ともに無意識にやっていることが多いのですが、話すことも聞くことも実際にやっている活動について考えてみるとものすごい事をやっている事に驚きます。
話すことは独り言を除けば、なにかを伝えるために行なっている活動だと言えます。
そこには伝えるべき対象としての相手がいる事になります。
そしてその相手が聞いてくれている事によって初めて伝える事が可能になるのではないでしょうか。
伝えるためのツールが言語になります。
日本語以外の言語は口頭言語であり言葉は言語の音によって区別されていることが多くなっています。
持っている音数も多く同音異義語はほとんどありません。
日本語の感覚で同音異義語のように聞こえる音だと思っても、その言語の母語話者にとっては区別されている音であることがほとんどです。
日本語には同音異義語も多いのですが、同じ音で極めて近い意味を持つ同音似義語もたくさんあります。
「かく」という音からは「書く」「描く」「画く」「掻く」「欠く」などのように同じ動作を表しながら意味が微妙に区別されるものがあります。
名詞まで入れたらどれだけの意味が区別されるのか数え切れません。
それは、同じ音でありながら異なる漢字で表記することによって微妙な意味の違いを表しているものが多く、もとはおなじ「ことば」であったものがほとんどです。
しかし、話し言葉としてはすべて「かく」としてひらがなの音でしか伝わらないのです。
話し手は「描く」として伝えたつもりでも、どんなに正確に伝わったとしてもひらがなの音としての「かく」としてしか聞いてもらえないのです
同様にして、日本語はどんなに正確に漢字としての意味の違いを伝えたとしても「ことば」としてはすべてひらがなの音としてしか伝わらないのです。
そのようにしてみると「はなす」という言葉もいくつか意味の違いを漢字で表記することができます。
このようなことを試みる時に日本語の変換機能は大変便利なものです。
「はなす」という動作を表す「ことば」を漢字に変換してみると三つの候補が現れます。
「話す」「放す」「離す」の三つになります。
この三つの意味の違いが「はなす」という活動をよく表していると思われます。
言葉を選び語順を選んで発することが「話す」こと。
選んだ言葉や語順をどのような抑揚(アクセント)でどうのような間で投げかけるかが「放す」こと。
最後は相手の解釈に委ねることが「離す」こと。
ということができるのではないでしょうか。
話し手がどんなに言葉を撰んで論理を尽くしても、聞き手にとっては「ひらがなの音」としてしか届いていないことを意識することが大切ではないでしょうか。
聞き手に伝わっているのは言葉ではなく音でしかないのです。
その音を言葉として理解する活動はきき手に委ねられていることになります。
話し手にできることは、意図を伝えるために言葉を選び語順を考えて話すことであり、それが言葉として伝わるように抑揚や区切りをとしての間を入れながら「放す」ことしかできないのではないでしょうか。
そしてあとはきき手に任せるために「離す」ことになると思われます。
つまり、話し手が漢字やカタカナ・アルファベットで考えたりした理論や言葉は決してそのまま言葉としては伝わらないということになります。
「話し」た結果はすべてがひらがなの音としてしか発せられていないことになります。
それが「ことば」として聞き取ってもらうためには、「ことば」としての音としてはっきり聞き取ってもらえる音でなければなりませんし「ことば」としての音の塊として聞き取ってもらえる区切りがなければならないことになります。
話し手ができるのはここまでのことであり、そもそも論理や言葉の意味を思ったままに伝えることは不可なことだったのです。
話し手としての努力の方向は、「ひらがなの音」を間違いなく受け取ってもらうことと言葉としての音のひとかたまりの区別を間を持って伝えることしかできないことになるのです。
それ以降の理解のための活動は聞き手に委ねることしかできないことになります。
聞き手がどの様な活動によって理解しているのかはまた別の機会に同じように見てみますが、「ひらがなの音」としてしか聞き取れないものから言葉や内容・論理までを理解するためにはかなり複雑な活動をしていることになります。
したがって、話し手が「言っていることが理解されない」と言って聞き手を責めることは大きな間違いであり、単に伝え方が悪いだけのことなのです。
ひとたび話し手の手を離れた「ひらがなの音」は、その理解を聞き手の活動に委ねることしかできないのです。
少なくとも、このことを知っていれば聞き手の理解を助けるための努力をしようと思うのではないでしょうか。
話しっぱなしで理解しろという態度がいかに間違ったものであるかわかるのではないでしょうか。
自分が聞き手に回った時にやっていることをよく理解してみれば分かりますよね。
日本語は話すことよりも聞き手にの能力に頼ることが大きな言語です。
どの様なきき方をしているのかをじっくりと考えてみることは、話すこと伝えることにとても良い効果が期待できます。
じっくりと考えてみたいですね。