたくさん鍛えられているのですから、話し手としてひらがなの音を意識しておきたいところですね。


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